婚約破棄騒動もほどほどに。でないと、
「ブレア。悪いが、君との婚約を破棄させてくれ」
開口一番。
そんなことを言った婚約者に、わたくしの頭は真っ白になった──
わたくしはブレア・パルヴァー。
このシルフェイド帝国の魔法学園に通う子爵令嬢だ。
そんなわたくしにはデイビットという婚約者が居る。
彼は、我が子爵家の近隣領地を統べる子爵家の息子で…彼との関係は、いわゆる政略結婚というやつだ。
なんとも熱や浪漫のない話ではあるが、わたくし自身、家の富に浴して育った娘。家のための結婚ならと、幼いながらにこの婚約を冷静に受け入れていた。
彼もそれは同様だったようで、時には喧嘩もしながら、わたくし達はここまで仲睦まじくやってきた。
だけど……彼は、変わってしまった。
「僕はこの学園で真実の愛を見つけたんだ。リオという女生徒は知っているだろう? 彼女は素晴らしい女性でね…。明朗快活で、聡明で、自信に満ち溢れた彼女の出で立ちは、本当に魅力的で……そんな彼女に、僕は心を奪われてしまったんだ!」
リオ…。
その名前は聞いたことがある。
二、三カ月ほど前にこの学園に入学した新入生で、庶民の出ながら、学業の成績は優秀。その魔法の腕前は、先生達も一目を置く素晴らしいものであるらしい。
そんな彼女に、デイビットは一目惚れしてしまったのだという。
「既に僕の愛はリオにある。君をこれ以上、僕の婚約者という立場に縛っておくのは君に対して不誠実だと思うんだ。
だからブレア。どうかこの話を受けておくれ──」
頭が真っ白になったわたくしは「考えておきます」という言葉しか返せず。
それ以降。彼とのお茶会は、彼がリオの素晴らしい点を語るだけで終わった…。
…ショックだった。
家同士の関係も、わたくしとのこれまでの信頼関係も、デイビットにとってはその程度で流せてしまったことが、信じがたかった。
父と母には、なんて言えばいいのだろう。
彼の妻となるべく、幼い頃からずっと淑女教育を頑張って来たのに…よりにもよって、貴族ですらない庶民の女性に負けるなんて!
「ブレア、知っております? また例の女生徒に恋を患ったとかで、隣のクラスのグレイラ侯爵令嬢が、婚約者から婚約破棄を言い渡されたとか…」
あくる日。
そんな話を、学園の友人達から聞いた。
グレイラ侯爵令嬢といえば、隣のクラスでも一、二を争う美貌と、淑女たる品性を有した女生徒だ。
よもやそんな方まで婚約破棄をされるなんてと、わたしは驚きに身をふるわせた。
リオという女生徒の魅力は、そこまでなのか──?
この学園に通う多くの子女が、次は自分達の番なのではないかと恐怖し……同時に、自分達の婚約者を奪った女生徒がどんな人物なのかと、興味を抱いた。(無論、中には嫉妬と怨嗟を抱いていそうな方も居た。)
結果。婚約破棄をされた令嬢達が連日、件の下級生のクラスに押しかけることとなった。
…恥ずかしながら、わたくしもその中の一人だ。
だって仕方がないだろう。
貴族の子女らしく淑女たれとありたいが、わたくしだって花盛りの乙女。
ましてそれが、自分の男を取られた後となれば…その件の相手の姿を見たいと思ってしまうのは、どうしようもなかった。
「リオ。今日も君は美しいね。どうだい? 今日のランチは僕と一緒に…」
「いや。こんな奴の誘いに乗るぐらいなら、どうかこの俺と!」
「しゃしゃり出るな! 魔法実技の成績は私の方が長けているぞ!」
休み時間の教室の中には、彼女にアプローチをしかける子息達の姿があって、その中にはわたくしの婚約者……いや。もはや「元」婚約者となったデイビットの姿もある。
この時点でわたくしは自分の教室に引き返したくなったのだが、一緒に来てくれた友人達が「ブレア。まだリオって生徒の姿を見れてないわ!」と言ってきては、それも許されない。
しぶしぶつま先立ちをしながら教室の中を覗くと……とうとう見つけた。
背は平均より高め。
次に目についたのは、そのえらく目立つ髪色だった。
恐らくは異民族の血を引いているからだろう。庶民の出にはよくある話だ。
髪は女の命。そんな貴族の教えで毎日丹精にケアしているわたくし達のものと違い、彼女の髪には絹みたいな滑らかさも、目を奪われるほどの美しさもない。
容姿にしたって清潔感は保たれているが、特段煌びやかなものではない。
この伝統と由緒のある魔法学園に籍を置く上で、無礼がない程度の芋女…というのが、わたくしの感想だった。
「あー…すみません。今日もランチは研究室で取る予定なので。お誘いは全部お断りします」
それじゃあ自分はこれで、と。
自分の周りに集まる貴族子息達の間を縫って、彼女はそそくさとクラスから去っていった。
教室の入口にたむろする令嬢達を前にしても「すみません、通りますね」と同じような態度だ。
良く言えばシンプルだが…悪く言えば、武骨過ぎる対応。
実物を下から上まで見ても、やはり彼女は「庶民出の女生徒」でしかない。
なんで自分達はそんな女に負けたのだろうと、わたくし含めた令嬢達は、憤りを募らせるばかりだった。
…まあ。それも、今となっては懐かしい話だ。
かつて学園内にあったこの均衡は、ある日突然、焼失したのだ。
他でもない、わたくしがその目撃者だ。
あれはそう。婚約破棄の話が絶え止まず、そろそろどこかの令嬢が復讐に走ってもおかしくないのでは?なんて皆が思っていた頃。
放課後。わたくしは友人達と中庭に繋がる渡り廊下を歩いていた。
日々の世間話や何気ない愚痴話を嗜んでいたら、不意に「お待ちください!」なんて叫びを耳にしたのだ。
わたくしにとってその声は耳馴染みのあるものだった。
何事だろうと騒ぎのあった中庭に足を向けると…そこでは、あの女生徒・リオを、デイビットが呼び止めているところだった。
「えーと…デイビットさん、でしたっけ。アタシ、今はっきりと言いましたよね。『気持ちは嬉しいですけど、アナタとは付き合えません。すみません』って」
「い、言われた。言われたがしかし、やはり僕は君を諦められないんだ! れ…冷静に考えてみて欲しい。君は僕の気持ちは嬉しいと思ってくれたのだろう? それはなぜだい?」
…彼は一体何を口走っているのだろうと、わたくしは我が耳を疑った。
「貴方の好意は嬉しい」なんて台詞、言葉のアヤだ。
相手を不用意に逆撫でしないための断り文句のテンプレートでしかない。
そんなこと、多少の常識があれば分かるだろうに…デイビットは、そこまでたわけになってしまったのだろうか?
そして、それはリオも思ったことなのだろう。
その顔に浮かんでいる笑顔を構築する上で、一番大事なパーツである眉をひくひくさせていた。
「…アタシ、こうも言いましたよね? 『貴族としての家督があるアナタとでは、アタシなんて釣り合いが取れませんわ』って」
「そんなの関係ない! 第一、君は将来必ず花々しい栄華を手にする本物の魔道士だ!
だって君は、あの栄えある帝国魔道士団を統べる顧問魔道士殿の愛弟子なのだろう? そんな君が、僕達に引けを取るわけがないじゃあないか!」
え────。
デイビットがリークした情報に、わたくしは言葉を失った。
帝国魔道士団とは、我が軍部の中でも最上級のエリートしか所属できない組織だ。それを支援・指導する顧問魔道士様は、世界でも五本指に入るほど名うての魔道士と専ら評判だが…そんな方に弟子が居たなんて、聞いたことがない…!
「…それ。どこで耳にしたんですか?」
「皆がそう噂しているよ。最初は半信半疑だったけど…君の魔法の腕を見て、確信した。君は本物だって! だから──」
「…あー…なるほど。アタシが帝国軍部と繋がってるって分かってたから、どいつもこいつもアタシに言い寄って将来の椅子が欲しかったのかあ…」
リオの言葉はとても冷え切っている。
デイビットもそれに気づいたのだろう。今更ながら、自分の失言に顔を青褪めさせていた。
「いい加減、この面倒すぎる状況をぶち壊したくて仕方なかったのよね~……ふ、ふふふふ…」
今まで学園内で一度も見せたことがない、素晴らしい笑みを彼女は浮かべて──
「≪フレイム・ブラスト≫」
号外に載る放火事件にも劣らない火の勢いだった。
周囲の庭木や校舎に飛び火しなかったのが奇跡的なぐらい、中庭では炎が猛っていた。
それらが犯人自身の手によって鎮火された後、
「これが授業中・休み時間問わず言い寄って来た各男子生徒達から受けたアタシの精神的被害を綴った報告書で、これがアタシの所有物を盗難したと思われる貴族子息達の犯行容疑についてまとめた報告書で、これがそこで丸焼けになっている男子生徒から受けたストーカー被害の証拠資料で…」
事態を収拾すべく駆け付けた先生達に対し、リオは辞書二冊に匹敵するほどの報告書を魔法で顕現させると、涼しい顔でそれらを突き付けていた。
「あまりにも被害が積み重なり過ぎて、つい過剰な正当防衛に出てしまいました。やり過ぎたとは反省しています。すみません」
白々し過ぎるコメントをして、彼女は頭を下げた。
同情の余地しかない身の上だが、しかしそれを上回る豪快な仕返しをしでかした彼女に、先生達は処遇を決めかねているようだった。
そんな彼らの目が、今回の放火事件の目撃者であるわたくし達に向けられる。
「今回のこれは正当防衛だったとのことだが…本当にそうだったのかね?」
わたくし達を見る先生達の後ろで、リオが満面の笑みを浮かべている。
デイビットに正当防衛をしかける寸前に浮かべていた時と同じ、あの恐ろしい笑顔を──
「は、はい…。間違いありませんわ…」
わたくし達は首を縦に振った。
先の惨劇を目にしたばかりだったのだ。
下手な行動が命取りになることは、痛いほど身に染みていた。
そんなわたくし達の証言を受けて、先生達は一旦は納得したらしい。
リオの処遇を決めるにあたり、調書を取るからと校舎のほうへ引き上げていく。
彼女もそれに続く──かと思われたが、その前に彼女は、わたくし達のほうにやってきた。
また脅迫だろうかと身構えていたら、
「こんなことに巻き込んでしまって、すみません」
と。
そんな、予想外の謝罪を述べて来た。
「皆さんのお目を汚す程度には過激過ぎる場面を見せてしまって、申し訳ないと思っています。よければ今度、改めて正式なお詫びはさせてください。
あと…アタシに言い寄ってきていた馬鹿どもに振り回された方も居ますよね? アタシの対応が遅かったばかりに、ここまで騒ぎを大きくしてしまって本当にごめんなさい。でも今回のことが知れ渡れば、流石にもうこんな愚行をしでかす奴も出ないと思うので、そこはご安心くださればと思います…。
あ、あとこれで学内のアタシの評価は散々になると思うんで、それでアタシへの憤りも収めてくれると幸いですかね」
にかっと、リオが笑った。
先の邪悪な笑みが嘘みたいに、朗らかな笑顔だと思った。
「…リオさま…」
隣の友人が、そんなことを言った。
え?とわたしが驚きを露わにするより先に、
「わたくし…か、感激しました…! あなた様の魔法の腕前はさることながら、男性や先生方にも引けを取らないその胆力は、一子女として感銘を受けるばかりですわ!!! そればかりか、わたくし達のようなかよわい者に、ここまでお優しく気遣ってくださるなんて…!」
「は…はあ…。ありがとうございます…?」
眼前の彼女も、この激励に戸惑いが隠せないらしい。
予想外の芽が出た事態に、リオはただただ頬を引きつらせていた──。
かくして。
貴族子息達の「将来有望な庶民出の女生徒を言いくるめてあわよくば…」という幼稚な目論見で起きた婚約破棄騒動は、幕を下ろした。
それに代わり、貴族子女達による「凛々しいリオ様を見守る会」なる謎の非公式サークルが結成され、彼女の学園生活を陰ながら支える女生徒達が出没したらしいけれど……
もう二度とあんなことに巻き込まれたくなかったわたくしは、友人から意欲的に齎されるそれらの情報をシャットアウトすることに、残りの学園生活を費やすばかりだった。
…デイビットはどうなったかって?
あんな色んな意味でやらかして傷物となった男、願い下げに決まってますわ!
凛々しいリオ様を見守りたい会は、最初こそブレアの友人一人の妄言でしたが、リオのほうが度々学外で成果(師匠の使い)をあげた結果、規模がどんどんと大きくなっていたみたいな感じです。
ブレアはまっとうな貴族令嬢で、友人のほうが少し浪漫に弱いタイプの令嬢なんだと思います。
こちら(https://ncode.syosetu.com/n9153ip/3/)で連載中の話にもリオは出て来てるので、よろしければご一読ください!