第78話
「レゼ。例の件、何とかなりそうだぞ」
周囲には微妙な緊張感が漂っているレゼルヴと兄シュヴェルトだが、二人の関係性自体は今なお良好だ。少なくとも本人たちはそう思っている。
ただ家の継承問題や周囲の評価など、周りに人がいる状況では発言一つとっても色々と気を遣うため、彼らはしばしば人目を忍び互いの私室を訪れて交流を行っていた。
その光景を運悪く妹のアデルに目撃され、今家中の女性の間ではあらぬ噂が流れているのだが、二人はそのことを知らない。
今日は夕食の後、酒瓶を片手にシュヴェルトがレゼルヴの部屋を訪れ、互いに愚痴を吐きながらちょっとした情報交換を行っていた。
「例の件って…………何?」
レゼルヴはグラスの中の酒を舐めるように飲みながら、兄の口にした『例の件』とは何かと首を傾げた。
幾ら酒に弱いとは言えグラスの中身は水で目一杯薄めていて、頭が働かないほど酔っているつもりはない。しかしその頭で考えては見ても、兄がこの場で『何とかなりそう』と口にする事柄に、レゼルヴはとんと心当たりが無かった。
「ほら、アレだよ。母上と下二人の件」
そう語るシュヴェルトはロックでグラスを呷りながら全く酔う気配がない。
こちらのグラスに酒を注ごうとする兄を手で制し、レゼルヴは兄の言っているアレが何かようやく思い至った。
「……ひょっとして三人を領地から避難させとこうってアレ?」
「そう、そのアレ」
蛮族の襲撃頻度増加やダークエルフの暗躍など、領内に不穏な気配が漂いつつあることを受け、レゼルヴは以前その三人を領外に避難させられないかと兄に相談していた。
レゼルヴが提案したのは王都の母の実家に三人を避難させる案。母には王都の役人どもに戦の足を引っ張られないようあちらで睨みを効かせて欲しい、という名目で兄から打診してもらったのだが、その時はこちらの思惑を見透かされキッパリ断られてしまった。
領民を置いて自分たちだけが安全圏に逃げ出すわけには行かない。
とても説得できる雰囲気ではなかったので、レゼルヴはすっかりそのことを諦め、忘れていた。
「一体どうやって母上を説得したのさ?」
「そこはアレだよ。俺の人望とか信用力ってぇの?」
「そうなんだ~。すご~い(棒読み)」
「……何だよ~、ちゃんと相手してくれよ~」
素っ気ない弟の態度に不満そうな表情を浮かべた後、シュヴェルトは咳払いし、気を取り直して続けた。
「コホン。実は俺が説得した訳じゃなくて、辺境伯の方からそういう話があったんだよ」
「辺境伯から?」
レゼルヴは眉を顰め、素早く頭の中でその言葉の意図するところを推測する。
「……つまり、母上たちをヴァイスベルクに避難させろ、と?」
「避難って言葉は使ってなかったが、まあそうだ。向こうの言い分としては、父上の安心の為ってことだったな。ほら、父上は『黒王』の軍と長いこと対陣して神経を擦り減らしてるだろ? 補給なんかで一時後退した時にでも顔を見れる場所に家族がいるだけで、大分精神的に違うんじゃないかとさ」
「ほ~ん」
レゼルヴは全く信じていない声音で相槌を打つ。表情を見れば兄も全く向こうの言い分を信じていないことは明らかだ。
現実問題、箱入り娘の母が緊迫した戦場に近づけるとは思えないし、父はこの程度のことで精神的に参るほどやわではない。
「……どう思う?」
「人質だろうね」
レゼルヴの答えにシュヴェルトは深々と頷き同意する。
「俺もそう思う。あちらの戦況もあまり楽観できる状況じゃなさそうだ」
今回の辺境伯側の提案の意図は明らかだ──オルデン男爵は最後まで命懸けでヴァイスベルクを護り抜け──いや、辺境伯本人がそこまであからさまなことを思っているわけではないのかもしれないが、大意としては大きく外れてはいまい。
ヴァイスベルク側の戦況が拮抗、あるいは劣勢にあると仮定した場合、辺境伯にとって一番憂慮すべきはオルデン男爵領が窮地に陥り、男爵がそちらに戻らざるを得なくなってしまうことだ。
まさか辺境伯も自分たちの為に家族と領地を見捨てて戦えとまでは言い辛い。だがもし男爵の奥方と幼い子供がヴァイスベルクに避難してきていたなら、男爵もヴァイスベルクの守護を優先せざるを得なくなる──これはその為の人質だろう。
とは言えこれはオルデン男爵家にとって特段不利な話という訳ではない。少なくともここよりヴァイスベルクの方が色々と安全であることは間違いないし、万一オルデン領が陥落した場合には家を継ぐ者が一人もいなくなってしまうのだから、リスクヘッジの観点からもメリットはあった。
まぁ一番良いのはより安全な王都に三人を避難させることで、だからこそレゼルヴはそれを提案していたわけだが──
「応じるの?」
「……応じるしかない、といったところだな」
シュヴェルトは微かに苦みの混じった表情で嘆息した。
「正式な要請ではなくとも、寄り親から話があった以上は母上に拒否する意思はない。それにいくら戦況が楽観できないとは言え、ヴァイスベルクがここより安全なのは間違いないだろう。俺としても、いざという時に足手まといがいない方が戦いやすい」
感情的な部分を無視すれば確かにその通りではある。
「それに辺境伯からは代わりにソフィア嬢をこちらに送るとも言われていてな」
「はぁ?」
レゼルヴの口から素っ頓狂な声が漏れる。
「何それ? 人質交換ってこと?」
「……建前としては、母上やその周りの使用人がヴァイスベルクに行けば、こちらの政務関係で色々不便もあるだろうということで、その代わりだ。どうせ半年後にはそちらに行く予定なのだから、花嫁修業も兼ねて使ってやってくれと言われれば断れん」
「…………」
つまり辺境伯は娘をこちらに差し出すことでオルデン領を見捨てるわけではないとアピールしたい訳だ。
ここまで言われて提案を断れば『オルデン家の嫡男には独力で領地を護る能力も気概もない』などといった誹りを受けかねない。
話自体は決して悪い内容ではないのだが、他人の思惑にいいように転がされている気がして、兄弟は顔を見合わせ溜め息を吐いた。
『…………はぁ~』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ラーゼンさ~ん。ご依頼通り、例の槍遣いを戦場に釘付けにするよう段取りしましたよ~」
「…………」
陣中に現れたダークエルフの魔女が『黒王』ラーゼンの前でにこやかに己の成果を報告する。
しかしそれに対してラーゼンは全くの無言。
「もう! これでも結構苦労したんですから『ありがとう』とか『エインちゃんサイコー!』とか何かないんですか?」
『屍姫』エインはそんなラーゼンの反応に可愛らしく頬を膨らませて抗議する。
ラーゼンはそれに心底面倒くさそうに溜め息を吐き、ポツリと一言。
「ご苦労」
「…………」
己の部下相手ならまだしも、仮にも同じ『皇帝』の直臣であるエイン相手にこの態度。これには流石のエインも道化の仮面を取り繕うのを辞めて呆れる。
「……はぁ。ひょっとしてもう皇帝気取りしちゃってます?」
「くだらん。そんな肩書になど最初から興味はない。俺はただ、然るべき相手に然るべき態度をとっているだけだ」
「…………」
つまり、お前にはこの程度の態度で十分だ、と。
マジぶん殴ってやろうかしら──エインは胸に湧き上がるそんな無謀な衝動を溜め息と共に押し殺し、気を取り直すように話題を変えた。
「ま、愛想の良いラーゼンさんとか想像しただけで気持ち悪いんで別に構いませんけど──それより、ダラダラ睨み合いを続けて一体どういうつもりです? ウチの兵糧も有限なので、立場上こういう無駄な消耗戦をされると困るんですよね~」
ラーゼンの戦略はエインにも理解しがたいものだった。
力任せに強引に攻め込むでもなく、奇策を使って裏をかこうとするでもなく、ただ軍勢を広げてじっくりと長期に渡って敵全体に圧をかけ続けている。
今のところこれといった成果はなく、ただ互いに兵糧と体力を消耗しているだけ。このまま行けばいずれ攻め込んでいる帝国側が先に疲弊し、撤退せざるを得なくなるだろう。
「……ふん。戦士でもない者が、戦に口を出すな」
「兵站の手当てをこっち任せにしといてよくそんなことを言えますね~?」
エインがジト目で睨みつけるが、ラーゼンは全く動じる様子がない。
色々と言ってやりたい気持ちはあったが、そのラーゼンの態度にエインは表向きの狙いを察し、それ以上の追及を諦めた。
──ま、ラーゼンさんが勝とうが負けようが、私にはどちらでもいいことですし。
「ともかく、私はやることはやりましたから、後はそっちでしっかりやって下さいね? どんな結果になろうと、この貸しは後でしっかり取り立てさせて貰いますから」
そう言い捨てて、エインは踵を返し陣から出て行こうとする、と──
「蜥蜴の小僧と悪巧みか?」
「────」
ラーゼンからかけられた言葉に、エインの足がピタリと止まる。
そして彼女はクルリと振り返り、完璧な笑顔で首を傾げた。
「──何のことですか~?」
「惚けるな。あの小僧と俺を出し抜く算段をしているのだろう?」
ラーゼンはエインを咎める風でもなく、あくまで淡々と、その事実を確信している様子で告げる。
だがエインも全く動じる様子を見せない。
「もし、そうだとして──何か問題が?」
「いや、ないな」
開き直りともとれるエインの発言に、ラーゼンはやはり怒りも苛立ちも感じている風ではなかった。
「──が、忠告だ。くれぐれもつまらん真似はするなよ?」
ラーゼンは遥か高みから見下ろすように宣言。
「フフ、それは貴方次第ですよ」
そしてエインは彼の喉笛を睨みながら、不敵に嗤った。




