プロローグ
連載始めました。エタらないようノンビリやっていきます(願望)。
プロローグは青年期。次の話から幼少期へと時間が遡ります。
「レゼ様、レゼ様。お客さんですよ」
屋敷内に与えられた執務室で中央の役人どもに送る「支援金増額要請」の文面を推敲していると、蜂蜜色の髪の小柄な少女がノックもなく部屋の中に侵入してきた。
レゼと呼ばれた青年は少女の非礼を咎めるでもなく顔を上げ、事務仕事で固まった身体をほぐすように肩と首を鳴らしながら口を開く。
「顔ぶれとルートは?」
「豚さんが二〇前後。六番櫓の東の谷を移動中です」
少女の報告に青年は意外そうに目を瞬かせて問い返す。
「……あんな藪だらけの沼地をオーク共が、かい?」
「足場は最悪ですけど、その分普通は発見される可能性は低いし抜ければ村まで一直線ですからね~。あちらさんも最近はいいとこなしだし、頑張って奇襲を仕掛けてやろうとでも思ったんじゃありません?」
皮肉っぽく肩を竦める少女の言葉に青年は「なるほど」と頷き、立ち上がると近くにかけてあったローブを身に纏う。
「ご自身で迎撃に向かわれますか?」
「いや。あまり出しゃばっても上手くない。そちらは兄上に任せるよ」
その言葉に少女は不満そうに鼻の頭に皺を寄せる。
「ルート上にたっぷり仕掛けは準備してますし、あたしたちだけでも十分対処は可能ですよ。わざわざ若様の手を煩わせなくても──」
「メル」
青年は静かな──しかし有無を言わせぬ声音で少女の言葉を遮る。
「蛮族迎撃の指揮権は次期当主であるシュヴェルト兄上にある。兄上の許しもなく私が勝手な行動をとるわけにはいかない」
「……は~い」
メルと呼ばれた少女は不服そうな態度を隠すことなく唇を尖らせた。
青年はそんな部下の様子に苦笑しつつ、続けて指示を出す。
「メルは兄上に今の話を報告してきてくれ。何、あんな悪路を抜けるとなればオーク共の疲労は相当なものだろう。兄上たちなら何の問題もなく対処できるさ」
「……別にそんな心配は全くしてませんけど」
メルは分かっていてワザと言っている主を半眼で睨み──ふと気づいたように首を傾げる。
「レゼ様はどちらへ?」
「少し気になることがある。念のため現地を確認してくるよ」
そう言って青年は長く湾曲した樫の木の杖を手にとった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お疲れ様」
「! レゼルヴ様!?」
六番櫓──山間の木の洞を加工して作られた見張り櫓から移動中のオークの部隊を監視していた男は、突然現れた上司に肩を叩かれ、つい大きな声を出してしまった。
上司の青年──レゼルヴが苦笑しながら唇の前で人差し指を立てると、男はハッと自分の失策に気づき、慌てて眼下のオークたちに視線を向ける。幸いにも彼我の間に距離があり、オークたちは足場の悪い沼地での移動に気を取られていることもあってかこちらに気づいた様子はない。
「驚かせてごめん」
「いえ……」
驚いたのは事実だが、それより何より見張りの男──マッシュは領主屋敷にいた筈のレゼルヴがこの櫓にやってきた方法が気にかかった。この櫓までは山道に慣れた者でも徒歩で一時間以上かかる。先ほど通信を送ってからまだ二〇分と経っていないが──
「……わざわざ飛んで来られたのですか?」
「というか跳んできた。少し気になったことがあってね」
その言葉のニュアンスに気づいてマッシュは目を丸くした。レゼルヴは高位の魔術師だ。彼がその気になれば呪文でここまで移動することは容易い。だがマッシュはレゼルヴが優秀な魔術師だからこそ、意味もなく呪文リソースを無駄撃ちしないことを知っていた。現地を確認したり連絡を取るだけならわざわざここまでやってくる必要はないし、ましてや【転移陣】を使うなど通常ではあり得ないことだ。
マッシュの疑問を察してレゼルヴが言葉を続ける。
「使い魔を通じて連中の様子は確認したけど、どうにも腑に落ちない」
「……と、言いますと?」
レゼルヴは眼下、谷合の沼地をブーブー騒ぎながら移動するオークの集団を見下ろし、首を傾げた。
「あの連中、こんな移動に不向きなルートを選んだのは曲がりなりにも奇襲が目的の筈だろう? だがこの騒ぎようはとてもそうとは思えなくてね」
「それは……」
確かにその通りだ、とマッシュは頷く。いくらまだ人里から遠く、こんな場所に見張り櫓があるとは知らなかったとしても、奇襲目的の隠密行動中ならもう少し密やかに行動してもよさそうなものだ。
頭の悪いオークだからと言ってしまえばそれまでだが、だとすればそのオークが奇襲などと小細工を弄すること自体に違和感がある。
「では連中は陽動で本命の部隊が別にいる、と?」
「いや。敵の部隊が移動できそうなルートはザッと上空から確認したが、それらしいものは見当たらなかった」
そこでマッシュはレゼルヴの傍に使い魔の姿がないことに気づく。
「間抜けなオーク共が道に迷っただけなら構わない。だがもしそこに他の者の意思が介在していたとすれば、少し面倒なことになると思わないか?」
「! まさか──!?」
「メルも言っていたけど、ここ二、三年、連中はまるでいいところがないからね。そろそろおかしいと気づいて僕らに探りを入れてくる者がいたとしてもおかしくはない」
レゼルヴがわざわざ呪文で転移してきた意図を理解し、マッシュは顔を顰めた。
レゼルヴは王国の国防の要とされるオルデン男爵家の次男であり、領内に侵攻してくる蛮族の監視や諜報、防諜を行う斥候部隊を率いている。
表向き──いや、男爵家内部においてもレゼルヴの役割はあまり重要視されていないが、彼が斥候部隊を率いるようになってから、蛮族による被害が激減したことを部下であるマッシュは知っていた。
いつ、どこから、どのような布陣の敵が侵攻してくるかを事前に把握し、本隊に伝える。レゼルヴたち斥候部隊がやっていることは言葉にすればたったそれだけのことだが、奇襲や遭遇戦を回避し、万全の状態で敵を迎え撃てることが戦いにおいてどれほどの優位かは言うまでもない。
敵からすれば侵攻する度、必ず敵が自分たちより多い戦力を準備して待ち構えているのだ。国境線は厳しい山岳地帯となっていて大部隊での移動は難しく、何度侵攻を繰り返しても碌な戦果は挙げられない。そろそろ監視網の存在に気づいて探りを入れてきたとしても不思議はなかった。
「ですがそれならわざわざレゼルヴ様がお越しになられなくとも、通信を飛ばして下さればよろしかったのに」
「大丈夫。敵が潜んでいるとすれば大体の位置は予想がつくからね。見つかる様な下手はうってないよ」
「そういうことではなく──!」
「大きな声を出すと見つかるよ?」
「────っ」
その身を案じる部下の気遣いを敢えて無視し、レゼルヴは周辺の山々をぐるりと睥睨。おおよそのあたりをつけると徐に呪文を詠唱した。
「『見えざるもの 偽りの衣を纏うもの 真実を見通す妖精の瞳をここに──【不可視視認】』」
不可視の存在を視認する魔力がレゼルヴの瞳に宿る。
「ん~……あそこかな」
レゼルヴが何をしているのか、マッシュにはほとんど理解できなかった。
レゼルヴが見つめる先に、上空から一羽のカラスが舞い降りていく──姿の見えなかったレゼルヴの使い魔だ。
「『幽界の腕 見えざる縛鎖 その四肢は鉛のごとく重く堅い──【金縛り】』」
──ドサッ!
レゼルヴが追加で何事か詠唱すると、使い魔のすぐ近くの木の上から何か人影のようなものが落下していくのが見えた。
かなり高所からの落下だ。しばらく落下地点を見つめていたが起き上がってくる気配はなく、恐らく落下の衝撃で死亡したのだろう。念のため使い魔が落下地点に降下し、その視界を通じてレゼルヴが結果を確認している。
「……うん。処理完了」
「今のは一体……?」
状況に全くついて行けていないマッシュが質問すると、レゼルヴは眼下のオークたちに視線をやりながら口を開く。
「ダークエルフだね。精霊呪文で姿を消して、オーク共の周辺を観察してた。多分、オークを囮にこっちの見張りの位置や連絡方法を炙り出そうとしてたんだろう。すぐに見つけられて良かったよ。呪文に頼りきりで警戒が緩かったのが幸いしたかな」
「…………」
あっさりと言うが、森を縄張りとし隠密行動に長けたダークエルフが山中で【透明化】の呪文まで使って身を隠していたのだから、どう考えてもあちらは最上級の警戒をしている。その可能性を見抜いて即座に最善手を打てるレゼルヴがおかしいだけだ。
「落下の衝撃で死んでるけど、死体に何が仕込まれてるか分からないから近づかずに放置しておいてね。無駄かもしれないけど向こうには偶然足を滑らせて死んだと思わせておきたい……うん。オーク共に気づいた様子はないね」
レゼルヴはオークが監視者の死亡に気づいた様子もなく移動を続けていることを確認すると、立ち上がってマッシュの肩を叩いた。
「それじゃ私は麓に戻るから、引き続き警戒を宜しく。後続の気配はないけど、一応ね」
「……戻られるんですか?」
「うん?」
「どうせなら、レゼルヴ様があのオーク共を始末されたらいかがです? レゼルヴ様の呪文なら簡単でしょう?」
「……君までメルと同じことを言うのかい」
マッシュとして至極当然のことを口にしたつもりだったが、何故かレゼルヴは嫌そうに顔を歪めて溜め息を吐いた。
「我がオルデン男爵家は武門の棟梁。兄上が次期当主として兵を率い功績を積んでいる最中だというのに、私がそれを横から掻っ攫うようなことができるものかよ」
「…………」
掻っ攫うも何も敵を見つけたのは自分たち──レゼルヴの部隊で、レゼルヴがやっていることは自分の功績を丁寧に飾り付けて兄に差し出しているようなものだ。マッシュはそうは思ったが、このことでレゼルヴに何を言っても無駄だと理解していたので、不満には思えど口には出さなかった。
「そんな顔をするな。君たちの功績は私から兄上に伝えておく。兄上は公正なお方だ。功績にはきちんと報いて下さるさ」
「…………」
違う。そうではない。自分たちが不満に思っているのは、レゼルヴが正当な評価を受けないことだ。
だがレゼルヴは部下たちの不満に気付いたそぶりも見せず、肩を竦めて櫓を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【飛行】の呪文で丘の上に降下。
眼下の戦場では難所の移動で疲弊したオークの部隊が、待ち構えていた男爵家の兵士たちに蹂躙されていた。
戦いは一方的。特に先陣を切る若き騎士の獅子奮迅の戦ぶりは凄まじく、オークたちは碌な抵抗もできずその数を減らしている。戦場に絶対はないが、このまま行けば男爵家側にはほとんど被害なく決着がつくだろう。
「わざわざ若様に手柄を譲らなくてもよろしかったのに」
「メル」
兄への伝言を頼んでいた小柄な少女がいつの間にかレゼルヴの傍までやってきていた。
メルは奮闘する兵士たちを見下ろし、馬鹿にしたようにフンとならす。
「あ~あ。戦いやすいようお膳立てされたことも気づかないで、馬鹿みたいに張り切っちゃって」
「メル」
咎めるようなレゼルヴの言葉をメルは無視した。
「あんな豚なんて、レゼ様がその気になれば呪文一つで丸焼きにできるのに。若様、若様ってあっちばっか持ち上げて──」
「メル」
「あの新入りの従士なんて『レゼルヴ様は頭でっかちでオルデン家の男子としては頼りない』なんてふざけたことぬかしてたんですよ? 見てくださいな、偉そうなことほざいてたくせに豚相手にあんなに腰が引けちゃって、なっさけな~」
「…………」
メルを止めることを諦め、レゼルヴは眼下の戦場を注視する。
戦いの趨勢は既に決したが、まだ討ち漏らしなどが発生する可能性はあった。兄の功績には一片の曇りもあってはならない。レゼルヴは何かあった時、陰からすぐにフォローできるよう備えていた。
「……レゼ様は不満に思わないんですか? 若様は確かに優秀な方ですけど、客観的に視て若様よりレゼルヴ様の方がずっと男爵家に貢献してますよ。それがただ次男ってだけで碌な評価もされないで──」
「兄上は私を評価してくださってるよ。それで十分さ」
「そもそも若様が上から目線で評価することがどうかって言ってるんです!」
「兄上は嫡男だ。何もおかしなことはないだろう」
「順番じゃなくて能力なら、レゼ様が当主になっても──」
「メル」
「!」
静かな、しかし断固たる意志の込められたレゼルヴの言葉の強さにメルはハッと息を呑む。
「貴族は長子継承が原則だ。後継者がよほどの愚物でもない限りそれを揺るがすべきではない。そして兄上は愚物ではないし、武門の当主として私などよりよほど相応しい方だよ」
「……ふんっ。旦那様も奥様もそんなこと仰ってましたけど、それならレゼ様をお家から解放して下さればいいのに、スペア扱いで家に引き留めて、都合よく家宰代わりに使い潰して……やっぱりふざけてます。レゼ様も我慢しないで、家を乗っ取るなり飛び出すなりすればいいんですよ」
もう何度繰り返したか分からない腹心の少女とのやり取り。
レゼルヴは兵士たちの包囲の目を逃れて逃げ出そうとしているオークを、誰にも気づかれないようそっと呪文で足止めしながら、いつもの通り嘘で塗り固めた言葉を返す。
「別に我慢しているつもりはないよ。私は次男だからね。精一杯その役割を全うしているだけさ」
十八年間そうして生きてきた。
そこに今更不満などあろう筈がないと、レゼルヴは自分に言い聞かせた。