第84話
「ご報告です」
日が沈み、休息していたオルデン男爵の陣幕に、オルデン領から付いてきていた年配の兵士が姿を見せる。老いから武勇には翳りが見えるが経験豊富で思慮深く、遠征部隊の兵站や後方との連絡などを一任している男だ。
表情を見る限りあまり良くないことが起きたらしく、手には通信魔道具用の高価な転写紙を持っている。腹心のアハスが男爵に代わって兵士を迎え入れ通信文を受け取ると、その中身に目を落としたアハスの表情が一瞬で曇った。
「他の戦場に何か動きでもあったか?」
陣幕で夕食を共にしていたボーゲンが尋ねるが、アハスはそれに答えず無言で通信文をレイターに手渡した。
「これは……」
レイターと、それを横から覗き込んだボーゲンの表情が険しくなる。
通信文はオルデン領から領主代行のシュヴェルト名義で送られてきたものだった。
『オルデン領ニ大規模ナ侵攻有リ。迎撃ハ恙ナク完了。陽動ノ惧レアリ注意サレタシ』
「…………」
「ふむ。ご子息からの警告、ということですかな?」
「ああ。まぁ、そういうことなんだろうが、これだけじゃ何が起きたかわかりゃしねぇ。若ももうちっと詳しい情報を書いてくれりゃいいのによぉ」
レイターが口を開かず考え込んでしまったので、代わりにボーゲンとアハスがその内容について首を傾げる。
「そう言うな。昨今学院の魔術師共が協力的になったお陰でいくらかマシになったとは言え、通信用の魔道具は長文を送るにはむかん。陽動について警告しているようだし、あるいはこちらの戦いに集中しろという配意なのかもしれんぞ」
「そうかもしれねぇが、こう中身がねぇんじゃ却って不安になっちまうぜ……」
二人は『大規模な侵攻』という文面に一瞬顔を顰めたものの、敵がレイター不在のオルデン領に侵攻してくる可能性は予め想定しており、また既に迎撃は完了したと書いてあったので、動揺は小さかった。
しかし二人とは対照的にレイターの表情は険しいままだ。
「大将?」
「……恐らく、まだ迎撃は完了していない」
『!?』
レイターの言葉にアハスとボーゲンは目を丸くする。
「……若がわざわざ嘘の通信を送ってきたってのか? 何でまたそんなことを?」
半信半疑のアハスに、レイターは通信文から顔を上げて自分の推理を語った。
「考えてもみろ。わざわざこうして知らせてきたということは、今回の敵の侵攻は普段にない大規模なものだったということだ。当然、迎撃にも相当な時間がかかっている筈。迎撃が終わった後では、陽動を警告するにはタイミングが遅すぎるだろう」
「!」
「……確かに。陽動であれば敵も侵攻のタイミングを合わせてくる筈。ということは、オルデン領は未だ侵攻を受けている最中であり、ご子息は我々を動揺させぬために、敢えて迎撃が完了したという言葉を使ったということですかな?」
レイターの推理をボーゲンが補足して唸る。
それにレイターは頷きつつ、恐らくこうした小細工を弄するのはレゼルヴの方だろうな、と内心で通信文の本当の送り主にあたりを付けていた。
「何を落ち着いてんだ、大将!?」
そしてレイターの推理を聞いて慌てたのはアハスだ。
「そういうことなら、とっとと戻らねぇと!! 若がわざわざこんな連絡してくるなんてよっぽどのことだぞ!?」
「アハス」
「ああいや、流石に大将が抜けるわけにはいかねぇか。一先ず俺が手勢を連れて──坊の知り合いに頼めば、一〇や二〇はすぐに呪文で領地に戻れる──」
「落ち着けアハス!」
「!」
主人に一喝され、アハスはビクンと身体を震わせ動きを止める。
レイターは一呼吸おいて言い聞かせるように続けた。
「……向こうからも警告されているだろう。このタイミングで敵が何の策もなく大規模侵攻などしてくるとは思えん。こちらが撤退するか救援を出したタイミングで『黒王』が本格的に攻め込んできたらどうする?」
「っ! ならせめて俺だけでも戻らせてくれ! 向こうが陽動でこっちが本命とは限らねぇだろ!? もし大将の不在を狙ってオルデンを落とすのが目的だとしたら若たちだけじゃ危ねぇ! ただでさえ領地に残ってんのは新兵ばっかなんだぞ!?」
些か感情が先走った意見ではあったが、アハスの心配ももっともだ。
しかしレイターは首を縦に振らない。
「……駄目だ」
「大将!!」
「だとしても『黒王』の軍勢を無視することはできん。万が一、ここで俺たちが破れるようなことがあれば、間違いなくヴァイスベルクは壊滅的な被害を受ける」
「だからって俺たちの領地を見殺しにすんのかよ!?」
「ヴァイスベルクが落ちれば、どのみちオルデンも無事ではすまん」
「大将!!」
主従が厳しい表情で睨み合う。特にアハスは今にも掴みかからんばかりの形相だ。
本来仲裁役を務めるべきボーゲンは、ヴァイスベルク辺境伯の家臣という立場上レイターに味方せざるを得ず、それをすれば余計アハスの怒りに油を注ぐことが分かっていたので口を挟めないでいた。
「……まさかとは思うが、大将。奥様と坊主がいれば、二人のことは見捨てても──」
「見くびるな」
アハスの厳しい視線を真っ向から受け止め、レイターはキッパリとそれを否定した。
「私を、ではない。私の息子たちを、見くびるな」
「…………」
「あいつらは必ずオルデンを守り抜く。俺たちが為すべきことは、あいつらを信じ、ここで『黒王』の侵攻を食い止めることだ。違うか、アハス?」
「…………違わねぇ」
納得したわけではない。だがアハスは、血が垂れるほど強く握りしめられた主人の手を見て、それ以上何も言えなかった。
「──夜間の警戒を厳に、全軍に警戒を促せ!! 『黒王』の軍勢に一片の隙も見せるな! もしのこのこ攻め込んでくるようであれば、一兵も残さず返り討ちにしてくれる!!」
『応!!』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「痛ぇ、痛ぇよぉ……!」
「男が骨が折れたぐらいで一々騒ぐでないわ」
鍛冶神に仕えるドワーフの神官戦士グラウビヒは、グールに襲われあばら骨と足の骨を折って痛みで泣きわめく新兵の治療をしながら、ペシンと頭をはたいた。
既に霊薬で表面的な切り傷などはふさがっているものの、薬による治療だけでは骨にまでは効果が及ばない。
「呪文、オッサン呪文で治してくれよぉ……!」
「……阿呆。周りが止めるのも聞かず敵に突っ込んでいった罰じゃ。ええ機会じゃからそのまま反省しておれ」
「う゛ぅ……痛ぇ……」
泣き喚く新兵に添え木をして応急手当を終え、グラウビヒは立ち上がり周囲の惨状を見渡した。
ここは山中に三つあるオルデン家の砦の内、比較的麓に近い場所にある東側の砦。
シュヴェルトの側近の一人でもあるグラウビヒは駐留部隊の責任者として砦に詰めていたのだが、突然現れたアンデッドの軍勢の襲撃を受け、味方に大きな被害を出していた。
この結果はグラウビヒの指揮に問題があったわけではなく、純粋に運が悪かった。アンデッドを発見してすぐ、念のためにと部隊を率い砦の周囲を見回ったのが災いしたのだ。
動き回る彼らの生気に引き寄せられアンデッドたちは瞬く間に増加。しかも夜闇と見通しの悪い地形により発見が遅れ、見回っていたグラウビヒたちはアンデッドの群れに取り囲まれてしまった。グラウビヒが神の奇跡を使って包囲に穴を穿ち何とか砦に撤退したものの、多くの兵士がその際に負傷。砦は一〇〇を超えるアンデッドの群れに取り囲まれ身動きが取れなくなってしまった。
現状、運よく死者は出ていないが駐留部隊の約三割が戦闘困難。
神の奇跡で治療してやりたいのは山々だが、今の砦は物理的な護りに加えてグラウビヒが霊を退ける結界を張って辛うじて侵攻を防いでおり、とても治療や反撃の為に神の奇跡を願う余力はなかった。
通信機で援軍を求めはしたが、どうやら領地全体でアンデッドが大発生しているらしく、とても助けは期待できない状況。
──つまり、アンデッド共の活動が収まる明日の朝まで、儂らだけでこの砦を守り抜かねばならぬということか……
この場のトップであり、また唯一の僧侶であるグラウビヒは、自分の双肩にのしかかる責任の重さに眩暈がしそうだった。
──だが、ここはまだ儂がおるだけマシよ。他の砦には未熟な冒険者の僧侶しかおらん。どれほどのアンデッドが集まっておるか分からんが、果たして朝まで持つか……?
「グラウ!!」
負傷者が集められた部屋の中に、息を切らして弓使いのフォーゲルが飛び込んできた。
彼は未だ十代後半と若いが冷静沈着で腕がよく、シュヴェルトからも目をかけられている。ただそんな彼も急所の無いアンデッド相手では相性が悪く、砦の櫓から周囲を警戒することしかできないでいた。
「どうした、騒がしいぞ!?」
普段冷静なフォーゲルの取り乱した様子に、グラウビヒの脳裏に最悪の想像が過ぎる。
「若様、が──」
「若? 若がどうした!?」
「若様が、助けに来られた。今、一人でアンデッドと戦ってる……!」
『────!?』




