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退魔の聖女ですが「お前を愛する日は永遠に来ない」と言われたので、どうやら媚薬を盛るらしい

作者: 小松るみや


「フロレンティナ。俺がお前を愛する日は永遠に来ない」


 今日式を挙げて夫となったばかりの、ジークベルト王太子殿下の薄い空色の瞳が、研ぎ澄まされた刃のような鋭さで私を睨みつける。

 寝室を照らす常夜灯でぼんやり浮かび上がるのは、私の地味な黒髪とは正反対の輝くばかりの金色の髪。彼の精悍な姿は、神殿の祭壇画から抜け出た神のような美しさだ。


「……どうしてですか」

「この婚姻は希少な能力を持つ聖女を保護する為だけに結ばれたもので、それ以上でもそれ以下でもない。この俺が運悪くお前の伴侶になったのは、婚姻できる都合のいい王族が他にいなかったからだ」


 退魔の聖女。

 100年に1人だけ出現するその聖女は、同じく100年毎に復活するという魔王の脅威に対抗する為に、女神に魔物を退く聖力を授けられた女性だ。

 私は幼い頃、突然左手の甲に聖紋が浮かび上がり、どういう経緯か身ひとつで神殿に連れて来られた。


「いずれ王となり国を治めるこの俺を、隣で完璧に支えてくれる妻を娶りたかった。お前のような神殿育ちの世間知らずで、何の役にも立たない女など不要だ」

「待って下さい! 私は少しでもみんなの役に立てるように、この国に“魔”を入れないよう毎日精一杯祈っています! ……今はまだ力は弱いけど、聖力が上がれば魔王が復活するのも未然に防げるって……!」


 私の言葉を聞いてジークベルトは唇を歪めて鼻で笑った。


「祈る? そもそも誰もお前が聖力を使うところを見たことが無いそうじゃないか。左手に刻まれたその聖紋は本物なのか? 刺青を施して聖女に成り済ましているのではないのか」

「そんなっ……」


 成り済ますなんて、とんでもない。

 出来れば聖女になんかなりたくはなかった。預けられた神殿でのお勤めは、幼なかった私にはとても辛いものだったから。

 でも国の安寧のためだと、16歳の今まで必死に祈り続けてきたのだ。


「お前を神殿に売った親は、さぞや性根が腐っていたのだろうな、金欲しさに自分の子に罪人まがいの刺青を入れるなんて。その血がお前にも流れていると思ったら反吐が出る。───お前と子をもうけずに済んで心の底から安堵している」

「……子供、ですか?」

「知らないのか? ほとんどの聖女は純潔を失うとその能力が消えてしまうのだそうだ。だから希少な能力を持つ聖女との性交渉は禁じられている」


 私は耳を疑った。


 それじゃあ、私は一生お母さんにはなれないの?


「でっ、でもっ、貴族や王族には血の繋がった後継が必要だと聞きました。子供ができなければ困るのではないですか?」

「困るさ、だから聖女を娶った王族には特例で側妃を持つことが認められている。お飾りの正妃であるお前は、せいぜい聖女のフリをして安穏と暮らしていろ。俺は国中の貴族令嬢たちの中から、唯一の運命の女性を見つけ出して側妃とする」


 一方的に言い捨てると、ジークベルトは踵を返して部屋を出て行った。残された私は、乱暴に閉められたドアを呆然と見ていることしか出来なかった。





 物心ついた時にはもう神殿で暮らしていた私は、両親を全く覚えていない。


 きっと褒美を貰えると思って神殿に連れて来たんだろうと、両親のことを悪く言う神官たちは大勢いた。

 神事を行うことが中心のその場所で、私に家族のような温かい言葉を掛けてくれる存在は皆無だった。私は愛情に飢えていた。


 だから私は、幼い頃から自分の都合が良いように夢想してきた。

 本当は、両親は私を神殿なんかに渡したくなかったのに、手の甲に現れた目立つ聖紋を隠しきれず、無理矢理引き離されたのだと。

 母は連れて行かないでと泣き叫んで懇願したはずだし、娘を奪われた父は、周りから抑え込まれながらも抵抗しただろう。

 ふたりは今でもずっと、生き別れた娘の幸せを願い続けていると。


 時折「フロレンティナ」と、優しく名前を呼ばれる気がするのだ。

 周りを見回しても誰の姿もないのに、髪や頬を優しい手でそっと撫でられたような、懐かしい胸に抱き締められているような、無性に泣きたい気持ちになるのだ。

 これは幼い頃の記憶なのだろうか。

 父の手の感触なのだろうか、母の胸の温かさなのだろうか。

 ふと甦った、記憶の中の温かさを失いたくなくて、私は自分で自分を抱きしめる。


 消えないで消えないでお願いだから。


 でも、いつもその記憶の中の温もりは、私の内側に留まってはくれず、霧散してしまうのだ。


 時の経過とともに私の夢は、両親に抱き締めてもらう事から、自分の子供を抱き締める事へと変わっていった。

 両親に会うことは叶わなくても、自分の子供ならば、いっぱい愛して抱き締めてあの温もりを伝えてあげられる。


 婚約が決まってジークベルトと顔合わせした時、こんな素敵な人と自分が結婚できるなんてと舞い上がった。

 単純すぎて自分でも笑ってしまうけど、一瞬で恋に落ちたのだ。

 一緒に子供を産み育て、家族になる夢がようやく叶うのだと、結婚までの日々を指折り数えて待ち侘びた。

 

 けれども、夢はあっさりと破れた。





 正妃である私との結婚式を無事に終えて、翌日にはジークベルトの側妃選定が解禁となった。

 聖女との婚姻が形式上のものだと周知されているので、側妃とはいえ実質正妃だ。国中の貴族令嬢たちが未来の国母となるべく、遠路はるばるやって来て王宮に滞在した。

 連日、舞踏会やお茶会が催され、ジークベルトは執務の合間を縫って多くの令嬢たちと積極的に語らっているようだった。


 その一方で、彼は私とのお茶の時間にも毎日やって来た。

 私が祈りを捧げるようになってから、国内に魔族が入れなくなっているのは事実なので、国王陛下に聖女を無下にするなと絞られたようで「不本意だが、最低限の交流は図る」と、憮然とした表情でティーセットの前に座った。


「遠目でお見掛けしたのですが、皆さまとってもお美しい方ばかりですねぇ」

「……」

「どなたか心惹かれるご令嬢はいらっしゃいましたか?」

「……」

「側妃をお迎えしてお子さまが産まれたら、ぜひぜひっ、私にもお話をする機会を下さいね」

「……フロレンティナ、お前には関係がない。将来側妃が産む子供にも一切関わってはならない」

「……はい」


 しょんぼりと項垂れた私を一瞥して、ジークベルトは心底不愉快そうに顔を歪めたまま席を立ち、何処かへと去って行った。

 大抵は茶菓子を少しだけつまみ、お茶を一杯だけ飲んだら無言のまま消えてしまうのが常なので、今日は会話があった方だ。

 話は弾まず、心の交流は欠片も無いけれども。


 側妃候補の令嬢たちが羨ましすぎて、声を上げて泣きたい。

 彼女たちの中に、ジークベルトに愛されて幸せを手に入れる女性がいると思ったら、胸の中がモヤモヤして平静じゃいられなくなる。

 上辺だけ王太子妃殿下と呼ばれて恭しく接せられても、少しも嬉しくなんかない。


 私はお母さんになりたかった。

 ジークベルトの子供を産みたかった。


 年頃になった女の子が大切な人と愛を育み、命を繋いでいく。

 そんな当たり前の幸せを、手に入れることが出来ないと分かっていたのなら、聖紋が現れたその時に、私の両親が忌まわしい左手を切り落としてくれていたら良かったのに。





 カルラと知り合ったのは偶然だった。

 王族だけが入れる庭園を護衛を付けずに散歩していると、植え込みの脇にうずくまっている背中を見つけた。

 具合でも悪いのかと背に手をかけると、びくっと大きく震えて呻き声がした。

 振り返ったその顔を見て驚愕する。燃え上がるような緋色の髪の下には、焼け爛れたような皮膚が顔や腕を覆い、ジクジクとした滲出液が生々しく滴っていた。悲鳴を上げなかったのが不思議なくらいだ。


 彼女はカルラ・マクマホン子爵令嬢と名乗り「お目汚しを失礼いたします」としきりに謝り、少しだけ距離を空けた。

 顔の造作は整っている。この爛れた皮膚さえなければ物凄い美人だったはずだ。


「子供の頃負った火傷でこの有様です。ご覧の通り、本来なら側妃の選定に参加できるような姿ではないのですが、万が一の事があるかもと、父に無理矢理に参加を強要されました」

「大丈夫なの? 傷は今でも痛む? 具合が悪いなら人を呼んでくるわ」

「いいえ王太子妃殿下、大丈夫です。美しいご令嬢たちの中で居心地が悪く、人気の無い方へ歩いていたら迷ってしまったのです。王族専用の庭園だとは知りませんでした」


 それから私たちは沢山の話をした。

 最初は彼女の境遇に同情を覚えたけれど、貴族の令嬢としては致命的なその傷跡にも負けない前向きな姿勢に勇気をもらった。


 王宮に来てからこんなに人と話したのは初めてだった。私はすっかりカルラに心を許して自分自身のことを全部打ち明けてしまった。

 お母さんになりたかった小さな頃からのささやかな夢の話だとか、結婚後にその夢が破れた話だとか、そりゃあもう一切合切だ。

 するとカルラは、良いことを思いついたように目を輝かせた。


「フロレンティナ王太子妃殿下。そういえば、わたくし父から良い薬を持たされています」

「薬?」

「はい。飲めば目の前の人を大好きになってしまう『恋愛成就の薬』ですわ」

「ええっ、それは本当なの?」

「もちろんです。わたくしはこの薬を王太子妃殿下に使って頂きたいです。ジークベルト王太子殿下の『大好き』が、彼に課せられた責務を上回ればきっとお望みを叶えて下さいますわ」


 本当にそんな夢のような薬が存在するのだろうか。


「残念ながら今この場にはありませんが、わたくしの部屋にございます。明後日この時間この場所にお持ちしますわ。……それから、とても貴重な薬なので他の方にはどうかご内密に」





 その日の夜、就寝中に人の気配で目を覚ました。

 薄目を開けると、暗闇の中ジークベルトが私の顔を至近距離で覗き込んでいた。


 こんな真夜中に、いったい何のご用でしょうか?


「……嬉しい、ジークベルト殿下。人目を忍んで夜這いに来てくれたんですね」


 にっこりと微笑みながら、ほんの少しの悪戯心でそう言うと「いや、違う!」とかぶせ気味に返してきた。


 すいっと逸らした目元が潤んで、少し赤いような気がする。どうした?


「私の顔に何かついていますか? ずっと寝顔を見つめていたようですが」

「み、見つめてなんていない!」

「でも……」

「うるさい! ……お前の方こそ、誰かから薬をもらったんじゃないだろうな!」

「え……」


 今度は私の方が目を逸らす番だ。

 何故ジークベルトが薬のことを知っているのだろう。


「さては接触があったのだな」

「な、何のことでしょう」

「相手は誰なんだ。言ってみろ」

「滅相もございません」


 言えるわけがない。

 カルラから、ジークベルトに好きになってもらえる『恋愛成就の薬』を受け取る算段がついているとは。


「言っておくが、その薬は『恋愛成就の薬』ではないぞ」


 ええっ?! 私、口に出してないのに。


「な、何を言っているのか分かりかねますっ」

「きっと耳当たりの良い事を言われたのだろうが、強力な呪いの掛かった劇薬と言っていいほどの媚薬だ」


 媚薬? 媚薬ってなんだろう。


「……神殿育ちはこれだから」


 ジークベルトは私の無知っぷりに、呆れたようにため息を吐いた。


「媚薬とは、性欲を異常に増進させる催淫効果のある薬だ。お前にそれを渡す奴は決して親切心で薬を用意するわけではない。その薬を王族である俺に盛った罪でお前を陥れるためだ」

「そんなわけないです! 彼女は私の話を聞いてくれて同情して……」

「彼女ということは、やはり側妃候補のひとりなのだな」


 ……しまった。言わなくていいことを言ってしまった。


「計略に掛けられたお前は王太子妃の位を剥奪された。処刑されなかったのは、ひとえにお前が聖女だったからだ。西の湖上の離宮に軟禁されて、国の結界強化のために一生祈りを捧げることを誓約させられた」


 一生祈りを? それってどういうこと。ジークベルトはどうして既に経験したことのように話すの……?


「『恋愛成就の薬』のことは君から直接聞いて知っている。──話をスムーズにする為に正直に言うと、実は俺は1年後の未来から来たんだ」


 私は、まじまじと彼の顔を見つめた。


 …………どうしよう。私の夫の頭がぶっ壊れてしまった。


「えっ……と、そういう設定、なのですね」

「設定ではない」

「そういう建前で、子作りしに来た……とか?」

「違う! にわかには信じられないだろうが、王家秘蔵の至宝で、きっかり1年過去に意識を飛ばせるという古代魔道具がある。今回特別に国王陛下の使用許可が下りて、俺が過去に来たんだ! いいか、君は薬を必ずその女から受け取るんだ」


 はぁ、では頭の中身だけが1年未来人、という設定なんですね。


「──その言葉、ジークベルト殿下に一服盛って、私がお母さんになる夢を叶えても良いという意味に受け取っても?」

「盛るな!」


 彼は疲労困憊の体で肩を落とした。


「薬の受け渡し場所に、俺や護衛騎士たちが前もって潜んでおこう。その女が言い逃れできないように、君が薬を受け取ったところを取り押さえる」


 受け取り日時と場所を白状させられたけれど、最後までカルラの名前を口にはしなかった。彼女が悪い人間だとはとても思えなかったからだ。


「……仕方無い。言うつもりは無かったが、未来でどんな事件が起こったのか話そう。自分がどれほどの重大な事件を引き起こしたか知らなければ、今後どう動けばいいのか見当もつかないだろうから」


 そうして、彼が話してくれたのは驚愕の内容だった。


 薬を入手した数日後、私はたっぷり媚薬を入れた特製手作りクッキーをお茶の時間にジークベルトに振る舞った。

 それを食べた直後、彼の腹の中は煮えくり返るように熱くなり、得体の知れない獣が身の内から身体を喰い破るような痛みを感じたという。

 苦しさで理性のタガが外れたジークベルトは、形相の変わった彼から逃げ出そうとした私を捕まえて、無理矢理寝室に引きずって行き、薬の効果が切れるまで犯し続けた。

 

「……嘘」

「しかも薬を口にしたのは俺だけじゃなかった。お茶のテーブルを片付けた侍女が件のクッキーを持ち去り、王宮で働く知り合いたちに『聖女の手作り』との触れ込みで渡してしまった。何らかの恩恵を期待したのかクッキーは細かく砕いて分けられ、それを食べた大勢の人間が暴走した。特に被害が大きかったのは騎士団本部だ。体力があり余った血気盛んな男共がどうなったか想像できるか?」


 目の前の人に欲情するわけだから……そんな、まさか……。


「そのまさかだ。彼らは心と身体に重すぎる傷を負い、1年経っても大部分の騎士たちが社会復帰すら出来ず、騎士団はまともに機能していない状態だ。──未来ではこの事件をこう呼ぶ『フロレンティナの厄災』と」





 夜遅くまで起きていたお陰で、朝は眠気でしんどかった。でもジークベルトとあんなにたくさん話をしたのは初めてで、気持ちが浮かれてフワフワしていた。


 昨夜の話は本当なのだろうか。妻としては信じてあげたいが、未来から来たとかあまりにも荒唐無稽すぎる。

 途中で私への呼び方が、お前から君になっていた。

 ヘンな事件は勘弁してほしいけど、未来から来た話が本当だったとしたら、私たちの関係は少しは夫婦らしくなっていたのだろうか。


「そういえば、ヘルミーネを見かけないけど?」


 ヘルミーネは私に一番歳が近い侍女だが、朝から見当たらなかった。他の侍女たちに聞いてみると、彼女たちはバツの悪そうな顔をした。


「……ヘルミーネは侍女を辞めたのです」

「ええっ、私に何も言わずに?」

「はい。……王太子妃殿下だからこそ、余計に言えなかったのだと思います」

「??」


 よくよく聞いてみるとヘルミーネは側妃候補に名乗りを上げ、私への後ろめたさで侍女を辞めたのだという。


「彼女は王太子殿下にブローチをプレゼントされたそうです」

「ブローチ?」

「いつも良くやっているからという、労いの言葉と共に渡されたのだとか。彼女は、他の侍女や側妃候補たちが、誰ひとりプレゼントを貰ったことがないと知って自慢しておりました。きっと王太子殿下は自分を側妃にしたいのに違いないと」

 

 ヘルミーネを側妃に……?


 私はジークベルトから何も聞いていない。

 確かに彼女は美人で伯爵家の令嬢だ。でも私の侍女を側妃にと所望するのなら、彼からひとことくらいあってもいいのではないか?


 ジークベルトの口から詳しく話を聞きたくて、執務室を訪ねたが席を外していておらず、側妃候補たちと舟遊びに出掛けたと執務官に聞き、王宮敷地内の池までやって来た。


 そこで驚くべきものを見てしまった。


 目を凝らすと、沖に数隻浮かんだ小舟の中にジークベルトが乗っているのが見え、その隣にカルラが座っていたのだが、離れた場所から見ても肌がとても滑らかで美しかったのだ。

 昨日、近くで見た肌は気の毒なほどボロボロで、子供の頃から悲しい思いをしてきたという彼女にシンパシーを覚えていたというのに。


 ……火傷したというのは嘘だったのね。


 いつまでも侍女として側で支えてくれると言っていたヘルミーネの言葉も嘘だったし、ジークベルトの未来の話もどこか嘘っぽい。


 どうして、みんな平気で嘘をつくのだろう。

 平民あがりの聖女なんか、いくら傷つけても構わないとでも思っているのだろうか。


 ショックが大きくて、もう誰を信じたら良いのか分からなくなってしまった。


 私を完全に信用させるためには、きっと同情を引くカルラの、あの醜い肌が必要だったのだ。

 薬を渡す人物を取り押さえるという、ジークベルトの言葉もきっと嘘だ。取り押さえられるのは多分私の方だ。

 だって、例え未来から来たという話が本当だったとしても、事前に媚薬が入っていると知っているのならクッキーを食べなければいいし、残ったクッキーの後始末を厳重にすればいいだけだ。わざわざ私に薬を受け取らせる必要がない。


 王宮内に危険な薬を持ち込んだ濡れ衣を着せられて、私は王太子妃の位を剥奪され、ジークベルトは愛する運命の人──ヘルミーネを正妃に迎えるのだ。

 全ては、そのための筋書きなのだろう。





 その夜、明日の打ち合わせの為に寝室に訪れたジークベルトを、私は渾身の力でベッドの上に押し倒した。

 仰向けになった身体の上に馬乗りになる。


「フロレンティナ! 何をするんだ!」

「今すぐ、私に子供を授けて下さいっ」

「……気は確かか」

「ジークベルト殿下の言う事を聞いて、明日薬の受け渡しをするんですから、私の希望だってひとつくらい聞いてくれてもいいじゃないですか」

「君は聖女だぞ。そんなことが許されると思っ──」

「私、気付いたんです」


 顔を寄せて、ジークベルトの頬を優しく両手で包み込む私を、彼は抵抗も忘れて呆然と見上げる。

 今にもくちづけてしまいそうなほど、その距離は近い。


「貴方は私が『結界強化のために一生祈りを捧げる』と言いましたよね。でも不思議だと思いませんか? 純潔を失って能力が消えてしまった私が、どうしたら祈りを捧げられるのでしょうか?」


 彼は昨夜の自身の失言に気付いて、ひゅっと息を吸い込んだ。


「未来の私は、純潔を失っても能力を失わなかったのではないですか?」


 それか、ジークベルトの未来の話が、全くの出鱈目で作り話かのどちらかだ。


「能力を失わないのなら、私に子供を授けても何の問題もないですよね。愛情は無くても構いません、今から私をお母さんにして下さい。そうすれば薬の受け渡しなんてしなくて済みます」

「だめだ」


 彼はきっぱりとした口調で「薬は必ず受け取ってもらう」と言い切る。


「どうして……」

「俺の上から退いてもらおう。これは命令だ」


 威圧感のある声に逆らえず、のろのろと動いて彼の隣に座り込む私に、ジークベルトは「聖女である君を陥れる人間を放置すれば、将来必ず国に禍根を残す。俺はそれを断つために未来から来たんだ。理解して欲しい、これは君の身を守るためでもある」といい含めて寝台から起き上がり、ドアに向かって歩き出す。


「おやすみフロレンティナ、明日はよろしく頼む」


 振り返りもしないで部屋から出ていくジークベルトの後ろ姿が、涙で歪んで見えなくなった。


 そんなに私のことが嫌いなの?


 愛してくれなくてもいい。そこに心なんて無くてもいい。一夜の思い出さえあれば私は生きていけるのに。

 両親に愛された夢想を繰り返すように、一生自分に言い聞かせることが出来たのに。


 ──あの夜、確かに私たちは想いを交わし合ったのだと。


 そんな、一片の夢さえも与えてもらえないほど、私は拒絶されているのか。


 その夜は一睡も出来なかった。





 翌日、庭園に現れたカルラの顔は、やっぱり酷く爛れていて、昨日見た美しい肌は幻かと危ぶむほどだった。どんな細工をしたら、ここまで醜い肌に偽装できるのだろう。


「お約束の『恋愛成就の薬』です。お納め下さいませ」

「これは受け取れないわ」


 「えっ……」カルラは薬の入った小瓶を持ったまま、きょとんとして小首を傾げる。「どうしてですか?」


「演技はもういいわ。全て仕組まれたことなのでしょう?」


 ここからは見えないが、木の影や植え込みにジークベルトや騎士たちが息を殺して潜んでいる。薬を受け取った瞬間に彼らが飛び出して来て、捏造された罪を負わされた私は捕縛されるのだろう。


「あなたたちの計画は全てお見通しよ! 私を甘く見ないでちょうだい!」


 隠れている人たち全員に届くように声を張り上げる。


 騙されるのはもう沢山だ。

 高貴な血なんか一滴も入ってなくても、神殿育ちで世間知らずでも、平民聖女にだってなけなしのプライドがあるんだ!


 込み上げる怒りをぶつけるようにカルラを睨み据えると、当の本人はクスクスと笑い始め、優雅な足取りで去ってゆく。

 

「ちょっと、どこに行くの!」


 ある程度の距離を空けたところで、彼女は立ち止まった。


「……流石は聖女と言ったところか」

「えっ」


 くるりと振り返った彼女の顔は、陶器のような美しい肌で、傷ひとつ無かった。


「計画が全てバレているとは思わなかった。聖女の純潔を奪って、能力を失わせようとしたのに」

「カルラ、その顔はどうして……」

「この顔か? お前の側に近付くと、聖力によって焼け爛れてしまうこの肌を、お前の信用を得るために逆に利用したのだ」


 計画は全てお見通しよって、誰が言ったのよ! ……あ、私か。

 全然見通せていなかった。私の想像の範疇を大幅に超えていた。


 カルラは魔族なんだわ。

 私の能力で強化された結界に阻まれて、魔族はこの国に入れないはず。

 それでもこの場に居るということは、魔王かそれに準ずる高位のかなり危険なヤツに違いない。


 カルラの艶然とした笑みがみるみる広がって、口が裂けてゆく。目が獲物を見据えるかのようにギラギラと輝き出した。

 騎士たちがカルラの周りを取り囲み、ジークベルトが物陰から飛び出してきて、私を庇うように立ち塞がり、すらりと腰の剣を抜いた。


「魔族の女、探したぞ! お前には恨みがある!」

「恨み? ふふっ、わたくしはまだ何もしていないのに」

「お前は、俺とフロレンティナの産まれたばかりの子供を殺した! 絶対に許さん!!」


 子供? ジークベルトと私の?


 予想外の言葉に衝撃を受ける。


 未来の話は本当だったの? 事件の後、私は身籠っていた? でも殺したって……。


「ほう、面白い」


 カルラ──いや、カルラだったモノはニヤリと口の端を吊り上げる。


「それが本当なら王太子は未来から来たのだな。この世のどこかに、意識を過去に戻せる古代魔道具があると聞いたことがある」


 しかも、と魔族の女は楽しげに続ける。


「本来なら聖女が純潔を失い、能力を無くした時点で、魔王様復活のためのわたくしの役目は終わるはずなのに、聖女の懐妊中もここに留まり続けて産まれた子供にまで手を掛けたということは、聖女の能力は消えなかったのだな」


 ざわりと葉擦れの音がする。辺りが暗くなり、空気がひんやり冷たい。


「のう、王太子よ。それで聖女は死んだか? 自分の子供にあれほど執着していた女だ、直ぐに後を追ったであろう」

「く……っ、貴様……!!」

「図星か」


 ケラケラと気が触れたように高笑する魔族の女に、斬り掛かった騎士たちが次々と魔力で吹き飛ばされていく。


「わたくしたち魔族は、聖女を直接害することが出来ぬゆえ手をこまねいていたが、愛する者を殺されて自死するとは案外容易い。──ならば王太子よ、魔王様復活のために今ここで死ね!」


 女は腰を落とし地面に両手をついた刹那、咆哮して獣のように跳躍した。

 ジークベルトに鋭い爪で掴み掛かる。



 駄目だ! ジークベルトを死なせない!!



 無我夢中で強く念じたその瞬間、左手の甲が熱を帯び、轟音と共に天から降ってきた巨大な光の矢に、魔族の女の身体は貫かれていた。


「……ぅぐっ、おのれぇえぇっ! 聖女ぉぉぉ!!」


 光の束は収束し、左手の甲の聖紋に吸い込まれ、骨肉を裂かれ苦悶の呻き声をあげながら黒い粒子に姿を変えた魔族の女は、ほどけるように空気中に消散した。


「……聖女の能力が完全覚醒したのか……?」


 ジークベルトの呟きを遠くに聞きながら、私は意識を手放した。






「身体はもう大丈夫なのか?」

「はい、ご心配をおかけしました」


 数日後、私とジークベルトは王宮庭園にてお茶を飲んでいた。大事な話があると呼び出されたのだ。

 突然覚醒した聖女の能力に身体を慣らすのに数日を要したが、今では難無く結界を高レベルで維持できるようになっていた。これで、もう魔王復活の可能性は微塵も無いだろう。


 庭園は静かだった。王宮に滞在していた側妃候補のご令嬢たちを、ジークベルトが家や領地に帰してしまったからだ。


 きっと、ヘルミーネが側妃に決定したから、他の候補者が帰されたんだわ。元は私の侍女だから、最初に私に話を通すためにここに呼ばれたのね。


 緊張の面持ちで彼からの『大事な話』を待っているのに、一向にその話題が出ない。

 王陛下への事情説明や後始末に追われていた話を、神妙に聞いていることに我慢が出来なくなり「ヘルミーネを側妃にお迎えするのはいつ頃になりますか」と思わず自分から口にしてしまい、頭を抱える。


「ヘルミーネ? 誰だそれは」

「はい?」


 意外にも彼はヘルミーネを知らないようだった。暫く考え込んだ挙句「ああ、あの侍女か」と呟く。


「側妃とはどういう意味だ。俺は側妃は娶らんぞ。候補たちは全員帰しただろうが」

「ええっ、では後継はどうされるのですか?」

「君が産めばいい」


 わけが分からない。

 1年後の未来に私とジークベルトの子供がいたという話は、先日彼から聞いた。でも、そこに至る経緯は彼の意思とは全く関係の無い、事故みたいなものだったはずだ。


 お母さんには、なれない。

 子供を授けて欲しいという私の願いを撥ねつけられた時点で、願いはもうジークベルトには届かないのだと諦めがついていた。


「未来の──いや、もう全然別の世界になってしまったな──俺がかつて君から媚薬を盛られたのは、今日のこの時間だった」


 彼が前に話してくれた『フロレンティナの厄災』。あれは今日起こった出来事だったんだわ。


「過去に戻る時、俺は決心したんだ。君と俺たちの子供を必ず助けると」

「……未来に生まれていた、という子供ですか」

「ああ、そうだ。──あの時と同じ子供が産まれてくる保証はどこにも無い。でも、その確率を上げる努力をすることは出来る。先日、お母さんにして欲しいという君の願いに応じられなかったのは、受胎の日時が限定されていたからだ」


 んんん?

 受胎の日時が限定。

 3回くらい心の中で唱えて、やっと言葉の意味が頭の中に入ってきた。


「だだだ、だって! 殿下は私のことが嫌いですよね!?」

「過去に戻る前も、戻った後も言葉にしたことは無かったが、本当の気持ちを伝える大切さを、今の俺は痛いほど知っている」


 ジークベルトは今まで見たことがないくらい優しく微笑んで、真っ直ぐに私を見つめる。


「愛しているフロレンティナ。聖女だからとか、子供の母親だからとか、そんなことは関係がない。君が君だからずっと一緒にいたいんだ。…………ああ、やっと伝えられたな」


 いつの間にか席のすぐ隣に立ったジークベルトに手を取られて、操られてるみたいに立ち上がった。


「フロレンティナ、出来れば自分の意思で歩いて一緒に来て欲しい。前は無理矢理引きずって行ったから、罪悪感に苛まれた」

 

 どこへ、とは聞かなかった。

 本当のことを言うと、胸がいっぱいで聞けなかった。

 私はカクカクと機械仕掛けの人形のように頷くと、夢見心地のおぼつかない足取りのまま歩き出す。


 きっと私の顔は茹だったかのように真っ赤だっただろう。

 途中ですれ違う人々が全員、ジークベルトに優しく手を引かれながら、恥ずかしさに俯いて歩く私の姿を、不思議そうな顔で見送っていたから。




 数ヶ月後。

 元気に産声をあげて生まれてきた赤ちゃんを一目見るなり、ジークベルトは涙を流しながら、赤ちゃんごと私をそっと抱き締めた。


 今度こそ、私たちは本当の家族になれたのだ。

 




***





 世間知らずで、馬鹿な女だ。

 最初フロレンティナのことをそう思っていた。

 媚薬を渡した人間を庇って最後まで名前を明かさず、自身が軟禁された。


 『フロレンティナの厄災』の後、俺は西の湖上の離宮に頻繁に通った。彼女は俺の子を身籠っていた。

 何度も言葉を交わしていく内に、俺と彼女は親密になっていった。

 フロレンティナの幼い頃からの淋しさは、小さな頃から国を背負って立つ者として厳しく育てられた、俺の淋しさと同じものだったから。

 

「今、とても幸せなんです。この子が私を強くしてくれる」


 愛おし気に膨らんだ腹部を撫でる、その姿が眩しかった。

 惜しげもなく愛情を注がれるであろう産まれてくる子に、羨望を覚えた。


 フロレンティナを王太子妃に戻すために働き掛けると同時に、俺は何かに突き動かされるように彼女の両親を探し始める。

 その善良な夫婦は呆気ないくらいすぐに見つかった。事件を伝え聞いて娘を心から心配していたふたりは、フロレンティナが離宮で恙無く暮らしていると知って、神に感謝の祈りを捧げた。


 いつしか俺は、産まれてくる小さな命を迎えるその日を、指折り数えて待つようになっていた。

 無事に出産したら彼女を両親に会わせて、俺たちの子供を抱いてもらおう。フロレンティナはどんな顔をして喜んでくれるだろう。フロレンティナときちんと向き合って家族になるのだ。


 そして、あの恐ろしい日がやってきた。


 フロレンティナが死産したとの知らせに、急ぎ西の湖上の離宮に馬を走らせる。

 果たして、到着した俺を待っていたのは、湖に面したバルコニーから身を投げ、引き揚げられたフロレンティナのもの言わぬ亡き骸だった。


 ……俺を置いて行かないでくれ!!


 冷たいずぶ濡れの身体を抱き締めながら、声が枯れるほど泣いた。


 彼女の胸に抱かれた小さな赤ん坊は、湖に没しても母子が離れ離れにならないように、身体を密着して紐で固く結ばれていた。




 確かに産声を聞いたのだと、分娩の際部屋にいた全員が証言した。

 フロレンティナに分娩後の処置を施している間に、赤ん坊は事切れていたという。その後、産湯を担当した女が行方不明だと分かった。

 調査を続ける内に、魔族の仕業ではないかとの疑いが強くなっていく。

 媚薬といい、今回の事といい、国を守る退魔の聖女を陥れて得をする人間など、我が国にいるわけが無い。


 王宮宝物庫に厳重に保管されている、1年過去に戻れるという古代魔道具の使用を願い出た。

 その魔道具は王族にしか扱えず、一度使用すると10年は起動できなくなるから、国の有事にしか使用許可は出ない。

 退魔の聖女を失ったことによる魔王の脅威や、『フロレンティナの厄災』後の王宮内の混乱ぶりを列挙し、どうにか許可をもぎ取った。


 あの侍女──確かヘルミーネと言ったか。

 あの女が媚薬入りのクッキーを王宮各所に配ったせいで被害が広がり、結果フロレンティナが離宮に軟禁された。

 怒りに任せて事件後に処刑してしまったが、あの被害が無ければ古代魔道具の使用許可が下りなかったかもしれない。

 過去に戻ったら、あの女には褒美のひとつもくれてやろう。




 古代魔道具で時間を遡ると、俺は自室で寛いでいるところだった。

 開け放たれた窓からは、夜になっているにも関わらず、祝賀ムードに包まれた王都中からの喧騒が風に乗って聞こえていた。

 1年前の今日は俺とフロレンティナの婚礼の日だった。


 フロレンティナに会いたい。

 会って二度と離れることのないように、きつく抱き締めたい。


 しかし、それは許されない。

 魔族を誘き出してフロレンティナと接触させるには、以前のように俺が彼女に冷たく接して、追い詰めなければならないからだ。

 もちろん俺自身も、疑いの濃い側妃候補たちに接触して、情報を集めるつもりだ。


 フロレンティナへの冷酷な言葉や仕打ちは全部覚えている。彼女を愛していると気づいた時に死ぬほど後悔した。

 俺はあれを、また繰り返さなければならない。

  

 ほとんど走るように、フロレンティナの部屋に向かう。

 勢いよくドアを開けると、驚いた顔をしたフロレンティナが、俺の姿を認めて嬉しそうにふわりと笑う。



 ああ、フロレンティナ。生きて、笑っている……!



 どうか許して欲しい。俺はこれから君の心を酷く傷つける。

 君と俺たちの子供の命を、この手で必ず救うと誓う。

 だから──心とは真逆の言葉を口にする。


「フロレンティナ。俺がお前を愛する日は永遠に来ない」


 目に全神経を集中させて、思いきり睨みつける。



 ──そうしなければ、君を映した双眸から、今にも涙がこぼれ落ちそうだったから。





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