第5話
それからしばらくの間、ミホは木の上から動けないでいた。
辺りはどこも同じような景色で、下手に動き回るのは消耗するだけだと思ったからだ。
しかし時計の時間が9時を表示しているのを見て、これまで気にする余裕のなかった空腹を思い出した。
このままここにいても仕方ない、とミホは器用に木を降りる。
そんなミホの耳に声が聞こえたのは、どっちに向かえばいいのか分からないまま再び歩き出した直後だった。
その声は助けを求めているように聞こえた。
「助けて、助けて」と繰り返しながら移動している。
自分以外にも人がいたことに嬉しくなり、ミホは声のする方に向かって走り出した。
ここからでは声の主が男なのか女なのか分からない。しかし今はどっちでもいいことだった。こんな森の中で一人でいるよりも、例え知らない人でも一緒の方がずっといい。
乾いた喉に残った水を流し込み、ミホは走り続ける。
そして見た。
木々の間を歩いているものの姿を。
それは、アキラだった。
おかしな体の揺らし方で、助けてと叫びながら歩いている。
怪我でもしたのだろうか、そう思いアキラの名前を呼ぼうとしたミホは、その直後に慌てて自分の口を塞いだ。
それは声を出さない為であり、そして気分の悪さから嘔吐しない為の無意識の行動。
元からおかしな話だったのだ。
アレがアキラであれば声ですぐに気が付けたはずだ。
それなのにこんな近くまで不用意に来てしまったのは、やはり冷静ではない自分がいたから。
しかしアレを見て、ミホの心はむしろ冷静さを取り戻した。
ソレは、ソレの顔は確かにアキラだった。
しかしそこには顔しかなかった。
目を見開き、口から血を垂らしたアキラの首は切り落とされており、その首には木の棒が突き立てられていたのだ。
それを持って歩いているのはあの気味の悪い小さな生き物。
その生き物がアキラの生首を掲げながら、「タスケテ、タスケテ」と歩いている。
何が面白いのか時折笑い声を漏らしながら、これで騙せるのだと信じて疑わない様子で歩いていく。
自分の呼吸の音が五月蝿すぎて、この音で気付かれてしまうのではないかと気が気でない。
しかし今ここで動けば間違いなく気付かれてしまうだろう。
ミホは必死で口を押さえ、震える足で気丈に立ち続けた。
「ミホちゃん」
そんな時に急に声を掛けられたものだから、ミホは文字通り飛び上がって驚いてしまった。
「ご、ごめん」
そう言って真っ青な顔で謝るのは共にここに来たもう一人の少年。
普段から頼りないやつだと思っていたが、今だけは違った。
その少年の顔を見たとき、ミホの目からは涙が流れた。それは安堵の涙だった。
「それじゃああんたはそれを見てたの?」
ミホの言葉に、少年は頷く。
「俺、逃げろって言われたけど、逃げられなくて。だからアキラがあいつと戦うのを見てたんだ」
少年は一旦その場から逃げ出したものの、すぐに引き返して草むらに隠れた。
そして少年が戻ってきた時、アキラは懸命に小さな生き物と戦っていたのだ。
木の棒を振るい、小さな生き物の突き出すナイフを必死で避けている。
そんなアキラが殺されてしまうのは、とてもあっさりしたものだった。
脳天目掛けて振り下ろした木の棒を、小さな生き物は軽く横に跳んで避けた。
直後、素早い身のこなしでアキラに躍りかかった生き物は、迷うことなく喉にナイフを突き立てた。
そこから先は見れなかった。
倒れたアキラの上に覆い被さって何かしているのを直視することができず、少年は下を向いて息を殺し続けたのだった。
「どうして」
とミホが言う。
「どうして助けにいってあげなかったの」
少し前まで泣き顔を見せていたかと思えば、今のミホはいつものように少年を睨んでいる。
「助けにって、俺に何ができたっていうんだよ」
自分はあまりミホに好かれていない。それは前から感じていた。
隣にはいつもアキラがいたから、きっとミホは自分の相手をしてくれていたのだ。
「と、とにかく」
ここから離れよう、という少年の提案には頷き、黙ってミホは少年の後に続いた。