第99話
最終話。
「うぅ~……さっぶ」
冬の早朝。まだ太陽は山の向こう側に姿を隠したままで、稜線に沿って仄かに紫の光が滲み始めた時刻。レゼルヴは外気の寒さに身体を震わせ、おぼつかない手つきで外套の紐を締めなおす。白い吐息が暗闇の中に浮かんでは消え、見慣れている筈の景色はどこか幻想的な雰囲気を漂わせていた。
長年暮らした屋敷を裏口から出て一度だけ振り返る。感慨のようなものがないではなかったが、正直あまり実感がなく、やけにふわふわした心地だった。
「…………」
後ろ髪を引かれそうになる自分を振り払い、踵を返して歩き出す。
杖をつき、情けない足取りでも一歩、一歩と──
「我々に一言もなく出ていくつもりですか?」
そんな彼の前に、門扉の影から現れた二つの人影。
一人は今やオルデン家にとって欠くことのできない文官へと成長したマッシュ。
「……全く、水臭いというか面倒くさいというか」
もう一人は幼い頃からの友人で現在は冒険者ギルドの長としてオルデン領を支えてくれているノームのブッチ。
予想していなかった二人の姿にレゼルヴは目を丸くして驚き、そして苦笑した。
「……別に見送りなんて良かったのに」
「こういうのは君の都合じゃなく、送る側の気持ちに区切りをつけるためにあるんだ。ひっそり仕事辞めたい若者みたいなこと言ってないで、素直に送られな」
ぶっきらぼうなブッチの言葉に苦笑を深め、レゼルヴは二人の横を通り再びヨロヨロとした足取りで歩きだす。
マッシュとブッチはそんなレゼルヴをいつでも支えられるよう、左右に分かれてゆっくりとその後に続いた。
「……気づかれてないと思ったんだけどなぁ」
「冗談でしょう? あれだけ準備万端引継ぎを済ませておいて」
「全くだ。僕に言わせればむしろアピールし過ぎなぐらいだね」
ぼやいた言葉に二人から即座にツッコミが返ってくる。
確かに二人の言う通り、彼らには立場上色々と引継ぎやお願いをした。ただそれは、自分が使い物にならなくなったからだと解釈してくれるものと思っていて、まさかこうして見抜かれているとは思わなかったのだ。
「……家族には挨拶しなくていいのかい?」
「いいさ。父上と母上には言わなくても伝わってる。兄上たちは──言うと面倒くさそうだからね」
「まったく……」
薄情ともとれるレゼルヴの態度にブッチは呆れて溜め息を吐くが、その判断を否定することはなかった。
──ヨロ……
「……っと」
体勢を崩しこけそうになったレゼルヴを、マッシュが慌てて支える。
「大丈夫ですか?」
「……ごめんごめん。ちょっと足元が暗くてね」
「出立はもう少し回復を待ってからでも良かったのでは?」
「そういう訳にもいかないさ。長居すると余計皆の不安を煽ることになるし、何より療養したからどうなるってものでもないからね」
『…………』
三か月前の竜人とアンデッドの軍勢によるオルデン領襲撃の際、兄シュヴェルトを庇って重傷を負ったレゼルヴは、ソフィアたちの懸命な治療の甲斐あって一命こそ取り留めたものの、その身体には大きな後遺症が刻まれていた。
切り裂かれた左腕と右足には障害が残り、走ることはおろか杖をつかなければ歩行もままならない有様。限界を超えた呪文行使により魔眼となっていた右目は弾け飛んで失われ、神経系にもダメージが残って眩暈や吐き気が絶えなかった。
細々したことまで言い出せばキリがないが、特に問題視されたのは生殖機能がダメージを受けていて回復するかどうか怪しい、という点。これは貴族家の次男として、血を繋ぐスペアとしての役割を期待されていた者として致命的だった。
「……だからって、別に出ていく必要はないだろうに」
「そういう訳にはいかないさ」
思わずブッチの口から漏れた言葉を、レゼルヴはかぶりを横に振って否定する。
「こんな障害持ちが後継者候補として家に残ってたら皆の不安を煽ることになるからね。かといって継承権を下げるだの剥奪するだのと言い出せば兄上が騒ぐのは目に見えてる。結局、私が自発的に出ていくのが一番丸く収まるやり方なのさ」
『…………』
ブッチとマッシュは顔を顰めはしたが、レゼルヴの言葉の正しさを認めて何も言い返しはしなかった。
戦争が小康状態となりオルデン領の復興が進む中、両親はレゼルヴに対し内々に継承権の剥奪を宣告した。
子供が作れるか怪しいレゼルヴが貴族の後継者候補として不適格であることは間違いない。そして身体に障害が残りまともに歩くこともできない者に家を継ぐ可能性があるというのは、家臣たちにとっては不安でしかないだろう。三男のライゼがいる以上、スペアとしてレゼルヴを残すことはもはやデメリットの方が大きかった。
そしてその判断を両親が今日まで公にせず内々の話としていたのは、言えばシュヴェルトが反対するのが目に見えていたから。
だから両親はレゼルヴに継承権剥奪の事実だけを告げ、暗に彼が自発的に家を出ていくように促したのだ。
両親の立場や苦しい胸の内は分かっていたし、レゼルヴに彼らを恨む気持ちは全くない。
ただ、苦しい決断をさせてしまい最後まで親不孝な息子だったな、と。
その後レゼルヴは傷の治療につとめながら、自分が出ていった後のことを考えて出来る限りの引継ぎと準備を済ませ、今日旅立ちの日を迎えた。
あれもこれもと準備し過ぎた結果、最も引継ぎ事項が多かったこの二人にそのことを見抜かれたのは──改めて振り返ってみればやむを得ないことだったのかもしれない。
「全く……面倒なところは結局僕らに押し付けて行こうってんだから酷い話だ。こんなことになると分かってれば、君の口車に乗ってギルド長なんて厄ネタ引き受けやしなかったよ」
「はは、ごめんよ」
騙されたと冗談まじりの不満を吐露するブッチに、レゼルヴは苦笑いして素直に謝罪する。
「まぁでも、忙しいのは多分復興がすむまでの間だけだよ。今回の一件で学院もかなり危機感を煽られたみたいだからね。戦争への直接参加はないにせよ、転移網の運行とかインフラ整備とか、かなりの部分で協力を約束してくれてる。私が抜けても大きな支障はない筈だよ」
「……ふん。そうは言っても結局その辺りの調整は僕らに丸投げだろう? 馬鹿みたいな仕事量を積み上げといて支障がないとはよく言えたもんだよ」
「全くです」
ブッチとマッシュの文句に返す言葉もなく、レゼルヴは黙って彼らの文句を聞きながら暗い道を歩き続ける。
暫く進むと、集落の入口へと続く道の途中に、馬に乗った小柄な人影が立ち止まってレゼルヴを待っていた。
レゼルヴはそこで立ち止まり、見送りに来てくれた二人と別れの言葉を交わす。
「──それじゃ、この辺で」
「……うん」
「どうぞ、お身体には気を付けて」
けれどレゼルヴの足は重く、名残を惜しむように言葉を重ねた。
「……その、もし何か困ったことがあったら、学院のミリアルデ導師に連絡をとって欲しい。彼女にはいくつか貸しがあるから、私の名前を出せばきっと助けになってくれるはずだ」
『────』
ブッチとマッシュは顔を見合わせ苦笑する。
「──全く、一人じゃまともに歩くことも出来やしないってのに、人のこと心配してる場合かよ」
「こちらは大丈夫ですから、これからはご自分の心配をなさってください」
彼らは知っている。
目の前の少年が、彼にとっては決して恵まれているとも自由とも言えない立場に生まれ、それでもずっとその役割を全うすべく走り続けてきたことを。
そして今、彼はようやくその枷から解放された。
これからは自由に、彼自身のために生きる番だ。
「──ありがとう。それじゃ、行ってきます」
そう言って少年は歩き出す。
決して速いとは言えない足取りで、けれど決して振り返ることなく。
暗く、険しい、先の見えないその道行を、朝日が淡く照らしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから一〇年以上の月日が流れた。
オルデン男爵家は新当主に代替わりし、男爵夫人や優秀な部下、領民たちの助けもあり、かつてないほどの発展を遂げていた。
けれどその繁栄を否定するかのように蛮族たちが大攻勢を仕掛け、オルデン領は再び戦火に見舞われる。
当主、前当主を含めた戦士たちはその総力を以って迎撃に向かうが、蛮族の大軍はオルデン領の精鋭を以ってしても完全に食い止められるものではなかった。
蛮族たちの軍勢の一部が戦線を突破して集落に近づいていると聞き、領民たちは浮足立つ。
「落ち着きなさい!!」
それを一喝したのが、賢妻として領民たちから慕われる男爵夫人。
「女子供は避難を。戦える者は槍を持って敵を食い止めるのです。耐えていれば必ず御屋形様たちが戻ってきてくださいます!!」
男爵夫人の檄に領民たちは落ち着きを取り戻し、蛮族たちを食い止める武器を手に取る。
『!!!』
しかしそんな彼らが目にしたものは、想定を遥かに超える蛮族たちの大軍勢。蛮族たちの策略により前線の軍は完全に裏をかかれ、本拠地への急襲を許してしまっていた。
男爵夫人でさえ、その圧倒的な戦力差を前に言葉を無くして立ち尽くす。
──そんな時だった。
「? あれは……?」
誰かが天を指さす。
『!』
宙を裂く、無数の流星。
彼らが見ている目の前で、星は大地へ──蛮族たちへと降り注ぎ、瞬く間にその大軍を蹂躙していく。
『…………』
数十秒ほどの嵐の後、残されていたのは壊滅状態に陥った軍の残骸だけ。
突然の出来事に呆気にとられ、領民たちは言葉を失う。
そんな中、男爵夫人を始めとした数名の者たちは誰かを探すように辺りを見回していた。
「!」
男爵夫人が少し離れた小高い丘の上に、見覚えのある人影を見つける。
それは寄り添うように一頭の馬に跨った、大小二つの人影。
彼らは一度だけこちらに視線を向け、そのままゆっくりと丘の向こうへと姿を消していった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
物書きの端くれとして、どんな形であれ、読んでくださった方がいるということ以上の喜びはありません。
それではまた、どこか別の物語でお会いしましょう。




