第74話
「お。戻ってたのか、メル」
「……う゛ぇ~い」
レゼルヴとマッシュが朝礼を終えて執務室に戻ると、夜勤明けのメルがソファに寝転がりダレていた。
彼女の態度をレゼルヴは気にした様子もなくスルーするが、マッシュは顔を顰めて苦言を呈する。
「……おい。疲れているならこんな所で寝ていないで家に帰って寝ろ」
「ん~……? 小言はいいから、お茶でも淹れて……ふわぁ」
「お前──っ!」
「まぁまぁ」
こめかみに青筋を浮かべるマッシュの肩を軽く叩いて制し、レゼルヴは笑いながらポットを手に取った。
「苦いやつでいいね?」
部屋に備え付けの小型コンロで素早く湯を沸かし、柿の葉を煎じたお茶を三人分。自分の分は机において冷ましながらレゼルヴは口を開いた。
「で、どうしたのかな、メル? わざわざ眠いのを我慢してまで、何の報告だい?」
「ダークエルフが動いてます」
メルは端的にそう言った後、眠気覚ましにお茶に口をつけ「あつっ」と舌を出す。そしてふーふーと息で冷まして一口飲み、説明を待つ同僚に向けて続けた。
「今回は二人。結構な手練れでした」
「……仕留めたのか?」
「ううん」
マッシュの確認にメルはかぶりを横に振って否定した。
「罠の気配に気づいたのか、こっちが仕掛ける前に撤退していきました。暫く追跡したけど深入りしてくる様子はなかったし、多分本当のデッドラインがどこかを探りにきたんじゃないかな?」
この場合の本当のデッドラインとは、通常蛮族が攻め込んでくるラインよりあちら側にレゼルヴたちが設けた、敵を逃がさず封殺するための一連の仕掛けを指す。
「……少し前にもオーク共を囮にこちらの監視網を探りにきていたし、蛮族共も慎重になっているようだな」
蛮族側からすれば、昨今のオルデン領への侵攻は全くいいところがない。マッシュが言うように慎重になっているというのはその通りだろうが──
「ダークエルフが、二人?」
レゼルヴの確認の意図を正確に理解してメルが頷く。
「ええ。隠密行動に長けた二人組が、距離をとって一方がもう一方を監視しながら、です」
「……何としても情報を持ち帰ってやる、って感じだね」
「私もそういう印象を受けました」
二人のやり取りに、少し遅れてマッシュがその意味に気づく。
「……何らかの大規模な侵攻作戦の前段階ということでしょうか?」
「分からない。ただダークエルフは帝国でも少数氏族であまり数が多くない。普通はこう頻繁に出くわすような相手じゃないし、種の存続を重視しているから傭兵としてスポットで雇われることはあっても、リスクが高い作戦にはほとんど参加しないと聞いたことがある。こんな風に慎重を期さないといけない仕事を受けること自体に、少し違和感があるね」
レゼルヴは肯定も否定もせず、自分の考えを整理するように続けた。
「考えられるとすれば、よほど影響力の強い上位蛮族が指揮を執っているのか、あるいは何らかの理由でダークエルフ氏族そのものが作戦に参加しているか。その理由や経緯もそうだけど、最終的な目的がどこにあるかが気になるところだね」
「目的……ああ、御屋形様に圧をかけるためということも考えられますな」
帝国側の主攻はヴァイスベルクでオルデン男爵と対峙している『黒王』の軍勢。ただ今のところ戦線は膠着し、どちらも決め手を欠いている状態だ。この状況を打破するためにオルデン領を攻めてこちらの足並みを乱そうというのは十分に考えられることだし、あるいは単純に厄介な男爵がいない間に攻め落とそうと考えているのかもしれない。どちらもあり得るし、結果的にどちらに転んでも蛮族側に損はない。
「何にせよ、今のところこちらは警戒を強化するぐらいしかやりようがない。戦力はこれ以上どうしようもないし、父上たちを呼び戻すのは論外だ。唯一の救いは、戦力に余剰がないのは蛮族側も同じだろうってことぐらいかな」
この攻めにくいオルデン領に大戦力を割くぐらいなら、主攻に戦力を集中させた方が理に適っている。故に蛮族側の戦力はそれほど大きなものではない筈だ、とレゼルヴは敢えて希望的観測を口にし、部下たちに指示を出した。
「メル。念のため今回敵が発見されたエリアの罠をやり直しておいてくれるかい? 兄上に話を通して、予算は先に手配しておく」
「は~い」
「マッシュは住民の避難訓練の段取りを頼むよ。効果のほどはともかく危機感は喚起しておくべきだろおう。六年前に一度大規模な訓練を行ったことがあるから、それをベースに稟議を準備してくれ」
「かしこまりました」
そしてレゼルヴは最悪の場合に備えて母親と弟妹をオルデン領から避難させる口実を考えている、と──
『…………』
「……ん? まだ何か?」
指示を出しても二人が動き出すことなくジッとこちらを窺っていることに気づいてレゼルヴは首を傾げた。
「その、例の道路工事の方はどうしたものかと」
「……ああ。それもあったか」
マッシュが口にしたのは、半年前から動き出した前線設備の再編計画に伴う山間部の道路整備工事。
工事計画の責任者が──形式的には──自分ではなく兄シュヴェルトであったため、頭の中からすっかり抜け落ちていた。
現在は建築資材の輸送の為、砦の建て替えに先行して山間部に道を整備している段階だが、人手の確保が難しく既に工事は遅延気味。警戒強化と並行して工事を続行すること自体は不可能ではない、が──
「……工事の方は一旦凍結しよう。敵の攻勢が予想される中リソースを分散させるのはリスクが高いだけじゃなく非効率だ。報告もあるし兄上にその方向で話をしてくるよ」
「よろしくお願いします」
このまま工事を続けることに不安を抱いていたのだろう、マッシュがホッとした様子で胸をなでおろす。
そこで話が終わっていれば良かったのだが、徹夜明けで機嫌が悪いメルがボソリと口を挟んだ。
「……計画見送り何てせずにあの時とっとと工事に取り掛かってれば、今頃はとっくに道の整備は終わって護りやすくなってたでしょうにね~」
「おいっ!」
マッシュは咎めるような声を出すが、メルは無視して薄ら笑いを浮かべた。
メルの発言は、かつて男爵夫妻が兄シュヴェルトに功績を積ませるため、レゼルヴたちが提出した再編計画を見送りとし、改めてシュヴェルトに再編計画の立案実行を命じたことを指していた。
シュヴェルトの出した計画はレゼルヴたちの計画の焼き直しで、結局その分実現が遅れたというのはその通りではある。
「当時はここまで戦況が悪化するなんて誰も予想してなかったし、たらればの話をしても仕方ないよ。それに父上や母上も何もしてこなかったわけじゃない。私たちがこうして斥候部隊を率いて行動できているのは、間違いなく当時の二人の判断の結果さ」
「…………」
優等生ぶったレゼルヴの発言にメルは何も言い返さない。
しかしその表情を見れば、反論が無いのではなく言いたいことが多すぎて敢えて口を閉ざしたであろうことは明らかだった。
「……ともかく、今私たちにできることは多くない。父上たちが戦を平定して戻ってくるまで現有戦力でオルデン領を護りぬくには、警戒を密にするのは勿論、駐留部隊や領民と一丸となってこの危機に立ち向かわなきゃならない。色々と思うところはあるだろうけど、一旦不満は飲み込んで協力してほしい」
「かしこまりました」
「…………は~い」
まったく不満を飲み込めてないメルの態度にレゼルヴは苦笑してそれ以上何も言わず、おもむろに席を立った。
「……どちらへ?」
「兄上のところ。取り敢えず、第一報を報告してくるよ」
どんな状況であれ自分と兄は協力してこの地を守っていく。
兄であれば正しい判断を下してくれると、レゼルヴは気負うことなく報告に向かった、が──
「防衛体制の変更も工事計画の見直しも必要ありません。根拠の薄い発言でシュヴェルト様の邪魔をするのは止めていただきたい」
──次期男爵という壁が、兄弟の間に立ちふさがる。




