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ハミルトン亭シリーズ

ハミルトン亭の愉快な人々 リンさん 年齢:17歳 独身 職業:格闘少女 の場合

 大都ウルハス。通称森と泉の都。アラリア大陸人類領域で最も栄えるとされる都。その北東部にある、円形の闘技場。

 天では太陽が彼らを見下ろし、雲すら聴衆となるかのように、風もない。周りの観客席は当然のように超満員だ。

 その熱狂の声を闘技場の真ん中で人ごとのように受け流しながら、彼は胸中で溜息をついた。


(なんでこんなことになってんだろーな)

(宿代をためすぎなのよ)


 相棒の冷めた声に言い返すこともできず、彼はぼさぼさの金髪をかきながら、周りを見回した。

 屈強そうな男たちが、合図があればすぐに動けるよう、それぞれの構えを取っている。

 真横では、少女がニコニコと笑い、こちらを見上げてきていた。


「雑魚はよろしくね」


 笑顔のままのその言葉に軽い目眩を覚え、思わず空を見上げる。

 相棒の言った通り、なぜこんなところに自分がいるのか、その理由は、一週間ほど前に遡る。



 

「こんにちわー!」


 ある日の昼下がり、ハミルトン亭に明るい声が響いた。

 声の主は入り口から入ってきた少女である。歳は18前後だろう、短い銀髪が日の光を反射し、少女の表情をさらに明るく見せている。


「あら、リンさん。おひさしぶりです」


 ランチタイムが終了し、テーブルの片づけをしていた店の女主人が、少女に親しげな声をかける。


「久しぶり。今回はちょっとおっきな仕事だから、10日ぐらい泊めてくんない?それからご飯!」


 リンと呼ばれた少女も嬉しそうにミレアに挨拶を返して、そのまま奥のテーブルに座る。

 遅めの昼食を食べていたレシウスの目の前に。

 まわりは、空きテーブルがいくらでもあるのに。


「……」

「で、おっちゃん誰? 初めてだよね」


 レシウスの半眼に気づいていないのか、あるいは無視しているのか――おそらく後者だろうが――リンはニコニコ顔のまま、向かいのレシウスに声をかけてくる。


「俺はまだ25なんだが」

「あっ、そうなの? ぼさぼさの髪でわかんなかったよ。じゃあお兄さん、誰? あたしはリンだよ」


 レシウスの反論を気にもかけず、リンは親しげに話しかけてくる。あきれながらも、答えを返す。


「俺はレシウス。居候みたいなもんだ」

「そっか。ミレアの優しさにつけこんだ浮浪者じゃないんだね。もしそうだったら、叩き出さなきゃいけない所だったよ」


 ニコニコと物騒なことを言ってくる少女に、レシウスは金髪の奥から覗く瞳に、わずかに力を込めてみる。


「お前にできんのか?」


 が、リンは全く臆することなく、笑顔のまま。


「できるよ。こう見えてもあたしは挌闘家だからね」


 言葉とともに、不意にレシウスの前髪が、揺れた。


「お近づきの印に、一個もらうね」


 風が去った時には、リンの手の中に、いつの間にかレシウスが食べようとしていた鳥のから揚げがあった。


「いっただきまーす」


 むぐむぐ、と美味そうに食べるリンに驚きの視線を向けると、相棒が茶化してきた。


(どうしたの? 珍しくやられてるじゃない)

(……)

(相当な使い手みたいね)


 クスクス、と笑う相棒に何も言い返せず、レシウスはリンがから揚げを飲み込む様子を眺める。

 そして――


「っていうか、俺の昼飯食ってんじゃねえ!」

「いーじゃん、一個ぐらい。心の狭いおっちゃんだなー」

「おっちゃんじゃねえ!っていうかから揚げ返せ!」

「もう食べちゃたもーん」


 二人の争いは、ミレアが厨房からリンの昼食を運んで出てくるまで続いた。




「彼女は格闘大会の常連なんですよ」


 リンが鍛錬をしに行く、と出て行った後、ミレアはレシウスに解説していた。


「2年前は準決勝までいったんだよ」


 厨房の仕事を終えたマークも出てきて、レシウスの隣に座り、補足する。


「それでかなりの腕前なのね」


 相棒であるミラージュも、二人には既に知られていることもあって、気楽な声を肉声で飛ばしてくる。


「格闘大会ってのは?」


 しかし、レシウスは根本的にわかっていなかった。ミレアが紅茶を淹れながら、解説をしようとしたが――


「格闘大会って2年に1回開かれるんだ。街の北東の闘技場で。大陸中から集まるんだよ!」


 マークに興奮気味に先に言われてしまった。姉の少し憮然とした様子にも気づかず。

 助けられて以来、妙にレシウスになついている少年は興奮のままに続ける。


「兄ちゃんも出てみたら? いい線行くと思うよ。入賞者には賞金も出るしさ!」

「いや、俺はあんまり…」

「そうですね。私たちも応援に行きますし」


 断ろうとしたレシウスより先に、ミレアが賛成の声をあげる。


「いや、でも…」

「食費もずいぶんたまってますし」


 致命的なことを言われ、レシウスはしばらくの間、沈黙した。


「…手続きは、頼むな」

「任せてください」


 ようやくそれだけを言ったレシウスに、ミレアが軽く微笑んで、レシウスも微笑を返した。


(尻に敷かれてるわねー)

(……)


 相棒の軽口はとりあえず無視しておいた。




 その夜、夕食を食べに戻ってきたリンに、自分も出場することを伝えると、ニコニコと相変わらずの笑顔で聞いてきた。


「剣士なのに、格闘なんてできるの?」

「本職じゃないことは認めるが、できないわけじゃねえよ」

「ふーん。結構大きな大会だから、怪我しないようにね」

「怪我が怖くて出場できるか」


 そう言ったところで、リンは初めて笑うのをやめた。不意に真剣な表情になる。


「ミレアが、悲しみそうだからだよ」


 その言葉に、レシウスは虚を突かれたように一瞬黙った。


「なるべく、努力する」


 結局頭をかきながら、そう頷くと、リンは再び笑顔に戻った。


「ルールの説明してあげるよ。予選はバトルロイヤルだね。8人になるまで闘技場で殴りあうんだよ」

「何もしなけりゃ楽勝だな」


 いきなりサボることを考えているレシウスに、しかしリンは首を横に振る。


「8人しか残れないからね。それなりに頑張らないとムリかもね」

「ちっ……」

「んで、決勝はトーナメントだよ。予選一日、決勝一日でやるから、ハードだよ」

「確かにな。きつそうだ」


 まあでも賞金さえもらえればいいから、決勝まで残ったらさっさと負けよう、などとレシウスがやる気のないことを考えていると、リンが知らずに追い討ちをかけた。


「賞金は3位までしかでないから、がんばってね。ちなみに優勝候補は前回優勝者、ヴェノムと、警備隊の隊長の息子アルベルト、それからあたしだからね」

「……」


 レシウスは机に突っ伏した。




「――それでは、これより開始する!」


 レシウスを回想から引き戻したのは、主催者の宣言ではなく、その後に続いた、観客と参加者の割れんばかりの歓声だった。


「じゃ、決勝でね」


 言い残し、リンは早速手近な男を蹴り倒し、スリットの深く入った格闘用らしきドレスを翻し、戦いの輪の中に消えていく。


「若いなあ」

(おっさんねー)


 相棒の声を無視し、レシウスはリンとは反対方向、つまり円形の闘技場の壁際に下がっていく。ちなみに相棒はミレアに持っていてもらっている。さすがに腰に帯びているわけにはいかなかったからだが、ツッコミ癖はなおらないらしく、念話を飛ばしてきている。

 壁に背を預け、怒号の飛び交う中心部を見ると、なるほど、どれもそれなりの使い手が揃っている。その中でも特に圧倒的な強さを見せているのは、3人だ。

 まずはリンだった。身長のわりに長い足を活かし、蹴りとスピードで周囲を翻弄している。女性の格闘術として有名な、蹴撃術の使い手らしい。それも、レシウスが出会った中では最高の使い手だった。

 次に目に付いたのは、背の高い若い男だった。茶色の髪を真ん中でわけ、警備隊の制服に身を包んでいる。およそ格闘家とは思えない優しげな瞳とは裏腹に、流れるような動きから繰り出される拳は鋭く、速い。彼が警備隊長の息子、アルベルトだろう。

 そして、ヴェノム。大会前に誰もが口にしていたその名前は、レシウスも忘れずに覚えていた。魔族の中でも、格闘技に優れた一族、鬼魔オウガ族。その一人であるヴェノムの力量は頭一つ抜け出ているように見えた。


(っていうか、魔族はアリなのか?)

(この街は魔族も多少はいるから、抵抗がないんでしょうね)

(なるほどな)


 相棒の解説に頷くと、ふと目の前に二人組みの男らしき物体が立っていた。

らしき、というのは二人とも全身鎧に身を包み、面頬を下ろしていたからである。


「そんなところで何を見物してんだ?」

「やる気あんのか、ああ?」

「いや、やる気はないんだが金は欲しい」


 げんなりとしながら、声からして男と確定した物体に返事をする。


「つーか、お前らのその格好は何なんだ? 格闘できるのか? それで」


 冷めた声で告げるが、男達はたじろぐどころか、逆に胸をそらしてくぐもった笑いを上げた。


「ふはははは! 確かに暑いし、重いが、これで殴られても痛くない!」

「しかも鎧の重さで攻撃力もアップだ!」

「何だ、攻撃力ってのは…」


 馬鹿馬鹿しくなってきて、一人に足払いをお見舞いする。油断していた男はまったくあっさりとひっくり返った。


「んで、どうやって起きるんだ?」

「……」


 男は無言でしばらくじたばたしていたが、やがてどこからともなく白旗をとりだして、降参の意志を表明した。


「さて…」


 レシウスがもう一人をじろりとにらみつけると、たじろいだように一歩引いて、


「お、俺はこかされないからな!」


 わめくように言いながら殴りかかってきた。しかしレシウスは慌てず騒がず、拳を少し引いて迎え撃つ。

 ズガン!

 次の瞬間には大きな音を立て、男の胸にレシウスの拳がめり込んでいた。

 その音の大きさに、他の参加者たちも、もちろん観客たちも、すべての視線をレシウスに向けていた。

 静まり返る闘技場の中で、レシウスはゆっくりと拳を引き抜いた。

 鎧はへこむでもなく、拳の大きさだけ、穴が空いていた。

 男が音を立てて地面に崩れるのを一瞥して、レシウスは再び壁にもたれかかった。



 そうして、レシウスはそのまま、予選を通過した。




 太陽が西の空に傾き始めたころ、予選は終了した。観客席の人々が、口々に感想を述べながら帰り支度を始めている。


「いやー、面白かったな」

「明日の決勝が楽しみだな」


 ミレアの背後からも楽しそうな声が聞こえてくる。


「誰が優勝するだろうな」

「そりゃヴェノムだろ」

「いや、リンも凄かったから、わからんぜ」

「そうだなー」


 口々に勝手な予想を立てていく観客の中で、レシウスが優勝すると思っているものは多くなかった。

 ただ、小手先の作戦で予選を無事に通過したと思われているようだった。鎧の男たちはレシウスの用意したサクラという予想が、大勢を占めている。何故参加者の残りが手をださなかったのか、ということについてはあまり検討されていない。


「そうなんですか?」

「そんなわけないでしょ」


 尋ねてくるミレアにミラージュは苦笑気味に答える。


「あいつがサクラを雇えるほど金を持っているとは思えないわね」

「…そんなに、厳しいんですか?」


 喋る剣の癖に現実的な発言をするミラージュに、言葉を詰まらせながらも、尋ねる。


「かなりね。今のままじゃ、もう2週間が限界でしょうね」

「……」


 黙ってしまったミレアに、ミラージュは明るい口調で続ける。


「だから、今回は賞金取れるまではがんばるはずよ」

「そう、ですか」

「心配しなくて大丈夫。さ、帰りましょ」


 2人と1本は席を立った。




 一方、選手控え室。

 控え室は一人一部屋が与えられているが、それとは別に休憩所のような大部屋もある。

 その大部屋で、リンがレシウスにくってかかっていた。


「雑魚はよろしく、って言ったのに、何でサボったの?」

「お前がさっさと突っ込んで行ったんだろーが」

「んー、まあね」


 意外に素直に納得すると、もう見慣れた笑顔に戻る。


「でも、明日はまじめにやったほうがいーよ」

「わかった」

「嘘でしょ」

「ああ」

「何でそーいうこというのかな、このおっさんは」

「おっさんじゃねえ、って言ってんだろ」

「楽しそうですねえ」


 二人の早口に隣から割り込んだのは、アルベルトだった。優勝候補の一人で、次のウルハス警備体長と目されている男である。

 リンとは2年前に激闘を演じ、それ以来の友人ということだった。

 リンはこの年の近い友人に、笑顔のまま反論した。


「こんなやる気のないおっさんと闘っても楽しくないでしょー」


 いかにも純粋な格闘家らしいことをのたまうリンに対し、アルベルトは首を横に振った。


「僕は楽に勝てるほうがいいからね」


 レシウスは意外な発言に、この10代の若者に興味を持った。

 その興味のまま、尋ねる。


「お前は、最強を目指しているんじゃないのか?」


 しかし、アルベルトはそれにも首を横に振る。


「じゃあなんでこんな大会に出てるんだ?金に困っているわけでもないだろう、警備隊に入っているなら」

「僕は優勝の事実が欲しいんです」

「どういうことだ?」

「僕はウルハスの警備隊員です。格闘大会で優勝するほどの腕がある、と思わせられたら余計な争いをせずに犯罪者を捕縛できるでしょう?」

「なるほどな」


 レシウスは頷いた。この若者は年に似合わず、強さよりも強さを使う目的に重点を置いているようだ。

 そこで、一つ提案をしてみる。


「俺は賞金だけが欲しい。だから、お前と当たったら負けてやるから、いくらかくれねえか?」


 するとアルベルトはすぐに頷いた。


「ああ、それはいいかもしれませんね。いくらお望みですか?」

「そうだな…」


 まったくあっさりと八百長の交渉に入った二人を、リンは半眼で見ていた。


(どうしてあたしの周りの男はこんなんばっかりなんでしょーね)


 思いながらも、一人の男を思い浮かべる。

 ヴェノム。鬼魔族の格闘家。

 強く、どこまでも高みを目指す男。


(今度こそ、あいつを倒してみせる)


 2年前に敗れた借りを、この大会で。

 思わず拳を握り、遠くを見据える。

 ふと、横からの視線に気づいた。

 見ると、交渉ごとを終わらせたらしい二人が、奇妙な表情でこっちを見ていた。


「な、何?」

「いや、なんで一人で百面相してんだ?」


 レシウスの呆れたような言葉に、珍しくリンは真っ赤になった。




各自が休憩所で夕食を取った後、レシウスは一人、まだ残ってお茶を飲んでいた。

 アルベルトと話がついたので、できれば早く彼と当たりたい。当たればわざと負けて、金ももらうことができる。


「よう」

「?」


 突然かけられた声に反応してカップから顔を上げると、一人の男が立っていた。黒髪黒目、背も高からず、低からず。

 一見して人間と区別のつかない、しかし、黒く細い1本の尻尾がこれ以上ないほど明確に人間とは違うことを証明している。

 鬼魔族、ヴェノムである。


「何の用だ?」


 相手を確認した瞬間に興味を無くしたかのように、レシウスは再びカップに口をつけた。

 その様子を苦笑するでもなく、ヴェノムは向かいの席に腰掛ける。


「見ていたぜ。予選の技」

「そうか」


 出し抜けに言われたことにも興味を示さないレシウスに、ヴェノムはなおも続ける。


「あれだけの破壊力を持っているのは、あんたと俺だけだ。それに、そのことに気づいているのも」

「……それで?」

「別に。俺と当たったら、手を抜かずにやってくれ、と言いたいだけだ。どうせ俺とあんたが当たったときが、事実上の決勝だ」


 レシウスはそれには答えず、かわりに一つの質問をする。


「お前は何でこんな大会に? 鬼魔のお前が出るほどのもんでもないだろう」

「確かに。この前はがっかりした。だが、この大会はきっかけとしては優れている。あんたのような、強者と出会うための、きっかけとしては」

「なるほどな。それで、お前は自分が最強であることを示したいのか? 誰に、何のために?」

「示したいのではない」


 ヴェノムは、レシウスを正面から見据えた。


「知りたいのだ。今、俺はどこにいるのかを」


 その瞳は、リンと同じく純粋に輝く瞳だった。レシウスが輝きに思わず眼を細めるほどに。

 それを言葉には出さず、代わりの軽口をたたく。


「哲学的だな」

「かもしれん。だが、俺には現実に必要なことだ」


 ヴェノムは、席を立った。




 翌朝、早めの朝食の後、闘技場で組み合わせ抽選会が行われた。

 最初に指名されたレシウスは無造作に箱の中の球を一つ取り出した。


「1番だ」


 それを司会に渡し、一旦下がる。

 その後、それぞれが球を取っては司会に渡していく。

 リンは7番、アルベルトは4番。


(一つ勝てばアルベルトとか)


 できれば一回戦からアルベルトと当たりたかったが、そうもいかないらしい。

 ――ってことは、一人倒せばいいわけだ。

 その一人、2番の球を取った相手に顔を向ける。

 彼は、ヴェノムはニヤリと笑いかけてきた。




「ごしゅーしょーさま」


 準備のため、控え室に戻ろうとするところをリンが呼びとめ、開口一番こう言った。


「うるせえなあ……」


 レシウスが明らかにがっかりした声で返事をすると、リンは不意に真面目な顔になった。


「アルベルトとの約束にはあんたは勝たなきゃいけない。でも、勝算はあるの?」


 こちらを値踏みするような視線。恐らく、リンも薄々感づいているのだろう。レシウスの力に。

 しかしレシウスは応じない。今更値踏みさせる気はない。


「さあなあ」

「さあなあ、ってこのおっさんはほんとに……」

 半眼でうめいてかぶりを振る少女に、レシウスは席を立ちながら不意に真剣な声を送る。

「勝算がないと、お前は戦えないのか?」

「んなことはないけどさ」


 ふくれっつらをする少女の頭に軽く手を置き、歩き出す。


「ヴェノムは俺に言った。今、自分がどこにいるのかを知りたいと」


 驚き、振り返る少女に視線を返すことなく、レシウスは続ける。


「だから、しょうがないだろう?」


 その言葉は言い分けの響きを含んでいた。誰に、何を言い訳しているのか。リンは疑問に思うが、すぐに気づく。

 少なくとも、自分に対してではないことを。自分など眼中にないことを突きつけられ、リンは呆然とその姿を見送った。




「あ、出てきたよ!」


 マークが興奮して指を指す先には、レシウスの姿があった。金髪碧眼、標準よりも高い背、引き締まった身体。観客席からでもミレアははっきりとその姿を捉えていた。


「え?」


 そしてその姿に、不意に違和感を覚える。

 瞳が、違う。遠くからでも、錯覚ではないと確信できる。

 いつも気だるそうにしている、よくも悪くも集中力のないその瞳に、力がある。

 驚いて視線を彼の相棒に向けると、ミレアとマークの間に置かれていた彼女は声をかけてきた。


「気づいた?」

「ええ……」

「あの馬鹿。真剣にやるわよ」


 溜息すら混ぜたその声に、ミレアは疑問をそのままぶつける。


「やる気を出すのは、いいことじゃないですか?」

「もちろん、悪いことじゃない。ここの生活を続けるには、確かに賞金も必要」


 はあ、と今度は溜息を実際について、ミラージュは言葉を続ける。


「あんまり目立つとまずいんだけどね……」

「? どういう……」


 ことですか?という言葉を発する前に試合開始のドラが響いた。

 双方に、ひとかけらの不安を残したまま。




 音とともに動いたのはヴェノムが先、だが間合いに入り込んだのはレシウスだった。


「ふっ!」


 息吹とともに繰り出すアッパーを、ヴェノムは両腕をクロスさせ、かろうじて防いだ。

 しかしふわり、と浮き上がる身体にはその後を防ぐ術はない。ヴェノムは立て続けに拳を浴びて吹き飛んだ。

 オオオオ! と誰も予想のできなかったオープニングに歓声が上がる。

 それには何の反応も示さず、レシウスはただじっと立っている。

 ヴェノムが起き上がり、嬉しそうに笑う。


「やはり俺の眼に狂いはなかった。あんたは今まで会った中で最強の相手だ」

「まったくこの格闘オタクが……殴られて嬉しそうにするんじゃねえ」


 うんざりと言うレシウスに対して、ヴェノムはしかし、クックと笑う。


「いやすまない。しかし、本当に嬉しいんだ。ずっと、求めていた恋人に会えた気分だ」

「やめろっての……」


 本気で嫌そうにするレシウスに、ヴェノムは見せつけるように大きく構えを取る。

 その空気を察して、レシウスも同じく。


「じゃあ、行かせてもらうぞ」

「ああ」


 強い笑みを作るヴェノムと、眼を真剣に開くレシウス。

 そして――

 二人の姿が、掻き消えた。

 少なくとも、ほぼ全ての観客にはそう見えた。

 あまりにも異様なその光景に、広い闘技場には不気味な足捌きの音だけが残っていた。




「大したスピードね」


 待機所から戦いを見ているリンは淡々とそう評価した。正直、かなり意外だった。

 おそらくかなりの使い手だろうと思ってはいたが、ここまでとは。

 口だけではなかった、ということだ。


「確かに異常なスピードですね」

「アルベルト」


 栗色の髪の青年も、眼を細めて二人の戦いを見つめている。その瞳には、リンのように驚きだけで満たされてはいない。


「でも、あんなのはすぐ終わりますよ」

「え?」

「そろそろお互いの動き方がわかってきたでしょうし」


 アルベルトが言うのを待っていたかのように、ガン! と音が響きそして――

 さらに大きな音と共にレシウスが壁に叩きつけられていた。



(あんなに力入れて、負けてるじゃない)


 相棒の声に顔をしかめながら、レシウスは立ち上がった。


(参った……予想以上に強いぜ、あのヴェノムって奴)

(勝つの?)


 勝てるの? とは聞いてこない相棒に苦笑して、答える。


(知りたいらしいからな)

(知らないわよ。後でどうなっても)

(わかってる。だがまあ、休憩は終わりがあるのが当然だからな)

(いいのね?)

(……)


 確認の言葉に答えず、レシウスはヴェノムを見た。


「どうした? 終わりじゃないだろう?」


 その言葉に思わず苦笑がもれる。


「ああ。ちょっと休んでただけさ」


 ふう、と息を一つ吐いて、レシウスが続ける。


「しょうがねえ。こっからは本気だ」


 言って、無造作に蹴りを繰り出す。上段の回し蹴り。

 屈みながら前進して身体を入れるヴェノムの頭上から、踵を落とす。


「くっ!」


 だが、それでもレシウスは止まらない。その足を地面につけると同時に肘を前に突き出して、跳んだ。


「がっ…」


 めきり、と肘が鳩尾に突き刺さる。

そこを――


「はああ!」


 追撃をかけようとするレシウスに、ヴェノムがカウンターでフックを合わせた。

 ただのフックではない。鬼魔族独自の、魔法格闘術の光が拳を包んでいる、まさに一撃必倒の技。

 しかしその、ヴェノムにとって最高のタイミングで、最速の軌道を、最大の威力で放ったその一撃は――

 レシウスに避けられ、余波が大きく砂埃を上げただけだった。

 観客の視線から閉ざされたその小さな閉じられた世界で、ヴェノムは聞き、


「お前は高い位置にいるよ。だがまだ頂上じゃねえよ」


 そして見た。

 レシウスの拳が、緑色に輝くのを。


「これが残りの距離だ」


 圧倒的な衝撃。

 そしてヴェノムの視界は、闇に閉ざされた。




 ヴェノムが眼を開けると、そばには見知った顔がいた。

 前回大会で会った人間の少女だ。


「起きたわね」


 ニッコリと笑うが、どこか不自然だ。


「試合は?」

「今から決勝。あたしと、アルベルトで」

「レシウスは?」

「あいつはアルベルトと激しい戦いをして、惜しくも敗れたわ」


 少女の、棒読みの解説口調にヴェノムは苦笑した。


「八百長か」


 リンは苦々しく頷いた。


「そゆこと。何考えてるのかしらね。あんなに強いのに」

「彼にとって、この大会に意味はないのだろう」


 ヴェノムには確信を持って、それがわかった。

 リンはわからないようで、視線で先を促してくる。


「俺は、好敵手と出会うきっかけとして、この大会を認識していた。だが、彼は、レシウスは自分が一番強いと思い込んでいる。だから、好敵手を探すことはない。最強を示すこともない」

「あんだけ強くて、戦いに興味がない?」

「興味がないわけじゃない。面白くないんだろうよ。相手がいなくて」

「……」


 黙り込むリンに、ヴェノムは自嘲を込めて追い討ちをかける。

「嫌になるよな。やっと最強がどれほどのものかわかる気がしたのに、そいつは俺たちのようにそれを求めてたりはしてないんだから」

「ほんと、まったくそうね」


 呟き、リンは睨みつける。ヴェノムではなく、ここにいないその男を。


「でもそんなのは間違ってる。あたしがそれを、わからせてやる」


 強く笑い、じゃね、とリンが出て行った後、ヴェノムは一人くっくっ、と笑い声を上げた。


「俺もまだまだだ。この大会に2人も目標がいたことに、気づかなかったなんてな」


 もういない少女に頑張れよ、と呟いてみる。

 そんな自分がおかしくて、彼はまた笑みを浮かべた。




 決勝は、つつがなく終わった。激しい攻防を繰り広げたリンとアルベルトだが、最後にアルベルトの投げが決まり、誰もが疑問を挟まない結果となった。

 その後の表彰式も特に問題はなかった。アルベルトがよりいっそうの治安維持に努めることを誓い、観客からは万雷の拍手で迎えられた。

 そしてミレアは、マークとミラージュとともにレシウスとリンの慰労会をしようと宿で準備をしていた。

 しかし――


「遅いですね」

「まあ、そのうち帰ってくるわよ」


 気楽な返事を返すミラージュに、しかしミレアは落ち着かない。


「ちょっと見てきます」

「やめときなさい」

「え?」


 止められるとはまったく思わず、ミレアは尋ね返した。


「普通の人は、あんな戦闘バカ達のコミュニケーションは見ないほうがいいわよ」

「……」


 冗談めかしたその言葉に、ミレアはなぜか言い知れぬ寂しさを覚えた。




 レシウスが荷物をまとめ、控え室を出ると知った顔がいた。あるいは、いると予想していた顔が。


「お疲れ」


 ニッコリと笑いかけてくるその顔は、しかし強い意志が表れていた。

 素通りすることは、できなかった。


「お疲れさん。決勝惜しかったな」

「んー、まあね」


 笑顔が、消える。


「あそこで全力ってわけにもいかなかったからね」


 なぜだ? とは聞かない。聞く必要もない。

 その眼を見ればわかることだ。


「ちょっと、つきあって」


 だからレシウスは、少女の言葉に黙って頷いた。


 リンがレシウスを連れていった先は、誰もいなくなった闘技場だった。

 リンが片足をわずかに引き、構えてくる。


「あんたは、何がやりたいの?」

「さあなあ」

「力がありすぎて、何をしたいかもわからなくなってるんでしょ?」

「…かもなあ」

「あたしが、その曲がった根性を叩き直してあげる」

「お前じゃ無理だ」


 言ったその瞬間、足元に痛みが走った。

 動きも見せない、ローキック。

 レシウスは自らのミスを認めた。

 目の前の少女は、強い。下手をすればヴェノムより。


「あたしは2年前、ヴェノムに散々にやられた。でも今年は、勝つつもりできた」


 その瞳の強さに、レシウスは戸惑った。リンが2年でここまで強くなれた理由は――


「なぜなら、あたしにはたどり着きたい場所があったから。でもそこは終わりじゃない、次への始まり」

「……」

「いつまでも足踏みしてるおっさんに、その大切さを教えてあげるよ」

「おっさん言うなって」


 口調とは裏腹に、レシウスは笑った。リンと同じ、強い笑み。


「行くよ」

「こいよ」


 二人が同時に一歩を踏み出す。そして次のステップを踏む。

 次、次、次。

 次第に速さを増し、お互いの動きが常人には見えないスピードに上がっていく。だが、眼で追えなくても気配はしっかりと捉えている。そしてお互いの動きを感じ――

 ガッ!

 互いの蹴りが上段で交差する。

 次撃は、リンの方がわずかに速かった。足を振り切るよりも早く、片足で跳躍する。その勢いを利用し、上げた軌跡をそのままに足を振り下ろす!


「ちっ!」


 右腕でブロックし、落ちてくるところに左の拳を――

 当てるよりも速く、また足が跳ね上がる!

 今度は受けきれず、レシウスの顎が上がった。

 そこに強烈な前蹴りが叩き込まれる。

 何とか踏みとどまり、正面を見るが、リンの姿はもうない。

 気配は、横から。

 鋭い蹴りが再びレシウスを捕え、闘技場の壁まで弾き飛ばした。


「いや、ここまでとはな」


 心からの賞賛を口にし、レシウスは立ち上がった。


「今のお前の力はヴェノムを超えてるよ。間違いなく」

「でしょ? んで、ここであんたに勝って、あたしはさらに高みへ行くの」

「それはまだ無理だろ」

「どうかしら」


 言葉が終わると同時、再びリンの姿が掻き消えた。

 だが――

 ガッ!

 音とともに、側面へ回り込もうとしていたリンが吹っ飛んだ。


「くっ!」


 何とか態勢を立て直し、今度はステップインしての回し蹴り。

 だが、それもレシウスには当たらず、再び衝撃がリンを襲う。


「うそ……」


 今度は耐え切れず、リンは地面に転がった。


「わかったろ? まだ、お前は頂上にはいないんだ」

「まだよっ!」


 叫びながら立ち上がる少女に、レシウスは強く笑いかけた。


「何度でもかかってきな。それがお前を、また強くする」

「はあああっ!」


 誰もいない闘技場で、二人の言葉と、リンの気合、そして地面に転がる音だけが響き――

 緑色の光が一瞬瞬いて、音はやんだ。

 



 日がとっぷりと暮れてから帰ってきた二人に、ミレアは珍しく目をつりあがらせてまず身体を洗い、着替えるように命じた。

 あまりの剣幕にこの街最強の格闘家であるはずの二人は何も言わずにその命令に従った。

 それでも着替えが終わるころには女主人の機嫌もすっかりとなおり、慰労会がつつがなく開かれた。

 途中で他の部屋の常連も降りてきて、その夜は大いに盛り上がった。

 そして宴がすっかりとお開きになった深夜、レシウスの部屋では――


「わかってるわね」


 ミレア達が決して聞くことのない、真剣なミラージュの声がレシウスにかけられていた。


「ああ」

「これで、時間は残り少なくなったわ」

「わかってる」


 声を返すレシウスも、常にはまず見せることのない真剣な表情を浮かべる。


「なんで、力を使ったの?」

「高みを、知りたかったらしいからな」 


 何度目かの今日同じ質問に、何度目かの同じ答えを返す。


「無駄に力を使って。あんたの身体が治るのが遅くなるだけよ?」

「わかっている。それでも、見せてやりたくなったんだよ」

「変なところでお人好しね」

「いいだろ、別に」


 言い捨てて、レシウスはベッドにごろん、と横になった。


「どうせあてのない旅だ。気ままにいくさ」


 珍しく微笑みを浮かべたレシウスに、剣に魂を宿した相棒は、何も言わなかった。

 


 空には、旅人の道しるべ、北に浮かぶ北極星が街の明かりに紛れることなく、輝いていた。


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