第90話
──ザシュッ!!
「ぐぅっ!」
背後から振るわれた剣を、シュヴェルトは反射的に身を捩って回避する。完全に避けることはできず、背中の肉を一、二センチほど抉られたが戦闘に支障はない。
体勢を崩しながら、振り返るのではなく距離をとるように前に跳び、近くの木を殴りつけた反動で強引に身体を反転。
──ギィン!!
「っ!」
直後、ルーカスが目の前に現れ再び剣を振るうが、シュヴェルトはそれを長巻の柄の部分で辛うじて受け止め鍔迫り合いに持ち込んだ。
至近距離でギリギリと力比べをしながら、シュヴェルトは皮肉気に口元を歪める。
「……どうしたよ? 竜公爵なんて偉そうな名乗りをした割にゃ、不意打ちなんてせこい真似するじゃねぇか」
「氏族の長、とも名乗った筈だ。そこで戦っているのは俺の部下。部下を守るという大義の前では、俺の名誉など些事に過ぎん」
そのもの言いについ共感してしまいそうになり、シュヴェルトは舌戦を諦め、力任せに敵を振り払い距離をとった。
「立派だよ──だけど、部下を守らにゃならんのがテメェだけだと思うな!!」
「だろうな」
ルーカスは冷静だった。普段以上にその思考は冴え渡り、その精神は澄み切っている。
普段の未熟な振る舞いから同胞を含め多くの者が誤解していることだが、彼は生き死にのかかった戦場でこそ冷静さをいや増し、その真価を発揮する天性の戦士だった。もし今のルーカスの姿を『黒王』が見たならば、二度と彼を若造などと侮ることはすまい。
「だから、戦場をここに移した」
「っ!」
──ギィン!!
ルーカスの力強い斬撃でシュヴェルトの身体が後方──砦の方へと弾かれる。
それだけであれば直ぐに踏みとどまり、体勢を立て直して終わり。だが、砦には今も無数のアンデッドがとりついており、生気溢れるルーカスたちを見逃さない。
──ゴォッ!!
「ぐぅっ──うぜぇ!!」
オーガ素体と思われる巨大なスケルトンの拳を何とか躱し、その勢いのまま身体を回転させ蹴りで腰骨を打ち砕く。
そして再びルーカスの姿を探し──
──ザンッ!!
「っ!!?」
一瞬前までシュヴェルトがいた場所を、ルーカスの斬撃が切り裂く。回避できたのは完全にまぐれだ。
──クソッ! アンデッドと挟み撃ちにされたか……!
シュヴェルトは遅れてようやくルーカスの狙いを理解する。彼はシュヴェルトを砦側に押し込むことで、アンデッドとの疑似的な挟み撃ち状態を作り出したのだ。
同格以上の相手との実戦経験に乏しく、またこれまではなまじ包囲されても切り抜けられるだけの実力があったせいで、シュヴェルトはこうした駆け引きを苦手としていた。
しかもルーカスの狙いはそれだけではない。
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
「俺に構うな! やれっ!!」
「耐えろ! 踏ん張れ! あと──ぐあっ!?」
「っ!」
背後から聞こえる、仲間たちの悲鳴。
もし背後に彼らがいなければ、シュヴェルトはこの不利な戦場を脱してより有利な場所でルーカスと戦うことを選択しただろう。
いやあるいは、合理的に考えれば今からでもそうすべきなのかもしれない。だが、貴族として指揮官として部下を守れと教え込まれてきたシュヴェルトに、その選択肢はとれなかった。
もしシュヴェルトがこの場を離れても、ルーカスが付いてこなかったら。自分を無視して砦を攻撃してしまったら。
「──舐めやがって」
ルーカスは味方の援護しながら片手間で対処できるような生易しい相手ではなかった。先に彼を倒さなければ、仲間を救うことはできない。
故にシュヴェルトは迷いを振り切り、最速でルーカスを切り伏せると決める。
「ほう」
その切り替えの早さにルーカスの口から感嘆の声が漏れたと同時。
──ギィン!!
両者の刃がぶつかり合い、火花が散る。
「──斬る」
「──やってみろ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………」
『黒王』ラーゼンは己の感情に戸惑っていた。
元々この戦場は彼にとって因縁ある槍遣い──オルデン男爵レイター──と決着をつけるためのモノだ。
その為に槍遣いにとって余分なモノを排除し、追い詰め、ただ全力で己と戦うしかない状況を作り出す。
その為にエインやルーカスの暗躍を見逃し、槍遣いを追い詰めるために利用した。
だが今のところ計画は上手く行っているとは言い難い。槍遣いがこちらの誘いに乗ってくる様子は全くないし、今もルーカスに自領を侵攻されているというのに、敵に動揺はほとんど見られない。
これは槍遣いが既に自領を切り捨てているのか、あるいは余程残してきた者たちを信頼しているのか。いずれにせよ槍遣いと戦う上でそれは不都合な事情に他ならなかった。
にも拘らず、ラーゼンはこの状況に失望どころか奇妙な高揚と期待を抱いている自分に気づき戸惑いを隠せない。
──いや、そうではない。俺はとうに失望していたのだ。
自分との戦いを避ける槍遣いに失望していた。けれどそのことを認められず、余計なモノを排除して場を整えれば、きっと戦士としての純度を取り戻し、満足いく戦いができるのだと自分に言い聞かせていた。そんな保証はどこにもないのに。
──だが、違ったのか?
全く揺らぐことのない敵の様子を見て、ラーゼンは槍遣いが錆びついたという己の考えこそが思い違いだったのではないかと思い始めていた。
確証はない。ただかつての槍遣い──レイターたちは己の力の他に頼るものを知らぬ戦士だった。だから追い詰めれば、その戦士としての本性が顔を出す、そう思っていたが……
──貴様も見つけたと言うのか? かつて俺があの生意気な皇帝と出会ったように、貴様も己の武以上の何かを……
戦士として錆びついたのではなく、託すに足る何者かを、あの槍遣いも見つけたのだとしたら──
「──マーキス!!」
「はっ!」
ラーゼンが大音声で名を呼ぶと、すぐさまダークトロルの側近が飛んでくる。
側近は突然の呼び出しに戸惑いの色を浮かべていたが、覇気に満ちた主の表情を見て直ぐにその意図を理解した。
「出るぞ」
端的な出陣の合図に、側近は無粋と分かってはいたが敢えて確認する。
「……よろしいので? 敵陣に動揺や撤退の気配は見られませんが」
「構わん。もとよりこの俺が見に徹して敵を測ろうなどというのが間違いであったわ」
ラーゼンは傍らの地面に突き立てていた大戦斧を掴み、その口元を好戦的に吊り上げて続けた。
「改めて、我が戦斧にて彼奴の価値とその腹の内を測ってやることとしよう」
「……はっ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふんふん、ラーゼンさんも動きましたか。散々勿体ぶっていたので様子見で終わる可能性も考えてはいましたが、これで槍使いや派遣されていた部隊がオルデン領に戻ってくる可能性は消えましたね」
『屍姫』エインは通信機から伝えられた部下からの報告に機嫌良さそうに頷き、幻影の戦場図で黒い重装兵の駒を紅い騎兵にぶつける。
「後はそれぞれの戦場でラーゼンさんとルーカスさんが目的を果たすことができるかどうか……」
エインはどちらがどうなるのが自分にとって都合がよいのだろうと考える。
正直なところ、どちらにも適度に恩は売ってあるので今更どう転んでも損はしないが、どうせならより高く恩を売りつけたい。となると理想は──
「ラーゼンさんが決着つかず、ルーカスさんが無事オルデン領を制圧、がベストかしら」
ルーカスを勝たせたいわけではない。ただこのまま単純な力攻めでラーゼンが槍遣いを討ち果たしてしまえば、結果的にエインの功績は陰が薄くなってしまう。またその場合にルーカスが制圧に成功していたら『お前の言う通りしたのに間に合わなかった』とケチを付けられかねなかった。
「理想はお二人がターゲットの槍遣いを狙ってよーいドン、の状態に持ち込むのがベスト。どちらが勝つか分からない状況でこそ、私という第三者の価値が最大限に跳ね上がるというものです」
どちらに手を貸すかはその時決めればいいし、向こうから頭を下げてくるようなら最高だ。
ではその為に今何をすべきか?
まずラーゼンの戦場は何もしなくとも決着つかずとなる可能性が高い。そもそも単純な力攻めで決着がつくならラーゼンも最初からそうしている。ただオルデン領陥落の情報などが敵軍に伝わり動揺が広がればその限りではないので、これは部下に命じて情報遮断を行っておくべきだろう。
一方でルーカスの戦場だが、これはエインの献策を無視したルーカスの判断が結果的に功を奏した形となっていた。
元々エインはルーカスたちに全軍でオルデン領本拠を落とすよう献策していたのだが、ルーカスはそれを半分無視。部隊を二つに分け、部下たちには予定通り本拠攻略を命じ、自分たちは三つある敵の砦を順に落としていくことを選択した。
孤立した砦が落としやすい状態であったことは確かだが、エインは攻略スピードと損耗を最小限に抑えることを重視して砦を無視するよう伝え、しかしルーカスは後々後背を突かれるリスクを嫌ってか確実に敵戦力を潰しておくことを選んだ。
本来どちらが正しいというものではないが、もし全軍で本拠を襲撃していたら今頃竜人たちはルーカスを除いて全滅していた可能性が高い。これに関しては、エインの敵魔術師に対する見通しが甘かったという他ない。まさかあれほど大規模な手札を隠し持っているとは思わなかった。
とは言え今なら敵魔術師のダメージも大きく、ルーカスであれば多少の隠し玉があったとしても十中八九始末できるだろう──エイン自身はこれ以上決して手を出そうとは思わないが。
また敵側のもう一つの最大戦力である戦士も、粘ってはいるがルーカス相手にこの盤面をひっくり返すのは不可能だ。
「うん。ルーカスさんの方は敵が領地から逃げ出さないよう妨害しておけば十分でしょう」
既にエインの中でオルデン領攻略は決着していた。




