第66話
──うわ、最悪だ……
ヴァイスベルク出張から【転移陣】により帰還した直後、山間部に設置した【警戒】の魔道具から敵性反応が通知され、レゼルヴはその確認・迎撃のために一人夜の山中へと向かっていた。
反応の強さと数に視て、恐らくは蛮族の侵攻。これまでもレゼルヴが周囲に隠れて蛮族の迎撃に向かうことはあった。頻度で言えば月に一、二度。単独で対処可能なら誰にも伝えず処理し、手に余るようなら家族に報告して軍を動かして討伐してもらうつもりだったが、幸いと言うべきか故郷に戻って来てからの半年間、軍を動かさねばならないほどの敵には遭遇していない。
レゼルヴは別に自分一人で対処することに意味を見出していたわけではないし、必要とあらば家族や軍を頼ることに躊躇いはなかった。
けれどその日発見した蛮族だけは、その判断を躊躇せざるを得なかった。
──竜人……しかも多分、爵位持ちかぁ。
蛮族とはヒューマンを中心とした人類種と敵対する亜人種の総称だが、その脅威度は種によって千差万別だ。
コボルトのようにほとんど無害な奴隷種族もいれば、ゴブリンやオーガのような戦士種族、そしてダークトロルやディアボロといった並の戦士では歯が立たない上位蛮族も存在する。
今レゼルヴの視線の先にいる竜人はそんな上位蛮族の一つだ。
竜人はその名の通り竜に似た鱗や爪を持つ人型の亜人。よく蜥蜴人と混同されるが、それは竜人にとっては最大級の侮辱であり、命が惜しければ決して口にしてはならないとされている。
そんな竜人と蜥蜴人との最も大きな違いはその背に生えた翼で、彼らは飛行能力を持つ稀有な蛮族だった。
制空権を持つというだけでも十二分に厄介なのだが、竜人は蜥蜴人などと比べると二回り以上基礎能力が高く、戦士としても一流。
更に竜人の中でも上位種にあたる“角持ち”は、ヒューマンに似た姿を持ち、竜のブレスに似た魔術を操ることさえできると聞く。
ちなみに“角持ち”は下位の竜人や下級蛮族を従える支配階層で“爵位持ち”とも呼ばれており、自らを『真なる竜』と自称している。
レゼルヴが発見したのは、そんな上位種が統率する竜人の一団だった。
数は凡そ三〇弱。現在は滝からほど近い水場のほとりで火も焚かず休息している。こちらに発見されるのを警戒して、というのもあるのだろうが、そもそも夜目が利くので灯りを必要としないのだろう。
──武装からして明らかに奇襲を目的とした部隊。ルート的に砦じゃなくて空を飛んで麓に夜襲をかけようって腹か。一気に麓まで行かずにここで休憩してるのは飛行できる距離に制限があるのか、それともこちらが寝静まるのを待ってるのか……多分、その両方だろうな。
状況を分析し、レゼルヴは『さて、どうしたものか』と悩んだ。
竜人たちは強敵ではあるが、純粋な戦闘力を比較すればオルデン家の兵士たちも負けたものではなく、上位種含め三〇程度なら麓の兵士たちだけでも十二分に撃退は可能だろう。
問題は竜人たちが飛行能力を有しているという点。
空を飛べるということがどれだけの優位かは改めて言うまでもない。剣や槍は上空の敵には届かず、弓で狙おうにも射程や威力が重力によって半減してしまう。逆に竜人たちは空から投石してもよし、火攻めにしてもよし、あるいは敵の弱い部分を狙って上空から急襲してもよしとやりたい放題だ。
父オルデン男爵が出陣すれば投げ槍で一体一体上空の敵を撃ち落としていくことも可能だろうが、そんなやり方では最終的に撃退できたとしてもこちらの被害も馬鹿にならない。
だが一方でレゼルヴが単独で対処可能な相手かというと、それもかなり厳しいと言わざるを得ない。
まず奇襲で範囲攻撃呪文を撃ち込んだとしても、レゼルヴの手持ちのカードでは生命力豊富な竜人相手に一撃で致命傷を与えることは難しいだろう。【幻歩】で間合いを確保しながらコツコツダメージを与えていったとしても、あの数相手では先にこちらの集中力が切れてミスが出る。加えてレゼルヴは今日既に【転移陣】などを使用して上位の呪文使用回数を消費しており、使える呪文に制限がかかっていた。そもそも魔術師の戦いは準備段階で九割方決まっている。このような遭遇戦に近い状況で、戦力に勝る敵とぶつかるのはほとんど自殺行為だ。
──悠長に助けを呼んだり罠を準備する余裕はない。今ある手札でどうにかするしかないけど……
レゼルヴが竜人の一団から数十メートルほど離れた茂みの中に身を隠し、どう動くべきか高速で思考を巡らせている、と──
「──出てこい、鼠」
『!』
爵位持ちの竜人が突然レゼルヴのいる茂みの方へ視線を向け、口を開いた。
その声に反応してレゼルヴより先に配下の竜人たちが警戒態勢に入る。
戦士だと思っていたのにどういう感覚をしているのか、この距離で気配を察知されてしまったらしい。
だがその爵位持ち本人は未だ立ち上がりもせず、無関心そうにレゼルヴのいる方へ視線を向けるのみ。
──逃げるか? いや……
『!』
レゼルヴは茂みの中から立ち上がり、堂々と竜人たちの前に姿を見せた。まだ呪文を駆使すれば逃げることは不可能ではなかっただろうが、そうなればなし崩し的に彼らが麓を襲撃し戦闘に突入してしまうかもしれない。
レゼルヴは武器を構えて立ちふさがる竜人たちに歩み寄り、そして敵が飛び掛かってくるだろう間合いの手前で立ち止まると、すうと息を吸って口を開いた。
「──我が名はレゼルヴ・オルデン。この地を守護するオルデン男爵レイターが息子。貴様らに今更『何用か?』などと問うのは無意味だろうな、侵略者よ」
レゼルヴの堂々たる名乗りに、配下の竜人たちは攻撃してよいものか戸惑い視線を交わし合う。レゼルヴはその視線がチラチラと爵位持ちに向けられていることを見て取り、頭の中で高速で戦術を組み立てつつ言葉を続けた。
「名乗れ、竜の貴種。貴様に一騎打ちを申し込む。蛮族とは言え正統なる竜の裔。まさか戦の作法も知らぬとは言うまい?」
『!?』
その言葉に配下の竜人たちは目を見開き、爵位持ちは少しだけ愉快そうに笑みをこぼした。
「……クハッ」
そしてゆっくりと立ち上がり、配下たちを押しのけて一歩前に出る。
「鼠が。小賢しい──が、竜種たる我に一騎打ちを申し込んだとあっては引くわけにも行かぬ。我が名はゴルディーニ──竜伯爵『輝ける翼』のゴルディーニ。黒王殿の左目を奪ったあの槍遣いの前菜代わりに、その企みに乗ってやるとしよう」
──竜伯爵!? 想像以上に大物、しかもこっちの狙いを一瞬で看破した……!
敵の爵位は想像以上ではあったが、しかしこちらの狙いを見抜かれたこと自体は想定内。
レゼルヴは爵位持ち──ゴルディーニがこちらの一騎打ちに応じ、周囲も横槍を入れてくる気配がないことを確認し、第一段階が成功したことに内心胸をなでおろした。
竜人は自らを竜と名乗っていることからも分かるように、極めてプライドが高い種族だ。故に一騎打ち──しかも自らを竜種と呼ぶ相手からの申し出を断ることはあるまいと思っていたが、これで少なくとも数に任せて襲い掛かられるという最悪の展開だけは回避できた。こちらの狙いを見抜かれていたとしても、その結果は変わらない。
──まぁ、こっちは見るからに貧弱なヒューマンの魔術師。自分一人でお釣りが来るってことなんだろうけど……
あるいは下手に部下を戦わせて本番前に戦力を損ないたくないと判断した、と考えるのは自信過剰だろうか?──レゼルヴはそんなことを考えつつ、長杖を構えて意識を集中させる。
相対するゴルディーニは腕組みして武器を構える様子もない──先手は譲ってやる、ということなのだろう。
お言葉に甘えてレゼルヴは最初の呪文を使用する──ただし、それは攻撃呪文ではない。
「【飛行】」
レゼルヴの身体が勢いよく飛翔──一呼吸で地上一〇メートルほどの高さに到達。それと同時にレゼルヴは次の呪文を発動していた。
「【火矢】!」
──ドドドドッ!!
並の戦士なら反応することも難しい奇襲。初級呪文とは言え一矢で並の蛮族の命を刈り取るに足る威力の火矢が連続してゴルディーニの身体に叩きこまれた。
「……ふむ。悪くはない」
しかし、ゴルディーニの身体は肩に微かに煤がついている程度でほとんど無傷。
「だが、竜の裔たる我に火は効かぬ。我を燃やしたければ地獄の業火でも持ってくることだな」
流石にそれは見栄だろうが、ゴルディーニが炎に強い耐性を持っているのは確かなようだ。レゼルヴは手札が一つ使えなくなったことに内心舌打ちしつつ──
「──どれ、次は我の番だ」
「!?」
先ほどのレゼルヴの飛翔に倍する速度で目の前に現れたゴルディーニに、レゼルヴは目を見開く。
ゴルディーニはその鋭い爪を振りかぶり、驚愕で動きの止まったレゼルヴの身体を容赦なく引き裂──
──シュン!
「!?」
いきなりレゼルヴの姿が目の前から消え失せ、今度はゴルディーニが目を見張る。
次の瞬間、無防備な背中を何者かに蹴りつけられたゴルディーニはバランスを崩し、空中で一回転して何とか体勢を立て直した。
蹴りの主は勿論レゼルヴ。視界内の短距離転移を可能とする【幻歩】で背後に回って蹴りつけたのだ。
だがレゼルヴも呪文を使って追撃する余裕はなく、そもそも【飛行】を維持しながらでは精神集中不要な低位の呪文を使うので精一杯。体勢を立て直すべく、高度を上げてゴルディーニから距離を取った。
「──カハッ! よい。鼠ではあれ、噛みつく牙は持っていたということか」
一方、足蹴にされたゴルディーニは怒ることなく、むしろ楽しそうに口持ちを吊り上げ、その大きな翼をはためかせてレゼルヴを追跡する。
レゼルヴはぐんぐん近づき大きくなるゴルディーニの姿を背後にチラと見やり、更に上昇を続けた。
──あの飛行速度は翼だけでどうにかなるもんじゃない。明らかに何らかの魔力が作用してるな。となると最高速だけじゃなく機動力でも勝ち目はない、か。
地上で短距離転移を駆使して攪乱した方がまだ勝ち目があるだろう──しかし敢えてレゼルヴは不利な空中戦を挑んだ。
──手札の切り合いじゃ勝負にならない。付け入る隙があるとすれば、それは敵の知性の高さと経験値……!
レゼルヴが向かう上空には、月明かりを隠すように厚く暗い雲が浮かんでいた。




