退学試験
その日、僕は、公民館で行われた専門学校の入学式に出席していた。
そして、二時間に及んだ式が終わり、体をほぐしながらロビーに出てみると、そこでは、色々な部やサークルの勧誘が行われていた。
そんなものにまったく興味がなかった僕は、人ごみの中を素通りしようとした。
その時、ある物が僕の前に差し出された。
それは、一冊の文庫本とチラシ。
「どうぞ」
続けざまに聞こえてきたかわいらしい声に、僕は思わず、差出人の顔を確認していた。
そして、そのまま僕の目は、彼女に釘付けになった。
個人的な意見としては、ずっとそこに立ち止まっていたかった。
しかし、後に続く新入生の波に押し出されるようにして、僕は公民館を後にした。
手にはしっかりと、文庫本とチラシを持って。
帰りの電車の中で、僕は、さっきもらったチラシを眺めていた。
それは、ミステリー同好会の会員を募集するものだった。
それによると、同好会に入会するには資格が必要で、その資格というのは、三日後に行われる入会式に出席するということだった。
時間は午後六時。
そして、場所は・・・書いてなかった。
チラシには、場所は一緒に渡した文庫本に記してあるとだけ。
早速僕は、文庫本を開いてみた。
しかし、それらしい記述はどこにもない。
何の変哲もない、ごく普通の推理小説だった。
ただ一つ変わったところがあるといえば、4ページだけ、ページの角が折られていることぐらいだった。
折られ方は、意味ありげに大小さまざまで、多分、それがヒントだとは思うのだが・・・
その時の僕には、全く見当もつかなかった。
そして、飽きることのない地球の自転に伴い、時は流れ、とうとう今日という日を迎えた。
入学式の三日後。
そう、ミステリー同好会の入会式が行われる日だ。
僕は、折り曲げられたページの角の意味についてこの三日間、ずっと考えていた。
今こうして、授業を受けている最中も。
しかし、いっこうに答えは見つからない。
僕が怪しいと思ったのはページ数。
当てはまる電話番号があるかどうか試してみたり、語呂合わせをしてみたり、色々やってみたが、どれも結果は無残なものだった。
そして、今日の授業も後5分で終わりというとき、僕の考えは、苦肉の策へとたどり着いた。
ここは学校の出口。
そこで僕は人を待っていた。
待っていたのは彼女。
そう、僕が導き出した苦肉の策とは、彼女の後をつけるということだった。
そうすれば、確実に入会式会場にたどり着ける。
彼女の意思には反するかもしれないが仕方ない。
そうまでしてでも、僕は、彼女の身近な存在になりたかったのだから。
さいわい、この学校には出入り口は一つしかない。
しばらくして彼女が現れ、僕の尾行が始まった。
彼女は学校を出てすぐに、近くにあるデパートへと入っていった。
僕も後に続く。
そして、彼女は真っ先にエレベーターに向かった。
僕も後に続・・・こうかと思ったが、そこで一瞬迷ってしまった。
一緒に乗れば、尾行がばれるんじゃないかと。
そうしているうちに、エレベーターの扉は閉まってしまった。
乗ったのは彼女一人。
デパートは7階まである。
それらから、階段で追いかけるより、この場で表示を確認したほうが得策だと判断した。
すると、エレベーターは最上階の7階まで、2階と5階以外のすべてで止まった。
これでは、彼女がどこで降りたのかわからない。
僕は適当に見当をつけ、婦人服売り場のある3階へと向かった。
そして、くまなく探してみたが、彼女の姿はどこにもなく、他の階も結果は同じだった。
出口で待っていようかとも思ったが、ここは学校と違って、出口はいくらでもある。
もう出てしまっているかもしれないし。
そこまで考えた僕は、あきらめざるを得なかった。
短かった僕の尾行人生は、こうして静かに幕を下ろした。
そうなると、もうここに居ても仕方ない。
僕は帰宅するためエレベーターを探した。
といっても店内は広い。
ましてや、この店に来るのは初めての僕にとって、頼りになるのは表示板の矢印だけだった。
その指示に従って、僕は歩き出した。
そして、何個目かの矢印を見たとき、僕は何か引っかかるものを感じた。
何だろう。
僕は、エレベーターに乗ってからもずっと考えていた。
しばらくして、エレベーターは1階へと到着。
チーン。
「あ !」
その音で、一休さん方式に答えを導き出した僕は、急いで鞄の中の文庫本を取り出した。
僕は、学校へ戻ってきていた。
といっても、用があるのは学校ではない。
僕は、その横にある喫茶店『こすもす』のドアを開けた。
店内に入ると、すぐに目に入った。
一番奥の席で、文庫本を読んでいる彼女の姿が。
僕が近づいていくと、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「矢印だったんですね」
僕は、手にしていた文庫本を彼女の前に差し出しながら、口を開いた。
そう、あの折り曲げられたページの角は、矢印になっていた。
そして、その角が指した文字を最初から並べると、この喫茶店の名前『こすもす』となる。
「よくわかったわね、どうぞ」
僕は彼女に促され、席に着いた。
そして、ウエイトレスに注文を済ませると、彼女が口を開いた。
「そうか、わかっちゃったか」
「え ?」
「いいアイデアだと思ったんだけどな」
「どういうことですか ?」
「私ね、推理小説書こうかと思って。いいアイデアが浮かんだから」
「ええ」
「それで、悪いんだけど、試させてもらったの」
「これですか ?」
僕は、テーブルの上に置いていた文庫本に視線を落とした。
「うん。そうか、わかっちゃったか・・・もし、誰も来なかったら、学校を辞めてプロを目指そうかなって思ってたんだけど・・・駄目かな ?」
「そんなことないですよ。最初はぜんぜんわからなかったし、わかったのだって偶然ですから」
「偶然 ?」
「ええ・・・」
そこで一瞬考えた。
尾行していたことを、正直に話すべきかどうか。
もし話せば、嫌われるような気がした僕はとっさに・・・
「昨日学校の帰りに、一人で地下街うろついてたら、迷っちゃったんですよ。この辺あんまり詳しくないんで」
「ええ」
「で、表示板の矢印見ながら出口探してたら、偶然思いついたんですよ」
その時ちょうど、注文していたコーヒーが運ばれてきた。
「ふーん・・・デパートじゃなくて ?」
「え ! ?」
「デパートじゃなくて地下街なの ?」
僕は動揺を隠すために、コーヒーを口にした。
「ブラックで飲むの ?」
彼女にそう言われて気付いた僕は、慌てて砂糖とミルクを入れる。
「だいぶ動揺してるみたいね」
彼女は笑いながら言った。
「すいません・・・気付いてたんですか ? 尾行してたこと」
「まあね、エレベーターに乗ったとき、君の顔が見えたから」
「そうですか・・・でも、よく覚えてましたね僕の顔。入学式の時に一回会っただけなのに」
「人の顔覚えるの得意なの」
「そうなんですか・・・でも、表示板の矢印見て思いついたって言うのは本当です。この店まで尾行してきたわけじゃないんで、それだけは信じてください」
「わかってるわ」
そう言って彼女は、コーヒーを口にした。
僕も同じ行動をとる。
そして、一息ついてから、また話し始めた。
「駄目ですか ?」
「え ?」
「入会する資格ないですか ? 僕」
「そんなことないわよ」
彼女は、コーヒーカップを置きながら答えた。
「ちゃんとこうやって、入会式に出席してくれてるじゃない」
「じゃあ・・・」
「もちろん大歓迎よ。よろしく」
彼女は笑顔で右手を差し出した。
「本当ですか。よろしくお願いします」
そう言って、満面の笑顔で、彼女の右手を握る僕の頭の中には、次の質問が思い浮かんでいた。
恋人になる資格は ?