第88話
オルデン領を襲った流星の正体は『屍姫』エインの【流星雨】。
天上の星を大地に堕とす伝説にも等しき最上位の攻撃魔術であり、幼き日のレゼルヴが夢に描き未だ辿りつけぬ極地。
それが自分たちの頭上に降り注ぐ瞬間を直視したメルとシューレは自らの死を確信した。
──!!!
『!?』
着弾、閃光──けれど音は何時までたってもやってこない。
鼓膜が破れたのか、それとも音より早く焼き尽くされてしまったのか。──ああいや、しかしだとしたら今こうして思考している自分は一体何者なのだろう?
その疑問に答えが出たのは着弾から十数秒が経過した後。閃光に焼かれた目が視力を取り戻し、自分たちが五体満足であることを自覚したのと同時だった。
「…………?」
無事なのは自分たちだけではない。流星に襲われた筈のオルデン領は全くの無傷であり、焼け野原どころか十数秒前と何の変化もなかった。
幻でも見たのか?──いや、そうではない。そうではないと気づいたのは、上空に展開された青白い障壁と、地面に倒れ伏すレゼルヴの姿を見つけた時。
「レゼ様!?」
メルは弾かれたようにレゼルブに駆け寄っていた。
「う゛ぅ……っ」
呻き声。生きている。意識はある。動かして良いのかどうかは分からなかったが、うつ伏せではどんな状態かも分からない。メルは一瞬だけ躊躇した後、出来るだけ身体を揺らさないように気を付けながらレゼルヴの身体を仰向けに起こす──そして絶句した。
「ひっ!?」
目、鼻、口、耳──顔の穴という穴から血を吹き出し、意識朦朧として呻くその様は、親しい者にはあまりに衝撃的に過ぎた。
「どけっ!!」
ショックで動けないでいるメルを押しのけて、シューレはレゼルヴの顔に霊薬をぶちまけた。彼秘蔵品の高級霊薬は経口摂取でなくともある程度の効果を及ぼし、新たな出血は止まったように見える。そしてシューレは自らの服の裾を破り、それを手拭い代わりにしてレゼルヴの顔を拭い、彼が窒息しないよう頭部を少しだけ傾けた。
「ケホッ──ケホッ、ケホッ……あ……助かった。ありがと」
「……いえ」
シューレの適切な処置のお陰で、レゼルヴは会話ができる状態まで意識を取り戻す。
まだ動かしてよい状態ではないが、このままここにいることが良いとも思えない。今何が起きたのかさえ碌に分かっていないシューレには、この状況でどう動くべきなのか判断できなかった。
「今のは一体……?」
「……敵の攻撃だよ、多分」
そんなことは分かっているが、今のはシューレの聞き方が良くなかった。彼が問い直すより先にレゼルヴは言葉を補足する。
「今のでこっちの工房は九割方機能停止させられたから、もう一発同じのが来たら防げないだろうけど。多分それはないから安心していい」
「……どうして、そう言えるんですか?」
あまり安心できる言い方ではなかったが、一先ずそれは飲み込み確認する。
「……あれだけの大魔術だ。どんな化け物染みた魔術師であろうと、流石にこっちの領域内で使われて、その起こりを感知できないなんてことはあり得ない。どんなインチキを使ったのか知らないけど、敵はこのオルデン領の外から攻撃を仕掛けてきた」
「はぁ!?」
そのあまりに理不尽な推理にシューレの喉から声が漏れた。
そんな超遠距離から対軍破壊が可能な大魔術を行使できる魔術師が敵にいる? もしレゼルヴの言うことが正しいのだとしたら、そんなものどう対処すればいいと──
「落ち着いて。インチキだって言っただろう? 流石にどんな大魔術師でも、何の対価も払わずこんなふざけた真似ができる筈がない。二度目はないさ」
「それは……」
専門家であるレゼルヴがそういうのなら信じるしかない。信じるしかないのだが──
そんなシューレの不安を見て取ったレゼルヴはなおも何か話そうと口を開く。
「だい──ケホッ! ゲホゲホ……!」
「レゼ様! 無理しないで下さい!!」
咳き込むレゼルヴをメルが支え、これ以上喋るなと制止する。
シューレもまだまだ聞きたいことはあったが、今最優先すべきがレゼルヴの安静であることは理解していた。
青白い障壁が解け、空には雲一つない星空が広がっている。
襲撃を切り抜けた安堵と、更なる攻撃への不安とで頭の中がぐちゃぐちゃになったまま、シューレはレゼルヴを休める場所に移動させるため彼に肩を貸した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……はしたないことをしちゃったわ」
エインは己の部屋で一人慨嘆する。
その手元には力を失い砂となった子供の頭ほどの大きさがある石──魔晶石の残骸が転がっていた。
魔晶石とは呪文の効果を引き上げる特殊な魔力結晶。小ぶりなクズ石なら効果も誤差の範囲だが比較的安価で市場にもよく出回っている。一方で握り拳大の大型の魔晶石ともなれば、効果を倍以上に引き上げられるが極めて稀少かつ高価、消耗品のそれ一つで魔剣が買えるくらいの値段がする。
果たしてエインの手元にある魔晶石の残骸は、元はどれほどの価値があったのだろうか。
「あ゛あ゛あ゛……自分が恥ずかしい。ついカッとなって二〇〇年物の石を使っちゃうなんて」
エインの心を満たしていたのは自制を失った己への羞恥心。そこに攻撃を防がれたことへの驚きや怒りはない。
レゼルヴであれば防ぐかもしれないとは想像していた。にも拘らず感情に任せて攻撃したのは、自分が整えた盤面をルール外の手段で台無しにされたことへの苛立ちから。格下と思っていた相手に自分の領分を侵されたことへの怒りと言い換えても良い。
こうなれば勢いに任せレゼルヴを徹底的に排除しても良かったのだが、我に返り冷静さを取り戻したエインはそうしようとはしなかった。
できないわけではない。エインにとっても使用した魔晶石は虎の子ではあったが、それに類する手札はまだまだ残っている。
「ダメージを与えて敵はボロボロ。次撃を加えれば必ず倒せる──というのは、甘すぎる見通しでなんでしょうね」
エインは既にレゼルヴを過小評価していない。自分と対等の「敵」だと認知した。
だからこそ理解できる。アレは必ずまだ手札を隠し持っているに違いない、と。そうでなければこんな簡単に大札を切ってくる筈がない。流石にあの大工房のような大規模な手札はもうないだろうが、そもそもあれは防衛側の対抗手段としては大味過ぎる。必ずまだ何枚か切り札を隠し持っている筈だ。
無論、エインとレゼルヴでは実力も年期も違う。手札の切り合いになれば最終的には必ずエインが勝利するだろう。
だがそこまでの消耗戦となればエインにとっても損失が大きすぎる。他人の手伝い戦としては到底採算が取れず負けたも同然だ。
故にエインは追撃はできるが、行動に移すことができず──その意味でレゼルヴの予想は半分当たり、半分外れていた。
「……まぁいいわ。結果的にあの坊やの足を止めることができたのだから、攻撃も全くの無意味という訳じゃあない。どうせこの戦いの主役は私ではないのだし、無理に止めを刺す必要もないでしょう」
エインは自分にそう言い聞かせて気を取り直し、水晶球にこの戦の主役の姿を映し出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あれは……」
時はほんの少しだけ遡り、二つ目の砦へと向かっていたシュヴェルトは、突然夜空に現れた太陽と流星雨に驚愕し、足を止めていた。
方角的に麓の集落で何かあったことは間違いないが、地形と木々が邪魔をして彼のいる場所からでは何があったのか確認できない。
今すぐ走って麓に戻りその無事を確認したい衝動に襲われたが、そうすべきではない、弟を信じろと自分に言い聞かせる。
今更戻っても間に合わない。自分がすべきことは今も砦で助けを待っている仲間たちを一刻も早く救出すること──
「──ふむ。おかしな気配がするから様子を見に来てみれば、まさかかような戦士に出くわすとは」
「!?」
頭上から聞こえてきた声に、シュヴェルトはハッと距離をとるように跳び退きながら視線を向ける。
そこにいたのは見事な二本角と赤い翼を持つ、若い竜人だった。
「さて、見たところ例の槍遣いというわけでもなさそうだが……貴様何者だ?」
「……こっちのセリフだよ、馬鹿野郎。ここを誰の庭だと思ってやがる」




