第6話
不機嫌そうな顔をしていたミホも、少年の案内した先が泉だったのを見て一転した。
「迷ってる間に見つけたんだ」
泉の水は澄んでおり、飲むのに差し支えがないように見える。
「あ、俺、何回か飲んだけど、お腹が痛くなることとかもなかったよ」
躊躇するミホの背中を押すように少年は言う。
その言葉を聞いたミホは、覚悟を決めたのか空になったペットボトルを泉に沈めて中を満たし始めた。
ゴポゴポと少しの間音がする。
音が止んで泉から取り出したペットボトルに口を当て、ミホはグイと傾けた。
泉の水は冷えてこそなかったが、とてもおいしかった。
渇いて張り付いてしまったような感覚だった喉が潤い、広がっていくような気がする。
ミホはペットボトルから口を離すと深く深く息を吸い込み、ここに来てからの全てを吐き出すように長い溜め息をついたのだった。
「アレ、何だと思う?」
地面を見つめたままミホが問う。
アレとはもちろん気味の悪い小さな生き物のこと。
人を殺すことを躊躇わず、それどころか楽しんでいる節さえある。
その小さな体に似合わず力が強く、知恵もあるようだ。
「突然こんな場所に来たかと思えば、いきなりあんな訳の分からないやつに」
チハルとアキラが殺された、ミホはその言葉を口にすることができなかった。
それは紛れもない事実なのだが、その実感は薄い。
だからこそまだ平常でいられるのだが、それもいつまでもつか分からない。
何でもいいから情報がほしい。立ち向かうべき相手の事を捉えたい。このままではもう立ち上がることも出来そうにない。
「ゴブリン、なのかもしれない」
ミホが思考に囚われ黙ってしまったのを見て、少年は慌てて口を開いた。
「ゴブリン、て」
あの?とミホが聞き返す。
ゲームに漫画、それにアニメや映画。いたるところに出てくるその生き物は、昔と違ってとてもメジャーな存在だ。
「うん。俺、ゲームとかアニメが好きなんだけど」
知ってる、とミホが言う。
「そこに出てくるゴブリンに、似てる気がするんだ」
そう言われれば、とミホも今まで見たことのあるゴブリンという生き物の姿を思い浮かべた。
それは大人の人間の半分ほどの大きさしかなく、醜い顔をしている。
手に持つ武器はあの生き物と同じようにナイフが多かった気がする。
そして薄く緑がかったようなあの肌の色も、確かに同じだった。
しかし。
「でも、ゴブリンってだいたい最初に出てくるザコじゃん」
架空の世界のゴブリンはやられ役と言っても過言ではない。
数が多いだけで知能は低く、力も弱い。
どの世界でも物語の主人公が成長する為の通過点のような存在だったはずだ。
「なのにあいつはアキラでも倒せないんだよ?」
全然ザコじゃないじゃん、とミホはもう一度水を飲んだ。
アキラが倒せないからザコではない。
その判断は、ミホがアキラを万能だと思っているからなのだろう。
確かにアキラには弱点らしい弱点はなく、剣道も強かった。それは少年もよく分かっている。
しかしあれがゴブリンでなければなんだというのか。
全くの未知の生物だと言ってしまってもいいが、そうすると再び心の寄る辺を失ってしまう。
ゴブリンだと思っていた方が、所謂ザコなのだと思っていた方が、まだ行動を起こせるような気がした。
だから少年は鼓舞するつもりで言ったのだ。
「あれはさ、すごく強いゴブリンなんだよ」
もうゴブリンだと決めつけた。
「たぶん、そう。レベルが99のゴブリンなんだ」
レベル?と眉間に皺を寄せるミホに、少年は慌てて言葉を続ける。
「ほら、人間だってすごく強い人とそうじゃない人がいるだろ?」
あんたとアキラみたいな?と返すミホの言葉につっかえながら少年が返す。
「そ、そう、そういうこと。だから、あいつはすごく強いんだけど、それでもただのゴブリンなんだよ」
それなら何とかなるのかもしれない。
相手が全く正体の分からない生き物ではなく、ゴブリンという実在しないまでも身近に感じることのできる相手であれば、戦うことができるかもしれない。
少年は話続けながら、どこかから自信の湧いてくる思いがした。
しかし。
「じゃあ私達のレベルはいくつなの?レベルの低い者が、レベル99のゴブリン相手に戦えるの?」
呆れながら言うミホの言葉で、少年は口をパクパクさせながらそれ以上何も言うことができないのであった。