第77話
「────」
その日レゼルヴはメルがダークエルフを目撃したという山間部、帝国領寄りのエリアを一人で訪れていた。
蛮族が頻繁に侵入し、つい先日もダークエルフが目撃された場所に魔術師が一人で踏み入るなど極めて危険な行為だが、日頃から一人で領内を見回っているレゼルヴに不安の色はない。
障害物が多く視界の悪い山中。例えどれほど強力な呪文が使えようと、不意を打たれれば貧弱な魔術師の肉体では一溜りもない。そのことはレゼルヴ本人が一番よく分かっている筈なのに、だ。
「──うん。やっぱり【警戒】は正常に働いてるな」
精神を集中し、領内各所に師が仕込んだ警戒用の魔道具が正常に機能していることを確認し、レゼルヴは眉を顰めた。
レゼルヴは帝国の襲撃に備え領内に二重の警戒網を敷いている。
一つは斥候部隊による物理的な警戒網。
一つは師の残した魔道具による魔術的な警戒網。
後者だけでも敵の侵攻を把握するには十分だが、こちらは今のところ師以外ではレゼルヴにしか運用ができない。個人技能に依存した体制は危機管理上問題があり、また軽微な異常まで一々彼が現地を訪れ確認していてはキリがないため、レゼルヴは魔術的な警戒網はあくまで補助的なものと位置付けて運用していた。
とは言えそれは決して魔術的な警戒網が機能しなくても構わない、という意味ではない。
「魔道具の機能自体は正常だ。にも関わらず昨日メルが報告してきた時刻、私にはその通知が来なかったし、記録にもこの近辺にダークエルフが侵入したなんて痕跡は残っていない。考えられるとすればメルが勘違いしたか、あるいはそのダークエルフが魔道具を誤魔化す術を持っているか」
言葉に出して思考を整理する。
「メルの勘違いはない。となると残るは蛮族が師匠の魔道具をすり抜けたってことになるわけだけど……」
──そんなことがあり得るのか?
あり得ないということはあり得ない──そう口にするのは簡単だが、それは一種の思考放棄だ。レゼルヴはあくまで現実的な可能性を考える。
師が残した【警戒】の魔道具は、一定範囲内にプログラムされた特定の種が近づけば反応し、登録した使用者──この場合はレゼルヴ──に通知が来るというものだ。これは単純な隠密技術で誤魔化せるものではなく、呪文により透明化しても音や熱、魔力に反応して感知する仕組みとなっている。
では全くこの警戒網をすり抜ける方法がないかというとそうではない。
ジャミングを仕掛けたり、自身の本体を別次元に退避させて移動したり、レゼルヴならいくつか方法は思いつくし実行も可能だ。
だがそれはレゼルヴの実力を以ってしても魔道具の性質を把握しているから何とかなる、といった程度のもの。事前情報なしに対処できるかと言えばまず不可能だろう。
今のレゼルヴは三年前に帰郷してから魔術師としての位階を更に上げており、最上位の魔術に後一歩か二歩で手が届くところまで到達していた。師のような本物の超越者にはまだまだ遠く及ばないが、仮に仕官を望めばどこの国でも諸手を上げて宮廷魔術師として迎え入れてくれるだろう。
もし敵がこの警戒網をすり抜けたのだとすれば、そんなレゼルヴより格上──下手をすれば師と同じ超越者の領域に至った魔術師が関わっているということになってしまう。
──あり得ない話じゃあない、か。
レゼルヴは静かに最悪の可能性を認めた。
既に帝国からは『黒王』という超越者の領域に至った戦士が出陣している。帝国に彼と同格の存在がいないと決めつける理由はどこにもないし、ヴァイスベルクの軍を囮にこちらを搦め手で攻め落とすというのは十分に合理的な作戦だ。
──だがそうなると幾つか気になることが出てくる。
それだけの魔術師が帝国側にいるのなら、『黒王』と連携すれば正面から父オルデン男爵の軍を破ることも十分に可能だろう。少なくとも今の拮抗を崩すには余りある。それをせず敢えてオルデン領に戦力リソースを割く理由があるか?
一番ありそうなのはその魔術師が単純に戦闘向きでないとか、分析や隠形に特化していて魔術の技量そのものは然程でもないという可能性。そうでなければ武人として決着をつけたい『黒王』が協力を拒んだ。あるいは帝国側が一枚岩ではないといったことも考えらえる。
──しかしだとしても、何故敵はリスクを負ってまでダークエルフを直接斥候として送り込んできたんだ?
これだけの技量があれば遠隔から情報を得る手段など幾らでもある。高度な呪文を使う必要すらない。単に使い魔を送り込むだけでもいいのだ。にも関わらず、敵は貴重な手駒を失うリスクを負ってまで斥候を送り込んできた。まるでこちらの警戒網を徹底的に炙り出そうとするかのように。
あるいはそれだけこちらを警戒しているということかもしれないが──
──いや、違うな。多分こいつは単純に……
レゼルヴはかつて学院時代に交わしたある会話を思い出し、敵がいかなる存在かを理解する。そして──
「──『閉ざせ』」
レゼルヴは敢えて自分の存在を知らしめるように、その場に無差別な【対抗呪文】を放った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「っ!?」
【千里眼】の呪文で、帝国内の己の屋敷から遠く離れたオルデン領の様子を探っていたダークエルフの宮廷魔術師『屍姫』エインは、敵魔術師が放った【対抗呪文】によって強制的に魔術を解除され、その衝撃に目を瞬かせた。
情報系の魔術を解除されただけなので直接的なダメージはない。だが攻撃的な魔力と意思の込められたそれはエインの魔術を暴力的に剥ぎ取り、静電気を浴びせられたかのようなショックを彼女にもたらした。
「にゃろうめ……!」
敵魔術師のやったこれは、一定以上の技量を持つ魔術師同士でのみ通じる挑発行為──こそこそ隠れていないで出てこいと、相手は自分に伝えている。
エインにとって腹立たしいのは、この挑発が本来格下に対して行われるものであるということだ。
姿の見えない敵を挑発するということは、つまり先手を譲るということに他ならない。どんな手札を持っているか分からない魔術師相手にそれがどれだけ致命的か、余程自分の実力に自信が無ければできることではない。
舐められている。
多少腕は立つようだが、実力差を見誤ったか? それとも近くにいる気配がないから襲われる心配はないと油断した?
「今すぐ跳んでぶっ殺してやろうかしら……!」
エインの技量であればマーキングなしでの超長距離転移など容易い。今回は偵察のみで直接手を下すつもりはなかったが、ここまであからさまに舐められては話が別だ。
今ここであの魔術師を仕留めておいた方が今後の作戦もスムーズに進むだろうと、エインは半ば本気で殺意を昂らせ──
「──いえ、駄目ね」
しかし彼女はかぶりを横に振り直ぐに冷静さを取り戻す。
敵魔術師の技量は間違いなく自分より下だ。何か罠や隠し玉があるようにも見えないし、あの技量で自分からそれを隠しきれる筈がない。戦えば間違いなく自分が勝つ。
だが敵はいつ敵が襲ってくるとも限らない山中に、護衛も連れず、さしたる警戒をする様子もなく現れた。あるいは自分が気づいていない何かがあるのかもしれない。先ほど隠しきれる筈がないとは言ったが、それはあくまで自分と彼の技量のみを比較した場合の話だ。あの山中には忌まわしい蛇女の残り香が漂っている。この敵があの蛇女の縁者だとしたらどんな隠し玉があるか分かったものではない。
ただのハッタリかもしれない──が、そうでないかもしれない。
どちらにせよこんなところでリスクを負ってまで敵と戦う意味を、エインは見出すことができなかった。
「……まぁいいわ。どうせあいつらは遠からず蜥蜴どもに蹂躙されることになるのだもの。今ここで楽に殺してやるより、同胞と一緒に苦しみながら殺される方が乙ってものよね」
エインは気持ちを切り替え、取るに足らない敵ではなく、今後の己の立ち回りに思いを馳せる。
「問題はむしろその先ね。早い者勝ちでもいいんだけど、むしろ坊やにチャンスをあげた方が──」
エインは楽しそうに想像の中の謀略に浸る。
頭の片隅では自分の思考が敵魔術師に誘導されていることに気づきながらも、そこから目を逸らして──
かつて学院にいた頃、レゼルヴはハイエルフの導師ミリアルデとこんな会話を交わしたことがある。
『レゼルヴ。魔術が学問である以上、どんな才能も積み重ねた時間には敵わないわ。例え誰かの十倍の速度で走る才能を持っていたとしても、その誰かが二十倍の時間をかけて到達した場所には届かない。──いやまぁ、極稀にそういうのを理不尽に飛び越えていく意味不明な連中はいるけど、残念ながら貴方にそんな才能はないわ。私が断言してあげる』
『……わざわざどうも』
『どういたしまして。で、世の中には実際、私たちエルフみたいに貴方たちヒューマンの何十倍も長く生きる種族がいる。勿論蛮族の中にもね。貴方はいずれどこかで、そんなどうしようもない時間っていうアドバンテージを持った連中と戦わなくちゃいけない日が来る──さ、どうする?』
レゼルヴはその時、自分が何と答えたのかはよく覚えていないが、ミリアルデが爆笑していたことだけはハッキリと覚えている。
『アハハハハハ! うん、それもいいけど、私がもっと簡単な方法を教えてあげる。何百年も生きて積み重ねてきた連中はね、総じてプライドが高いのよ。よっぽど生き延びることに執着してきた連中でもない限り、自分が積み重ねてきた時間に対する自負──そこから生じる傲慢さや油断からは逃れられないわ。長命種と戦う時はね、そこを突くの。貴方そういうの得意でしょ?』
なるほど、と頷き、そしてすぐに首を傾げた。
『──じゃあ、よっぽど生き延びることに執着してきた、傲慢さも油断もない長命種と戦う時はどうすればいいんです?』
ミリアルデは愚問とばかり笑った。
『馬鹿ねぇ。そんな連中、ちょっと脅してやれば簡単に逃げ出すわよ。要するにヴィンテージものの臆病者ってことなんだから』




