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異世界系

寝取られ令息と底辺令嬢が、愛を深めていくお話

掲載日:2023/03/12

婚約破棄同様、寝取られって精神削られますね。

 明日が婚約式だというのに、ジュネシスは憂鬱だ。

 理由は分かっている。

 愛してもいない相手との婚姻締結だからだ。



 本当に愛していた彼女は、手の届かない処へ行ってしまった。

 がっくりとしたジュネシスは、青白い顔のまま、日々の公務をこなした。


 世継ぎを儲けるのは、貴族の宿命である。

 それはジュネシスにも分かっている。

 でも、愛してもいない女を抱けるのか?


「アホか。隣に裸の女がいたら、ガバッと抱きつく。それが男だ」


 上司は言った。

 結婚生活二十年。三人の子どもに恵まれて、今も夫婦仲は良好の男。

 奥方とは、完全な政略結婚だったという。


「政略でもなんでも、出会ってそのうち、情が湧けば恋愛による結婚と変わらないよ」


 上司の奥方は、ぽっちゃり型の女性だ。

 いつもニコニコと感じは良いが、美人という範疇にはないタイプである。


「ウチの妻のようなタイプが一番良いんだぞ。……特に、まあその、なんだ。夜とか」


 情がわくのか。夜って何だ? 夕食?

 まさか、昼間から、シモの話じゃないよな。


 怪訝そうなジュネシスに、上司は訊く。


「だいたい、お前の好きなタイプってどんなの? こだわりどこよ。顔? 胸? 脚? 尻?」

「せ、性格とか、価値観が同じ、とか……」


 上司は両手を空に向かって広げて頭を振る。

 これだから、女慣れしてない奴はとか、ぶつぶつ言っている。


 本当は、もっと具体的に言いたい。

 動物や花が好きで、小さな子供と遊ぶのが好きで、妹みたいで、時には姉のようで……。

 しかし、そんなことを言ったら、もっと馬鹿にされそうで、とても口には出せなかったのだ。


「とりあえず俺が見繕ってやるから、一度会ってみろ」





 ジュネシス・ドーマンは伯爵家の嫡男である。

 貴族学園を卒業し、今は文官として王宮に出仕している。

 広い領地を持ち、財政的には裕福な貴族である。


 この国では、十八歳で学園を卒業すると同時に、男子も女子も結婚することが多い。ジュネシスもそのつもりでいた。だいたい貴族は十歳頃には、互いの爵位や派閥を鑑みて、婚約することが多い。


 ジュネシスも婚約者はいた。少し前までは。

 アナベラは、豊かに波打つ黒髪と、翡翠色の瞳を持つ美しい少女だった。

 政略的意味合いを持つ婚約とはいえ、ジュネシスは一目惚れした。

 親は資産家だが、まだ学園生だったジュネシスの小遣いはそう多くない。だから休みの日に商会などでアルバイトして、プレゼント代に充てていた。


「うわあ、ステキ! ありがとう」


 キラキラした目で喜ぶアナベラが好きだった。

 アナベラからのお返しは、男爵家の庭に咲く、小さな白い花だったり、アナベラが刺繍したという、ハンカチだったりした。

 ささやかだったが、それがまた、アナベラらしいと思った。


 だが、学園卒業直前に、アナベラは出奔した。


 ジュネシスの弟と一緒に……。そう、駆け落ちだ。

 ジュネシスの知らないところで、二人は愛を育んでいたらしい。

 ジュネシスと違い、一歳下の弟ライルは、整った顔立ちと豊かな社交性を備え、女性からの受けが良かった。


 ジュネシスは絶望感に包まれた。

 弟とは仲が良かったと思っていた。

 ジュネシスの父、ドーマン伯爵は、ライルを勘当したのだが、ライルを可愛がっていた母が、母の持つ爵位と遠い地の領地を与え、二人はそこで暮らしている。


 その後、ジュネシスの心は、何かが欠けてしまったようだ。

 何を食べても美味しいと感じない。

 好きだった読書や自然散策も、興味が持てなくなった。


 ましてやもう一度、結婚相手を探すなんて……。



「おい、お前の婚約者、見つけてきたぞ」


 上司がジュネシスに釣書きを手渡した。

 お相手は、子爵家の令嬢だった。

 どうでもいい。


 相手は誰でも良かった。


 翌週、自邸で婚約者になる女と、ジュネシスは初めて顔を合わせた。

 ずばぬけた美人が現れて、ジュネシスは一目で恋に落ち……。


 なんていうことは、全くなかった。

 そこに現れたのは、小柄で丸顔、地ネズミのような毛の色と瞳を持つ、鼻は低めの少女だった。

 ひらたく言えば、美人の範疇からはずれている外見だ。


「ユリカ・デュオン子爵令嬢だ」


 上司の紹介で、ユリカは綺麗な礼を見せた。

 子爵とはいえデュオン家は、ドーマン家よりも歴史がある。

 名門、と言っても良い。


「まあ、後は若い人同士に任せましょう」


 家令に促されるようにジュネシスは、ユリカを伴い庭園に向かう。

 歩き始めたジュネシスの耳元に、上司は囁く。


「将来が楽しみな女性だぞ」


 上司の口元がにやけているのを、ジュネシスは気付かないふりをした。

「楽しみ」とは、どうせ、下世話なことなんだろうと。


 歩きながらぼそりと、ジュネシスは言う。


「僕は、君を愛することが、出来るかどうか分からない」

「家同士の政略結婚だと、わたしは理解しております」


 表情を変えることなくユリカは答えた。

 しっかりしていると言うべきか。

 可愛げがないとも言えるだろう。


「そうか……」


 二人はそれ以降、特に会話することなく初顔合わせは終わった。




 ◇ユリカのため息◇



「で、どうだった? 寝取られ令息は?」


 ユリカが自邸に戻ると、姉と妹が目を輝かせてユリカを囲む。


「う――ん。……フツウ、かな」

「普通って、何が」

「二十歳の男の人って感じ」

「顔は? カッコイイ?」


 妹はそこが一番気になるようだ。


「ああ、顔ねえ。わりと良い方じゃない? 暗いけど。髪は薄い茶色で、目は橙色」

「何その平熱感」

「え、だって『君を愛することが、出来るか分からない』とか言われたら、体温下がるよ」


 ユリカの姉と妹は、ぷっと吹き出した。


「何言っているのかしら。貴族の嫡男が」


 ユリカの姉は、経済力重視だ。


「弟君に、婚約者を寝取られた男性だしね」


「わたしの顔見て、がっかりしてた。お相手の女性、アナベラさんだっけ、美人さんだったよね」

「そうそう。あざとい系美人。頭と股がゆるゆるの」


 姉は口が悪い。


「そんな女性と比べたら、っていうか、わたしと結婚してくれるってだけで、それはもう、モンドリアン神よ」


 モンドリアンとは、国教の絶対神である。


 ユリカの姉と妹は、美形に分類される。

 ユリカには姉の上に兄、妹の下に弟もいる。二人の男兄弟も、それなりに端正な外見だ。


 だが、ユリカだけは微妙なのだ。

 貴族が通う学校の成績は優秀。

 貴族の子女の嗜みと言われる、刺繍やお菓子作りも得意。


 ただ、見た目の優位性(アドバンテージ)が低い。

 父や母は親なので「可愛い」と言ってくれるが、十六年も生きてくれば、自分の立ち位置くらい把握している。


 ジュネシスの上司である、侯爵家を通じて、ドーマン伯爵家から婚姻の申し出があった時に、ユリカはほいほい受けた。ジュネシスの醜聞は知っていたが、これを逃したら今後、条件の良い結婚相手が見つかるとは、ユリカには思えなかったからだ。


「「嫌になったら、いつでも帰っておいで」」


 姉はユリカの頭をナデナデし、妹は秘蔵の飴をくれた。

 そうだね。

 無理だったら、さっさと帰って来よう。


 軽く息を吐き、ユリカは思った。





 ◇婚約者同士の距離◇




 ユリカの父の話では、家同士の領地が近いので、今後は両家で治水事業に取り組むそうだ。

 よってなるべく早く、ジュネシスとユリカの婚姻を成立させたいらしい。


 結婚式は婚約してから三ヶ月後と決まった。ずいぶん早い流れだ。


 ユリカは週に一回程度ドーマン家に通い、家令から家のしきたりや領地のあれこれを学び始めた。

 それが終わればジュネシスとお茶を飲む。

 ジュネシスは笑顔を取り繕うこともなく、本当にただお茶を飲んでいた。


 ユリカは五人兄弟姉妹に囲まれて生活してきたので、無言のまま時間を潰すということの居心地が悪かった。何か、話をしなければ。


 とりあえず、ジュネシスの好きな物でも聞き出そう。


「ジュネシス様のお好きな食べ物は何ですか?」

「……別にない」

「ジュネシス様は、どのような本をお読みになるのでしょう?」

「……特に、決まってない」

「ジュネシス様のお休みの日は、何をしていらっしゃいますか?」

「……さあ、寝てるかな」


 ユリカの心にささくれが増えた。

 質問が悪いのかもしれない。

 こうなったら……。


「わたしは小さい頃は、川で釣りをするのが好きでした」


 ジュネシスの顔がほんの少し上を向く。


「いずれ、ドーマン家とデュオン家の領地を流れる川に、工事が行われると聞いています。一度、工事の前に川に行って、釣りでもしてみたいと思っています」


 質問を止めたユリカは、自分が好きなことを話し始めた。


「そう、だな。馬車で一日もあれば領地に着く。仕事の調整をして、一度行ってみるか」


 それは独り言のような、ジュネシスの呟きだった。


「あの、わたしも、ご同行して、よろしいでしょうか……?」

「ん、ああ。川と野原くらいしか、ない処だがな」



 ユリカは心の中で、ガッツポーズを取った。


 やった!

 会話が成り立った!


 ほくほく喜ぶユリカを見たジュネシスの前髪が、風にふわりと上がる。 

 ジュネシスの胸には何か温かい水が、流れて来たようだった。



 ◇視察 



 初夏の頃、ジュネシスとユリカは河川工事の場所を目指して馬車に乗る。

 なにげなくジュネシスはユリカの手を取り、馬車に誘った。


 ユリカは男性に手を差し伸べてもらえるなんて、ほぼほぼ初めてだったので、顔が熱くなる。

 一応、デビュタントは済ませているが、その時は兄のおざなりなエスコートだった。


 休憩を取りながら、夕方には領地の宿に着いた。


「その、なんだ。……疲れてないか?」


 相変わらずのボソボソ声だが、ジュネシスの言葉は以前よりも血が通ってた。


「はい」


 ユリカは笑顔で答えた。


 翌日、ゆっくりとした足取りで、ジュネシスとユリカは土手を歩く。

 川面はキラキラと陽光を反射し、清らかな流れだ。


「わあ。釣り出来そうですね」


「うん、割と釣れる。子どもの頃は、こちらにもよく来ていたし、釣りくらいしか楽しみがなかったからね」


 ジュネシスは言いながら、弟と一緒に釣りに興じた日々を思い出す。

 もう、戻らない日々だ。

 それは、皮膚を針先でつつかれたような痛み。


 ジュネシスの表情が翳ったことに、ユリカは気付くが、気付いたことを悟られないように、ユリカは言葉を繋ぐ。


「釣り方、教えてくださいませ」

「……ああ」


 昼食後、領地の管理人から釣り竿を借りて、ジュネシスとユリカは橋の近くの草むらに腰を下ろした。


「この辺が、よく釣れるんだ」


 ユリカはジュネシスの微かな笑みに、ほっこりとした気分になる。

 餌も用意してあった。

 うねうね動くミミズを手に取るユリカを見て、ジュネシスは驚く。


「それ、触れるの?」

「え? ええ。小さい頃から慣れてます」


 ふとジュネシスは、庭園でお茶会をしていた時に、虫を嫌がったアナベラを想い出す。

 貴族の子女とは、そういうものだと思っていた。

 領地の見分も、虫が出るからと同行しない細君もいると。


 喜々として釣り竿を投げ入れるユリカの顔に、ジュネシスは目を細めた。


「あっ!」


 アタリを感じたユリカが竿を引っ張る。

 足元がぐらついて、バランスを崩しかけたユリカの体を、ジュネシスが支える。


 痩身のジュネシスだが、意外にも胸板が厚く、ユリカの鼓動が早くなる。


 パシャン!


 魚は逃げた。


「う――ん。残念!」


 額の汗を拭おうとするユリカに、ジュネシスはハンカチを取り出す。

 何も考えずにポケットに入れてきたが、刺繍の紋様を見てジュネシスの眉が動く。


 かつて、アナベラに貰ったハンカチだ。


 ふわり。

 風が吹く。


 吹いた風は、ジュネシスの手からハンカチを取り上げた。


 水面に落ちたハンカチを見て、ユリカは慌てる。


「大変! ジュネシス様の!」


 ハンカチは意志を持っているかのように、スイスイと流れていく。


「いや、良い……」

「でも!」

「良いんだ。もう」


 ハンカチは小さな渦に巻き込まれ、すぐに見えなくなった。





 自邸に戻ったユリカは、早速姉と妹に囲まれた。


「ねえねえ、どこまで進んだの?」

 目をキラキラさせて、妹が訊く。


「どこまでって、ジュネシス様の領地まで」


 姉はフンと鼻を鳴らす。

「違うわよ。キスくらいまでいったのかしら?」


 ユリカの顔が真っ赤になり、思いきり手を振る。


「だって二人きりで行ったんでしょう?」

「侍女と護衛も一緒だったわ」

「手は繋いだ?」

「え、ああ、一緒に釣りした時に……」


「「釣り!」」


 だめだこりゃ。

 そんな表情の姉と妹を見て、ユリカは偶然でも抱きしめられたことは言えなかった。




 ◇棘ぬき



 夏の間、ジュネシスとユリカは、何度か領地を訪れた。

 釣りは勿論、河川周辺の散策を行い、川原で綺麗な石を拾ったりした。


 ユリカはジュネシスにハンカチを贈った。

 ジュネシスの名前と、ドーマン家の家紋を刺繍した。


「これ、ユリが自分で刺したの?」

「ええ。ジュシーのお名前は、飾り文字で『ジュネシス』ってなってるわ」


 この頃になると、互いに愛称呼びが出来るようになり、出かける時には手を繋ぐ。


「ありがとう。大切にする」


 ジュネシスの頬が薄っすらと赤くなる。

 ユリカの提案で、ジュネシスは髪を整え、出仕時の服装にも気を配るようになる。


「お前、最近変わったな。良い意味で」


 ジュネシスの上司が珍しく誉め言葉を言う。


「そう、ですか?」

「まず、顔が良くなった」

「顔? へえ……」

「イイ男になったってことだ」


 苦笑しながらジュネシスは言う。


「何か、悪い物でも食べましたか? それともまた、悪巧み?」

「またって何だよ! ったく、俺がお前を誉めちゃ、いけないんか」


 ジュネシスは内心、ユリカを紹介してくれた上司に感謝していたのだが、それを口にすると上司の自慢が延々と続くので、黙っている。


 真夏は過ぎたがまだ暑い。

 ジュネシスがハンカチで額を拭くと、目ざとい上司がにやりと笑う。


「良いハンカチだな。刺繍も玄人はだしだ」

「そ、そうですか」

「いや、言いたくないが、以前お前が御守りのように扱っていたハンカチの刺繍とは、天地の開きがあるな」


 ジュネシスはハンカチの刺繍を指で辿った。

 ほつれなど全くない、滑らかなものだった。



 そういえば、今日あたり、ウエディングドレスが出来上がるはずだ。

 ユリカに会えるな。



 ユリカは夕方、伯爵邸へ出向く予定でいた。

 ウエディングドレスが届けられると聞いていたのである。

 お出かけ準備をしていると、侍女が来客を告げる。


 お客様?

 ジュネシスではないようだ。

 女性だと侍女が言う。

 ドーマン家の親戚だそうだ。



 仕方なく、応対する。

 客間に入ると、長い黒髪をだらりと垂らした女性が座っていた。


 誰だろう?

 女性はユリカを認めると、きつい視線を送ってきた。

 緑色の瞳だ。


「アナベラ・ドーマンよ」


 アナベラ……?

 アナベラって、どこかで聞いた名前だ。


 アナベラは立ち上がると、いきなり喚き出す。


「返してよ! ジュネシス様は元々私の婚約者なのよ!」



 ああ、ジュネシスの、恋心を踏みにじった女性。

 その名が、アナベラだった。

 ユリカの胸に走る、鈍い痛み。


「ええと、アナベラ様は、ジュネシス様の弟である、ライル様とご成婚されたのでは?」


「したわよ。それが何? もうすぐ離婚するの。だから、元々の婚約者だったジュネシス様と、もう一度やり直すのよ」


 めちゃくちゃだ。

 ジュネシスを傷つけたことなど、完全に忘れ去っているようだ。


「申し訳ないですが、ジュネシス様はわたしと間もなく結婚いたします」

「知ってるわ」


 アナベラの碧色の目が、冷たく光る。


「でも、ジュネシス様の隣に、あなたのような地味で冴えない女は似合わない。ドーマン夫人だって、きっとそう思っているわ」


 ユリカの胸に、楔が打ち込まれる。

 それは一番ユリカが気にしていることだから。


 ジュネシスの母、ドーマン夫人はライル贔屓と聞いた。

 家令から、領地経営の手ほどきを受けた後に、夫人からは伯爵家のしきたりなどを教わっている。

 プラチナ色の髪と青い瞳のドーマン夫人は、ユリカに対していつも冷ややかだ。

 きっと、嫡男の嫁として、満足していないのだろう。

 特に、見た目が……。



 固まるユリカに、アナベラは益々居丈高になる。


「だいたい今着てるドレスだって、ジュネシス様から貰ったんでしょう? 元々は私の物だわ。寄越しなさい!」


 血管が浮き出る腕を伸ばすアナベラは、目の下に隈があり、目だけは爛々と光っているが、人外の魔物のような表情だ。


 怖い。


 後ずさるユリカの袖を、アナベラは掴む。

 爪が長い。


 布を裂く音が響く。

 思わずユリカは叫ぶ。


「止めてください! わたしはドーマン家嫡男の妻になる者ですよ!」


 それはユリカの矜持だ。

 怖いけど。

 相手をしたくないけど。


 貴族は家の名を、守らなくてはいけないのだ。


 ギリギリと唇を噛むアナベラは、ユリカの顔を狙って爪を伸ばす。

 まるで肉食の獣のように。

 ユリカは目をぎゅっと瞑った。


 瞑ったのだ……。


 あれ?


 衝撃も、痛みもない。



「そこまでだ。アナベラ嬢」


 聞き覚えのある声だ。

 一番聞きたいようで、聞きたくないようでもある声だ。

 あ、でもやっぱり聞いていたい。



 息を切らせながら、ジュネシスがアナベラの両腕を押さえていた。


「ジュネシスさまあ」


 急に声色を変え、しなだれかかるアナベラを護衛に任せ、ジュネシスはユリカを抱き寄せる。


「すまない。当家の失態で、君に怖い思いをさせてしまった」


 未だ体が震えているが、ユリカは無理やり微笑んだ。


「だい、大丈夫です。それに……あなたの『当家』の一員に、わたしも間もなく加わりますので」


 精一杯背伸びするユリカの姿に、ジュネシスの心臓は大きく跳ねた。

 もう一度、ジュネシスはユリカを抱きしめた。



 ◇挙式



 燃え上がって駆け落ちしたライルとアナベラだったが、僻地の生活に満足出来ず、しばしば王都へ来ていたのだ。

 ライルは下町の娼館通い。

 アナベラはシークレットパーティに参加して、憂さ晴らしをしていた。


 真実の愛の賞味期間は、存外短い。


 だが、ライルが頼りにしていた母、ドーマン夫人は離婚を許さず、与えた領地経営を続けるように宣言した。荒地を開墾し、豊かな農地にするように、夫人は命じた。

 それが、人の婚約者を攫った者への罰であり、婚約者を取られた者への贖罪であると。


「わたくし、ジュネシスの配偶者として、ユリカ嬢しか考えていません」


 その一言を聞いて、ユリカはぽろぽろ涙を流した。

 冷ややかに見えるのは、夫人の緊張している時なのだと、ユリカは後に聞いた。


 季節が変わる頃、ジュネシスとユリカは、モンドリアン神が()す教会で式を挙げた。

 ウエディングドレス姿のユリカを見たジュネシスは、耳まで赤く染まり、ジュネシスの上司は、何故か大きく頷いていた。


「わたしの見立ては間違いなかったな。うんうん。これから《夜の生活》が、楽しみだ」



 初めての夜を二人で越えた翌日。

 すやすやと眠るユリカの寝顔に、ジュネシスの頬が緩む。


 何度抱きしめても、まだまだ足りないとジュネシスは思う。

 これが上司が言っていた、女性の良さなのだろう。

 掌が吸い付くような白く柔らかい肌は、だれにも渡さない。


 でも、そんなことを少しでも言ったら、上司の長い長いシモ話が続くだろうから、絶対言わないぞとジュネシスは誓う。


 あのまま。

 アナベラと成婚しなくて良かった。


 寝取ってくれた弟に、ジュネシスは密かに感謝したのだ。


 了

お読みくださいまして、ありがとうございました!!

感想、評価、ブクマ、いいね、その全てに感謝です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ユリカが健気でとても可愛いと思いました。 家のためとはいえ、こんなに健気で明るい子なら心が動きますよね。 上司……侯爵家の人なのに……おげふぃん(笑)。
[良い点] お互いにコンプレックスを抱えるジュネシスとユリカ。 そんな二人が少しずつ距離を縮め、愛が芽生えていく様子がとても微笑ましかったです。 禍を転じて福と為す、という言葉を思い浮かべました。 […
[一言] ユリカが好みなど聞いて会話をちゃんとしようとしたのに 精神的に滅入っている主人公が適当な返しをした時は うわっこれはやばい展開…と思ったのですが 自分の話や自分達の領地の話をして切り返した所…
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