第68話
時は少しだけ遡り、レゼルヴが地上へ落下する数分前。
レゼルヴを探して夜の山へと足を踏み入れたメルとマッシュは、メルが少し離れた上空を舞う何者かに気づき、不意に立ち止まった。
「……どうした? レゼルヴ様がいたのか?」
「シッ」
メルは人差し指を口に当てて静かにするよう伝え、腰から筒状の簡易望遠鏡を取り出して月明かりの無い夜空を観察した。
「………いた。戦ってますね」
「戦ってる? レゼルヴ様が、か?」
説明を求めるマッシュに、メルは見た方が速いと望遠鏡を投げ渡す。彼はそのことに不満そうな表情を見せつつも、素直にレンズを覗き込みメルが見ていた方へと視線を向けた。
こう暗くてはいくら望遠鏡があっても──そう思っていたマッシュだが、どうやらこの望遠鏡は暗視補正機能を持つ魔道具だったらしい。驚くほどクッキリ見える夜空に驚きつつ、レンズの向きを微調整する。
「? あれ、か……?」
レンズ越しの視界を高速で横切る二つの影。動き回っていて詳細な姿までは確認できないが、上昇しながら追いかけっこをしているように見えた。先を行く影は目の錯覚か瞬間移動でもしたような動きをしていて、追う影は翼が生えている。
「よく見えんが……」
「レゼ様が飛行呪文で逃げ回ってます。敵は竜人、しかも多分爵位持ちってやつですね」
「はぁっ!?」
サラリと告げられたメルの言葉に再び上空の影を確認する。確かにそう言われればレゼルヴが竜人に追いかけられているように見えなくもないが、マッシュの目ではそこまでのことは分からなかった。
「……竜人と言われればそう見えなくはないが、それにしたってこの距離で角の有無まで分かるのか?」
「レゼ様はあれで一応、導師の資格を持った魔術師ですよ。並の竜人ならあんな風に逃げ回る必要はありません」
そう言われてマッシュは、戦場に出ないという一点で周囲から軽んじられていた自分の上司が、実際には一流と呼ばれるレベルの魔術師であったことを思い出した。
そして一呼吸遅れて状況を理解し、ハッと息を呑む。
「──っ!? そういうことなら、こんなところでノンビリしてる場合じゃないだろ! はやく──」
「どうするつもりです?」
皮肉っているのでも馬鹿にしているのでもない純粋な疑問をぶつけられ、マッシュは鼻白んだ。
「どうするって……はやく助けに行かないと──」
「行ったところで、空を飛ぶ敵を相手にあたしたちじゃ援護の仕様もないでしょう? 一応、あたしも弓は持ってきてますけど、あんなとこまでは届きませんよ」
冷静にツッコまれて、マッシュはグッと言葉に詰まる。メルはさらに淡々と続けた。
「それに爵位持ちの竜人が単独でこんなところにいるとは思えません。多分、近くに部下がいるだろうし、迂闊に近づいたら危ないですよ?」
「!」
確かにあれが敵の指揮官だとしたら、近くには蛮族の部隊がいる筈だ。その陣容がどうあれ自分たち二人だけでは力不足であることは間違いない。
「なら、すぐに助けを呼びに──!」
「行くのはいいですけど、どのみちレゼ様の援軍には間に合いませんて。ならせめて、もう少し敵の陣容を把握してからじゃないと二度手間になっちゃいますよ」
「っ!」
メルの言っていることは悉く正しい。だがそれは人としてどうなのかと、マッシュは苛立ちを隠せなかった。彼女とレゼルヴは幼馴染でとても親しい関係のように見えたのに、こんな他人事のように……
──グォォッッ!!
遥か上空から嵐のような唸り声が降り注ぐ。
「……お? 下からぞろぞろ上がってきましたね」
「!」
その言葉にマッシュが望遠鏡を地上付近へと向けると、こちらは高度が低いこともありハッキリ竜人だと分かる人影がいくつも確認できた。角は見えないので、恐らくメルの言うように上でレゼルヴと戦っている爵位持ちの部下なのだろう。
「う~ん……あそこだけ雨が降ってるっぽいけど、レゼ様何やってるんでしょうね──あ」
「あ?」
「……落ちた?」
「はぁ!?」
意味が分からず望遠鏡から目を外しメルを見ると、彼女は上空の一点を指さし、指を上から下へと移動させる。その先に視線を戻すと、黒い豆粒のような何かが高速で地上へと落下し、竜人の群れの中央を突っ切るように降下していくのが見えた。更にその通過直後、まるで風圧に翼を打ち抜かれたように竜人たちの身体は浮力を失い、ハラハラと地上へ墜落していく。
──バシャァ……!
大きな水音と、続いて竜人たちが地面に激突したのだろう鈍い音が連続して聞こえる。
「──行きましょう。多分、滝壺の方です」
「!」
既に駆け出していたメルに置いて行かれまいと、マッシュは慌ててその後を追いかけた。
「──ぷはぁ……っ!」
水流に流されながら、深い川の中から浮かび上がってきたレゼルヴは、水中から顔を出して大きく息を吸い、そして体力を振り絞って泳ぎ、河原へと這い上がる。
呪文で落下の衝撃を弱めたとは言え、遥か上空から水面に身体を叩きつけられ、全身の痛みは酷いことになっていた。加えて冷たい水に体力を奪われ、その直前も神経擦り減らす空中戦を繰り広げていたこともあり、彼は心身ともにボロボロだ。
ベルトポーチから霊薬を取り出し、それをグイと呷ると多少痛みと疲労感はマシになったが、これではまだまだ不十分。
彼は霊薬で僅かに回復した体力を使って近くから枯れ枝をかき集め、呪文で火をつけ焚火で暖を取る。濡れた服は全て脱いで全裸。本当は先に竜人たちの死亡を確認しなければならないのだろうが、そんな余力は残っていなかった。
──まぁ、ほとんど呪文も使い果たしたし、あれで死んでなきゃもうどうしようもないな……
ここでレゼルヴと竜伯爵ゴルディーニとの戦いで、何が起きていたのかを振り返ってみよう。
まずゴルディーニに発見されたレゼルヴは、プライドの高い竜人の性質を利用し、一騎打ちを挑むことで一対多から一対一の状況に持ち込んだ。
とは言えゴルディーニは戦闘力においてレゼルヴより明確な格上であり、例え一騎打ちであろうと、十分な準備も出来ないまま正面から戦って勝てる相手ではない。そこでレゼルヴはその場にあるものを利用してゴルディーニとその部下を倒す方法を必死に考えた。
戦いが始まってすぐに空中戦へと移行したのはゴルディーニに罠の存在を疑わせるためだ。会話をしてすぐに分かったが、ゴルディーニはとても知性が高い。レゼルヴが自分にとって不利な空中戦を敢えて挑んだことで罠や伏兵を警戒し、レゼルヴに向ける意識や攻撃はかなり散漫なものとなっていた。
無論、ただ意識を逸らしただけで勝てる相手ではなかったし、仮にゴルディーニを倒せたとしてもまだ三〇近い竜人の兵士たちが残っている。
レゼルヴはある仕掛けの為に高度を上げて飛翔したが、ここで誤算だったのは竜人の兵士たちが地上で待機しこちらを追ってこなかったこと。彼の策を実現する為には竜人たち全員がこちらを追いかけてくる必要があった。
レゼルヴはこれに対し、劣化版【天候制御】を使用し雨を降らせることで罠の存在を匂わせ、敵に『地上は危険かもしれない』と思わせることで、彼らを上空に退避させ作戦の準備を整えた。
最後の決め手は【反魔結界】を張った上での自由落下。
竜人たちの飛行能力が魔力依存のものであることは観察してすぐに分かった。魔力を無効化する結界内に呼び込むことができれば、飛行能力を奪えるだろうことも。いかに強靭な肉体を持つ竜人だろうと魔力の助けなしにあの高さから墜落して無事でいられる筈がない。
まだ死体の確認はできていない──使い魔に命じて確認中だ──が、まず間違いなく死んでいる、筈だ。
勿論、この作戦では自由落下したレゼルヴもそのままでは地面に墜ちて死んでしまう。【反魔結界】の解除がギリギリになったこともあり、直前で【降下制御】の呪文を使用し速度を緩めはしたものの、遥か上空から落下した慣性を殺すには距離も時間も足りなかった。
レゼルヴが最後の保険としてあたりをつけていたのが、子供のころ兄たちによく悪ふざけで放り込まれた滝壺。
竜人たちが休息していた水場が懐かしい遊び場の近くだったことを覚えていたレゼルヴは、地面に墜落する寸前に【幻歩】による短距離転移で、底の深い滝壺の上へと転移。落下の衝撃を弱めることで辛うじて難を逃れたという寸法だ。
久しぶりにギリギリの戦いを潜り抜け、レゼルヴが焚火で身体を温め服を乾かしながら体力を回復させている、と──
「どうしたんです、レゼ様? 珍しくセクシーな姿ですけど、イメチェンですか?」
軽口と共に暗闇の中から現れたのはメル──と、彼女に連れられたマッシュ。使い魔からの報告で二人の接近に気づいていたレゼルヴに、驚きはない。
「見るなよ馬鹿。金取るぞ」
「ハハハ、その貧弱な身体で何を自意識過剰な」
「……これだからゴリマッチョに慣れたオルデン領の女は」
状況にそぐわない軽いやり取りを交わし、ケラケラ笑いながらメルがマッシュのマントを奪ってレゼルヴに投げ渡す。彼がそれを纏ったのを確認し、メルたちも焚火の前に陣取って暖を取り始めた。
「…………」
「…………」
「…………」
三者の間に暫しの沈黙が流れる。
レゼルヴとメルの沈黙は自然なものだったが、マッシュはここに来るまでに見た無数の竜人の死体のショックもあり何を話していいか分からない様子だった。
マッシュが喋りだす気配がないのを見てとり、メルが口を開く。
「ここに来る前に周りを見回ってきましたけど、生き残りはいなさそうでしたね。あたしらが来る前に逃げたのがいないとは限らないので、絶対とは言えないですけど」
「そうかい。角持ちはいた?」
「それっぽいのが少し離れた木に刺さってました。確認されますか?」
「後でね。死体を集めて燃やしとかなきゃいけないから、その時でいいよ。二人とも、悪いんだけど手伝って──」
「はいはい。残業代はもらいますからね?」
ウチに残業制度はないから私のポケットマネーで出すしかないんだけどな~、と嘆きつつ、レゼルヴはそれに頷いた。
「あの──」
「ん?」
マッシュが何か言いたそうにこちらを見ている。
「勿論、マッシュにも残業代分は出すつもり──」
「そ、そうじゃなくて! その……首は持ち帰らないんですか?」
『…………』
二人は意外なことを言われたといった表情で顔を見合わせる。
「え、何で?」
「何でって……爵位持ちの竜人含めてこれだけの蛮族を倒したなんて言ったら大戦果じゃないですか。御屋形様に報告したら──」
「首だけ持ってっても信じてもらえないでしょ? どっか余所で仕入れたもんだとか疑われそうじゃない?」
「だから、この現場を見てもらえば──」
「わざわざその為に忙しい父上か兄上あたりをこんなとこまで連れて来いって? 面倒くさいよ」
心から億劫そうに言うレゼルヴに、しかしマッシュは更に言い募った。
「で、でも、そうしないと褒美も何も貰えないじゃないですか」
「……はぁ。あのね、その褒美を出すのってオルデン家の財布からだよ? 今私が管理して、資金繰りに四苦八苦してる我が家の財布。そこから自分の為の報奨金捻出するためにもっと苦労するとか何の冗談?」
確かにレゼルヴと一般兵では立場が違う。金銭的な褒美となると彼の言う通りかもしれない。
「ですが、レゼルヴ様が戦功を挙げたことは事実です。そのことはキチンと御屋形様に知っていただかなければ──」
「だから、私が功を挙げたからどうなるって言うのさ。私は既に後方事務の責任者なんだよ? 君たちと違って出世も何もないの」
「────」
それもその通りだ。レゼルヴが功績を挙げることに意味はない。彼にはこれより上がない以上、評価されても仕方がないのだ。
いや、正確には意味がないわけではないが、それは兄と後継者としての地位を争うことを──
「というか、こんなこと報告したら奥様から大目玉食らうんじゃありません? 戦いは若様に任せて出しゃばるな、って釘刺されてましたし」
「おっと、それもあったね」
余計しっかり証拠隠滅しとかないと、と肩を竦めるレゼルヴに、それを見てケラケラ笑うメル。
「…………」
マッシュは一目見てボロボロで激戦を潜り抜けたと分かるレゼルヴの姿に、何故彼が何一つ報われないこの状況で、こんな風に命懸けで戦っていられるのか理解に苦しんだ。いや、戦いだけのことではない。これまでも、ずっと──
「レゼルヴ様」
「……何だい?」
姿勢を正し畏まった表情で口を開くマッシュに、レゼルヴは気負うことなく応じる。
「若様から戻ってこないかと誘っていただきました。御屋形様と奥様が、若様に例の前線基地の再編計画の素案を作るよう指示を出したそうです。基本方針は既に示されていて、我々が三か月前に提案し、否決された内容そのものでした」
「ふ~ん」
「……驚かないのですね?」
「いや、驚いてるよ。予想より早く計画が進みそうで、何よりだ」
レゼルヴは自分の功績を無視して話が進められていることをまるで気にする様子もなく微笑む。
「それで?」
「……奥様は、若様の補佐役として私を推薦したそうです。無論、我々が計画を提出したことは若様に伏せたまま」
「兄上の下には事務仕事ができる人間が少ないから、確かにマッシュなら適任だね。私も事情に詳しい君が計画に携わってくれれば安心だ」
やはりレゼルヴに驚きはない。予想通り、ということなのだろう。
「それで、今後は兄上の直属に? それともこっちと兼務で?」
「……直属に、ということでお話を頂きました。元々、後方支援に回ったのはトラウマのせいで兵士として使い物にならなかったからです。トラウマが解消された以上、兵士に戻るのが自然な流れかと」
「なるほど、道理だ」
「……やはり、これも驚かないのですね」
自分のトラウマが解消されたことはレゼルヴには今初めて伝えた。にも拘らず、彼はまるで驚く気配もない。やはりここにもレゼルヴの手が回っていたのだろう。恐らく、以前健康診断と称してヴァイスベルクで受けさせられたあの一件。
「何を言ってるのかよく分からないけど、移籍の話については私からも兄上に確認しておくよ。まだそう引継ぎ事項もないだろうし、基本的にはあちらの都合に合わせて──」
「いえ、移籍についてはお断りさせていただきます」
「────」
初めてレゼルヴが驚いた表情になり、マッシュは少しだけ胸がスッとする。
視界の端で、メルがニヤリと笑ったのが見えた。
「シュヴェルト様からの要請については、あくまで総務部門担当者、レゼルヴ様の部下として対応させていただくつもりです。既に出来上がった計画を多少手直しする程度なら、わざわざ移籍までする必要はないでしょう」
「いや、だけど私の下にいては出世は難しいだろう。兄上の下についた方が──」
──お前が言うなよ。
マッシュは反射的に口をついて出そうになった言葉を呑み込み、代わりにニヤリと口元を吊り上げ、隣の同僚とよく似た表情で続けた。
「私が、貴方の下で働きたいと、そう言っているんです──いえ、そう決めました」
「…………」
その真っ直ぐな視線と言葉にレゼルヴは困ったように頭を掻き、やがて諦めたように深々と溜め息を吐く。
そんな不器用な主にマッシュは改めて傅き、心からの忠誠を誓った。




