醜いアヒルの子と言われたので、家族を捨てることにしました
「シャロンお嬢様、いつもの掃除がまだ終わってないですよ!
あーあ……これじゃ、またご飯抜きでしょうね。
このままでは、私まで奥様に叱られてしまいます。
早く終わらしてください」
そう言うと使用人は、シャロンの目の前にバケツを放った。
中に入っている水が飛び跳ね、シャロンの服や床に水玉模様をつける。
シャロンは唇を噛み締め、黙って床を拭き始めた。
「ねぇ、いいの?あの方ってお嬢様でしょう?」
「いいのいいの!シャロンお嬢様ってなんて呼ばれてるか知ってる?」
「醜いアヒルの子!」
ファイラス辺境伯家の醜いアヒルの子。
シャロンを嗤いそう呼びながら使用人たちは去っていった。
シャロンの家族はみんな綺麗な金髪碧眼だ。
父も母も、妹であるミランダも。
シャロンだけが黒い髪だった。
「おい!この決算書類間違ってるぞ!
我が辺境伯家は代々続く由緒正しい帝国貴族だ。
それに見合う邸宅にする必要がある。
邸宅に使う費用をもっと増やせ!」
「はい。申し訳ございません、お父様」
「ちょっとシャロン!私の前に姿を見せないで!
貴女の辛気臭い貧相な姿、目に入るだけで気が滅入るわ」
「はい。申し訳ございません、お母様」
「まーた怒られたの?
ふふふ、お姉様って本当に愚図でノロマなんだから」
「……………」
由緒正しいと父が言う辺境伯家、その領地経営はシャロンに丸投げされている。
貧相だと言う母、その母とミランダのドレス代で家計はいつも困窮していた。
本当は血の繋がらない他人なのでは…?
その思いを胸深くにしまい、家族の要望に応え続けた。
寝不足のためボロボロな上に、食事を頻繁に抜かれてどんどん体は痩せ細っていく。
そんな体に鞭打つように、日々の業務をこなした。
「シャロンお姉様ったら。
ファイラス辺境伯の一員として身なりを整えたらいかがです?」
定期的にシャロンに嫌味を言いにくるミランダ。
「ゆくゆくは王太子であるミハイル様へ私が嫁ぐんですよ?
ミハイル様は優しいからお許しくださるけれど、私が恥ずかしいわ!」
そう言ってミランダは掃除用のバケツを蹴飛ばし廊下に水を撒き散らした。
「醜いアヒルねぇ?
私だったら生きているのも恥ずかしいわ」
ミランダは嗤いながら去っていった。
残酷な言葉に心は膿んだようにただれていた。
シャロンは涙を堪え、日々を過ごすしかなかった。
「建国祭に出席してくる。
一カ月は戻らないが、私がいないからと言って手を抜くなよ」
「承知いたしました、お父様」
馬車に乗り込む家族を見送る。
茶会はおろか、家族の誕生日パーティーですらシャロンの参加は認められなかった。
幼い頃はその度に泣いていたが、今は涙すら出ない。
父たち家族を見送って1週間が過ぎた頃、いつものように家政をしつつ、邸宅の掃除に勤しむシャロンに慌てた様子の使用人が駆け込んできた。
「シ、シャロンお嬢様!王城より馬車が到着いたしました!」
「え!?」
家族に何かがあったのかと、急ぎホールへ向かう。
ホールでは国王陛下が遣わした侍従が待機していた。
「シャロンお嬢様でいらっしゃいますか?」
「ええ。私がシャロンでございます。」
「陛下のご命令により、お迎えに上がらせていただきました。
シャロン様には、建国祭へご参加いただきますよう、陛下よりお言付けを賜っております。」
私を見た家族はなんて言うだろう…。
家族に咎められる恐怖に手を震わせるが、国王陛下に背く訳にもいかず、了承するしかなかった。
そうしてシャロンも家族が向かった建国祭へ遅れて向かうこととなった。
今年で300周年を迎えるティターニア王国
節目とあって、毎年の夜会も輪をかけて豪勢だった。
その中でも目立つ集団が一団あった。
王太子ミハイルとミハイルに気に入られたい令嬢たちの集団だ。
「ミハイル様!今度我が家のティーパーティへ是非お越しください!」
「我が家が後援する画家の作品を見ていただきたいわ!」
ミハイルはオリーブ色の髪に映える深い緑の瞳を令嬢たちに向け、困ったように笑ってみせた。
そこへミランダが登場する。
ミランダの自信ありげな態度と美貌に、その場の令嬢たちが道を譲った。
「ご機嫌麗しゅう。ミハイル殿下。」
ミハイルの視線が自分に向いた瞬間、ミランダの笑顔はわずかに深くなった。
「やぁ、ミランダ嬢」
ミランダに笑顔で応対するミハイル。
「去年話してた君の姉君だけど、今日も不参加かい?」
「ええ。困ったことにお姉様って自己管理もできなくって。
お恥ずかしい限りですわ」
「…そうなんだ」
「お姉様って何もできないし、家でも身なりを整えないから結婚できないんじゃないかって、私心配で…」
「姉君に一度会ってみたいな」
「やめた方が良いですわ!
ただでさえ黒髪で陰気に見えるのに…。
性格まで暗いのですもの。会えば、ミハイル様を不快にさせてしまうわ」
「…少しでも似ていたら良かっただろうに。
この後も楽しんでね」
そう言い残しミハイルが笑顔去っていった。
ミランダはミハイルの言葉に、自分が称賛されたと舞い上がる。
そこでラッパが高らかに鳴り国王陛下入場が告げられる。
皆頭を垂れ、国王の言葉を待った。
「建国300年を迎えるこの日を皆と迎えられたこと嬉しく思う。
記念すべきこの日に、王太子ミハイルの婚約者を発表したい」
ミランダの耳に、祝福の声援が聞こえてくる。
王国内で王太子と歳が近く家格が一番高いのが辺境伯の娘ミランダである。
ミランダは自身の名が呼ばれると確信していた。
しかし次の瞬間ミランダの希望は打ち砕かれた。
ミランダの瞳には恭しく女性をエスコートするミハイルの姿が映る。
エスコートされる女性は、緑を基調とした白いドレスを品よく着てる。
ミハイルの瞳の色を連想させるドレスの色にミハイルの独占欲が窺い知れた。
しかし、ミランダの目が釘付けになったのはドレスではない、常日頃から見下している姉と同じ黒い髪色。
ミハイルが大切そうに連れている女性はシャロンだったのだ。
ミランダの顔色が怒りのあまり真っ赤に染まっていく。
「この者は隣国、マイアス公爵家の末娘シャロン。
両国の約定により生まれる前から婚約が決まっておった」
「ま、待ってください!」
ミランダが声を上げる。
国王が話途中に発言をしたミランダの不敬な態度に侍従が怒りの表情で前に出るが、国王に止められる。
「…何かな?」
「そこの女はファイラス辺境伯家の長女であるシャロン、私の姉でございます!
隣国の公爵家?その者は陛下を騙してます!!」
「ふむ」
陛下は一時思案したかと思うと、侍従へ何かを指示した。
しばらくすると扉が開き、ミランダの視線はそちらを向いた。
近衛兵に押さえつけられ、手と体を縄で縛られているミランダの父と母だった。
辺境伯夫婦はシャロンへ助けを乞うように目線を向けるが、シャロンは一瞥した後、そちらを向くことはなかった。
「辺境伯夫妻は隣国の公爵家より、シャロンを誘拐したと調べがついておる。
自分たちの娘、ミランダをミハイルの婚約者に据えるためにな」
「…両親の行いと私は無関係です!
私はミハイル様を幼少の頃よりお慕いしております!
そんな女より、私の方がミハイル様をお支えできます!!」
国王は横目にミハイルを見やる。
ミハイルは国王に笑顔で応え、シャロンと共にミランダの前へ出た。
「ミランダ嬢、僕に好意を持ってくれてありがとう。
しかし、僕の婚約者であるシャロンを蔑ろにし虐待をした
君から好意を寄せられても正直に嫌悪しか感じない」
ミハイルの拒絶にミランダは負けじと縋りついた。
「わ、私は姉を大切に思っていました…!
虐待などしておりません!!」
ミハイルは笑顔でミランダの話を聞いているが、暖かな緑色の瞳は冷たい光を放っていた。
「お姉様!ミハイル様は何か誤解をしておいでです。
可愛い妹である私を助けてください」
「国王陛下から私の本当の父と母の話を聞いた時、私とても嬉しかったの。
ああ、やっぱりファイラス辺境伯は私の居場所じゃなかったんだって。
だから…、ミランダの姉を今日をもって辞めるわ」
シャロンの綺麗な笑顔にミハイルは自身の手をシャロンの手に重ねシャロンをずっと見ていた。
対するミランダはミハイルの態度に自分が入る余地がないと悟り、怒りをシャロンへ向けた。
「あああぁぁぁぁーーー!!!!」
ミランダは泣き叫びながらシャロンに手を伸ばすが、すかさず間に入ったミハイルと、近衛兵により連れて行かれた。
「!私に触らないで!謝れば良いんでしょ!?
お姉様!謝るから私を助けなさいよ!!」
ミランダは最後まで自分を顧みることはなかった。
建国祭の開催期間と婚約発表の慶事を理由に死罪は免れたが、追放刑となったファイラス一家。
マイアス公爵家が治る国境を通れないため、隣国へ亡命もできない。
その後の行方を知る者はいなかった。
建国祭が終わり、日常が戻ってきた。
シャロンは貴族子女の通常教育に加え、王太子妃の教育を受けている。
「シャロン。勉強量が多いと聞いたけど…大丈夫?」
ミハイルは隙あらば、シャロンに会いに行き困っていることがないか心配していた。
「大丈夫ですよ。
知らないことを知っていくのって、とっても楽しいです」
笑顔で答えるシャロン。
弱音を吐かず取り組むシャロンの姿に、教師陣はおろか王妃までをも魅了した。
束の間の休憩。
いつものようにシャロンの元へミハイルがやってくる。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
「やぁシャロン。
この間の公務、外交官がシャロンの対応は完璧だったって褒めてたよ」
シャロンの完璧なカーテシーに目を奪われるも、他人行儀な挨拶に苦笑いをする。
「僕たちは夫婦になるんだ。
公の場ではないのだから、もっと気楽に接してほしい」
「気楽…ですか?」
どうすればミハイルが喜ぶのか思案する。
「…僕のことはミーシャって呼んでよ。
だから…僕もシェリーって呼んでいい?」
「!」
ミハイルが言っているのは愛称で呼び合いたいということ。
家族や恋人でしか、愛称で呼び合うことはしない。
「…一目惚れだったんだ」
照れたように笑うミハイル。
「愛しているよ、シェリー。
ずっと一緒にいてほしい」
一寸の躊躇もなく、ミランダから自分を庇ってくれたミハイルの背中を思い出す。
これまでの人生、シャロンを助けてくれた人はミハイルが初めてだった。
「私は愛がまだわかりません…。
でも、きっと貴方のことを、ミーシャのことを愛するようになると思うの」
微笑み合い、見つめ合うシャロンとミハイル。
シャロンは心が暖かくなるのを感じた。
醜いアヒルの子と呼ばれたシャロンは、後に王国一の愛妻家と言われるミハイルを支え、王国を発展させていった。
知識も教養も素晴らしいシャロン王妃は、国内外問わず称賛を集めた。
「シェリー。君と夫婦になれたことは、僕にとって一番最良の選択だった。
愛しているよ」
「ええ。私もミーシャと過ごす時間が何よりも代え難い宝物よ。
愛しているわ」
辺境伯一家にされた仕打ちを今でも、ふとした時思い出す。
しかしー
風が揺らす金木犀の香りが鼻をくすぐりシャロンを現実に戻した。
小鳥は巣に帰り、西陽が夜の訪れを教えてくれる。
ミハイルの優しい緑色の瞳。
暖かく大きなミハイルの手。
シャロンはそっとミハイルの手を握り返し、柔らかく微笑んだ。
ミハイルと共に庭園を歩きながら草花を眺め、季節の移ろいを感じるこの時間が全てを癒してくれる。
「ああ、幸せってこう言うことなのね…」
苦しかった日々も、涙をこらえた夜も、すべてはこの日のためにあったのだと、静かに噛みしめながら。
今日もミハイルとシャロンは手を繋ぎ庭園を散歩する。




