第5話
レゼルヴが二人の冒険者と知り合い、魔術の指導を受ける約束したその日の夜。
オルデン男爵家では遠方から祖父母の来訪を受け、久方ぶりに家族揃って食卓を囲んでいた。
「ベルタ。私たちがいるからといって無理をせずとも良いのだぞ?」
「そうよ。それにもう少し消化にいいものを食べた方がいいのではなくて?」
心配そうに声をかけたのは祖父母であるエルツ前子爵夫妻。
祖父のハロルドは元財務官僚らしいピシリとしたいで立ちの老紳士で、白髪がかなり混じってはいるがその金髪碧眼の面立ちは母とよく似通っていた。
祖母のターシャは逆に貴族令嬢がそのまま年齢だけを重ねたような女性で、その黒髪は五〇歳を超えた今も瑞々しく艶めいている。
レゼルヴは四年前に一度彼らに会っているそうだが、正直全く記憶にない。
「病気でもないのに大袈裟よ。それに少しは動かないとかえって身体を悪くしてしまうわ」
呆れた様子で返したのはレゼルヴの母ベルタ。言葉だけを聞けば元気そうだが、その顔色は決して良くはない。普段は家中でも丁寧に結い上げている長い金髪が今は背中にだらりと垂らされており、無理をしているのだろうな、とレゼルヴは無言で顔を顰めた。
「…………」
そんなやり取りが交わされる中、ホストであるオルデン男爵レイターは親子の会話に口を挟むことなく静かに食事を続けている。
元々無口な質ではあったが、妻が身重となってからは余計にその傾向が強くなり、仕事を理由に食事を別にすることも多くなった。レゼルヴは父と会話どころか丸一日顔を合わせないことも珍しくなく、彼がいったい何を思っているのかまるで分からずにいた。
「母様。お爺様たちが仰っている通り大事なお身体なのですから、あまり無理はなさらないで下さい」
そんな父に代わってではあるまいが、兄のシュヴェルトが話の間を取り持つ。
食事の席は祖父母と母が近況について雑談を交わし、時折兄がそこに加わる形で和やかに進んだ。父は時折「ああ」とか「うむ」とか反応するのみだったが、祖父母は武人とはそんなものだと理解しているのか特に気を悪くした様子はなかった。
「…………」
そんな中、レゼルヴは一人、何とも言えない居心地の悪さを感じ沈黙していた。
彼は特別人見知りというわけではなかったが、今日の主役である祖父母から話をふられることもなく、話に割って入るのも何か違う気がして会話の糸口を掴めずにいた。
いや、それは言い訳でしかないのだろう。現に兄は自分から積極的に会話に参加しているし、普段のレゼルヴならそれができた。
詰まるところこの時レゼルヴは祖父母に対して負い目を感じていたのだ。自分が貧弱で兄のスペアとして不適格なせいで、母──貴方たちの娘は命を危険に晒さなくてはならなくなっているのです、と。
実際には誰もそんなことは考えておらず──幼子でしかないレゼルヴに対しそんな期待も失望もありはしないのだが、彼はすっかりそんな加害妄想に囚われていた。
一方、祖父母も孫に関心がないわけではなかったが、やはり今一番気になっているのは娘。レゼルヴに対しては「人見知り」なのだろうと考え、無理に話しかけようともしなかった。
黙々と食事をしていたレゼルヴが一足先に夕食を食べ終え、先に退室させてもらおうかと考え始めたタイミングで話題の中心が母から兄シュヴェルトへと移る。
「ほう! シュヴェルトはもう一人で馬を乗りこなせるのか」
「ベルタは運動がてんで駄目だったから、そこはやっぱりお父様の血筋ねぇ」
兄は既に大人たちに交じって本格的な訓練を受けている。まだ身体が出来上がっていないにも関わらず、鎧なしの木剣を使った模擬戦では若手相手に勝ちを拾うことも増えてきたのだとか。
「乗りこなせるというほどでは。槍を持つとどちらか片方に意識がいってしまって……まだまだ練習不足です」
「いやいや、大したものだ。立派な跡取りを持って男爵家も安泰だな、婿殿」
「……はっ」
祖父の称賛に父は言葉少なく答えるが、その口元が微かにほころんでいるのをレゼルヴは見逃さなかった。
「レゼルヴの方はどうなの? この子もお父様からお稽古を受けてるのでしょう?」
「!」
話題が自分の方に飛んできて、レゼルヴは早く逃げておけば良かったと判断の遅さを後悔した。彼が答えるより早く、父が口を開く。
「レゼルヴはまだ身体が小さいので訓練には参加させていません」
「あら~、そうなの? でも確かお兄ちゃんは五歳から訓練に参加していたのではなくて?」
邪気の無い純粋な祖母の疑問がレゼルヴの胸に刺さる。
「これ、ターシャ」
「え? だって──」
「シュヴェルトは例外です。この子は特別成長が早くセンスにも恵まれていたので」
「そうよお母様。それにレゼルヴはとても頭が良いの。まだ七歳なのに初等学校で教わる内容は一通り済ませてるんだから」
父と母がフォローし、祖母が感心したように頷く。
「そうなの? それは凄いわね~」
一瞬、ホッとした空気が流れるが、続く祖母の言葉で再び場に緊張が走った。
「そんなに賢いならウチの長男の所に生まれてくれれば丁度良かったんだけど、中々上手くいかないものね~」
「これ!」
祖母は失言に気づくことなくニコニコと続ける。
「レゼルヴも、オルデン家の男子なのだからお兄ちゃんを見習って武芸の方も頑張らないとね?」
「…………はい」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ウガァァァァァァァァァッ!!!」
翌日。昨日と同じ今は使われていない炭焼き小屋の裏のスペースで、レゼルヴは猛り狂い地団駄を踏んでいた。
「…………何あれ? どうしたの?」
「気にしないで下さい。ちょっと早い思春期なんです」
その光景を少し離れた場所から眺めているのは昨日出会った冒険者の女魔術師ミラと、従士の娘メルだ。
人目も気にせず暴れるレゼルヴにミラは呆気にとられるが、メルは見慣れた光景なのか落ち着いている。
「多分、何か家族絡みでコンプレックスを刺激されるような出来事があったんだと思いますよ。レゼ坊ちゃんってコンプレックスの塊のくせして結構見栄っ張りなので、何かあるとよくこんな感じで壊れるんです」
「あ~……」
「本人がいる前で解説しないでよ!!」
その物言いにレゼルヴが抗議するが、メルは半眼で冷静に言い返す。
「そう思うなら人前で壊れないで下さいよ」
「ぐぬ……っ」
返す言葉もない。
「ウガァァァァァァァァァァァッ!!!」
「あ。また壊れた」
「逃げましたね」
結局その後レゼルヴは更に三分ほど猛り狂い、溜まった鬱憤を吐き出し続けた。
「──さ。それじゃ早速指導をお願いします」
「いや、そんないきなりキリッとした顔で言われてもついてけないんだけど」
唐突に冷静に戻ったレゼルヴの切り替えの早さに、ミラが呆れて溜め息を吐く。
ミラは昨日の約束を守り、早速レゼルヴに魔術の指導をする為の時間を作ってくれていた。ちなみに昨日一緒にいた戦士のタロンは、今日はオルデン家の従士たちとの顔合わせを兼ねて訓練に参加しているため不在だ。
「何からいきましょうか……うん、そうね。まず最初に、今貴方が使える魔術について教えてくれる?」
「……使えるって言っていいのかは分からないけど、覚えたのは【光】【火矢】【魔法の手】の三つ──全部初級呪文だよ」
「上等上等。【火矢】は昨日見せてもらったし、他の二つを使って見せてちょうだい」
ミラに促されレゼルヴは覚えている呪文を使ってみせた。
ただし、本来一度使えば一時間は光り続ける筈の【光】は集中していなければすぐに消えてしまう不安定なもので、術者から一〇メートルまでの距離で五キロ前後の物を持てるとされる【魔法の手】は距離も重量もその五分の一ほどが限界だった。
情けない結果にレゼルヴが恥ずかしそうに眉尻を下げてミラを振り返ると、彼女は納得した様子で頷いていた。
「なるほどね。やっぱり癖がついちゃってるわ」
「癖?」
「そう。貴方、初級呪文も口述詠唱経由で習得しちゃったんじゃない?」
「? 経由も何も、呪文って言うからには詠唱を覚えて、そこから無詠唱に切り替えてくもんじゃないの?」
「そこが間違いなんだな~」
首を傾げるレゼルブに、ミラはフフンと笑い人差し指を立てて解説を始めた。
「そもそも、初級呪文と正式呪文の違いは理解してるかしら?」
「初級呪文はリソースを使わずに何度もでも使える簡単な呪文で、正式呪文は使用するとリソースを消費するから一日に使える回数が限られてる呪文──でしょ?」
「うん。間違いじゃないわ」
レゼルヴの説明は一般人の魔術に対する理解としては及第点。ミラはそれにいくつか補足した。
「より正確に言うと初級呪文は呪文とは呼ばれてるけど、実際には魔力操作の応用なのよ。だから本来どの初級呪文も詠唱は必要なくて、念じるだけで使うことができるの。詠唱は後付けされたもの、って言った方が分かりやすいかしら」
「? でも、教本にはちゃんと詠唱文が載ってたよ?」
「だからそこは順番が逆なのよ。初級呪文を使うために詠唱文が載ってるんじゃなくて、初級呪文を覚えた後に正式呪文を習得する練習のために詠唱文が載ってるの」
「???」
「えっとね──」
ミラの説明を噛み砕いていうと、つまりこういうことだった。
魔術師は魔力操作の感覚を覚えるため、最初に初級呪文を習得する。この際、普通の魔術師はまず無詠唱で呪文を習得し、それから初級呪文を詠唱付きで使用することで、正式呪文のための感覚を養うというのが正規の流れなのだそうだ。
つまり初級呪文は「詠唱→無詠唱」ではなく、いきなり「無詠唱(魔力操作)」で完結しており、詠唱はその次につなげるトレーニングのためのもの。
レゼルヴは先に詠唱から入ってしまったため、魔力操作の感覚が疎かになってしまっている、というのがミラの説明だった。
「……なるほど」
「この癖を修正するには……コレを使います」
そう言ってミラが取り出したのは硝子製の薬瓶。
「それは?」
「理性を少しだけ麻痺させて疑似的な瞑想状態に入るための薬よ。これを服用した状態で初級呪文を練習してもらいます」
「それってヤバイ薬なんじゃ……」
「用法容量守ってりゃ大丈夫よ。少なくとも、おたくの兵士が戦場でガブ飲みしてる霊薬よりはずっとマシ。飲んだだけで怪我が治るなんて生理学を無視したイカレタ効果の代償に比べれば医療用麻薬なんて可愛いもんよ」
「…………」
かえって不安をかきたてられる言葉と共に薬瓶を受け取り、レゼルヴは顔を顰めた。
彼はしばし飲むのを躊躇っていたが、ミラたちの身元は確かだし雇用主の孫に毒を盛ることはあるまいと、覚悟を決めて薬を呷る。
「────!」
いざ飲んでみれば何ということはなく、すぐにレゼルヴは自分がいったい何を怖がっていたのか馬鹿馬鹿しく感じていた──その精神状態こそが薬の効果なのだが、それを理解するための理性は麻痺している。
──あれ? あの子ちょっと薬が効きすぎてない──って、ヤバ。身体が小さいから、あの三分の一ぐらいで十分だったかも……
そんな呟きが聞こえた気がしたが、耳を素通りして何も気にならなかった。
「あ~……そろそろ練習を始めていいわよ。【火矢】や【魔法の手】は暴発のリスクがあるから、最初は【光】からね」
「…………」
レゼルヴは言われるがまま意識を集中させて呪文の練習に取り掛かった。
「へぇ……やっぱりセンスは悪くないわね」
自分で言っておきながら早速用法容量を間違え焦っていたミラは、しかしすぐに完璧な【光】を使用するレゼルヴの姿に感心した声を漏らした。
普通、薬を使っても正しく初級呪文を使えるようになるには三、四日はかかるのだが、レゼルヴは一度で完全に癖を修正している。薬の量を増やせばいいというものではないし、これは彼のセンスと今まで積み重ねた修練の賜物だろう。
「…………」
と、先ほどの呟きが聞こえたのか半眼でこちらを睨んでいるメルに気づき、ミラは誤魔化すように話をふった。
「あ。そういえば、あの子に魔術を教えた先生ってどんな人なの?」
「…………」
「せっかくセンスがあって頭も良さそうなのに、こんな中途半端な状態で放り出すなんて何か事情でもあったのかな~、なんて……」
「…………」
「え~っと……」
「……先生なんていません。坊ちゃんの魔術は全て独学ですよ」
溜め息まじりの回答。ミラの脳がその言葉の意味を理解するのにしばしの時間を必要とした。
「…………え? 独学? 冗談でしょ?」
「冗談じゃありません。こんな危険な辺境の弱小貴族に好き好んで雇われる魔術師なんている訳ないでしょう」
いたとしても子供の世話するような暇はありませんよ、と続けるメルの態度に、その言葉が真実だと理解する。
「指導者なしで、これ……?」
ミラが一体何に驚いているのか、素人のメルには理解できない。
ただ一つだけ、ずっとレゼルヴを見てきたメルだからこそ分かることがあった。
「……レゼ坊ちゃんは、ああ見えて根気と執念深さは人一倍ですから」
薬で理性が麻痺している筈の少年の瞳は、しかしその状態でなお『必ず認めさせてやる』との野心の光に爛々と輝いていた。




