第93話
「…………」
「…………」
シューレとソフィアが領民の避難のために行動を開始し、詰め所にはレゼルヴとメルだけが残される。
出ていった二人は動こうとしないメルに一瞬何とも言えない視線を向けていたが、構っている余裕がないこともあり何も言おうとはしなかった。
詰め所の床に石灰の塊でノソノソと陣を描くレゼルヴと、それをジッと見つめるメル。
先に口を開いたのはメルの方だった。
「……上手く隠してたつもりなんですけど、私何かミスしました?」
それはレゼルヴの問いかけに対する答え。
『私に何か言ってないことがないかい?』
『はい?』
その短いやり取りで、レゼルヴはメルの隠し事を見抜いた。
「別にミスってほどのミスはなかったよ。強いて言うなら、そもそもが隠し通せるような話じゃなかったってことじゃないか」
レゼルヴはローブを脱ぎ、床に描いた陣の上に広げて置きながら、いつも通りの穏やかな声音と態度で続ける。
「ここを襲撃してきた竜人の部隊には角持ちの竜人が二体交じってた。普通、爵位を持った竜人が協調して行動することはほとんどなくて、あるとすれば侯爵以上の貴族を統率する上級貴族が関わっている時ぐらいだ──なのにあの二体はそれほどの大物には見えなかった。精々が子爵級かな」
「……だとしても、何で私が隠し事をしてるなんて思ったんです? 角持ちのことも、単に気づかなかっただけかもしれないじゃないですか」
「君に限ってそれはない。君が偵察のために蛮族の生態や習性を学んできたことは知ってるし、私の観察力で気づけたことに君が気づかないなんてことは絶対にあり得ない」
「あ~……私の優秀さが仇になっちゃたか」
メルは茶化すように苦笑したが、レゼルヴは笑わなかった。
「あの竜人の部隊を見て、君が別働隊の可能性を指摘しないのはどう考えてもおかしいんだ。もしあり得るとすればそれは──」
メルはレゼルヴの肩に手を置き、それ以上言わないでくれと訴える。けれどレゼルヴの言葉は止まらなかった。
「──既に別働隊の行方を把握していて、それを意図的に隠している場合だけ。そして敵の存在を隠さなけりゃならない理由なんて幾つもない。一番可能性が高いのは敵が他の拠点を攻撃していて知れば救援に向かわざるを得ないケース。つまり砦が襲撃を受けてる場合さ。その場合、ここの防衛と救援、二つのことに同時に手を回すとなれば私もかなりの無茶をしなけりゃならないからね。だから君は、味方が襲撃を受けているという情報を意図的に私たちに伏せた」
「…………」
沈黙は何よりも雄弁な肯定だった。
「後、ミスってほどじゃないけど、あの反応は少しわざとらしかったね。私があんな風に疑うような言葉を使えば、普段の君なら驚くより先に怒りだして手が出てる」
「…………」
揶揄うような言葉に、しかしメルは無反応だった。
レゼルヴはそれに構うことなく「『目覚めろ』」と短く詠唱。床に描いた陣が淡い光を帯び、光はその上に置かれたローブへと静かに収束していった。
「……よし。実戦で使うのは久しぶりだけど、十分いけるな」
レゼルヴは再びローブを身に纏い、杖をついて立ち上がろうと──
「!」
背後から突然メルに抱きしめられ、立ち上がることに失敗して尻もちをつく。
「……おい。どうした? 動けないから離して──」
「離しません」
あくまで穏やかに抗議するレゼルヴに、メルは首に回した手をギュッとして拒否した。
「離したら、砦を──シュヴェルト様を助けに行くつもりなんですよね」
「そりゃ、まぁ……」
「シュヴェルト様なら助けに行かなくても大丈夫ですよ。むしろヘロヘロのレゼ様が行っても足手まといになるだけですって」
「……下手な嘘を吐くなよ。本気でそう思ってるのなら、君が私に情報を伏せる理由はないだろ」
むしろメルが必死に情報を隠していたからこそ、レゼルヴは兄が危険な状態にあると気づけたのだ。
レゼルヴは首に回された彼女の腕に手を置き離してくれと訴えるが、その腕の力は弛まない。
「……おい。いい加減にしろ。分かってるだろ? 兄上を見捨てるわけには──」
「だから! そうしろって言ってるんだって……いい加減気づいてくださいよ……!」
「!」
メルはレゼルヴの首元に顔を埋め押し殺すように叫ぶ。
その内容にレゼルヴが言葉を無くしている間に、彼女は更に続けた。
「私が敵のことを伏せた理由……レゼ様は救援に向かうのが危険だからだっておっしゃいましたけど、シュヴェルト様を見殺しにするためだとは思わなかったんですか?」
「……おい」
「あの方が亡くなれば、レゼ様が名実ともにこの領の後継者です」
「メル」
「そうすればレゼ様はソフィア様とも結ばれて幸せに──」
「やめろ馬鹿。そんな泣きそうな声で、何言ってるんだ」
「──っ」
幼馴染の少女の体温と震えと嗚咽とを間近に感じながら、レゼルヴは彼女の頭に手を置きポンポンと軽く叩く。
そして彼女にそんなことを言わせてしまった自分を慚じながら、諭すように続けた。
「思ってもないことを言うな。最初に敵襲について私に報告した時、君はまだ兄上が砦の救援に向かったことを知らなかっただろう」
「……そんなの、分かんないじゃないですか。シュヴェルト様が砦の方に向かうところを見かけたのかも知れませんよ」
「だとしても、君に兄上を見殺しする理由はない」
「だからそんなの分かんないじゃないですか……!? 毎日、毎日、レゼ様が自分の気持ちを押し殺して義務感だけで領地と家族のために尽くす姿を見せつけられて、私が『シュヴェルト様がいなければ』って考えたことがないなんて、どうして言い切れるんですか……!!?」
「────」
息を呑む。言葉を失う。初めて聞く彼女の本音に、そんなことを思わせてしまっていたのかと、己の不甲斐なさに眩暈がした。
「ひっぐ……ひぐ、ひっぐ……」
「…………」
メルの嗚咽が静かな詰め所に響き、レゼルヴは暫し黙ってそれに寄り添った。そして──
「……心配させて、悪かったね」
「ぐす……うるさい馬鹿ぁ。唐変木……!」
レゼルヴは少女の罵声を聞きながらその頭に手を置き、自分の想いを吐露する。
「確かに君の言う通り、私はずっと自分の境遇が不満だった。いや違うな。子供の頃はそれを望んでいた筈なのに、頑張る度に周りから疎まれることが増えて、息苦しさを感じるようになっていた。手放しで認められたかった。喜んで欲しかった。家族や兄上の為と言いながら、ホントはずっと、私はただ皆に褒めてもらいたかったんだ」
それが始まり。貴族の義務も何もない、ただの子供じみた願い。
「頑張る度に身動きが取れなくなって、だけど逃げ出すほどにも思い切れなくて、義務感と惰性でずっと“次男”を続けてきた。──認めるよ。私は『何で自分がこんな思いをしなけりゃいけないんだ』って、ずっとウンザリしながら生きてきた」
「…………」
「──だけど、決してそれだけじゃなかったんだ。苦しくて、辛くて、ただ逃げ出したいだけの人生じゃあなかったんだよ」
その言葉に、メルの嗚咽が止まる。
「……レゼ様は、結局ご家族が大好きですもんね」
「そうだね。家族が好きだって気持ちは嘘じゃない。だけどそれだけで何年も尽くしていられるほど、私は物分かりのいい人間じゃなかった」
「?」
メルが不思議そうに顔を上げる。その目は涙で赤く染まっていた。
「……君だよ」
「え?」
「君が──君たちがそんなハリボテの私を認めてくれたから、頑張ろうって思えたんだ。虚勢かもしれない。見栄かもしれない。中身のない上辺だけの偽物なのかもしれない──だけど、私は君たちの前でだけはカッコつけていたいと思ったんだ」
「…………」
キョトンと自分を見上げるメルの頬に触れながら、レゼルヴは苦みの混じった声で告げる。
「だからさ……最後まで、カッコつけさせてくれよ」
「あ──」
メルの腕をすり抜けて、レゼルヴはヨロヨロと立ち上がる。
メルの掌の中には、いつの間にか青い宝石が握られていた。
「それがあれば、私が転移陣を設置したポイントであれば何処へでも転移できる。ここもいつまでも安全とは限らない。──後のことは任せたよ」
「──レゼ様!!」
メルの叫びを無視して、レゼルヴは詰め所を後にする。
「…………」
そして詰め所を出て直ぐの廊下で、固い表情のシューレに出くわした。
「申し訳ありません。聞くつもりはなかったのですが、やはり一緒に避難すべきかと思い……」
わざわざ心配して引き返してくれたらしい。それでこんな話を聞かされて、全く災難なことだとレゼルヴは彼に同情を禁じえなかった。
苦笑して、彼の肩を叩く。
「手間をかけてすまないね。ただ、私のことは気にしなくていい。ソフィアや、皆のことを頼んだよ」
「…………」
そしてシューレの横を通り過ぎ──
「──あの! 行くべきではないと、思います……!」
その言葉にレゼルヴは肩越しにチラとシューレを振り返る。彼は迷うような表情で、けれど真っ直ぐにレゼルヴを見て続けた。
「……シュヴェルト様と、貴方、お二人を同時に失うわけにはいきません。シュヴェルト様が危険な状態にあると言うなら、貴方は行くべきではない。生きるために、安全な場所に避難すべきだ。……少なくともシュヴェルトがここにいればそう指示なさる筈です」
「…………」
「貴方が助けに行ってもシュヴェルト様が助かるとは限らない。ならば──!」
その苦悶の表情を見れば──いやそんなもの見るまでもなく、シューレがどれほど苦渋の想いでその言葉を口にしているのか、痛いほどよく分かった。
だからレゼルヴは精一杯穏やかに微笑み、告げる。
「──シューレ」
「…………」
「信じてくれ。必ず、兄上は無事に連れ帰る」
「っ……」
シューレはそれ以上何も言わず、ただ深々と頭を下げてシュヴェルトを送り出した。
そしてレゼルヴは夜空を舞い、戦場へと急ぐ。
その後ろ姿を、もう一人金色の髪の少女が建物の影から無言で見送っていた。




