幕間11~???~
「黒王殿!!」
「…………」
暗く巨大、荘厳な宮殿の廊下で、見事な二本角を持つ竜人の若者がダークトロルの武人を呼び止めた。
ここは蛮族たちの大帝国の中心──『皇帝』の座す『宵闇の宮殿』。
上位蛮族の中でも限られた一部の者だけが立ち入りを許された宮殿の一角で、竜人の若者は剣呑な雰囲気を漂わせ口を開く。
「ゴルディーニが死んだとはどういうことだ……?」
「……手紙で知らせた通りだ。作戦実行予定日から一週間が経過しても送り込んだ部隊は戻ってこず、何の音沙汰もない。彼奴ほどの武人が怯えて逃げ出したなどと言うこともあるまい。であるならば、敵に敗北し全滅したと考えるべきだろう」
『黒王』と呼ばれた隻眼のダークトロルは、感情の見えない淡々とした声音で問いに応じる。
そしてそのことが若き竜人の逆鱗に触れた。
「ふざけるな!!」
──ビリビリ……ッ!
魔力を込めたわけでもない只の怒声が、激しい衝撃波となってダークトロルを襲う。
余波だけで宮殿の石壁に亀裂が入り、並の人間なら全身の骨を砕かれ死んでいてもおかしくないほどの圧に晒されながら、しかしダークトロルの巨体は小揺るぎもしなかった。
「我々ドレイク氏族は卿を信頼してゴルディーニたちを預けたのだぞ!? それが戻ってこないから死んだなどと……せめて部隊を派遣してその生死を確認し、遺体の一つも回収してくるのが誠意というものだろうが!!」
竜人の言葉は、その正しさを疑わぬ怒りに満ちていた。
「──くだらん」
「なっ!?」
しかしその言葉はダークトロルの武人の心には露ほどの感銘ももたらさなかった。
「その為に敵が手ぐすね引いて待ち構えている戦場に部下たちを送り込み、更に死体を積み上げろと言うのか?」
「だがゴルディーニは私の──」
「奴は死んだ。確認するまでもないし、その価値もない。その程度の道理も分からぬのなら貴様は戦士ですらない」
「っ!!」
冷たく吐き捨てるダークトロルに、竜人の若者は奥歯を血が滲むほど強く噛みしめ本気の殺意を漲らせる。
だがダークトロルはそれすらも意に介さず、竜人の若者も最後の理性で辛うじて襲い掛かることだけは堪えた。
「……我が氏族の精鋭たちをすり潰しておいて随分な言い様だな。まさかとは思うが貴様、ゴルディーニたちをワザと死地に送り込み謀殺したのではあるまいな?」
それは竜人の若者にとって精一杯の皮肉だった。しかし──
「──何だと?」
──ピリィ……ッ!
武人であるダークトロルにとってそれは看過できない侮辱だったらしい。纏う空気が明らかに変わる──が、竜人の若者もその程度では怯みはしない。
「何だ、図星か? 結局貴様も、我らドレイク氏族の力が恐ろしかったのだろう?」
「……くだらん。何が精鋭か。奇襲一つ満足にこなせぬ凡夫に、そのような小細工を弄する価値などあるものかよ」
「何だとっ!?」
同胞──しかも死者に対する直接的な侮辱に、今度こそ竜人の怒りが臨界を超えた。
竜人の若者が剣の柄に手をかけ、ダークトロルの武人も武器にこそ触れないが相手に半身を向けて構えをとる。
両者の戦意と忍耐が風船のように膨れ上がり──次の瞬間。
「はいは~い、そこまでです」
『!?』
若い女の声が聞こえたかと思うと、竜人とダークトロルは体の向きはそのままに立ち位置だけが手品のように入れ替わっていた。
視界が切り替わり、敵を見失った二人の戦意が驚愕で目に見えて萎む。
「……『屍妃』か」
「っ! 邪魔をするな!!」
ダークトロルと竜人は直ぐにこの悪戯をした者に気づき、鋭く睨みつける。
その視線の先──物陰から現れたのはダークエルフの美女。
「しますよ~邪魔は。お二人こそ一体何をしようとしてたんです?」
彼女は二人の殺意に満ちた視線を浴びながら、平然とした様子で彼らの間合いの内側まで歩み寄り、ガラリと冷たい声音で告げる。
「──ただでさえ陛下は体調が思わしくないというのに、氏族を束ねる貴方がたが陛下のお膝元で争って心労をおかけするとか有り得ないでしょ。状況さえ許せば、私が貴方たちを処分しているところですよ?」
『…………』
ダークエルフの女に自分たちが負けるとは思わない──が、皇宮に争いごとを持ち込んでしまった負い目もあって二人は押し黙る。
更にダークエルフの女はニコリと笑って続けた。
「それにクレーテ翁も虎視眈々と漁夫の利を狙っておいでですよ?」
『!?』
「──クヒッ」
その言葉と同時、ダークエルフの女と反対方向の景色がぐにゃりと歪み、両目を眼帯で覆った不気味な青年が姿を現した。
「漁夫の利などとは酷い言いがかりじゃて。陛下の御所で突然二人が睨み合いを始めて、儂も何とか止めねばと思っておったのじゃが……ほれ、見ての通り儂は見ての通りか弱い老人じゃろう? 若い武人の争いに首を突っ込んでは命がいくつあっても足りんから機会を窺っておったまでよ」
若い見た目に似合わぬ老人口調で翁と呼ばれた青年は嗤う。
「ま、そういうことにしておきましょう」
それにダークエルフの女は肩を竦め、
「くだらん」
ダークトロルの武人は興が削がれたとその場を立ち去る。
「………っ」
そして竜人の若者はその背を追うことも呼び止めることもできず、ただ悔しそうに立ち尽くすことしか出来なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
人類圏の北の大地に広がる蛮族の大帝国。
トロル、オーガ、ボガード、オーク、ゴブリン、ライカン、ラミアetc.──数多の蛮族たちをまとめ上げ国家として成立させているこの国が誕生したのはほんの三〇〇年ほど前のこと。
今なお『皇帝』として頂点に君臨する一人の英傑によってこの国は作られた。
帝国成立以前のこの土地は、国どころか辛うじて集落や群れが存在する程度で、蛮族たちがその闘争本能に従い殺し合う修羅の大地だった。
そんな果てなき闘争に終止符を打ったのが、突如現れたディアブロ──魔人とも呼ばれる人型魔法種族──の青年。
彼はその圧倒的な強さとカリスマで蛮族たちをまとめ上げ、この大地に国を成立させ、蛮族たちに秩序をもたらした。
蛮族たちは総じて闘争を好む者が多いが、勝利しても何も得るものがなく時に同族同士でさえ殺し合う日々に倦んでもいたのだろう、『皇帝』による統治は概ね好意的に受け入れられた。
皮肉にもそれは人類にとっては、後に蛮族たちによる組織的な攻勢をもたらす転換点だったわけだが、それは蛮族たちにはどうでも良いことだ。
ディアブロの寿命は一〇〇〇年を優に超え、一説には完全なる不老種族とも言われている。蛮族たちは今後も帝国が『皇帝』の下で繁栄していくものと信じて疑わなかった──ほんの、十数年前までは。
『皇帝』に老いの兆し有り──本来、ディアブロとしては若年とも言える年齢だった『皇帝』だが、その強大な力は代償として彼の命を削っていたらしい。
今すぐに死ぬわけではない。
だが遠からず訪れる皇帝の死に備え、蛮族たちは新たな指導者を必要とした。
そしてそれはただ政敵を排除しトップに立てば良いというものではない。
『皇帝』の後継者に相応しいと周囲が相応しいと認める者が立たなければ遠からず帝国は自壊する。そのことを誰もが理解していた。
蛮族たちは己こそが次代の皇帝に相応しいと証明するため、功を争い人類圏への侵攻を激化させていった──これが、近年王国を苦しめていた帝国の大攻勢の真相である。
そして既に有力な候補者はある程度絞られつつあった。
現『皇帝』には娘がいるが、彼女は未だ幼く蛮族の頂点に立つには非力過ぎる。
最有力とされているのはダークトロルの将軍『黒王』ラーゼン。『皇帝』の右腕と評される武人で、実力・実績は共に非の打ちどころがなく、各氏族からの人望も厚い。
続いて名が上がるのがバジリスクの長『翡翠の檻』クレーテ。『皇帝』に帝国設立以前から仕える腹心で、国家の暗部を一手に担ってきた老人だ。色々と悪い噂は絶えないが、国家運営という観点からはラーゼンよりも相応しいと彼を推す声は少なくない。
その二人から少し遅れて三番手に名前が挙がるのが竜公爵『紅翼天』ルーカス。竜人は蛮族筆頭種族の一つで、本来なら次代の皇帝候補の最有力に名前が挙がっていてもおかしくはないのだが、竜人は昨今次々と不幸が重なり代替わりがあったばかり。氏族の現長であるルーカスは血筋と潜在能力は申し分ないもののまだ若く、次代の皇帝には間に合わないだろうというのがおおよその見方だ。
その為竜人の中にも、まだ若いルーカスに重荷を背負わせるのではなく、他の有力候補者を支援することで自分たちの地位を維持しようと考える者は少なくなかった。
その一人が、先日オルデン領で討ち死にした『輝ける翼』のゴルディーニ──ルーカスにとっては傅役にあたる男だった。
「くそ……っ!」
『黒王』たちと別れた後、宮殿内に与えられたドレイク氏族の長の為の部屋に戻り、ルーカスは苛立ちのまま壁を殴りつけた。
自分がまだ若く未熟であることは理解している。だから今回は皇帝となることは諦め、次に備えて力を蓄えるべきだという部下たちの進言も受け入れた。
心から『黒王』が皇帝に相応しいと思っていたわけではない。だが一番有力な候補者は間違いなくあの男で、まだしもバジリスクの妖怪爺よりはマシだと、支援の為にゴルディーニたちドレイクの精鋭を『黒王』の下に貸し出した。
だがその結果がアレだ。ゴルディーニたちは一人も帰ってこず、しかもそれを『黒王』は謝罪するでもなく、紙切れ一枚で結果だけを伝えてきた。
『黒王』に噛みついたのは失敗だったかもしれないが、ルーカスは全く後悔していなかった。結局『黒王』は自分たちドレイク氏族を見下しており、恩や義理といった概念も持ち合わせていない。このままついて行ったところで雑に使い潰されて終わりだ。
──だが、『黒王』を敵に回してこれからどうする……?
氏族の長として、ルーカスの悩みはまさにそこだった。
彼自身が皇帝を目指すというのは簡単だが、現実問題『黒王』が相手では実力はまだしも実績においては勝ち目がない。何せあちらは三〇〇年近く『皇帝』の右腕として戦場を駆け抜けてきた大将軍だ。対抗するには一〇〇年──いやせめて五〇年、時が足りない。
そしてことが皇帝に相応しい功績を挙げる争いである以上、『黒王』を直接害したところで、あの妖怪爺に漁夫の利を奪われるだけだ。
つまり皇帝となる為には、正攻法であの『黒王』を上回る功績を挙げなくてはならない。同族にさえ未熟と言われるこの自分が──どうやって?
「お手伝いしましょうか?」
「!?」
突然部屋の中に現れたダークエルフの女に、ルーカスはハッと身構える。
「貴様っ! 断りもなく──」
「あ~、そういうのいいんで」
無礼を咎めようとした言葉を心底どうでも良さそうに遮り、女は続けた。
「黒王さんとバチっちゃった以上、もうその下について甘い蜜を吸おうってやり方はとれません。『氏族を守る為にはどうしたらいいんだ?』って切羽詰まってるルーカスさんが、礼儀やらを気にしてる余裕はないでしょう?」
「っ!」
内心を見透かされてイラッとはしたが、否定したところで意味はない。代わりにルーカスは短く尋ねた。
「……何の用だ?」
「? あれ、まだ分かりません?」
本気なのか、あるいはこちらを馬鹿にしているのか、女はキョトンと目を瞬かせた。それにルーカスが再び激昂するより一呼吸早く、女はサラリと告げた。
「貴方が皇帝になるお手伝いをしましょうか、って言ってるんですよ」
「!?」
今度こそルーカスは隠しようもなく狼狽した。
「何故……貴様が私を──貴様なら黒王についても重用されるだろう?」
帝国ダークエルフ氏族の事実上のトップであり宮廷魔術師の長『屍妃』エイン。ダークエルフは帝国内では数が少なく、氏族としての後押しがないため皇帝争いからは一歩引いているが、目の前の女は実力と実績だけなら『黒王』にも劣らぬ怪物だ。
その女がルーカスを支援するという発言は決して軽くない。ルーカスとしては何らか裏を疑わざるを得なかった。
「黒王さんはちょっと脳筋で即断即決が過ぎるので。正直、私としてはあの方にトップに立たれると困るんですよね~。出来れば色々お話ができる方の方がありがたいというか」
そう言ってニンマリと笑うエインに、ルーカスは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……フン。要は私の方が操り易いと言いたいわけか」
「否定はしませんよ。事実としてルーカスさんは黒王さんと比べて皇帝争いから一歩どころか十歩も二十歩も遅れてます。ここで恩を売れたら見返りも期待できるでしょう?」
あまりにざっくばらんな物言いに、ルーカスは警戒を少しだけ緩めた。
恐らくそれがエインの狙いなのだろうが、この状況で自分ごときを謀略にかけても誰にも得がない。そう考えると警戒しているのが馬鹿馬鹿しくなった。
「博打はいいが、今の私に張ったところで勝ちの目はないぞ。黒王に対抗するには時間が足りん。貴様が協力したところでどうなるとも思えんが、何か策でもあるのか?」
「ええ。仰る通り、功績の多寡で黒王さんと勝負しても勝ち目はありません。だけどこの争いの本質はそこじゃない。要はルーカスさんが黒王さんより上だと周囲に示せればいいんです」
エインはニコリと笑い、ルーカスが皇帝となるための策を告げた。
「黒王さんの左目を奪い、これまで幾度となくその侵攻を食い止めてきた槍使い──今はオルデン男爵と呼ばれているあの男を殺します」
蛮族側の事情はこんな感じ。
最近空回り気味に見える主人公ですが、もし彼がいなかったら父親がフリーで動けなかったり、軍の医療・衛生技術が低下したりで、割と王国がヤバイことになります。
次話から第四部、青年期編後半。




