第55話
「何で前みたいに空飛んで行かないんですか?」
前線の砦へと向かう険しい山道を、メルがぶつくさ文句を言いながら先導する。
「……この前、目立つなって言ったのは、君だろう?」
その後を徒歩でついて行きながら、レゼルヴが反論。この辺りはかなり勾配が厳しく道も荒れていて、余程熟達した者でなければ馬で移動することは難しい。
「言ったのは奥様ですよ~。それに物理的に目立つなって意味じゃありません~」
「……同じ、ことだよ。空から、呪文で到着とか……向こうからしたら、アピールしてるようなもの、だろ?」
「だとしても、わざわざ非効率な移動手段を選ぶ必要はないと思いますけどね~」
「……我儘、言わない」
「……あのですねぇ──」
メルは立ち止まり呆れたように振り返ると、
「あたしが自分が楽したくてそんなこと言ってるみたいに言うのやめてくれます? あたしは、バテバテでヘロヘロのレゼ様のために言ってあげてるんですよ?」
「…………くっ」
すっかりへばって荒い息を吐きながら杖をつくレゼルヴは、メルから一〇メートル近く引き離された後方で悔しそうに呻いた。
レゼルヴがオルデン領に帰郷し、メルが彼の部下となって三日目。
二人は今日、領内の前線基地の視察に赴いていた。
表向きも目的は物資の保管状況の確認や更新が必要な設備の有無などの確認。
ただレゼルヴもそうした兵站に関しては分からないことが多く、一度見ただけで現場の状況を正しく把握できるとは考えていない。また視察に合わせて現場が多少なりとも化粧をしている可能性もあった。
故に、今日の目標は現場との顔つなぎと意思疎通。後は適当な人材がいれば……
「レゼ様、背だけはヒョロヒョロ高くなったのに、体力は前より落ちたんじゃありません?」
「…………」
地面に腰を下ろし、木陰で休みながらレゼルヴは返す言葉もなく息を整えることに専念した。
実際、ヴァイスベルクでは魔術の修行や研究、件のプロジェクトのフォローなどに忙殺されインドア生活を送っていた。瞬発力はまだしも持久力においては、田舎暮らしをしていた五年前より衰えているのは否定しようのない事実だった。
やむを得ないことではあったが、まったく疲れた様子のないメルの呆れ果てた視線が痛い。
「まったく、仕方ないな~」
反論する気力もないレゼルヴの様に弄る気を失い、メルは自分も地面に腰を下ろして休憩に入る。
そして暫くは黙って周囲を警戒していたが、すぐに退屈して話しかけてきた。
「……そう言えば、レゼ様って学院に籍が残ってて、今後も仕事のためにヴァイスベルクに行くことがあるって話でしたけど、次にあっちに行くのはいつなんです?」
「え? どうだろ……今のところはまだ決めてないかなぁ。暫くはこっちに慣れるのに専念しようと思って、戻ってくる前に溜まってた仕事は片づけてきたから、今月中は戻らなくても何とか──」
少し頭に酸素が回るようになって、レゼルヴは少し考えながら応じる。
しかしそれに対するメルの反応は予想外のものだった。
「えぇ~? 何か凄いプロジェクトの責任者とかやってて忙しい筈だってクソ親父から聞きましたよ? こっちの引継ぎなんてどうせ急ぎじゃないんだし、そっちを優先した方がいいんじゃないですか?」
「いや、事務的な取りまとめを手伝ってただけで、責任者って訳じゃ──」
「でもでも、忙しいのは事実なんでしょう?」
「……少し前まではね。今はもうプロジェクトも軌道に乗って、ほとんど私の手を離れてるよ。後はどれだけ効率よくスキームを広められるかって段階だから、忙しいのは商人やら広報、技術指導担当の人間ぐらいじゃない?」
ソフィアなどは今もそうした部分の調整役として忙しくしているが、この段階までくれば求められるのは細かい数字ではなく彼女の辺境伯の娘としての立場。レゼルヴが手伝えることはほとんどない。
「じゃ、じゃあじゃあ! 転移呪文を使ってヴァイスベルクとウチを結ぶって計画の方はどうなんです? それは当然、レゼ様が行かないわけにはいきませんよね?」
「それは、まぁ──」
言いかけて、レゼルヴはどうしてメルが自分をヴァイスベルクに行かせたがるのかと首を傾げた。
自分がこちらにいたらメルが休めない──というのはないだろう。自分がいようがいまいが彼女は間違いなく勝手に休むし堂々とサボる。となると考えられることは──
「……先に言っとくけど、メルをヴァイスベルクに連れてくのは当面難しいと思うよ」
「何で!?」
「……やっぱりそれが狙いか」
「やっぱりって何!? いやそれより何で!? 何であたしがヴァイスベルクに行けないの!? まさか留守番!? あたしたち、たった二人のバディじゃないですか!! どんな時も一蓮托生だって誓ったばかりでしょう!!?」
「そんな誓いを立ててくれてたとは知らなかったな。昨日私が書類仕事をしてる間中、ソファーで熟睡してた君からそんな感動的なセリフが聞けるとは驚きだよ」
「論点をずらさないで下さい!! 今問題なのはどうしてあたしがヴァイスベルクで優雅な都会の休日を過ごせないのか、ってことで──!」
「今、休日って言ったな?」
「……仕事はしますよ? でも仕事が終わった後は自由時間! 若い男衆も人材交流にかこつけて都会で遊んで来たって自慢してたし、あたしも遊びたい!!」
堂々と言い切るメルにレゼルヴは天を仰いで嘆息。
彼女の言い様はアレだが、実際ヴァイスベルクへの使節団に参加を希望する連中の大半は都会で遊ぶことが目的だし、女性兵士であるメルは運用上そこに加われない。ならば上司に同行して、という発想は分からなくもなかった。普通ならメルを同行させても構わないのだ──が、今は少しタイミングが良くない。
「ねぇ、何で!? 何であたしは都会に行けないの!? 田舎の芋臭い小娘はお断りですか!? これでも意外と胸はあるんですよ!?」
「君の中じゃ都会ってのはどんな巨乳好きのチャラ男集団でどれだけ爛れた休日を過ごすつもりなんだ?」
レゼルヴの腕にしがみついて連れてけと駄々をこねるメルに、彼は淡々と今は彼女を連れて行くことが難しい理由を告げた。
「別に連れていかないとは言ってない。当面は難しいと言ってるんだよ」
「……どういう意味ですか?」
「辺境伯から指揮官級の人間を派遣して欲しいって要請があったって話は教えただろう? 父上はまだその件でヴァイスベルクに残ってるし、母上も条件交渉のために近い内に向こうに行く予定だ。だから向こうとの行き来は当面その辺の都合に合わせてってことになるんだけど、そんなところに特に役割があるわけでもない君が同行したらものすごく目立つじゃないか。自由時間だからって遊んでるところを目を付けられでもしたら、君だけじゃなく兵士全体の締め付けが厳しくなるかもしれない」
「うぐ……」
メルは自分のせいで若い兵士たちがヴァイスベルクで羽目を外せなくなり、自分が恨まれる展開を想像して顔を歪めた。
レゼルヴはそんな彼女の様子に表情を緩めて続ける。
「別にずっと駄目だとは言ってないだろ? 状況が落ち着いたら二人で行こう。その時は観光案内ぐらいは引き受けるよ」
「むぅ……約束ですからね?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『グォォォォォォッ!!!』
体長一〇メートルほどの巨大な蜥蜴がすさまじい速度で木々をなぎ倒しながら、目の前に立ちふさがる人影を叩き潰そうと突進する。
その突進速度は蜥蜴──地亜竜の巨体もあり、人間どころか並の軍馬の最高速度さえ上回っていた。
到底人間の力で太刀打ちできる存在ではなく、それを目撃した者は人影が為す術なく肉体を砕かれ吹き飛ばされる光景を幻視する。
「──遅い」
しかし、その人影は尋常な人間の枠に収まるモノではなかった。
『!?』
動体視力にも優れた地亜竜が一瞬その姿を見失うほどの速度で横っ飛び──すれ違いざまにその右足を切りつける。
──ザシュッ!!
『グギャァァァッ!!?』
矮小な人間の攻撃で固い鱗に守られた竜種の足が半ばまで切り裂かれ、地亜竜は悲鳴を上げて突進の勢いのまま地面を転がった。
無敵の存在だと思っていた己が傷つけられるあり得ない事態。しかし地亜竜は残る三本足ですぐさま体制を立て直し、長い首を巡らせて自分を傷つけた矮小な敵に殺意と警戒の籠った視線を向ける。
「……ふむ。一撃で斬り落としたつもりだったが、少し斬線がズレたか?」
それは長く巨大な剣を持つ戦士だった。
ツヴァイハンダー──東方では長巻とも呼ばれるその巨大な剣は、柄を通常より長く確保し取り回しをカバーしていたが、常人では振るうどころか持ち歩くことさえ困難な代物。
そんな異様な武器を軽々と肩に担いだ戦士は、戦闘中とは思えない冷めた声音で呟く。
「……視線を意識して逸るとは、俺もまだまだ未熟」
地亜竜には人の言葉が分からない。その戦士が何を言っているのか理解できない。
だが、その矮小な生き物が、自分を舐めているという事実だけは、言葉の意味が分からなくとも理解できてしまった。
『グ、グォォォォォォォォォッ!!!』
怒りの咆哮が、ビリビリと物理的な威力を伴って戦士の肌を打つ。
地亜竜は目を血走らせながら戦士に向けて再度突進──足が傷ついており先ほどより速度は落ちているが、それでも人が走るよりは遥かに速い。
怒りで頭に血が上っていても、地亜竜の身に宿る戦闘本能は彼女にこの状況における最適な戦闘行動を選ばせた。
先ほど戦士の姿を見失ったのは、戦士の速度や技術もあるが、地亜竜自身が速度を出し過ぎていたことが大きい。今度は先ほどのように勢い任せに叩き潰そうとはせず、戦士を自分の間合いに収めると、視界を十分に確保したまま左前足を彼目掛けて叩きつけた。
──ドゴォォン!!
地亜竜の筋力と重量をもって放たれたその一撃は、並の戦士では腕が消えたようにしか見えない高速で、地面に深さ一メートル近いクレーターを穿つ。
しかし戦士はその人の反応速度を超えた攻撃を、地亜竜の予備動作を見抜き、横っ飛びして回避。
即座に反撃に移ろうとする──が、それを見抜いていたかのように横から巨大な尻尾による薙ぎ払いが戦士を襲った。
攻撃は戦士の着地とほぼ同時。回避できるタイミングではない。
──斬ッ!!!
『!!?』
巨大な尻尾が半ばから断ち切られて宙を舞い、地亜竜が悲鳴を上げることも忘れて絶句する。
「──うん。今度は上手く斬れた」
そして次の瞬間、地亜竜のほんの僅かな硬直、隙とも言えないほんの僅かな意識の空白をついて。
────
『…………?』
──ズル……ズ、ズシャァァァァン!!
地亜竜は己が斬られたことにも気づかないまま、その頭部を半ばから両断されて地面に崩れ落ちた。
「…………何、あれ?」
そしてそんな神話の英雄譚のごとき戦いを少し離れた場所で目撃した魔術師は、ポカンと口を開けて間の抜けた呟きを漏らすことしか出来なかった。




