第7話
「ここがヴァイスベルク……」
「レゼ。珍しいのは分かるけど、頭引っ込めないとぶつけるわよ」
馬車の小窓から身体を乗り出して外の景色に目をキラキラさせていたレゼルヴは、同席していたミラから注意されて渋々頭を引っ込め座りなおす。
「ここはオルデン領じゃないんだから、あんまりキョロキョロしないの」
「……は~い」
ミラは不貞腐れた態度で頬を膨らませるレゼルヴに苦笑し、付け加えた。
「……用事が済んだら街を案内してあげるから。それまで我慢なさいな」
「うん!」
遊びではない。浮かれてよい状況はないとは理解していても、まだ七歳のレゼルヴの胸は生まれて初めて見る外の世界に弾んでいた。
『ミラ、坊。先に辺境伯に挨拶をって話だったが、今日は先方の都合が悪いらしい。大将は昔の同僚に会いに行ってくるそうだから、俺らは先に宿に向かうぞ』
「了解です」
「は~い」
馬車の外から父の腹心であるアハスの声が聞こえ、元気に返事をする。
車窓から吹き込んできた冷たく新鮮な空気を脳に取り込みながら、レゼルヴは自分たちがこのヴァイスベルクにやってくることになったつい五日前の出来事を思い返していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
秋の終わり。本格的な冬の到来を前に母は男女の双子を出産した。
予定より早産ではあったが、双子はどちらも取り上げた産婆が驚くほどの健康体。一方で、元々丈夫とは言えない母の身体は無事健康とはいかず、大きく体調を崩してしまった。
出産から一週間が経過しても床から起き上がれず、領内の神父による治療も王都から取り寄せた薬も効き目が薄い。
心配した父は自らヴァイスベルク辺境伯領に赴いて医者を手配すると言い出した。
ヴァイスベルク辺境伯は王家からオルデン男爵領を含めた帝国との戦線を任された大貴族であり、オルデン男爵家の寄り親。父と今代の辺境伯はかつて轡を並べ共に多くの戦場を駆け抜けた戦友でもある。その伝手を頼れば腕の良い医者を紹介してもらえるだろう、と。
そしてそんな父の言葉に便乗したのは、苦しむ娘を前に何もできず憔悴していた祖母だった。当初祖母は自分も一緒に辺境伯の所に行ってお願いすると言っていたが、祖父から『邪魔になるだけ』と窘められてそれは断念。その代わりというわけではないが、自分の名代としてミラを派遣し、ヴァイスベルクの学院から腕の良い治療師を引っ張ってくるように言い出した。
突然の無茶振りではあったが、ミラは男爵領にやってきて以降、祖父母の依頼で王都や近隣の学院から母のために薬などを取り寄せており、そのやり取りの中でかつての彼女の師がヴァイスベルクの学院に在籍していることが判明していた。
『確かに私の師は生命魔術の大家なので、奥様の治療に役立つ術を持っているかもしれません。ただ……』
『ただ何なの?』
自分の師について、ミラは奥歯にものが挟まったような口ぶりで言葉を選びながら説明する。
『何と言いますか、非常に気難しくて問題のある人物なので要請に応じてくれるかどうかは……』
『まぁ! それなら辺境伯にお願いして命令を出して貰えばよいのではなくて?』
『ああいえ。権力に強い拒否感を持っているので、恐らくそれをしてしまえば逆に反発するだけかと。昔王都の学院に在籍していた時もそれが原因で出奔しているので』
『ふむ……何とかならんのかね?』
祖父も祖母と共にミラに頼み込む。それに対しミラは何故かシュヴェルトとレゼルヴを順番に見つめ、口を開いた。
『一つだけ。私の師は何と言うかその……子供好きなので。レゼルヴ坊ちゃまにご協力いただけるのであれば、あるいは』
突然の指名に目を瞬かせて困惑するレゼルヴ。彼が反応できずにいると、代わりにシュヴェルトが立ち上がり名乗り出た。
『僕が代わりに行く! 子供好きというなら僕でもいいだろう!?』
『──いえ。もしご同行頂くのであればレゼルヴ坊ちゃまでなくては意味がありません』
『…………』
キッパリと言い切るミラに顔を見合わせる大人たち。そして代表して父が言い難そうに口を開く。
『その……君の師というのは大丈夫なのかね? 何と言うか、あ~……』
『……仰りたいことは分かります。大丈夫かどうかと聞かれれば正直あまり……ただ少なくともレゼルヴ坊ちゃまに後遺症やトラウマが残る様なことだけはないと保証します』
『…………』
全く安心できない保証。それでも藁にも縋る思いの大人たちは最終的な決断をレゼルヴに委ねた。
『……どうする、レゼルヴ?』
『行きます』
その後、兄が自分もついて行くと食い下がったが、人数が増えればその分だけ移動速度は落ちる。
最終的に辺境伯領へは父とその腹心のアハス、ミラとレゼルヴに男爵家の精鋭従士四名を加えた計八名で向かうことが決まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
宿へ到着して荷物を下ろして一息つくレゼルヴたち。
アハスたち従士はこの領都まで強行軍だったこともあり、疲労がドッと噴き出て眠気を我慢するのに苦労していた。
一方、道中ほとんど馬車の中に押し込められていたレゼルヴに肉体的な疲労はなく、逆に退屈で頭がおかしくなりそうだった。
「ねぇ、アハス! 今のうちに街を見てきてもいい!?」
「いや、坊……」
移動で凝り固まった身体を揉み解していたアハスは、レゼルヴの言葉に思わず顔を顰める。
遊びに来てるんじゃねぇんだから大人しくしといてくれや──そう続けようとして、期待に目を輝かせるレゼルヴの姿にその言葉を呑み込んだ。レゼルヴは普段とても大人しく問題も起こさず我儘も滅多に言わない。そんな彼がここまでワクワクしている姿を見ると、中々反対もしづらかった。
「あたしが一緒について行きますよ。この街には何度か来たことがあるし、土地勘はありますから」
そんなアハスの葛藤を見て取ったミラが苦笑して助け舟を出す。
主家の子供を外部の人間に任せることに多少の葛藤がないわけではなかったが、最終的に辺境伯のお膝元でトラブルもないだろうという願望とアハス自身の疲労感が勝利した。
「……出かけるなら念のため貴族だって分からねぇよう、普段着に着替えて行けよ。それと夕方までには宿に戻ってくること。いいな?」
「うん!!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふぉ~…………」
ヴァイスベルクの街並みはレゼルヴにとって新鮮そのものだった。
オルデン男爵領のような小さな集落と砦が集まっただけの村とは異なる本物の都市。綺麗に舗装された石畳の道、整然と折り目正しく並んだ建物、物語の中でしか知らない多種多様な店舗とそこに並ぶ商品。さして広いとも思えない街の中を、オルデン男爵領の領民全てを集めたより多くの人間が行きかう様はまさに壮観の一言だ。
「ほら、ボーっとしない。そんなおのぼりさん丸出しの態度じゃ人攫いに遭っても知らないわよ」
「!」
いつの間にかすっかり先に進んでいたミラに気づいて、慌てて走って追いかける。
ミラはそんなレゼルヴの姿に『少し脅かしすぎたかな?』と苦笑し、ひょいと彼の前に手を差し出した。その意味を理解したレゼルヴは少し恥ずかしそうにしていたが、背に腹は代えられないと思ったのか彼女の手を握る。
「…………」
ミラに手を引かれ、キョロキョロ興味深そうに街並みを観察しながら進むレゼルヴ。彼は迷いなく歩いて行くミラに、ふと気になって疑問を口にした。
「どこ行くの?」
「買い物。折角大きな街に来たわけだし。ほら、男爵領じゃ中々お店もないでしょう?」
「ふ~ん。ミラのお師匠様にはまだ会いに行かないの?」
「あ~。そっちはねぇ……」
ミラは何故か言い淀んでレゼルヴを見る。
「?? 何?」
「……ううん。先生に会うタイミングはこっちで決めれないって言うか、多分会う気があるなら向こうから接触してくると思うのよね」
「???」
「ああ、うん。取り敢えず今は気にしないで。タイミングについては男爵様と相談するから──あ」
そこでミラは目当ての店を見つけて声を上げる。彼女はレゼルヴの手を引いて店に入ると、彼に買い物をしてくるのでここで少し待っているように告げた。
「退屈なら店の中を見て回ってていいけど、商品を手でベタベタ触っちゃ駄目よ。それと一人で店の外に出るのもやめてね」
「は~い」
素直に返事をするレゼルヴの反応もそこそこに、ミラは目当ての商品を探して店の奥へと入っていった。
保護者の姿が見えなくなったことに若干の心細さを感じつつ、レゼルヴはその不安を誤魔化すように店内を見回す。どうやらここは魔道具や薬品を販売している店のようだ。中は意外と広く、ちょっとした小屋が二つ三つ入りそうなスペースに所狭しと商品が並べられている。広い店内にレゼルヴたち以外に客の姿は見えず、その代わりではあるまいが入り口横のカウンターでは、恰幅の良いいかにも怪しい魔女然とした老婆が好奇の目でレゼルヴを見下ろしていた。
「!」
老婆と視線が合い、にこりと笑いかけられ驚いて視線を逸らしてしまう。そしてすぐに失礼だったかと思い直し、老婆に視線を戻して頭を下げると、彼女は笑いながら無言で手を振ってくれた。
そのやり取りで少し緊張がほぐれたレゼルヴは、好奇心に突き動かされて並んでいる商品を見上げる。数多の商品の中で特に彼の目を引いたのは長く湾曲した杖だった。
未だ彼はミラに作ってもらった即席の短杖しか持っておらず、魔術師を目指す身として正式な杖には憧れがあった。彼は杖を眺めながら、こんな杖を持っていずれ大魔術師となった未来の自分を想像し──
──キャァァァァァァッ!!?
彼の無邪気な妄想は、店の外から聞こえてきた甲高い悲鳴にかき消された。




