前兆
「む?!やるようになったのぉ」
「そりゃ90年もしてたらなるでしょ」
男が転生して凡そ90年も過ぎていた。村へは一ヶ月に一回、男が修行で仕留めた魔物を必需品と交換に行っていた。
男は天人であるために長い寿命を持っているが、村人たちは進化していない為に取引相手が三回ほど変わっていた。ただ、関わりは深くない為、殆ど誰が亡くなっているかはわからない。
また、バラットはネルと同じ亜神であったそうで、今は目的が済んだ為に研究場所にしている国へと帰った。習得した魔法についてはお楽しみだ。
万水流については既にネルと並べるほどの腕前である。元々、男は目的を決めると達成するまで走り続ける頑固さのお陰か、ネルの予想よりも何倍も早く上達していた。
「でも、やっぱりあと少しが師匠に届かないんだよなぁ」
男は一度もネルには勝てていない。
「それは歴然とした経験の差、じゃな。まぁ、お主が魔法を使ったら分からぬが」
そう、男はバラットに教わった魔法をネルとの模擬戦ではつかっていない。
「魔法を使ったら、それは師匠に腕前で勝ったことにならないでしょ。それに、師匠だってスキルを使ってないでしょ」
「ん?言ってなかったかのぉ、わしのスキルは戦闘用じゃないぞ?」
「あれ?そうなの?」
「戦闘用のスキルがなかったから、技術を深めることができたからのぉ、ある意味持って無くてよかったかもな」
「因みに師匠のスキルは?」
「『制限』というものだ、使用者の能力を好きに制限できるスキルじゃ」
因みに男のスキルは『健康体』、『言語理解』の2つであるが、これは歴代の英傑達のような存在と同じ多さである。
「へぇー」
「興味ないなら聞くな」
「いた!」
「まぁよい、………そろそろ終わりも近いのかもな」
「んぇえ?何か言った?」
「なんでもない、続きをやるぞ」
ある国の屋敷
コンコンコン
「失礼します。バラット様、夕餉の準備が完了しました」
「……あぁ、わかった。10分後に行く」
「畏まりました」
バラットの屋敷で働くメイド兼秘書をしている妙齢女性は、夕餉の最終確認へと部屋を出ていった。
「アイツは本当にやるつもりなのだろうか……」
バラットが漏らした言葉に反応したのだろうか、空が赤く染まり始め、少しずつ深くなっていく。
「アイツを助けられるのは、あやつしかできない………か……」
そう悩んでいると、予定していた時間になった。
「……できることは…やった。これで、我慢するしかない」
そう漏らし、彼は書斎を出ていった。
彼の足音が離れて行く音に共鳴して赤色の熱が消えていき、初秋のような仄かな冷たさが拡がる。
家主の帰りを待つ部屋は、色を奪われて大きな影に呑み込まれ、元の形は消えてしまったーーー