第1話 『推しの最期と、僕の最期』
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僕は、推しを守れなかった。
精神科医になった理由は、人前で堂々と話せるような綺麗なものではない。
人の心が壊れる瞬間を、見てしまったからだ。
医学部2年の終わり、親友が自殺した。
アイドルが好きな、明るくて真面目な奴だった。
「もう頑張れない」
彼の訃報を受けたのは僕にこのメッセージを送ってきた翌日だった。
マンションで首を吊っているのを親御さんが発見したそうだった。
だから精神科を選んだ。
精神科の目標として挙げられるのは患者さんをとにかく「自殺をさせないこと」。
親友はもう救えなくても、誰かの“最後の砦”になれる仕事だと思ったからだ。
――だが。
僕はまた、救えなかった。
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僕――佐伯悠真、33歳は市中病院に勤める精神科医だ。
医者をして9年目になる。
その日は比較的に落ち着いていて、僕は昼休みにのんきにコンビニで回鍋肉弁当とデザートまで抱え込み、ゆっくりとランチタイムを楽しもうとしていた。
備品のインスタントコーヒーの湯気が、そののどかさを演出していた。
今思えば、嵐の前の静けさであった。
そこにスマートフォンの通知音が鳴る。
それはゴシップ週刊誌・『マル秘プレス』公式アカウントからの通知で、軽い気持ちで画面を開いた、その瞬間。
《談合坂45・宮坂涼香、人気バンドメンバーとアツアツ不倫》
「えっ……!! ……あっ……すみません」
休憩室で思わず一人叫んでしまい注目を集めてしまった僕は、我に返ってすぐに謝る。
推しの熱愛――もちろん恋愛は社会的動物である以上自由な行為であるのだが
不倫となるとまた話は変わってくる。
自分が推してきた彼女はあくまで偶像であることは理解しつつも、夢から覚めるような一報に視界がくらくらしてきた。
談合坂45とは国民的坂道系グループのひとつで、
紅白には5年連続出場、昨年レコード大賞も受賞している日本のトップアイドルグループだ。
メンバー56人のうち、20人がパフォーマンスの中心となって活動する選抜メンバーへ、
残りがネクストメンバーとして活動をする。
その選抜メンバーに選ばれるか否か、というのがエンタメのひとつとして楽しまれていた。
そのグループの中で、彼女は“報われない実力者”だった。
綺麗な黒髪ストレートロングに大きなたれ目、おっとりした雰囲気なのに
歌唱力やダンスは群を抜いていた。
控えめな性格なのに、ライブを盛り上げようとする一生懸命さも可愛かった。
だが選抜常連ではない。
20回のシングルのうち、選抜はたったの3回。
それでも彼女は、ステージで一度も手を抜かなかった。
どんなステージの端でも、カメラに写っていないところでも
全力で歌って踊って、最高の笑顔を見せてくれる。
僕はそんな彼女に心を打たれ、いつしか足しげく握手会にまで通うようになっていた。
握手会は何度通っても緊張するものだ。何度も言葉が詰まる僕に彼女は笑った。
「先生、今日も来てくれたんですね」
握手会では何百人ものファンが、彼女と握手するために並ぶ。その中で、自分の顔と名前を憶えてもらうことは「認知」と言って、オタクにとって最高の誉れだと言われていて
僕もそれに憧れ
胸にネームカードに「先生」と書いてぶら下げ、白衣を着て覚えてもらいやすいようにアピールしていた。
「無理しないでくださいね。先生が倒れたら困ります」
冗談めかして言う。
涼香はアイドルらしい殺し文句を言ったり、テンポのいい会話で相手を楽しませたりすることはあまり得意ではなかったが、一つ一つの言葉に気持ちが入っていて、
僕はそんな涼香のことを推していた。
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国民的アイドルグループの初の不倫スキャンダルは、雪崩のように広がった。
ワイドショー。
まとめサイト。
SNS。
週刊誌『マル秘プレス』に撮られたのは、人気バンド『サスペクト・クラブ』のメンバーと映っている写真数枚だった。
仲睦まじそうに寄り添っている写真から、キスをしているものもある。
すべて、暗闇の中で撮られた曖昧な横顔だった。
だが誰も疑わなかった。
――裏切り者。
――清純詐欺。
――ファンを騙した女。
その熱愛不倫に対する非難だけではなく、
彼女の今までの活動までも揚げ足取りのように非難する者や、悪質な「切り抜き動画」が数多に拡散され
世論は彼女を「叩かれてもしょうがないビッチアイドル」に仕立て上げた。
事務所側はこの報道を完全否定したが、まもなく彼女は活動休止を発表。
世論は「罪を認めた」「石を投げる権利を得た」とでも言うように、一層激しい野次を飛ばした。
涼香はグループの中でも「アイドルの鏡」と呼ばれているほどプロ意識の高いメンバーだったので
僕は「街中で撮られるようなことはしないのでは」とネットの掲示板で反論したが
焼け石に水だった。
そしてその1週間後、夕方16時。
≪ニュース速報:談合坂45・宮坂 涼香 首つり自殺で死亡≫
テレビ画面に、無機質な文字が並んだ。
休憩にコーヒーを飲んでいた僕は医局で立ち尽くす。
「佐伯先生、大丈夫ですか?」
同僚が声をかけてくる。
「……少し、頭痛が」
僕はそう言って、医局を離れ廊下で一人になった。
インターネットが発達した時代、この世界もまた僕らの世界の一部となった時代、
ネット上に書かれる言葉は今や直接浴びる言葉と大差なく、人を傷つける。
自覚なく、大衆は人を刺していく。
そして人は簡単に死ぬ。
なんでみんなそんなことが分からないんだ。
僕は医局の廊下の壁を力なく殴った。
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涼香が亡くなって数週間後。
週刊『マル秘プレス』が小さく謝罪文を出した。
僕はこの記事のことを談合坂のオタク友達から知らされ
急いで病院の売店で件の週刊誌を購入し、レジの隣ですぐに読み始めた。
内容はこうだ。
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故・宮坂 涼香氏に対する謝罪文
『週刊マル秘プレス』202X年4月2日号、同年4月9日号において
『談合坂45』のメンバー宮坂涼香氏と『サスペクト・クラブ』のメンバーJUN氏との不倫報道に関する一連の記事を掲載しましたが、これらの記事うち宮坂涼香氏の熱愛においては事実ではありませんでした。
この記事により故・宮坂氏の名誉を傷つけ、ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。
週刊マル秘プレス編集部
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――事実ではありませんでした?
頭が真っ白になり、指先が冷えていくのを感じる。
――それで終わりか……?
この謝罪文について、ネットの反応はどうなのかすぐに確認したが
世間の興味は先週報じられたスポーツ選手の賭博問題に代わられており、
誰も興味を持っていないようだった。
どこからか圧力がかけられているのか、検索サイトのトップページにも載っていない。
熱心に追っていた自分だって、友人から連絡が来なければ気づかなかったほどだ。
やはり涼香は不倫などしていなかったのだ。
懸命にアイドル活動を頑張っていた彼女の眩しい笑顔が脳裏によぎる。
大した信憑性もない情報を載せられ、何故あそこまでのバッシングを受けなければならなかったのか。
無実の罪を着せられた彼女の、心中がどれほど傷ついていたか。
――私、いつか絶対センターに立ちたいんです。
涼香の声が今でも鮮明に思い出せた。
「センターに立つ」という夢を口に出すのは勇気がいることだと思う。
国民的アイドルのセンターになるなんて、叶えられる確度がひどく低い夢だから、現実との差を知ると皆だんだんと口に出さなくなる。
だが涼香は握手会の度に、こう話してくれた。
そして涼香ならなれると思っていた。
なのに。
「死んでしまったら、叶えられないじゃないか」
僕は涼香が死んでしまってから初めて泣いた。
「あ、ああ………ああああああぁぁ…………」
獣のような、醜い慟哭。
当時の憶測にすぎないが、おそらく涼香は鬱病を患っていた。
もし、彼女の心のケアを誰かができていたら。
もし、自分の外来に来てくれていたら。
僕は何度も何度も何度も何度も考えた。
彼女はもう、戻らないのに。
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涼香の死から一年が過ぎた。
ずっと僕の頭の中を支配していた「どうしたら彼女を救えたのか」という問いには当たり前に答えなどなく、それを頭の中に追い出すために一層仕事に没頭するようになった。
平日は市中病院の仕事、土日はメンタルクリニックのバイト。
自宅でもWEB講演会の視聴をし、関連書籍を読み漁った。今思えばある種の現実逃避だった。
そして、その日は精神科初診外来を担当していた。
「佐伯先生、僕のこと監視しているでしょう」
51歳男性。統合失調症を患って10年になる。
この市中病院にかかるようになって3年だが、ここ1年は通院と服薬を自己中断してしまい、妄想障害が悪化してしまっていた。
落ち着いた声で応じる。
「どうしてそう感じたんですか? 僕はあなたに助けになりたいだけなんです」
患者の言葉を否定はしない。
感情を刺激しない。
これは精神科の鉄則だ。
1年前に受診した患者さんだが、僕はこの人を良く覚えている。
いつもだったら彼は質問をすれば理由を話してくれる。
だがその日、彼の目は焦点が合っていなかった。
「お前もグルだろう! みんなで俺のことを殺そうとしてるんだ!」
その患者はそう言うと立ち上がり、ポケットに手を入れる。
きらりと光る銀色の物体がちらついた。
刃物だ。
「皆さん、離れてください! 警備員さん呼んで!」
カーテン越しに待機している看護師たちに危険を伝えるために、振り向いて叫ぶ。
そして患者に目を戻すと――。
腹部に強い衝撃を覚えた。
骨が響くような、ズシンという衝撃。
熱い、いや――冷たい。
白衣がじわじわと赤く染まっていくのが見えて、刺されたのだな、とわかった。
しまった、油断をしていたわけではなかったが、
殺意をひらりとかわせるほど、僕は運動神経がなかった。
床に倒れ、見慣れた天井と蛍光灯の光が視界に入ってきた。
いったい、僕は何のために努力してきたんだろう。
親友も救えず、推しも救えず、患者も救えなかった。
結局すべては自分の自己満足になってしまった。
視界が暗くなり、瞼の裏に浮かんだのは最後に見た涼香のステージ。
スポットライトを一身に受ける彼女の姿。
――ああ、もう一度、彼女の笑顔が見たかった。
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暖かい春の風に吹かれて、次に意識を取り戻したのは病院のベッド――ではなく
青い芝生の上だった。
目を開けるとエメラルドブルーの空が広がっていて、日本の空ではない、と直感的に察した。
倒れていた芝生の脇には石畳の道が敷いてあり、
その道の先には中世風の建物群がそびえる街が見えた。
その町の入り口には鎧姿の兵士が談笑している。
入り口からは活気のある市場やそこで買い物する人々が見えた。
なんだ、ここは。
い、異世界!??
異世界アニメは談合坂45のメンバーが声優で出演したアニメしか見ていないので
そこまで造詣が深くないのだが……。いやそれより。
患者に刺されたはずの腹を触ってみると、傷がなくなっている。服装は転生前と同じ、白衣の下にYシャツとネクタイ、それに黒い革靴だが、血もついていなかった。
胸ポケットに入れていた、宮坂涼香の直筆サイン入り生写真も無事。
ほっとしたのもつかの間、頭の奥に、声が響いた。
――《 あなたはこの世界に召喚されました。スキルが発現します 》
歌唱力鑑定。
ダンス力鑑定。
メンタルスコア鑑定。
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……は? スキル……?
しかもなんだこのラインナップ。
メンタルスコア鑑定は職業柄なのかと思うが、歌唱力とダンス力なんて、何に使うんだ…?
「プロデューサーにでもなれということか……?」
自分の独り言に少し笑う。こんな世界にそんな職業が存在するわけ……。
その時、歌声が聞こえた。
透き通るような高音、芯のあるビブラート。
どくん。
心臓が、早くなるのがわかった。身体が勝手に、そちらへ向かう。
彼女がいるわけがない。
彼女がいるわけがない。
彼女がいるわけがない。
頭の中で必死に言い聞かせる。
――だけど僕が、彼女の声を間違えるはずもない。
入り口から街に入ると、市場の隅にある石造りの噴水の縁で、華奢な少女が目を閉じて歌っている姿が見えた。
その横顔を見た瞬間、呼吸が止まる。
――似ている。
――いや、瓜二つだ。
僕の、推し。宮坂涼香に。
彼女の歌声に2~3人の観客が足を止め、前に置いてあるボウル状の皿に数枚コインを入れた。
少女は歌い終わり、ゆっくりと目を開ける。
彼女は足を止めてくれた人に、丁寧にお礼を言い、その瞳がこちらを見た。
どこか不安を抱えた、澄んだ瞳。
そしてその瞳を見た瞬間、頭の奥で再び声が聞こえる。
――《スキルを発動します》――
RYOKA
歌唱:S
ダンス:S
精神安定値:C
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胸が締めつけられ、瞳からは大粒の涙がこぼれた。
もし。
もし神様がいるのなら。
これは、やり直しの機会なのか。
僕は、静かに拳を握った。
これはきっと僕の自己満足。ただのファンの一人がこう思うのは図々しいことだというのは百も承知。
だけど、もしこれが神様の与えた機会だとしたら
神様は「彼女を助けるために」僕を召喚したのではないか。
今度こそ、推しを守りたい。
僕の二度目の人生は、この歌声から始まった。




