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顔を見せない彼女

作者: 雉白書屋

 死ね、とカップに口をつけた瞬間に呟いたせいで、そのあとに口に含んだコーヒーがやけにドロッと粘りがあった気がした。しかし、それは砂糖を多めに入れたせいだろう。だいぶ甘くなっ――


「と、いうわけで、いやぁ、ほんっと甘い生活っていうのぉ? いやー、悪いな! 結局、俺の方が先に彼女作っちゃってさぁ。わりっ!」


 殺すぞ。"結局"ってなんだ。まるでどちらが先に彼女を作るかを競い合っていて、しかもおれが先に作ると豪語していたみたいじゃないか。

 ……してたか? いや、なんにせよ、確かにおれの方が先に彼女ができると思ってはいた。共に、まったく春も色もない高校生活を過ごし、おれは大学に進学。こいつはフリーター。おれの方が有利だと。しかし、この夜、近況報告会ということでファミレスで落ち合ってみたら、これだ。惚気話を聞かされて胃がムカムカしてきた。


「いやぁ、できるもんなんだぁ。正直、俺さ、なんていうのかなぁ、そういう星の下に生まれてこなかったというかさ。諦めかけてたんだよねぇ……幸せな人生ってのをさぁ……」


 友人のやつはそう言い、どこか遠い目をした。先ほどまでこのクソが、と思っていたのに、そんな声で言われたら、しんみりしてきた。

 こいつは父も母も知らない、養護施設育ちだ。事件など問題を起こしたことがない、いいやつなのだが、施設側にも年齢や人数制限など都合があるのだろう。転校を繰り返し、友人が少ないらしい。やつ自身も、どこか自分の環境は普通ではないという意識があるようで、またそれが人を遠ざけている節があった。


「お前もだけど、俺、正直顔があまり良くないじゃん? だから自信なかったけど、いやぁ、彼女ってできるもんなんだなぁ」


 こいつは実際に顔が良くないが、『そんなことないよ』と言ってほしいのが見え見えだ。こいつの自己肯定感は極限まで高まっている。言ってやるものか。

 ……いや、待て、「お前もだけど」とはなんだ、このクソが。


「それで? 美人なのか?」


 と、おれは訊ねた。どうせ美人じゃないんだろう。やつがどんな顔をしてどう答えるか見ものだ。いや、自分の彼女は可愛く見えるか。


「いや、俺はまだ彼女の顔を見たことがないんだ」


「……ん? いや、だってお前、話の最初の口振りからして、その、したんだろ? 彼女と……」


「ああ、したよ。へへっ、だからさっきも話したろ? いい背中だったってさ」


「帰るわ」


「いや、なんでだよ!」


「嘘なんだろ? 一瞬、SNS上の彼女かなと思ったけど、背中ってなんだよ」


「いや、ホントなんだって。こういうファミレスに来ても、外で一緒に弁当とかコンビニの飯を食ってる時も、彼女はずっと俺に背中を向けてるんだよ」


「はぁ?」


 確かに、思い返せばこいつの話には違和感があった。ところどころパズルのピースが抜けているというか、彼女とセックスしたという話にしても、『白くて綺麗な背中で』だの、彼女が笑ったという話も『笑い声が可愛くてさぁ』と顔という単語が出てこなかったのだ。

 

「歩くときも、俺よりちょっと前にいてさ……顔を覗き込もうとすると、すげー嫌がるんだよね。おまけに髪で顔を隠しているし……」


「そんなこと言っても、一回くらいは見たことあるだろ」


「いや、マジでないの。一度、無理にでも見ようとしたことがあったけど、本気で叫ばれてさ。耳から血が出るかと思ったよ」


「なんだよそれ、超怖いじゃん。怪談かよ」


「おい、人の彼女に何てことを言うんだよ」


「お前もちょっとそれっぽい雰囲気を出してただろうが」


「まあ、そうなんだけど、とにかく気になるし、でも初めてできた彼女だし、この先、彼女ができるかもわからないし、強引に顔を見るわけにもいかないじゃん? だから悩んでてさぁ」


 確かに気味悪く思っているようだが、こいつの中に彼女と別れるという選択肢はなさそうだった。大方、こう考えているのだろう。『彼女も自分の顔に自信がないんだ。でも、いつか見せてくれたらこう言ってあげよう。なんだよ、可愛いじゃん』と。


「死ね」


「え? なんて?」


「いや、今のはなんでもない。それよりファミレスでも背中を向けているって、つまりこんな感じで座ってるってことだろ? 店員さんが怖がるんじゃないか? ここは大丈夫だけど隣との仕切りが低かったら他の客と目が合いそうだし」


 と、おれは向きを変え、足を浮かせてソファの上に膝を乗せた。隣との仕切り板の木目を目でなぞる。


「そうなんだよなぁ……。まあ、彼女とファミレスには一回しか行ったことないし、飯はさっき言ったように外か個室のあるとこにしてるし、今のところ平気だけどさ」


「……なあ」


「うん?」


「実は、その彼女……お前にしか見えなかったりして」


 おれはやつのほうへ向き直り、白目を剥いてそう言ってやった。


「うおっ! だからやめろよ、こえーな」


 やつは驚いてそう言い、苦々しい顔で斜め上を見た。記憶を掘り起こしているらしい。幽霊かイマジナリーガールフレンドか、違うにしても気味が悪い。おれは羨む気が失せ、コーヒーもムラがなくなり、いい気分だった。


「うーん……と、悪いな、そろそろ」


「ん?」


「いやぁ、彼女が迎えに来るからさ」


「ここに迎えに? 墓場からか?」


「おいっ」


「悪い悪い、それで?」


「ん、だから俺、先にここを出て店の前で彼女を待つよ。いやぁ、紹介したいんだけどさ、でもどうせ彼女のことだから、お前にも顔を見せないと思うんだよね。あとで俺に伝えるだろうって考えてさ」


「あー、じゃあ、二人で前後から挟み撃ちすれば、ずっとぐるぐる回るのかな? コマみたいにさ」


「やめろって! 彼女、シャイなんだからさ」


「ははは、わかったわかった。あっ」


「なんだよ」


「いや、おれだけ残ってもしょうがないし、一緒に出ようぜ。ほら、奢るよ。彼女ができたお祝いにさ」


「おお、ありがとう。お前に彼女ができたら、俺が奢るな。難しいと思うけど頑張れよ」


「おお……。あっ」


「ん?」


「いや、そう言えば、その彼女と付き合ったきっかけをまだ聞いてなかったな」


「ああ、向こうから告白してきたんだよ、へへへへっ。いやぁ、この顔がいいみたいでなぁ。探したとか、へへへへっ」


「あ、そう。オエッ」


 おれは店を出て、友人と別れた後、近くの電柱の陰に隠れた。

 やつの彼女はおそらく駅の方からやってくるだろう。この位置からなら顔が見えるはずだ。

 別に見えたからといって、後で友人に教えてやろうとは思わないし、たぶんブスだろう。だからといって見下す気もない。ただの興味本位だ。それに、友人の妄想という可能性もまだ捨てきれない。

 おれは待った。何人か女が通り過ぎ、そして白いカーディガンに花柄のワンピースを着た前髪の長い女が視界に入った瞬間、背筋がぞくりとした。風がその女の髪を跳ね上げ、外灯の下にさらけ出したのだ。

 あの女だ。そう思ったのとほとんど同時に、女が手で顔を隠した。数秒後、友人が女に駆け寄った。

 そして、友人の話通り、女は顔を見せないよう、友人よりも少し前に出て、二人で手を繋いで一緒に歩いていった。

 もしかしたら、前方からすれ違う通行人からは二人の顔が見えているかもしれない。そして、おれが思ったようにこう思うかも。兄妹かな、と。

 おれは吐き気がした。

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