嫌味は突然に言われまくる
できるだけゆっくりと車を運転し、できるだけゆっくりと会社へ入り、総務部へたどり着いたトオルは、深く深く深呼吸した。心の準備はなんとかできたつもりであった。だからできるだけ、声だけでも、虚勢を張った。
「お疲れさまですっ! 主任!」
その言葉を待っていたとしか思えないほど、ノゾミから放たれた一言は尖りを極めていた。
「遅いっ!」
「はぁ!?」
できるだけゆっくりと会社に向かったのはほかならぬ自分である。否定はしないしするつもりもなかったが――
「会社に来るのにどんだけ時間かけてんのよ。足りなかった書類、見つけたわよ!」
これはあまりといえばあまりな仕打ちであった。トオルはおおいに反論してみた。
「じゃ俺は何のために出てきたんです!? 途中で連絡くれてもよかったじゃないですか!」
「ついでだからやりかけの仕事片づけていきなさい。どうせ明日じゃまた先延ばしになるからね、あんたみたいなのは!」
ついでとはまた非情な言い方だった。確かにやりかけの仕事はまだいくつか残っている。しかし、「でも俺今日は休」みですよ、と言いかけたトオルに、完全にかぶせる形でノゾミは言い放った。
「創立記念日のお土産は手配したの? 式典は明後日よ?」
会社の創立記念日には式典が開かれて、来賓の方々に些少ながらお土産をお渡しすることになっている。それくらいはトオルだって知っていたし、なにより、自分が担当になって、いや、ならされていた。新人がまずやる仕事なのだそうだった。
「……まだです……」
「だと思ったわ。はい、決まり。どうせ毎年花の種とかそういう小さいの配ってるんだから、早く決めてしまいなさいよ」
「去年は何を?」
完全にパクり倒すつもりでトオルは聞いた。もらう土産が前年と同じことを指摘してくる来賓がいるとも思えなかったし、毎年土産が同じでも逆にこれは恒例になってよいのではないか。営業で培ったすこしの知識が働いた結果だった。
「苗だったわね、パンジーか何かの。でも残念ね、去年発注したお店は先月潰れたの。今年のお店はあんたに任すわ」
「潰れた」
「頼んだわよ、新人」
言いながら、ノゾミは、トオルに電話帳を渡す。
「仕事済んだら帰っていいわ。明日にはお土産到着してないと、ただじゃおかないからね?」
「ただじゃ……って……そんな」
無茶苦茶な。今日の明日でどこの店が商品を調達してくれるというのだろう。そう言いかけたトオルの言葉を、ノゾミは無理矢理に飲み込ませた。
「なんか文句あんの! ズルズル発注を先延ばしにしたのは誰? 私?」
「……俺です」
「よくできました。じゃ、私仕事に戻るから」
嫌味たっぷりの言い方ではあったが、電話帳を抱えたまま絶望しかけるトオルの耳に「休日出勤代はきっちりつけておくわ」と小さく聞こえたのは、ノゾミなりの真面目さだったのかもしれない。あるいはそれとはまた別の感情があった可能性もあるが、トオルは取り残されたまま座り込んで唸った。
「……いやそりゃ悪いの俺だけどさあ! 休みに呼び出すことねーんじゃねーの! そういうのは普通昨日のうちに言ったりするもんじゃねーのかよ、わざわざ昼過ぎに電話するかよ! どっか出かけてたら来いって言ったかよ!」
誰も聞いていないことをいいことに、トオルはひとしきり悪態をついてみた。だが結局会社に出てきたことに変わりはないわけで、かつ、真偽の是非はともかく休日出勤代までつけると言われてしまっては、やることをやってから帰るしかなかった。
「花の苗なあ……」
電話帳をめくりながら、トオルはぼんやりうめいた。そもそもここは乾物の卸会社である。来賓に鰹節の一本も配るならともかく、なぜ花苗なのか。安いからか。選択肢が少ないからか。
「つまり主任も結構いーかげんに決めてるってことだよな」
本人が聞いていないのをいいことに、トオルはさらりと言ってのけ、電話帳で花屋を探した。もうこの際苗でもなんでもいいから早く決めてしまえば片がつく。
「? 花屋ってないな……ああ、【園芸店】でいいのか……」
思ったよりも、【園芸店】の掲載は少なかった。トオルは自分のシャープペンを出すと、目をつぶってその上をうろうろしてみた。見当もつかなければインスピレーションに頼ってみるに限る。
とん、と、いい音がして、シャープペンの先は一件の電話番号で止まった。
「ここだ! 【種田たねもの屋】。たねものってことはアレだな、今年は苗じゃなくて種で決まりだな。えー、番号は……と……」
スマホからコール音が一回して、電話の向こうはにぎやかな声を上げた。
『はい! 種田たねもの屋ですぅ!』
「うわ、うるさっ。……あ、あー、えと、花の種を注文したいんですけど、明日までに五十袋とか、お願いできますか?」
予備の袋を頼んでもよかったのではないかと、そんな考えが一瞬だけトオルの脳裏をかすめたが、無駄なことはするなと怒られそうな気がしてやめた。ここは来賓の人数ちょっきり五十を用意したほうがよさそうだ。
たねもの屋はにぎやかな声のまま応対を続けた。どうもそれがポリシーであるらしかった。
『五十、ですか? お好みの花とかあります? 種類問わずとりまぜてよろしいのなら、一袋二十円で明日までにそろえられますが』
この際、種類がどうとかは関係ない。明日までに五十の土産がそろうかどうかと
いうほうが、トオルにとっては余程重要だった。しかも一袋二十円。熨斗紙なんかはこちらでどうとでもなるとして、それは破格の安さだとトオルは思った。
「あー、いいですよそれで。そろうなら。何が咲くか分かんないほうが面白そうだ」
『じゃ真っ白な封筒でお届けしましょう。お届けはどちらへ?』
「あぁはい、……」
トオルは会社名と住所、納品書と請求書を同封してもらうことなどをそつなく伝える。実に短いながらも休日出勤がこれで終わったことになるが、呼び出された以上、ここで帰ってしまうのは若干癪に思えた。しかも休日出勤代をもらえるとあっては。そこで彼はノゾミに、なんとも丁寧に報告を終えた。
「花の種ね。課長には私から報告しておくわ」
「あの」
「まだ何か?」
「仕事、残りの……」
「急ぎの仕事はそれくらいでしょう。まさか夕方まで残って仕事片づけたいの?」
そう言われてしまえば確かに残る理由はこれ以上なかった。
「言っとくけど、休日出勤代は無駄遣いしないわよ」
それを言われると言葉をなくす。トオルはおとなしく帰ることにした。