おわりは突然に
突然だが、俺こと草薙剣は本日、落命した。
え?「落命」の意味がわからないだって?
ああ、すまない。俺の説明不足だ。読んで字の如く「命を落とした」という意味でいい。
それで死因を何か?・・・聞かないでくれ。あまりに惨たらしくて語るに耐えないんだ。だが、ここで俺の死因を明かさなければ話が始まらないのだから、口を割ろう。
事の始まりは心躍る下校のときだった。何故、心躍るか?超インドアな俺にとって、世界で一番楽しい空間は自分の部屋だからだ。
別に引きこもりとかいうわけじゃない。世間では俺のように少々部屋で静かに過ごすのが好きな人間を「引きこもり」と忌避する傾向にあるが、それは個人の自由だと俺は考えている。
いつも通り国道沿いを歩いて帰宅していると、ばったりと昔の幼馴染に出くわした。
誰かに武藤翔子という人物の印象を聞くと、ほとんどの人間は「大人しい」と答えるだろう。俺も昔に翔子から尋ねられて同じことを答えると、いきなり翔子に張り倒された。
油断していたのと翔子の実は黒帯保持者という大人しい見た目を見事に裏切る特技のおかげで、俺の体は数メートル先まで吹き飛ばされてついでに電柱に激突して止まった。電柱がなければもっと飛んでいたということだ。
本当に恐ろしかった。このとき俺が二度と女の子は怒らせないと心に誓ったのは仕方のないことだろう。
「大人しいってのはな・・・、『君、地味だよね笑』『全然、印象ないね☆』と同じ意味なんだよ!!」
後に聞いた話によると、このとき翔子さんは少しイライラしていたらしい。本人曰くほんの少しだ。俺を吹き飛ばすほどの力で殴る程度に。
何でもクラスでちょっとした遊びに行われたランキングで、「クラスの大人しい子は?」部門で一位に選ばれたそうだ。しかしこれだけなら気にすることもなかっただろう。実際に翔子はあまり自己主張を好まないタイプだし、仲のよいクラスメイトもいるが静かに読書をするのも好きなのだ。問題は「クラスの彼女にしたい子は?」部門の一位獲得者に、「武藤さんが大人しい子部門の一位?たしかに、地味だしね笑」と鼻で笑ってもらえたらしい。
まったく何してくれてるんだ、その可愛い子は。翔子から右ストレートをいただした身としては、その彼女にしたい子部門の一位に右ストレートをお贈りしたくなった。もちろんなっただけに留めておいた。
「翔子、久しぶり」
「あら、剣じゃん」
久しぶりに目にした翔子はなかなか可愛くなっていた。中学校のころは、重ったるく伸ばした前髪と眼鏡でどこか暗い印象があったが、高校生になってせいか長い前髪は三つ編みにしてサイドに流し、何だかおしゃれにしている。眼鏡も以前に掛けていた真っ赤な縁のものより、今している黒いフレームのほうが彼女の雰囲気にはよく似合っていた。
「よお、元気だった?」
「あんたこそ。あいかわらず弟君に嫌われているの?」
「久しぶりに会った幼馴染にいきなり酷いこと言うな、翔子は」
事実だとしても心はブロークンハートだ。
「そうだ、これを剣に見せたいと思ってねー」
幼馴染の気安さからこちらの発言を鮮やかに無視して、翔子は学校の鞄から一冊の文庫本を取り出した。
「翔子さん、何ですかこれ」
何と表現すればいいのだろうか。あえていうなら肉色の世界。そんな表現がふさわしいご本であらせられる一冊を無理やり俺の手に渡される。
「うーん、まあ、ねえ?」
「その笑い方やめてください。怖いです」
今日ほど幼馴染の笑顔を怖いと思ったことはあっただろうか。いや、ない。
「これは世でいうBL本です」
「はあ、『びーえる』・・・」
最近、メディアでも大人気である乙女の世界は、かねがねその噂は世間に疎い俺の耳に届いている。しかし、この帯びの宣伝文句の「俺達は兄弟なのに、お前のフェロモンが俺を誘惑するから悪いんだ!」って何なんだ。何が言いたいんだ。幼馴染は俺に何を期待しているんだ。
予測不可能な恐怖あまり俺の手に緊張の汗が握られていると、にっこりと可愛くなった姿で翔子は微笑んだ。
「これを一週間以内に読破して、感想を私に教えてください」
俺は微笑んだ。
「無理です」
走って逃げようとした体を乙女のものとは思えない凄まじい力で背後から羽交い絞めにされる。
「大丈夫よ。これくらいすぐに読み終わるから」
「精神的に無理です。というかセクハラです」
世間では女性の上司が若い男性の部下にセクハラをかますこともあるのだという。男女問わずそういう嫌がらせは絶対にしちゃいけないよな、うん。
「大丈夫!剣にしかこんな恥しいことはさせないから」
「自覚あるのか!ならやめてくれ!」
必死に抵抗したが、どうしても翔子があまりにせがむものだから、仕方なく俺はぱらぱらと中身を広げてみた。
後悔した。肉色の表紙はなかなかのインパクトを与えてくれたが、挿絵のほうも期待を裏切らない見事な出来栄えだった。恐らく兄と思われる美青年が弟らしき少年を押し倒しているベットシーンを引き当てて、光の速さでページを閉じる。
「というか、どうして俺にこんなの読ませるんですか」
「現実のブラコンから見て二次元のブラコンはどう見えるのかなって気になっちゃって」
夜も眠れないの、と可愛らしく翔子さんが笑うが、俺はその背後に確かに死神の姿が見えた。
俺は頬が引きつるのを感じつつ、ここで誤解を晴らさなければ全世界のブラコン諸君に申し訳ないと思って、必死に本物の兄弟愛について説いた。
「現実のブラコンはこんなに爛れていません。お兄ちゃんというものは、もっと母猫が子猫を思うような純粋な愛で・・・」
「京一と拓海の愛だって純粋よ!!京一は中学校一年の春に両親が死んでからずっと三つ下の拓海を守ってきたのよ。京一の―――」
何故かすごい速さで京一の拓海に対する愛を説かれながら俺は襟首を掴み上げられた。首が絞まる。
「げぼっ、げほっ。わかった、わかったから。京一の愛は純粋だって認めるから。翔子さん離して、俺死んじゃう!」
ああ、ごめんなさい。全世界のブラコンのみなさん。俺はこの幼馴染には勝てません。みなさんは自分の愛を貫いてください。
「じゃあ、読んだら感想を教えてくれるよね」
今ほど禍々しい爽やかな笑顔を見たことがない。どうして己の趣味を追及する人ってこれほど探究心があって躊躇いがないのだろうか。
「うぅ・・・、はい・・・」
俺は力なく返事をした。
ここで終われば俺は帰って未知の世界への扉を開きながら少々の精神的ダメージを受けるだけで済んでいただろう。しかし、運命の女神さまはそれくらいでは許してくれなかったようだ。
人間は集団でいるとどうも騒ぎたくなる生き物だ。狭い国道沿いのこの道を、お友達と楽しく帰っていたらしい小学生たちが向こうから追いかけっこをしながら走ってきているところだった。主に前を見ないで。
「「え?」」
その瞬間、俺と幼馴染の声が重なった。
国道というのは通常より車の台数が多い。それなりにスピードも出ている。小学生の力強い突撃を食らった俺は気が付けばバランスを崩してその車数の多くスピードも出ている車道に投げ出されていた。
そして、そこによりにもよって俺が倒れたところに運悪く重量のありそうなトラックが走りこんできた。
トラックのタイヤが目の前に迫ってきたとき俺は思った。
果たして俺の死後、この手に握られた肉色の表紙を、幼馴染はどううまく周りに処理してくれるかと。