第73話
最終章、第四部青年期編後半を開始します。
「──申し送り事項は以上だ。皆の方からは何かあるかい?」
まだ建てられて間もない木の匂いの香る詰め所で、レゼルヴは十数名の部下たちを前に今日の伝達事項を伝え、報告や要望がないかを確認した。
あまり戦士らしくない、短弓や投石器で武装した斥候兵たちは特に何事もなさそうで──
「よろしいでしょうか?」
「お、マッシュ。何だい?」
挙手したのは兵站管理者兼斥候部隊の部隊長であり、今やレゼルヴにとって欠くことのできない側近へと成長したマッシュだ。
報告があれば直接レゼルヴに進言できるマッシュがこんな場で発言するのは珍しいなと思いつつ、レゼルヴは彼に続きを促した。
「先日、ウチのウーフが駐留部隊の若造に因縁を付けられ負傷しました」
それを聞いて、レゼルヴは即座にマッシュの斜め後ろに立つ小柄な少年に険しい視線を向ける。
「ウーフ?」
「あ、だ、大丈夫です! その、負傷って言っても、ちょっと押されて手を擦りむいただけですから……!」
ウーフはそう言ってワタワタと手を振り大したことじゃないとアピールするが、その左手に巻かれた包帯を見てレゼルヴの視線は険しさを増した。
「マッシュ」
「既に私の方から駐留部隊の部隊長に報告し、抗議しています。その若造には罰を与えた上で指導を行うとは言っていましたが、何分あちらも新人が増えて跳ねっかえりの扱いに苦慮しているようでしたので、どこまで効果があるかは怪しいところです」
「……分かった」
レゼルヴは報告を聞き、他の部下たちにも聞こえるよう宣言した。
「その件は私の方からも兄上に報告し、今一度軍紀を正すよう進言しておく」
「お願いします」
そして改めて不安そうにしている部下たちを見回し、改めて口を開く。
「皆も何か問題があれば遠慮なく私に報告して欲しい。問題は小さなうちに対処しておいた方が結局労は少なくて済む。この程度なら問題ないと抱え込むようなことはせず、気になったことがあったらどんな些細なことでもいいから教えてくれ。私に直接報告するのが憚られるようなら、今回のようにマッシュや先輩、同僚に相談するのでもいい。とにかく一人で抱え込まないように。いいね?」
『はい!』
部下たちの表情から少しだけ不安が和らいだのを見て取り、レゼルヴは申し訳なさそうな表情を作って続けた。
「それと、私や兄上も注意してはいるが、先ほどマッシュも言っていた通り今の駐留部隊は跳ねっかえりが多い。上から注意しても素直にそれを受け入れず却って反発する者もいるだろう。万一、トラブルに巻き込まれるようなことがあれば、出来るだけその場はことを荒立てず自分たちの身を守ることを優先して欲しい。対処や抗議はあくまで私たちの方で行う。不満はあるかもしれないが、君たちが前面に出れば余計な恨みを買うリスクが高まるだけだからね」
『…………』
安堵半分、諦め半分といった様子で頷く部下たちに、レゼルヴは笑みを浮かべて更に続けた。
「連中が詰まらない言いがかりをつけてくることもあるだろうが、気にする必要はない。今のオルデン領を支えているのは間違いなく君たち斥候部隊だ。そのことは父上も兄上もしっかり評価して下さっている。何かケチを付けられても、そいつらは所詮君たちに嫉妬しているだけだから、出来るだけ寛容な気持ちで聞き流してあげるように。負け犬の遠吠えを聞くのもデキる人間の仕事の一つだ。いいね?」
『はい!』
冗談交じりの言葉に、部下たちの表情にようやく笑みがこぼれた。
「よし。それじゃ皆、今日も安全第一で頑張りましょう」
『頑張りましょう!』
「──で、実際のところはどうなの?」
日勤の部下たちを現場に送り出した後、斥候部隊の詰め所から執務室に移動しながらレゼルヴはマッシュに確認する。
「どうもこうも報告した通りですよ。冒険者上がりでイキったガキが、ウーフを臆病者と嗤って絡んできたんです。そいつはウーフの同期だったんですが、ウーフと自分の待遇が変わらないことが気に喰わなかったらしいです。私が軽く脅してやったらすぐ大人しくなりましたが、ありゃまた同じことをやるでしょうね」
そう語るマッシュの声は、怒りや苛立ちよりも疲れの方が勝っているように聞こえた。
「上司の方は?」
「……頭を抱えて溜め息を吐いてましたよ。注意はするが、効果は期待しないでくれ、と。結局、ウチに反感を持ってるのはそいつだけの話じゃありませんからね。古参連中はともかく、若手は大なり小なりウチを見下してます。注意しても中々効果がないし、厳しく処分すれば他の連中の反発を招きかねない──いや、そんな馬鹿どもは追い出してしまえと言いたいところではあるんですが……」
苦い表情で嘆息するマッシュの背を軽く叩き、レゼルヴもよく似た苦笑を浮かべた。
「分かってるよ。そんな選り好みができるほど、ウチは余裕がある状況じゃないからね」
レゼルヴがオルデン領に帰郷して三年の月日が経過していた。
この間レゼルヴは領地の為に様々な施策を打ち出し実現してきたが、オルデン領を取り巻く環境は残念ながら悪化の一途を辿っていた──こう書くと、レゼルヴの施策に問題があったかのように聞こえるが、彼の施策自体はしっかりと効果を発揮している。
問題は王国そのものを取り巻く環境が悪化し、レゼルヴの施策で一息つく余裕ができてしまったオルデン男爵家が他領の援護に回らざるを得ない状況に陥ってしまったことにあった。
王国の北に広がる蛮族の帝国の攻勢激化。数年前からその兆しはあったが、この二年間の変化は殊更に顕著だ。
特に話題となったのはダークトロルの大将軍『黒王』の前線復帰で、ヴァイスベルク辺境伯領に現れた彼の軍勢に対抗するため、父オルデン男爵と腹心アハスはオルデン領を離れて辺境伯の軍に合流し、そちらの対応に専念せざるを得なくなっていた。
軍も精鋭を中心にそちらに人を割かざるを得ず、比較的蛮族の攻勢が落ち着いているオルデン領──実際にはレゼルヴが前捌きをしているので落ち着いて見えるだけ──の護りはすっかり手薄に。
人手不足を解消するため、軍の仕事を下請けしていた冒険者を中心に新兵をスカウトし、何とか数は補ったものの兵士の質は大幅に劣化してしまっていた。
先の駐留部隊とのいざこざなどはその副作用の一つで、少し前までのオルデン軍であればそのような馬鹿は徹底的に叩きのめされ矯正されていただろうが、今は軍にそれをする余力がない。
今オルデン領に残っている兵士は新兵や経験の浅い若手が過半数を占めており、その上のベテランも怪我の後遺症など何かしら問題を抱えている者が大半。そんなボロボロの集団を、兄シュヴェルトとその側近が何とかまとめ上げ軍としての体裁を保っているのが今の駐留部隊の現状だった。
今のところ斥候部隊が上手く機能していることもあり、万全の状態で敵にシュヴェルトという最高戦力をぶつけることができているから迎撃は上手く行っているが、実際は何か一つでも歯車が狂えば領地が失陥してしまいかねない危うい状況にあった。
「……貴族の本分は己の領地と領民を護ること。いくら寄親の要請とはいえ、軍の主力のほとんどをヴァイスベルクに派遣している今の状態は異常です。せめて御屋形様かアハス様のどちらかの部隊だけでもこちらに戻ってきていただくべきではありませんか?」
「…………」
この状況に対し不安と不満を口にするマッシュの主張は全くもって正論だ。
レゼルヴも同感ではあったが、彼には父たちがそうできない理由も分かってしまう。
「言いたいことは分かるけどヴァイスベルクもギリギリなんだ。何せ『黒王』が前線に出て来るなんて二〇年以上無かったことだからね。この状況で『黒王』を撃退した実績を持つ父上やアハスが出ないわけにはいかないだろう。そして万一にもヴァイスベルクが失陥でもしたら、孤立したオルデン領はその時点で終わる。ウチには碌な自給能力がないからね」
「……一蓮托生、非常事態というやつですか」
問題は本来弱く支援される側であるはずの男爵家が、地域全体を庇護する辺境伯家の支援に回っていることなのだが、それを口にしない程度の自制心はマッシュにも残っていた。
「となると一刻も早く御屋形様たちには『黒王』の軍勢を撃退していただかねばなりませんが、あちらの戦況はどうなのです?」
「……悪いという話は聞かないけど、良い話も聞かないね」
『黒王』が前線に出てきた以上、あちらは相当な準備と覚悟を以ってこの戦に臨んでいる筈だ。簡単に撃退できるとも撤退してくれるとも思えない。
そして恐らく、武人肌で有名なダークトロルの性質を考えれば『黒王』の目的はかつて自分に土をつけた父オルデン男爵との再戦だろう。オルデン男爵も一騎打ちで『黒王』を撃退したわけではなく、仲間と協力して何とか撃退に成功したという話だが──何にせよ、その因縁に何らかの決着をつけるまでは蛮族側も容易に軍を引けぬ状態にあると見るべきだ。
「つまり、当面御屋形様たちはあちらから手が離せず、我々はこの頼りない残存戦力でオルデン領を護るしかない、ということですか」
口にすると改めて酷い状況だと思ったのか、マッシュがうんざりした表情で溜め息を吐く。
レゼルヴはそれに気づかぬフリをして苦笑。
「そういうことだね。ま、ウチの新兵たちもいつまでも未熟な訳じゃない。実戦経験を積んでいけば戦力として数えられるようになる筈だよ」
「何とも頼りない話ですな。果たしてそれまで彼らが無事生き延びることができるのか──」
「その為に僕らがいるんだ、幸い、兄上は斥候の重要性を理解してこちらにリソースを割いてくださってる。奇襲を避けてこちらに有利な戦場を設定できれば、敵が余程の戦力をこちらに注ぎ込んでこない限りは何とかなるさ」
「…………」
レゼルヴの言葉に、しかしマッシュは何とも言えない微妙な表情で沈黙。
「何? 言いたいことがあるなら言いなよ」
「……いえ。ただ──」
「ただ?」
「結局、護り切れるかどうかは身内からも落ちこぼれ扱いされている我々と敵の戦略次第というのが、何とも頼りない話だな、と」
「…………」
折角こっちが前向きな言葉を捻り出してるのにそういうことは思っても言うなよ──とは思ったが、言えと言ったのはこっちだし、レゼルヴも全く同感ではあったので溜め息だけ吐いて見逃した。




