第81話
──敵は私より遥かに格上で、用心深く狡猾で、用意周到な魔術師だ。
レゼルヴは見晴らしの良い高台に一人立ち、これまでオルデン軍と帝国の戦場となってきた山々を見つめながらひとりごちた。
──そしてもしこの敵が本格的に戦いを仕掛けてくるとすれば、間違いなくそれは敵が勝利を確信した時だろう。
敵は慎重だ。あるいはこのまま様子見に徹し仕掛けてこないという可能性もないではないが、そんな希望的観測で動くわけにはいかないし、敵は必ず動くとレゼルヴは確信していた。
優秀な人材は何より得難い資源だ。敵がこちらを利用してその勢力を削ごうとしているのでもない限り、数百年の経験を蓄積したダークエルフの兵をすり潰しておいて、結局何もしないなんてことはまずあり得ない。
問題はそれをどう防ぐか、あるいは対応するか。
──理想はそもそも準備段階で敵の意図を挫き、攻め込ませないことだけど……ま、現実的じゃないよな。
レゼルヴが経験豊富な名軍師であれば敵の動きから事前に策を読み、妨害できたかもしれないが、彼は優秀な魔術師ではあっても軍師ではない。戦術に関しては独学で戦術書を読み込み、教養の一つとして学院の授業を受けた程度で、専門家には遠く及ばないと自覚していた。
──私にできることは、敵がどんな策を以って攻め込んできても防げるだけの防衛体制を整えること。とは言え、だ……
これも実現するのはとてつもなくハードルが高い。そもそもできることは限られているし、できることは既にやっている、というのが一つ。
また戦力を拡充しようにもこの戦時下ではその当てがないし、何とか捻り出したところで今の国内情勢を考えれば『そんな余力があるならヴァイスベルクの応援に向かわせろ』という話になりかねない。
罠の設置や警戒網の強化にしたって、どこまで効果があるかは怪しいものだ。
──結局、敵の策が読めない以上は、こっちは思いつく限りの防衛策を整えるしかない。だけど当然そんなものは敵も織り込み済みで、その上で攻め込んでくるわけだから……駄目だな。どうやっても後手に回る。
防衛側である以上は受け身に回らざるを得ない。そして敵の策どころか侵攻の狙いや戦力、指揮官の人物像すら見えないとあっては対抗策を練るにも限界があった。
敵がこちらの情報を集めて自由に策を練ることができるのに対し、こちらはあらゆる可能性を想定して動かねばならない。一応、こちらには砦や防衛設備という有利な点はあるが、現状は主力部隊がヴァイスベルクに派遣され十全にそれを活かしきれているとは言えない状態だ。
敵の狙いは読めず、汎用的な対策しか打てず、戦力の拡充もままならない。
──一応、敵の策や狙いは読めなくても戦場を限定することはできるから、その線で準備はしてるけど……できれば使いたくはないなぁ。
溜め息を吐くレゼルヴの眼下には、戦場となる山々を歪に六等分するように伸びた工事途中の道が広がっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あ……」
「げ……」
斥候部隊の詰め所の前でバッタリ出くわし、ぶつかりそうになった二人の女性が思わず声を漏らす。
一人は書類片手に詰め所にやってきたソフィア、もう一方は詰め所を出て領内の巡回に出かけるところだったメル。
同い年の二人は一瞬見つめ合って硬直し──
「──ごめんなさい。小さくて見えなかったわ」
「お気になさらず。どんくさい都会のお嬢様とぶつかる程鈍くないんで」
「…………」
「…………」
互いに満面の笑みで毒を吐き、笑顔のまま睨み合う。
ピシリと空間が嫌な音を立てて軋み、鳥たちが毒々しい気配を感じとり飛び立った。
「……というか『げ』って何?」
「特に他意はないですよ」
「それは悪意一〇〇%って意味かしら?」
「そんな悪意だなんて……精々家の中で黒くてカサカサ動くアレを見かけた時に抱く程度のアレですよ」
「あらそう。ごめんなさいね? ほら、私誰かさんと違って育ちがいいから、田舎ネズミの汚い言い回しとかよく分からなくて」
「そうなんだ~、アハハハハ」
「そうなのよ~、ウフフフフ」
「ハッハハ……」
「フフッフ……」
「…………」
「…………」
さて、改めて説明するまでもないことかもしれないが、ソフィアとメルは相性があまり良くない。
その事実が判明したのはソフィアがオルデン領にやってきた直後。社交的で人当たりの良いソフィアに家中の多くの者が好感を抱く中、唯一メルだけがソフィアに対し反抗的な態度をとっていた。
それは一見すると、余所者のソフィアが周囲からチヤホヤされていることにメルが嫉妬して突っかかっているように見えるが──
「それよりメルさん。そんな恰好でまたサボリにでも行くの? 良いわね、小っちゃい子は目立たないから何しても見逃してもらえて」
実際はソフィアも大概である。
「自分はいつも人から注目されてるとでも言いたいんですか~? 自意識過剰は痛々しいから止めた方がいいですよ~」
「あら~、いなくなっても誰にも気づいてもらえない寂しい人には分からない感覚かもしれないわね~。──それより、サボリは否定しないの?」
「アハハ、どうしてそんな戯言に私が一々弁解する必要があるんですか?」
「ウフフ、私は仮とはいえ、貴方の上司の上司にあたるんだけど?」
「ああ、そういえば! ソフィア様がフットワーク軽くあちこち出向いて媚び売ってるから、すっかり忘れてました~」
「ええ、何それ~。まさか私が貴族に見えないって言いたいの~?」
「いえいえ~。貴族のご令嬢は男に媚び売るのが上手で立派だな~って」
「そうかな~? 社交性ゼロで人目を気にせず生きていける田舎娘ほどじゃないよ~」
「アハハハハハ」
「ウフフフフフ」
このように、二人は顔を合わせる度にギスギスしたやり取りを交わしている。
初対面の印象は互いに悪いものではなかったのだが、何故、何時からこんな関係になってしまったのか、もはや本人たちも覚えていない。
強いて言うならレゼルヴの前でダレた態度をとるメルにソフィアがつい苦言を呈し、メルはメルでレゼルヴを便利に使おうとするソフィアに皮肉を口にしてしまい、次第に言葉がエスカレートして気が付いた時にはこんな犬猿の仲になってしまっていた。
一応、二人も人目があるところではこうしたやり取りを控えているので問題にはなっていないが、次期男爵夫人であるソフィアに対し、一従士に過ぎないメルがこのような態度をとって良い筈がない。
ソフィアも立場を笠に着てどうこう言うつもりはないが、それでも立場上弁えてもらわなければならないことはあった。
「……レゼの幼馴染か何か知らないけど、何をしても庇ってもらえるなんて甘えたことを考えて迷惑をかけないようにね?」
釘を刺す。それは二人の関係からすれば正当な苦言だったが──
「……ハッ。甘えてるのはどっちなんだか」
メルは心底軽蔑した様子で吐き捨てる。
「……何ですって?」
「聞こえませんでした? 中途半端にかき回して迷惑かけてるのはどっちなんだろう、って言ったんですよ」
「っ!」
メルのぼかした言葉に思い当たるフシがあったのか、ソフィアが歯がみして表情を変える。
「……何もせず現状維持に甘んじてる人間に言われたくないわよ。結局貴女みたいなのが足枷になってるんじゃないの?」
「っ!」
今度はソフィアの言葉にメルが押し黙った。
『…………』
そして彼女たちは自覚する。
これは見るに堪えない現状への八つ当たりであり、責任転嫁だ。
自分たちは正反対で、似た者同士で──想いは同じでも決して相いれない生き物なのだと。
『…………フン!』
別の出会い方をしていれば、もっとよく話し合う機会があれば、あるいは二人は気の合う友人になれたかもしれない。
けれど結局、二人にそんな機会が与えられることはなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日、この二年間で都合五〇度目のオルデン領への侵攻作戦が失敗に終わり、送り込んだオークとゴブリンの混成軍は一人も帰ってくることなく全滅した。
そんな散々たる結果報告を部下から受け、しかし『屍姫』エインは暗闇の中でニンマリと口元を吊り上げる。
「──うん。下準備はこれぐらいで十分でしょう」
いくつかの顔がエインの脳裏を過ぎっては消えていく。
血気に逸り今にも飛び出してしまいそうな竜人の若者。
そんな若者と自分とをすっかり利用する気でいるダークトロルの将軍。
そして生意気なヒューマンの魔術師。
果たして誰が勝者となるのか──
「それでは早速始めましょうか。竜虎相搏、虚虚実実の大血戦を」
どう転んでも自分に損はない、とダークエルフの姫はしごくあっさりと戦いの引き金を引いた。




