悪役令嬢の私は、重い病気にかかって婚約破棄されてしまったけれど、本当の幸せは知る事ができました。
「王子様が、囚われのお姫様を助ける物語を知っているかい?」
目の前の男は気取った口調で、そう笑う。
「そんなの、何処にでもある話じゃない」
私は素っ気なく、そう応える。
「そう。何処にでもある話だ。でもそれは、何処にも無いものなんだ。囚われのお姫様なんて何処にも居ないし、だからそれを助ける王子も何処にも居ない」
でもずっと、お姫様の心は囚われている。この男は知らないだけで、お姫様の心は深い深い牢獄の中にある。でもそれは、私には関係の無い話だ。
「居ないから、夢を見るのでしょう? 人とは、そういったものよ」
「なら、お姫様は何を夢見るのだろう。我々が夢見る人々は一体、どんな夢を見ているのだろう。僕はそれが知りたい」
「……それは多分、当たり前の日常よ」
窓の外の木々が揺れる。もうだいぶ、葉も散ってしまった。冬の足音が聴こえてくるかのようで、憂鬱になる。きっと私はもう、春を見る事が出来ないから。
「僕は季節の中で冬が1番好きだな。空気が澄んでいるし、何より静かだ」
男は騒がしい自分自身を棚に上げて、そう言う。私には、この男の事が分からない。お姫様に寵愛されているにも関わらず、私の様な三流の貴族に会いにくる理由が、全く分からない。私に媚を売っても、何の意味も無い筈なのに。
「私は冬が嫌いよ。だって明けたら、春が来るもの」
「……君が嫌いなのは、冬でも春でも無い。その先に待っているものなんじゃないかい?」
告げられる言葉には、重みがあった。でもその重みは、私には必要ないものだ。
冬が終わり、春が来る。そうやって季節は巡り、そして人はこの世を去る。それは逃れられない主命で、誰の身にも降りかかる運命だ。
そしてその運命が、皆より早く私の所に来ただけだ。
夢を見ていた。夢に焦がれていた。
三流貴族として産まれ落ちた私は、政治の道具として使い捨てられる運命にあった。私はそれが嫌で、そこから抜け出したくて必死になって抗った。
悪い事を何度もした。罪の無い人を陥れ、罪の有る人間に媚を売った。自分が悪だと、自覚している。こんなやり方じゃ駄目だって分かってた。
でも
それでも
私にはそれしか、できなかった。
悪役令嬢。私がそんな風に呼ばれていると知った時、だから、笑ってしまった。
悪の令嬢では無く、悪役令嬢。私にピッタリなネーミングだ。
私は抗って、地獄を抜け出した。
でもそんな私を待っていたのは、重い病魔に侵された哀れな悪役令嬢だった。
余命、数ヶ月。そう告げられた時、少しだけ安心したのを覚えている。神様なんて信じてはいなかったけど、罪人に罰が与えられるのは、罪人にとっても救いなのだ。
私は必死に抗って手に入れた全てを手放し、辺境の屋敷に引きこもっている。
誰も私の心配など、していない。婚約者の男ですら、もうきっと私の事など忘れているのだろう。誰も愛してこなかった私には、お似合いの最後だ。
そう強がって目を逸らした。日に日にやつれていく鏡に映る自分から目を逸らし、私はただ生きていた。
死ぬ為だけに、私は生きていた。
そんな時、目の前の男が現れた。お姫様の寵愛を受けている、風変わりな男。有名な貴族の出で、舞踏会で多くの女性の視線を集める男。
そんな男が不意に私の屋敷にやって来て、言った。
「匿ってくれ、追われてるんだ」
演劇みたいな声が響いて、この男との奇妙な同棲生活が始まった。
もうベッドから起き上がる事も出来ない私の元に、男は今日もやって来る。冬の冷たい空気を物ともせず、男は当たり前の様にやって来る。
でももう、会いたくはない。日に日にやつれていく私を、もう見られたくない。何より死に行く人間に、希望なんて見せて欲しくはない。
それでも男はやって来る。
私はそれを拒まない。
だって本当は……。
「やあ、調子はどうだい?」
男はいつもの様に笑う。
「……良い様に見える?」
私は掠れた声で答える。
「……今日はとある本を持って来た。よかったら聴いてくれるかい?」
男は一冊の本を取り出す。でもそれを、私は遮った。
「…………もうやめて。もうやめにして。お願いよ。貴方の様な人が、私に構う理由なんて、無いでしょ? 貴方が来ると、私が惨めになる。私はもう……死ぬわ。もうそれを受けて入れている。だから……もう、放って置いて!」
これは唯の、八つ当たりだ。分かってる。それくらいは、分かってる。でも死を前にして正しくいられる程、私は強くない。もう1人にして欲しい。こんな想いをするなら、いっそ殺して欲しい。生きれば生きる程、無様になる。
もう、嫌だ。
「…………1人の男の話をしよう。その男は全てを持って産まれ、全てを与えられて育った」
でも、それでも男は立ち去らず、いつもの様に誰かの話を始めた。
「でも、男は知っていた。自分が道具であるのだと。自分が持って産まれた全ては、誰かに使われるもので。自分に多くが与えられるのは、彼等にとってそれが都合が良いからだ。その男は全てを持った、操り人形だった」
男の目が、遠くを見据える。それは彼が時折見せる、彼の唯一の弱さだ。
「男は人形である事を受け入れた。それ以外に、できる事など無かった。そう信じて、そう願って、そうやって諦めていた」
そこで男の目が輝く。眩しいものを見る様に、美しい花を愛でる様に男の瞳が輝く。
「でも見たんだ。運命に抗っている人間を。自分の様に、人形である事を求められていた彼女は、それでも懸命に人であろうとした。男はその姿に救われた。運命を笑い飛ばす、その強さに憧れた。自分もそうなりたいと、強く願った」
それはきっと物語の様に綺麗ではなくて、ただ現実の遣る瀬無さに色付けされただけのものだけど、でもそれが、私の誇りだった。
そうやって進む事だけが、私の全てだった。
気がつくと、私は泣いていた。
何が流れているのか、自分でも分からなかった。
「側に居させてくれ。たとえ明日、貴方が死ぬのだとしても、今日だけは、側に居させてくれ。僕は貴方を、愛している」
そんな言葉、聞きたく無かった。
そんな顔を私に向けないで。貴方にはだって、輝かしい未来があるのに。私が望んだ未来が、貴方には約束されているのに。
明日死ぬかもしれない私の側に居たって、何の意味も無いのに。
沢山の罪を犯して来た私は、独りで無様に死に絶える事だけが救いなのに……。
なんで。
なんで?
なんで!
なんで! 私なの!
「死にたくない。まだ、死にたくないよ! なんで、なんで! 私なの! やっと、望んだものが見えて来たのに……なんで今になって! なんで! 私が死ななくちゃいけないの!」
理屈を無くした私は酷く無様で、どんなに賢い理屈で覆っても、私の本心なんてその程度のものでしか無い。
そんな事も、私は知らなかった。
「愛してる。僕がずっと……側にいる」
本当はずっと、誰かにそう言って欲しくて、その為にずっと走って来た。
必死に走って努力して、悪役と罵られ、それでもと走り続けた私は、最後の最後で望んだものを手に入れた。
「側に居て。ずっとずっと、離れないで」
暖かい手が触れる。その暖かさだけが、世界の全てだ。
「愛してる」
彼の声が聴こえる。
「私も……愛してるわ」
私もそう答えを返した。
そこから先に語る物語は無い。
冬が終わり春が来た。悪役令嬢は当たり前の様に死んで、男は当たり前の様に生きた。
でも
それでも
繋がった心が離れる事は無い。死が2人を分かつとも、掌に残った暖かさが消える事は無いのだから。