第71話
「──あ」
「おう」
屋敷を出てすぐのところで、レゼルヴは兄シュヴェルトと出くわす。
シュヴェルトは丁度近所から帰ってきたところのようで、その両手には領民からの婚約祝いと思しき品々がどっさりと抱えられていた。
「お帰り、兄さん。凄い荷物だね」
「ああ。世話になった人に報告に行ったら、あれもこれもって持たされてな」
「そっか──改めて、婚約おめでとう」
レゼルヴは一片の曇りも見えない笑顔を作り、兄の婚約を祝福する。
「……ありがとう」
シュヴェルトはそう返すと、少し迷った風に視線を彷徨わせて続けた。
「今、時間あるか? 良ければ少し話したいことがあるんだ」
兄への祝いの品を一旦屋敷に置いて、二人は子供の頃共に遊んだ畦道を並んで歩く。
半刻ほども無言のまま歩き続け、シュヴェルトはようやく口を開いた。
「内緒にしてて悪かったな。驚いたろ?」
「ん……ああ、婚約のこと? 仕方ないよ。兄さんとソフィ──辺境伯家のご令嬢との婚約ともなれば、正式に決まるまでは情報を漏らすわけにはいかないだろうしね」
レゼルヴは物分かりの良い弟らしく、気にすることじゃないと微笑む。するとシュヴェルトは何故か困った表情を浮かべた。
「……そうだな。そう言ってくれると助かるよ。まぁ、かくいう俺も正式に話を聞いたのはつい先月のことなんだけどな」
「そうなんだ? あちらのご令嬢とは──」
「ソフィアでいい。彼女とは親しいんだろう?」
「そういうわけには……」
兄の婚約者を呼び捨てにして周囲に勘違いされるような振る舞いをすべきではない。レゼルヴの配意は当然のものではあったが、シュヴェルトの穏やかな眼差しにはどこか有無を言わせぬものがあった。
「……ま、お言葉に甘えてこういう場では呼び捨てにさせてもらおうかな。──で、ソフィアとはいつから?」
貴族同士の婚姻は本人たちの面識がないまま進められることなど珍しくないが、ソフィアは貴族令嬢としてはかなり気が強く変わり種で、シュヴェルトも一般的な貴族とは程遠い。
少なくとも相性を見るための見合いのような場はあった筈だ、とレゼルヴは想像していた。
「いつから、か……初めて会ったのは八年前だよ。人材交流で三か月ほどヴァイスベルクに行ったときに少しだけ話をした」
「……ああ、あの時ね」
そう言えば、そんな話をソフィアからも聞いたような気がする。
「その頃からキレイな子だなとは思ってたけど、それから全然会う機会がなくて……再会したのは半年前だったかな。ほら、辺境伯と伯父上の会談にお爺様たちが相乗りしてきたことがあっただろう?」
「ライゼとアデルに会いたいとか我が儘言って私が振り回されたあれね」
「そうそう、大変だったよな? あの時に彼女と引き合わされて、その後も何度か話をする機会があったんだ。最初は単に、同い年で領地も隣だから仲よくしとけって意味かと思ってたんだけど、今考えればそういうことだったんだろうな」
「そこは最初から気づきなよ」
「……仕方ないだろう? 俺はお前と違って外の貴族と関わる機会なんてほとんどなかったんだから」
口を尖らせて弁解する兄にレゼルヴは苦笑を返す。婚約話は概ね彼が想像した通りの流れのようだ。
「で、先月も会ってお茶して、こっちに戻ってきた次の日だったかな。父上たちからソフィア嬢との婚約が決まったって聞いて……だから俺、その話を聞いてからまだ一度も彼女に会ってないんだよ。彼女、嫌がってたりしないかな……?」
「──プッ、アハハハ!」
レゼルヴは不安そうな表情を見せる兄に、思わず笑みをこぼす。
「……何だよ? 笑うことはないだろう。俺は真面目に──」
「ごめんごめん。でも、向こうは見合いとか初めてじゃないし、流石に兄さんと違って気づいてたんじゃない? 嫌なら嫌って事前にアピールしてたでしょ」
「……そうかな?」
「そうだよ」
ゴツイ見た目で不安そうに上目遣いでこちらを見てくるシュヴェルトに、レゼルヴは内心の苦笑を噛み殺した。
「……でも俺は貴族のご令嬢が喜ぶような話題なんて知らないから、話したことって言えばレゼの昔話とかぐらいだし──」
「それは個人的にやめて欲しいけど、共通の知人を話題のとっかかりにするのは普通のことでしょ──というか、あいつが私の昔の恥部を知ってたのはあんたのせいか」
「ヒュ、ヒュ~……?」
ギロリと睨みつけると、シュヴェルトは視線を逸らして下手糞な口笛を吹いて誤魔化す。
レゼルヴは暫しそのまま兄を睨んでいたが、彼が悪意を持って個人情報を漏らしたわけではなく、慣れない女性とのやり取りで話題に困ってやむを得ず自分をダシに使ってしまったことは容易に想像がついた。今更それを責めたところで仕方がないと、溜め息を吐いて話題を切り替える。
「……はぁ。ま、いいや。──それで話したいことって何さ? まさか今の懺悔が本題じゃあるまいし、今更ソフィアの好みとかを聞きたいわけでもないだろう?」
「いや、それはそれで興味があるが──話したいのはレゼ、お前のことだ」
立ち止まり、真面目な表情でこちらに向き直った兄に、レゼルヴは無言で続きを促した。
「今回この婚約を伝えられて、俺も色々と思うところがあった。何で俺なんかが辺境伯のご令嬢と婚約することになったんだろう、って」
「ウジウジした自虐話なら聞きたくないんだけど──私の話じゃなかったの?」
「……ま、聞いてくれよ」
シュヴェルトは呆れた弟の眼差しに苦笑して続けた。
「別に自虐のつもりはないんだ。ただ本当に俺のところに彼女が嫁いでくる理由が分からなかった。男爵と辺境伯って爵位の違いだけじゃなく、政治とかパワーバランスとか諸々含めて。色々考えて悩んで……それで気づいたんだ──『あれ? この話って、レゼがいたから成立したんじゃないか?』って」
──ズキン、とレゼルヴの胸が鈍い音を立てて軋んだ気がした。
「辺境伯だって、メリットもないのに大事な娘を格下の男爵家に嫁がせたりはしない。ましてソフィア嬢はあの美貌だ。妻に迎えたいって話は引く手あまただった筈だ」
「……別にそれはおかしな話じゃないでしょ。蛮族の攻勢が激化してる今、辺境伯がウチとの関係を深めたいと考えるのは自然なことで──」
「それが実現したのは、お前が転移呪文で両家を結んだからだろう? 例え戦力的に余裕があっても、それが無けりゃ父上も自分の領地を放り出して辺境伯の援軍に向かうなんてできやしないよ」
「…………」
それだけではないが、転移呪文により緊密な情報交換も可能となり、色々と話がスムーズに進むようになったことは事実だった。
「そう考えた時、どうして父上たちは俺とソフィア嬢の婚約を望んだんだろうと不思議に思った。──だってそうだろう? ただ両家の関係を深めて支援を引き出すだけなら婚約に限らず方法は幾らでもある。下手に発言力の強い辺境伯の一族を嫁に迎えれば、今後あちらからの要請を断りづらくなるし、中央の役人どもにだって警戒される筈だ。それを解消するためにわざわざお爺様にまで動いてもらって……どう考えても普通じゃあない」
「…………」
シュヴェルトは単純で竹を割ったような発言が目立つが、決して頭が悪いわけではなく、むしろ聡明な部類に入る。
だからこそ、レゼルヴは彼が何を言わんとしているか想像がついてしまった。
「それで、気づいたんだよ。俺が不甲斐ないから──父上たちは辺境伯から嫁を貰って、俺の立場を強化しなけりゃならなかったんだって」
「! それはちが──」
咄嗟に否定しようとしたレゼルヴの言葉を、シュヴェルトは右手を前に出して遮る。
「別に自虐のつもりはない。俺は自分がオルデンの後継者として相応しい人間であろうと心掛けてきたつもりだし、実際にそうだっていう自負もある。ただ、そう──」
シュヴェルトは戸惑う弟の顔を、穏やかな表情で見つめながら続けた。
「──きっと、お前はウチに収まる器じゃなかったんだろうな、レゼ」
「────」
否定しなければいけないことは分かっていたが、それをどう伝えればいいのかがレゼルヴには分からなかった。
そして言いよどんでいる間に、シュヴェルトは更に続ける。
「ウチは脳筋だから、みんな俺のことを持て囃してくれるけど、逆にレゼの凄さは中々理解されない。でも世間的に見れば、レゼの方がよっぽど評価が高いってことは俺にも分かってるんだ」
「それは──っ! それは普通の貴族の話で、オルデンの後継者としては兄さんの方が──」
「本当にそうか?」
「そうだよっ!! 何を言って──」
必死に言い募る弟に苦笑して、シュヴェルトは静かにその言葉を告げた。
「前線基地の再編計画」
「!」
「この間、お前のとこのマッシュに協力してもらって、ようやく父上と母上に決裁を貰った。やってみてよく分かったよ。日常業務をこなしながら計画を立てるのがどれだけ大変か──正直、俺はマッシュの出してきた計画を読み込んで、精査するので精一杯だった」
繰り返すが、シュヴェルトは決して頭が悪いわけではなく、むしろ聡明な部類に入る。
だから当然気づくべきだった。この話を進めれば、彼が真相に気づいてしまう可能性に。
「あの再編計画は、予め素案が示されていた。父上や母上、ましてやアハスにあれを考える余裕や発想があったとは思えない。じゃあ誰が考えた? 何故母上はマッシュをこの件の補佐役として推薦したんだろう? いやもっと言えば何故私にこの計画を指示した? 設備が絡む話なら、私よりよほど適任がいるのに」
「…………」
「レゼ。あの計画は元々お前が立てたものなんだろう? それを、父上と母上が私に手柄を立てさせるために取り上げたんだ」
違うというのは簡単だった。だがシュヴェルトは既に事実を確信しており、否定しても意味がないことは明らかだった。
「──すまん」
兄はそれ以上何も言わず、ただ深々と頭を下げる。
弟は慌ててそれをやめさせようとし──
「に、にいさ──」
「ここには俺とお前の二人しかいない。だから今はこうさせてくれ」
彼の言葉には不甲斐なさが滲んでいた。
「本当は父上たちに抗議して、事実を明らかにすべきなんだと分かってる。だけど俺はオルデンの嫡子として、そうすることができない」
レゼルヴの功績を明らかにしたところで、だからレゼルヴの方が後継者に相応しいとなる筈もなく、ただただ家中が混乱するだけだ。
だからシュヴェルトはどれほど情けなく恥ずかしい思いをしようとも、両親の思惑に乗る以外の選択肢がない。
「だからせめて今だけ──こんなのは俺の自己満足で、お前の腹立ちが収まるなんて思ってないけど、せめて謝らせて欲しい。──情けない兄貴で、すまん」
「そんな──」
良かれと思ってやった自分の行動が、結果的に兄を苦しめてしまった。レゼルヴはショックと羞恥で言葉が見つからない。
やがて兄は顔を上げ、真摯な表情で弟に告げる。
「レゼ。こんなこと、俺が言えた義理じゃないのは分かってる。分かってるけど言わせてくれ──お前はもっと自由に生きていいんだ。次男だからって縛られなくてもいい。嫌なら逃げ出したって誰にも文句は言わせない──俺が言わせない。だから──」




