この世に完璧な人間なんていない
久遠 正人…母『久遠 美琴』、父『久遠 優斗』の元に生まれた長男。
正人は物心つく前から変わってたらしい。それに気づいたのは正人がまだ1歳の時だった。
「あー…あー…」
好奇心が旺盛で母親が何をするにも反応を見せ、キャッキャしていた。
「今日も正人はかわいいねぇ…」
長く白い髪の毛をなびかせるフィンランド人の母はものすごく頭がよく、すぐに日本語を取得した。そして父である優斗も学校では頭がよく常に成績1位を取ってきた人間。正人はその両親の持つ頭脳を受け継いで生まれてきたのだろう。容姿は父に似ている正人は母親にものすごく可愛がられた。赤ん坊のころ…3歳になるまでは母親と父親がよく笑っていたのを今でもたまに思い出す。
そんなある日…正人は父親が持っていた本を手に取り、読むというよりかは眺めたに近いのかな。その本を眺めて正人は初めて口にした言葉…
「ほ…ん…」
「 「…!?」 」
父親も母親も目を見開いて驚いていた。それはそうだろう…我が子が最初に発した言葉がパパでもママでもなく、本なのだから。
「あなた今聞きましたか!?この子今…」
「あぁ、もう言葉を発すなんて…この子は天才なのかもしれない!」
正人は喜ばれると思っていた…確かに両親は喜んでいたけど赤ん坊の正人が見たかったのは両親が笑う顔で、ほとんど驚いた顔をしていた両親を見て、正人はシュンっとなってしまう。
当然のことだろう。でも…正人はそこからさまざまな感情が襲い掛かってくる。
それは『妹の存在』だ『久遠 真希』が生まれ両親の愛情は生まれたばかりの真希に向いていた。もちろん正人にも注がれていたが妹ができたことによりその愛情は半分ずつ注がれているのだと…正人は幼くして感じていた。
それでも妹は母親似でものすごく可愛かったし、歳を重ねるにつれて妹も兄である正人をものすごく慕って好いていた。
「お兄ちゃん見て見て!お花~!」
「お兄ちゃん見て!犬さんだよ!」
今でも…楽しそうに話しかける妹の顔は鮮明に思い出せる。でもそんな幸せは長く続かなかった。
◇
夜中の0時くらいだった気がする。5歳の頃、家族仲良く並びながら寝ていたが隣にいる真希が息を荒げて苦しんでいるいた。
「おい、大丈夫か!真希!」
正人の声で両親は起き、状況を把握した両親は救急車を呼び妹は病院に運ばれた。妹が乗っている救急車に正人と父親が乗り、母親は車で運ばれる病院に向かった。
「大丈夫だからな、兄ちゃんがいるから!」
「…真希…」
二人が何度呼び掛けても真希は苦しみ返答をすることはなかった。どうして妹なんだ。どうしてよりにもよって妹なんだと…正人は強く感じていた。胸の奥がギュッと締め付けられる感覚。あの時両親に愛情を向けてくれないと一瞬でも嘆いた正人に、来るべきだと…思っていた。
正人が真希の手をずっと握っていると、牧野苦しむ声が和らぎ…小さな…かすれた声で涙を浮かべながら口を開いた。
「お…にい…ちゃん。私、大丈夫…だから」
その言葉は心配をしてくれたことに対しての返答だってわかっていた。わかっていても尚…正人は自分の心の中で思っていたことがバレたような気がして思わず涙を流してしまう。
「ごめんなぁ…真希、ごめん…兄ちゃんが…うぐっ…」
嗚咽するように涙を流す正人。病院についてからはしばらく真希の治療のため集中治療室に運ばれ正人と父親は待合室の椅子に座って待っていた。
母親もそこに到着し、正人と優斗は顔を上げ…医者が真希のことについて話していたことを伝えようとしていた…が、母親の様子はいつもより、かなり暗かった。娘である真希が大変な状態なのだから当然なのだが正人はそれだけじゃないと思い自分の唾を飲み込む。
「美琴…どうした?顔色がものすごく悪いが…」
父親も気づいたのかすぐに寄り添い心配していた。母親はそれに安堵したのか涙を流し…嗚咽しながら語りだす。
「私の…お母さんが…倒れたってさっき連絡が…」
「…っ!?そんな…」
次々と大好きな人たちが苦しんでいってしまう。正人はそれでも両親に心配されないようにうちにある感情をグッと堪える。
母親は肩を竦めながら…申し訳なさそうに口を開く。
「今週末にはお母さんの所に介護士に行くつもりです…あなたと正人は真希を——」
「俺!大丈夫だから!二人でおばあちゃんの所行ってきて大丈夫だよ!」
「正人…それはいくら何でも…」
母は驚いた様子で正人を見つめ、父もそうするわけにはいかんと最初は口にしていたが…正人は続けて口を開く。
「真希は俺が面倒見て、絶対に治すから心配しないで!」
ここまで両親に強く感情を見せなかった正人…どうしてなのだろうか。見栄、というのを張ったのだろうか。いいやきっと違う。これは…自分の後ろめたさからくるものだ。自分のせいでは決してないけど、正人はどうしても何か行動したかったのだろう。そしてその強いまなざしを見て父親は溜息をつき、正人の所まで近寄りしゃがむ。
「わかった。それじゃあこれは男と男の約束だ。父さんは母さんを助ける…正人は真希の面倒を見て安心させてあげてくれ」
「わかった!」
幼稚の戯言だ。それでも父は了承してくれた。毎月家に仕送りをし、金銭的な面でも何不自由なく自由に暮らせるように父親は手配してくれた。
真希は持っていた持病が再発するように動き出し、その結果高熱が出たと医者は言っていた。しばらくしたら治ると…言っていたはずなのに妹の容態はよくなるどころか段々と悪くなっていた。そしていつも明るく接してくれた真希は気が付けば…
「お兄様…私のせいで…ごめんなさい」
…敬語を使うようになってしまった。正人の胸の中はぽっかりと穴が開いたのを感じた。
妹である真希はしばらく病院で暮らしていたので正人は家で一人…勉強をしていた。将来は医者になる。そうすれば妹も元気になり、また何かあってもすぐに助けれると思い…手にまめができるまで勉強をした。
正人は壁にぶつかることなく、県の中で一番難しい中学校に進入した。
妹と元気に暮らすため…また家族と笑って暮らすため…ひたすらに勉強をした。
学校では友達なんてもちろんいなく、ずーっと一人で勉強をしてきた。本人はそれでいいと思っていたし、これからもずっと一人でいるつもりだった。正人はその中学校でも成績はずっと1位だったのだが…学校の人間はそんな正人を気味悪がった。
『天才中学生』『無感情な天才』様々な悪名が正人の心を締め付けた。
『天才』この言葉が正人はものすごく嫌いだった。正人は努力をしてきて今の地位にいる…天才とは、勉強をしずに1位を取るやつだと、思っていた。だが…正人は向けられる視線から何が言いたいのかという、感情の読み取りにも優れていたためすぐに気づいた。
(あ~あれだ。努力をしても届かないから、天才なんて言葉でくくるんだ)
勉強をしても無理なら他の…自分のできることをすればいいじゃないかと正人は思った。スポーツでも、習い事でも…自分にできて自分にできないことの区別なんてつくはずなのだから。そうしたらこんな思いなんてしなくてもいいのに…と。
だけど正人は知っていた。自分だけがこういう環境で育っているからほかの人間は違うとわかっていた。両親の期待に応えるために頑張る人。自分が来たくもない学校を進学させられ、無理やり勉強をさせられている人。この学校はそのような人たちがたくさん溢れかえっているというのを理解していた。だから…見て見ぬふりをした。
自分には関係ない…自分は妹を助けるためにこの学校に入っただけで、こいつらとは競うつもりなんかないって…そう言い聞かせ続けていた。
◇
そして中学3年生の夏ごろ…正人の学校が夏休みに入ったタイミングで妹は退院でき、かつての自分の部屋のベッドでしか生活はできないし…前みたいに家を走り回ったりすることはできないけど、妹が帰ってきた幸福感は今でも忘れられない。
真希は肩を竦めながら、申し訳なさそうに視線をそらしながら正人に話していた。
「お兄様…ただいまです」
その言葉を発し、真希はクスっと優しい笑みを浮かべた。正人はその牧野顔を見て思わず抱き着いてしまった。
「お…お兄様!?どうしたんですか!?」
「おかえり…真希!おかえり…!」
正人は涙を流しながら告げる。真希の服にじんわりと涙が染み込み、真希も少し涙を浮かべながら兄の頭を優しく撫でた。
正人はずっと…ずっと一人で戦ってきた。妹の真希だって自分の病気と一人で戦ってきた。だが正人はずっと一人で勉強をしてきたその辛さが和らぐ感覚を覚えていた。真希のお見舞いには毎週末行っていたし会話もしていたけど…少しずつ、少しずつあの日常が戻っていく感じがして…思わず涙を流してしまったのだ。
しばらく二人は抱き合い、正人は涙を拭いながら言った。
「改めて、おかえり真希…」
「ただいま…お兄様」
「退院祝いに今日はふんだんに兄ちゃんがごちそう作ってやるからな!」
「うれしいです…!ありがとうございます!」
笑顔でそう返され、正人は思わず肩を竦めてしまう。なんて純粋な笑顔なのだろうか。学校で見ている生徒の顔や先生の顔は確かに笑っているけどどこか不満そうな顔だった。正人はその顔を3年間見てきたというのもあって、この純粋無垢な妹のかわいい笑顔を見て気圧されてしまっていた。そんな様子を見て真希は首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「あぁいや何でもない!それじゃ俺、食材かってくるから部屋でゆっくりしててな!」
そう言って慌てて家を出る正人、尚も不思議そうに首を傾げる真希。
外を出て正人は「なんで誤魔化したんだ」とつぶやきながら近くのスーパーに向かう。
その途中…一つのポスターが視界に入ってきていた。
「賞金100万?頂点を決める大会が今開かれる…?」
最初は胡散臭いと思ってスルーしたが…そのゲームタイトルは学校でも流行っていたのでさすがの正人も聞いたことがあった。買い物を済ませ、帰りもそのポスターを眺めて…一つの結論にたどり着く。
「大会で勝てば、金がもらえるってことだよな?」
すごく難しいものだったのには間違いないが…この時の正人は医者やらずに大金を稼げるのならそっちの方がいいと、思ってしまった。
家に帰り、妹にごちそうを振りまいて自分の部屋に戻った正人は一度やってみようと思い、そのゲームをダウンロードした。
「物は試しってやつだし、一回プレイするか」
そのゲームを起動してプレイするが楽しさというものは理解ができなかった。
「…つまんな」
そうつぶやき、勉強再開。
その次の日も一回プレイしてはやめて勉強を再開。
気が付けば…そのゲームのランクでアジア地域で1位という実績を作ってしまった。最初は本当につまらなかった。でも勉強をしていてもつまらなかったのもまた事実。勉強をしている間は学校での嫌味が脳裏にちらつき最近は特に集中ができなかった。日に日にそのゲームのプレイ時間は増えて、気が付けばアジア地域1位。世界でもこの選手は誰だ?どこにも所属していないのか?と大騒ぎになった。そのタイミングで…日本で一番有名なチーム『JPS』に声をかけられる。
そして俺は学校をやめた。逃げるように…天才でぁんぺ気だと言われた人間が勉強を放棄し、目先の誘惑に負けてしまった。今大金が入って妹の治療ができるのならいいじゃないかと…思ってしまった。
でも両親も、妹も…否定はしなかった。
「え…いいのか?」
「私はお兄様がやりたいことをやっている所が見たいので…それに、最近のお兄様はすごく楽しそうですし…」
『お!プロゲーマーか!オフライン大会は父さんも招待しろよ!』
『お母さんは応援していますよ』
どうしてそんなに優しいんだよ。どうして否定をしないんだよ。心の中でそう言っていたが、正人は今まで感じたことのないワクワク感も感じていた。
そう思った直後…正人の脳裏に今まで嫌味を言ってきた人間の顔、言葉が鮮明によみがえる。
『天才は何をやっても天才だよな』
『子供ぽくないから学校に来ないでほしい』
『欠点はどこにあるんだよ』
そこで…正人はふと思ってしまう。
(あぁ…この世に完璧な人間なんていないんだ)
これが、俺の欠点。久遠 正人という人間だ。目先の金に目がくらみ…これからの先の人生を棒にふるう。いつまでキャリアが続くかわからないプロゲーマーという道を進んでしまった。
それでも…不思議と後悔はなかった。