第98話
戦場に鮮血と土埃が舞ったその瞬間を、剣を振るいながらシュヴェルトはどこか他人事のように感じていた。
彼の放った斬撃がルーカスの胴を袈裟斬りにする。致命傷を与えたとは思うが、意識はそぞろで確実に殺したという確証は持てなかった。
そのルーカスの横で、敵と鏡合わせのように弟の身体から血が噴き出している。血の勢いがあまりに激しく──あるいは単純に直視できず、胴が繋がっているのかどうかさえシュヴェルトには判別がつかなかった。
「────」
シュヴェルトは真っ白になった頭で、せめて弟の与えてくれたこの機会を逃してはならないと、ルーカスに止めを刺そうと長剣を振りかぶる──
「ざ・ぜ・る・が・ぁ!!!」
「!?」
しかしその攻撃は、延髄を矢で貫かれ死んだと思われていたレーターが身代わりとなって防いだ。更にその隙に、左腕を斬り落とされ戦線離脱していたドロテアがルーカスの身体を抱えて戦場を離脱する。
シュヴェルトはそれを追いかけようとしたが──
「ルーカス様をお守りしろっ!!!」
「させるか!! 若様を守れ!!」
そこに砦を攻めていた竜人の雑兵たちが主を守ろうと割って入り、駐留部隊の者たちがそれを追いかけて乱戦に突入する。
その一瞬でドロテアはもはや手が届かないほど高くに舞い上がってしまい、シュヴェルトにはそれを追う手段がなかった。
「~~~~っ」
取り残されたシュヴェルトは、残された味方を一人でも無事に生還させるため、あるいは八つ当たりのように、竜人たちに向けて剣を振るう。
崩れ落ちる弟から目を逸らし、その身を泣き崩れる小柄な少女に託して、ただ我武者羅に──
その後の出来事については、事実のみを端的に語ることとする。
指揮官であるルーカスが生死不明の状態で撤退し、彼を逃がすために残る竜人の兵士たちも玉砕。竜人たちによるオルデン領急襲作戦は失敗に終わった。
一方、オルデン領の駐留部隊は救援が間に合わなかった西の砦が完全に壊滅し、中央の砦も半壊状態。この戦いによるオルデン軍の死者は四十七人、また生き延びはしたものの引退せざるを得なかった兵士は十二人に及んだ。
領地の防衛には成功したものの、真っ当な戦争であれば敗北にも等しい損害。
不幸中の幸いだったのは、この襲撃を撃退して程なく、ヴァイスベルク領全域に展開していた『黒王』の軍が退き、派遣されていたオルデン男爵の軍が自領に帰還したことだろう。
敵が撤退した理由は分からない。
情勢は決して油断できるものではなかったが、一先ず前線は落ち着きを取り戻し、オルデン領は立て直しのための時間が与えられた。
そして時は流れ──
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「──っ」
「! ルーカス様!」
長い眠りから目を覚ました時、ルーカスの目に飛び込んできたのは憔悴した様子の女竜人──ドロテアと、薄暗く見慣れない天井。
ツンと鼻を突く薬品の匂いと、身じろぎした時全身に走った痛みとで、少し遅れて自分が生きていることを理解する。
──ここは……どこだ? 戦いはどうなった? 部下たちは?
続けざまに脳裏に浮かんだ疑問を口に出そうとし、しかし焼けつくような喉の渇きに咳き込む。
「ケホッ! ゲフ、ゲフ……ッ」
「無理をなさらないで下さい! 水を……!」
ドロテアが差し出してきたコップの水を、咽ないように少しずつ口の中に流し込み、渇きを癒す。
そして半分ほど飲んだところでようやく落ち着きを取り戻し、ルーカスは濡れた口元を拭ってあたりを見回した。
やはり見覚えがない。ベッドと小さな棚や椅子、最低限のものだけが置かれた小さな部屋だ。あり触れた病室のようにも見えるが、同時に実験施設のような陰鬱さを感じさせた。
「……ここは?」
その問いかけに、ドロテアは言い辛いことを告げるように一度深呼吸を挟んで応じる。
「エイン様が所有する治療院の一室です。……ルーカス様、まず落ち着いて聞いてください。あの戦いから、既に三か月が経過しています。貴方は三か月間、ここで眠りについておられたのです」
「────」
三か月という時間経過を告げられても、ルーカスの受けた衝撃は意外なほど小さなものだった。
自分があの戦いで致命傷を負ったことは覚えている。であれば、そういうこともあるかもしれない──いやあるいは単純に実感が湧かなかっただけなのかもしれない。
「レーターや他の者たちは……?」
「…………」
ドロテアは苦しそうな表情で首を横に振り、生き残ったのが自分たちだけであることを伝える。
「……そうか」
「…………」
その言葉に、ようやくルーカスは自分が敗北したことを理解する。
そしてそ理解が脳に染み渡るまでには、更に暫くの時間と沈黙を必要とした。
「……私が眠っている間に、何があったかを教えてくれるか?」
沈黙はたっぷり一分ほども続いただろうか。ルーカスはようやく気持ちを立て直し、ドロテアに質問を口にする。
けれどドロテアは僅かにその質問への返答を避けた。
「……少々お待ちください。それに関しては私より、適任がおられます」
「何?」
ドロテアはそれ以上何も説明しようとはせず、説明役を連れてくると言って部屋を後にした。
そして彼女が姿を消してから三〇分後。待ちくたびれて文句の一つも言おうと思っていたルーカスだったが、しかし彼女が連れてきた顔ぶれにそうした不満は吹き飛んだ。
「おはようございます~。随分とお寝坊さんでしたねぇ~」
「無事──ではないな。ともかく具合はどうだ?」
ドロテアが連れてきたのはエインと『黒王』ラーゼンの二人。エインはともかく、敵対していた筈のラーゼンが何故ここに? ルーカスは頭の中が真っ白になった。
「…………」
「む? どうした、まだ意識がハッキリしていないようだが……」
「違いますよ~。ラーゼンさんが似合いもしない気遣いなんか口にするから、驚いてらっしゃるんですよ~」
「ぬ……」
和やかなやり取りに更にルーカスの頭が混乱する。
そんなルーカスの反応にエインは意地悪く苦笑し、ラーゼンと共にベッド脇の椅子に座って口を開いた。
「ルーカスさんも色々と聞きたいことがおありでしょうが、まずはこちらの説明を聞いていただけますか? この三か月間で色々なことがありました。そして竜人氏族の長であるルーカスさんには、お伝えしなくてはならないことがあります」
「……分かった。聞こう」
いつになく真剣な表情のエインに、ルーカスはベッドの上で居ずまいを正す。その態度から余程のことがあったのだろうと覚悟を決めていた──が、彼女の口から出た第一声はルーカスの予想を上回るものだった。
「三か月前、あの戦いの後程なくして、皇帝陛下がお亡くなりになりました」
「────」
頭が真っ白になるとはこういうことかと、後にルーカスは己が受けた衝撃の大きさを述懐する。
エインは説明を続けてもルーカスには届かないと判断したのだろう。ルーカスがその事実を受け入れるまで、ジッと待った。
「…………そうか」
やっとのことでその一言を絞り出す。
皇帝の先が長くないことは分かっていた。だからこそ、次期皇帝の座を巡ってルーカスとラーゼンは功績を争っていたのだ。予想より早い死であったが、それ以上ではない。
「…………そうか」
二度、言葉を繰り返す。
ルーカスは己が間に合わなかったという事実を噛みしめながら、確認しなければならないことを口にする。
「……新たな皇帝はどなたに?」
言いながら、答えは聞くまでもなく予想がついていた。
チラと『黒王』ラーゼンを見る。己が無様に敗北した以上、実力・功績に見てラーゼン以外にその座に就ける者がいよう筈がない。
わざわざこの場に現れたのも、ルーカスに新皇帝への忠誠を誓わせるためであろう──
「新皇帝は決まっておらぬ──いや、新たにその座に就く者はいない、というべきか」
「…………何?」
ラーゼンの口から出た予想外の言葉に、ルーカスは全く意味が分からず首を傾げた。
その反応を予想していたのだろうラーゼンは淡々と説明を続ける。
「現在、我らは新たな皇帝をたてることなく、各氏族の代表者の合議により国家を運営していく方向で調整している。議決権割合などはこれからだが、卿にもこの合議体に参加を──」
「待て待て待て! 合議とは一体どういうことだ? 卿が新たな皇帝となるのではないのか!? よしんば卿の就任に反対する者がいたとしても、力づくで納得させるか皇女殿下を御輿に立てれば済む話だろう? 何をどうしたらそんな話になるのだ!?」
ルーカスの戸惑いは当然のものだった。
望めば手に入る支配者の地位を、何故敢えて手放す必要があるのか。その問いかけにラーゼンは困った表情で黙り込み、助けを求めるようにエインを見る。
「…………」
「……いや、そんな目でこっちを見られても。言い出したのはラーゼンさんなんだから、億劫がらず自分で説明してくださいよ」
「……頼む」
「……はぁ。ま、いいですけど」
エインは嘆息一つ、ルーカスに向き直りラーゼンに代わって説明する。
「簡単に言うと、ラーゼンさんも例の槍遣いとの決着がつけれなかったんです。なのでまだまだ戦いに専念したいけれど、皇帝になんてなっちゃったら今まで通り前線に出ることは難しい。かと言って他の者を新帝として仰ぐのも癪だし、適任もいない。ならいっそ、皇帝を廃して合議制に移行しよう、と──ざっくり言うとそんな感じです」
「うむ」
「…………」
言っていることは分からなくもない。だが到底納得はできなかった。
戦いに専念したいという想いは分かる。だが、それを理由に皇帝の座を蹴るというのは行き過ぎとしか思えなかった。
ラーゼンが政は他の者に任せて自らは戦に専念したいと言えば反対できるものはいないだろうし、槍遣いとの禊を済ませたいというのなら皇帝の座を一時空席とし、決着をつけた後で改めて皇帝の座に座れば良いのだ。わざわざ今、皇帝を廃して合議制に移行する理由はない。
そんなルーカスの困惑を表情から見て取ったのだろう、ラーゼンは言葉を選ぶように口を開いた。
「エインを通じて、卿らの戦いの様子は見せてもらった」
「!?……ふん。笑いたければ笑え。主力不在の領地一つ落とせず、部下を失った無様な──」
「敗れはしたが見事な戦いだった。そして恐るべき敵であった」
「──!?」
皮肉かと激昂しかけ、しかしラーゼンが本心からそう言っていることを理解したルーカスは戸惑い言葉に詰まった。
そんなルーカスに、ラーゼンは嘘偽りのない自分の想いを言葉にして続ける。
「俺はずっと、敵とはあの槍遣いただ一人と思っていた。奴だけが突然変異のようなもので、あれさえ倒せばヒューマンの軍勢など恐れるに足りんのだと」
「…………」
「だがそれは違った。奴を倒してもその息子たちがいた。いや、俺たちがまだ知らぬ強者が、今こうしている間にもどこかで生まれているのやもしれぬ」
「……だから、戦いに専念するため皇帝の座を蹴る、と?」
ルーカスの確認に、ラーゼンはかぶりを横に振って続けた。
「そうではない。いや、そうかもしれんが本質はそこではないのだ」
「どういうことだ?」
「俺は武人だ。皇帝になろうがなるまいが、戦い以外の道を選ぶことはできん。いずれ槍遣いかその息子か、あるいはまだ見ぬ強者か、いずこかの敵に敗れて死ぬことになるだろう」
「…………」
戦い続ける以上、どんな強者であれいつか必ず死ぬ。それだけの敵が存在する。ラーゼンの言葉をルーカスは否定できなかった。
「敵は強大だ。ただ強い弱いの話ではない。強者を倒したとしても奴らには代わりがいる。受け継ぎ、託す者がいるということこそが奴らの強さなのだ。故に今こそ我らは一丸となってこれに対抗せねばならん」
そこでラーゼンは真っ直ぐにルーカスを見つめて続けた。
「手を貸せ、ルーカス卿。奴らとの戦いには、卿の力が必要だ」
「…………」
「何より卿も、このままおめおめと引き下がるつもりはないのだろう?」
「……当然だ」
これより更に三か月後、帝国は正式に皇帝主権を廃し、各氏族の長による合議制へと移行する。
その判断が帝国にとって正しかったのか否かはこの時点では誰にも判断できず、後世の歴史家の評価を待たねばならない。
一方、オルデン領では──




