幕間9~クレメンス~
初めて甥──レゼルヴに会ったのは彼が十三歳の時だ。
オルデン領に嫁いだ妹の子がヴァイスベルクの学院に魔術師見習いとして通っているという話は両親から聞いて知ってはいた。
しかしエルツ子爵家当主として王宮で働くクレメンスにとって北の辺境やオルデン領はあまりに遠すぎた。妹をオルデン領に送り出した時にはもう二度と会う機会はないだろうと覚悟していたし、その甥っ子とやらが自分に関わってくるとも思っていなかった。
そんな甥っ子が、ある日王都を訪れた。
話を聞くと学院の正使として技術の普及の為にやってきたのだという──それが後にヴァイスベルクに莫大な富をもたらした医療プロジェクトのことだと知ったのは、それから三か月ほど後のことだ。
妹の手紙を携えエルツ子爵家に挨拶にやってきたレゼルヴと対面した際、クレメンスは彼がオルデン男爵家の人間であることを惜しみ、父に真剣にエルツ子爵家に養子縁組できないかと相談した。
レゼルヴの才覚を武門においておくのはあまりに勿体ないと思った。ましてや彼は次男で、男爵家を継ぐ立場にさえない。
父ハロルドも聡明に成長した孫を見て同じことを思ったのか、かなり真剣に悩んでいたのを覚えている。
だが実際にその提案がなされることはなかった。
理由は二つ。
一つはレゼルヴが三人いるクレメンスの息子──一人は既に成人し王宮で働いている──よりも明らかに優秀で、家中に不和を招きかねないと判断したこと。
もう一つはスペアとは言え貴重な後継者候補であるレゼルヴを、オルデン男爵家が手放すとは考えにくい、と父が判断したためだ。
その時は父の判断は至極もっともだと考え、多少後ろ髪を引かれはしたものの、いつか状況が変わって彼がオルデン家に居づらくなるようなことがあれば抱え込めるようにと、定期的に手紙などで交流を持つに留めた。
その判断が失敗だった、と考えるようになったのはそれから二年と少しが経過し、レゼルヴが十五歳になった時。
彼がヴァイスベルクでは最年少の導師で、高度な転移呪文を習得していると知り、なりふり構わず自家に取り込んでおくべきだったと後悔した。
中央の官僚にとって最大の悩みの種は、遠い地方にまでその目が行き届かないこと。その距離の問題を解消してくれる高位の魔術師は喉から手が出るほど欲しい存在だった。
無論王宮にも宮廷魔術師はいるが、彼らは総じてプライドが高く、王命以外でその魔術を行使することはほとんどない。官僚の移動の為に呪文を使うなど、頭を下げて頼んでも鼻で笑われて終わりだ。
まさかレゼルヴが若くしてそれほどの技量を持つに至るとは──転移呪文だけではない、自分たちに協力的な高位魔術師という手札を手に入れたオルデン男爵とヴァイスベルク辺境伯には正直嫉妬を禁じえなかった。
加えてオルデン男爵はレゼルヴ以外の子宝にも恵まれている。
長男のシュヴェルトは父親に似て惚れ惚れするような男ぶりの偉丈夫で、武門の棟梁として非の打ち所がない逸材。
三男のライゼ、その双子で長女のアデルも幼いながら健やかに成長していた。
嫁いだ当時、妹は身体が弱く無事子を為せるか不安視されていたが、今やオルデン男爵家の次代は盤石の体制と言ってよい。
だからこそ、クレメンスは改めて思ってしまったのだ──やはりレゼルヴはオルデン男爵家にいるべき人材ではない、と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「今回の一件、いったいどういうおつもりですかな?」
ヴァイスベルク辺境伯の屋敷にて、ヴァイスベルク辺境伯とオルデン男爵、そしてエルツ子爵とが三者会談を終えた後、エルツ子爵は憤慨した表情でオルデン男爵を詰問していた。
そも今回の会談は、軍事的連携を強めるヴァイスベルク辺境伯とオルデン男爵の動きを中央の役人が危惧し、牽制の為に開催されたものだ。そしてエルツ子爵は辺境伯たちと裏で手を組んでいて、この会談自体は落としどころの決まった形式的なものの筈だった。
だがその予定調和だった筈の会談で突如辺境伯と男爵から告げられた言葉に、エルツ子爵は驚きと怒りを禁じえなかった。
「……オルデン男爵。どうやら卿には私が何のためにヴァイスベルクくんだりまでやってきたのかを理解していただけていなかったようだ」
会談終了直後、エルツ子爵は辺境伯の屋敷内に与えられたオルデン男爵の控室に突撃して詰問する。
普段は「レイター殿」と名前で呼んでいるが、今は敢えて他人行儀な物言いをすることで「自分は怒っているのだぞ」とアピールしていた。
「まぁ、クレメンスや。そうカッカするでない」
「そうですよ、お兄様」
しかしそうしたエルツ子爵のアピールに、父エルツ前子爵と妹であるオルデン男爵夫人がのんびりとした態度で口を挟む。
「父上とベルタは黙っていてくれ! いや、そもそも二人も同罪だろうが! どうして悪びれることなく平然としているんだ!」
「だから少し落ち着けと──」
「これが落ち着いていられますか! 私がここに来たのは辺境伯と男爵の過度な接近を牽制するためなのですよ! それが建前だとしても、少なくともエルツ子爵家はその立場でここにいるのです! それを──」
エルツ子爵はこの場で一人申し訳なさそうな表情をしているオルデン男爵を睨みつけ、怒りに任せて続けた。
「何をどうしたらシュヴェルトと辺境伯のご息女の婚姻などという話になるのですか!? 今日の会談の主旨と真逆の結論ですよ! しかも王家への仲介を私を飛び越えて父上にお願いするなど、馬鹿にしているにもほどがある!!」
「そのようなつもりは──」
「ならどんなつもりだと言うのですか!? 私の顔を潰して、このタイミングで敢えて両家の婚姻を進めなければならない合理的な理由があるというのなら、今ここで説明していただきたい!!」
そう言って、バン、とエルツ子爵は机に拳を叩きつける。
付き合いの長いエルツ前子爵とオルデン男爵夫人は、その行動がある種の演技だと分かっていたため平然としていたが、そうでないオルデン男爵はただただ申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
エルツ子爵も彼らにも何らか事情があったであろうことは理解している。自分を飛び越えて父親に話を通したのは法衣貴族たるエルツ子爵家としての体面を保つためで、こうして自分に話を打ち明けたということは既に宮廷工作も見通しが立っているということなのだろうと、凡そ分かってはいた。
だが外交は一種の戦いだ。縁戚同士とは言え自分のメンツを潰されておいてなぁなぁで済ませるわけにはいかない。
「……申し訳ない。このような話を子爵閣下に内密に進めたこと、深くお詫びさせていただく」
「謝罪が聞きたいわけではありません。卿に何か事情があることは私も理解している。それをお聞かせ願いたいと言っているのです」
オルデン男爵が非を認めて深々と頭を下げ、エルツ子爵がそれに理解を示す。儀礼的なやり取りではあるが、両者はこれでようやく具体的な話に移れる状態となった。
「今回の一件は元々──」
そしてオルデン男爵はエルツ子爵に事情を説明する。
今回の婚姻話が男爵家と関係を深めたい辺境伯主導で進められたものであること。
ことが宮廷内でのパワーバランスにも関わる話であるため、事前にベルタがエルツ前子爵に相談していたこと。
辺境伯の手前、現役の官僚であるエルツ子爵には事情を打ち明けられなかったこと。
オルデン男爵家としてもシュヴェルトの立場を強化する上で願ってもない話であったこと。
「──待っていただきたい。辺境伯の意図は理解できます。立場上あまり好ましいことではないが、父上が賛同したということはこれは最終的に当家にも利のある話なのでしょう。勝手を許すわけではありませんが理解はできます」
エルツ子爵はオルデン男爵の説明を遮り、シレッとした表情で娘の淹れたお茶を飲んでいる父を睨みつけて続けた。
「だがシュヴェルトの立場の強化とは? 私は彼に会ったのは昨日が初めてですが、オルデンの名に恥じぬ素晴らしい若武者ではありませんか。男爵家を継ぐだけならば、わざわざ辺境伯のご息女を嫁に貰って立場を強化する必要があるとは思えませんが……」
あるいは領土拡大の野心でもあるのかと、エルツ子爵はオルデン男爵に疑わし気な目を向けざるを得なかった。
そんなエルツ子爵の思いに気づいているのかいないのか、オルデン男爵は大きく頷いて続ける。
「私もそう思います。シュヴェルトは領民たちからの信望厚く、私の後継者として何の瑕疵も不足もない、自慢の息子です」
「では──」
「ですが、この婚姻話の打診があった時、辺境伯閣下はご息女をシュヴェルトの妻にとは仰られなかったのですよ」
「────」
その言葉の意味を理解するのに、エルツ子爵は数秒の時間を要した。
「閣下は私に『年頃の近い者同士、婚姻を結んで両家の関係を強めてはどうか』と仰ったのです」
「それは……敢えて言う必要もないと考えたのではありませんか?」
「そうかもしれません──そうでないのかもしれません」
辺境伯の娘が男爵家に嫁入りする。それ自体はおかしなことではない。そしてその場合、娘が嫁ぐのは当然男爵家の後継者である筈だ。
敢えて言う必要もないというエルツ子爵の意見は間違ってはいない。
同時に、貴族は口約束であってもこうした婚姻話には慎重に慎重を期すものだ。辺境伯が敢えてどうとでも取れる表現を使ったという可能性は確かに否定できなかった。
──だが、もしそうだとしたら辺境伯はレゼルヴに娘を嫁がせても良いと考えているということになる。そんなことがあり得るのか? 仮にレゼルヴが辺境伯の娘を妻に迎えればどうなるだろう? レゼルヴが兄を飛び越えて後継者となる芽も出てくるが、オルデン家は十中八九混乱する。男爵が後継者を挿げ替えたいと考えているならまだしも、今のところ彼にそのつもりはなさそうだ。となれば最悪、後継者にもなれないレゼルヴにただ娘を嫁がせて家を混乱させただけということにもなりかねない。仮に混乱が小さく収まったとしても、長男より家格の高い次男の妻などただただ厄介なだけだ──あるいはそれが狙いか? レゼルヴがオルデン男爵となればそれでよし。なれなければ扱いづらくなったレゼルヴを辺境伯家に引き取る名目ができる。いずれシュヴェルトにも子が生まれるだろうし、スペアというなら三男もいる。若く才気に溢れた魔術師で、内政家としての能力も証明されているレゼルヴを自家に取り込めるのであれば娘を使っても惜しくない、と……?
当然、様々な問題が出てくるだろう。辺境伯がたった一人の人間を自家に迎えいれるためだけにそこまでのことをするとは考えにくい──普通なら。
だがエルツ子爵自身もかつてレゼルヴに同じような評価を下したことがあったため、あり得ないことではないと内心唸った。
「…………」
改めてオルデン男爵、そして妹と父に順に視線をやると、全員が深刻な表情で自分を見ている。彼らも考え過ぎではない、と判断したのだろう。
そしてオルデン男爵からすれば、この辺境伯の提案により、改めて長男よりも次男の方が外部からの評価は高いと突きつけられたようなものだ。
「……これはあくまで確認で、気を悪くしないで聞いて欲しいのですが……レゼルヴに家を継がせる、ということは考えていないのですね?」
「勿論。レゼルヴに対する世間の評価が高いことは理解していますが、オルデンを率いる者として相応しいのはシュヴェルトです。これはただ生まれた順番だけの話ではありません」
オルデン男爵はキッパリと言い切る──あるいは、その可能性を検討したことがあるのかもしれない。
その上で、彼はシュヴェルトこそが後継者に相応しいと判断した。
「であれば、シュヴェルトの立場を婚姻により強化するのではなく、レゼルヴを外に出すということを考えてもよいのではありませんか? 父上がどう言ったのかは知りませんが、私にはやはり両家の過度な接近が良いことだとは思えない。今は当主同士信頼関係があるかもしれませんが、代が変わった時、辺境伯の影響力が強すぎる状態というのは、御家にとって必ずしも望ましいものではないのではありますまいか?」
『…………』
オルデン男爵はその言葉に沈黙を返し、妹も父もその懸念を否定はしなかった。恐らく彼らもその可能性を考えたことがあるのだ。
「何なら私の方でレゼルヴを引き取っても構いませんが──」
「それはできません」
少し色気を出したエルツ子爵の提案を、オルデン男爵はキッパリと拒否する。
「レゼルヴの存在はもはや当家と辺境伯家にとって欠くべからざるものとなっています。もしあの子を外に出せば、両家の協力関係は機能不全に陥ってしまうでしょう」
それは確かに、とエルツ子爵は認めざるを得なかった。
転移呪文を活用した行路の話だけではなく、両家が瑕疵も遅滞もなく協力関係を結ぶことができたのは、それを裏で様々な問題を調整していたレゼルヴの力があったからだと容易に想像がつく。
この状況でレゼルヴを外に出せば辺境伯の不興を買うどころの話ではない。
レゼルヴのことだから、いずれ自分がいなくとも回っていく体制を構築する心づもりだろうが、それが実現するのはまだまだ先の話だろう。
最初から辺境伯家に婿として送り出すことも考えられなくはないが、それにしたって爆弾を将来に先送りにするだけ。
そして辺境伯からの提案を拒否しても、長男と次男の対外的な評価の逆転という歪みは残り続ける。
結局、これを丸く収めようと思えばシュヴェルトが辺境伯の娘を妻に迎えるしかないのだ。
それが最善だからではなく、最悪を避けるために。
次代が無能だからではなく、有能過ぎるからこそ。
「……なるほど、ままなりませんな」
「…………」
エルツ子爵の同情に、オルデン男爵はただただ苦い沈黙を返すことしか出来なかった。




