第11話
前回の訪問者を狩ってから随分と時間が経って、久しぶりに森を訪れる者があった。
それはあの時手に入れ損ねた硝子のはまった不思議な物、眼鏡への執着が落ち着いてきた頃だった。
今回の獲物は1人。
いつものように弱く怯える人間を追い掛ける為に近づいた時、ゴブリンはその人間がいつもと違う反応をしていることに気が付いた。
これまでこの森を訪れた人間達は、何故か一様に辺りを見回し不安そうな顔をしていたものだ。
その人間達が突然この森に転移してきたことを知らないゴブリンからしてみれば、それは実に不可解なことであった。
しかし今目の前にいる人間は違う。
何やら興奮ぎみに声を張り上げ、とても楽しそうに辺りを見回している。
「まじか!」
と、しきりに同じ言葉を繰り返し、はぁ!やらふん!やらと声をあげて手を前に突き出しているのだ。
これにはゴブリンも戸惑ってしまった。
相手の言っている言葉が分からない上にその行動の意味も分からない。
見た感じではとても強そうには見えないが、これまでの誰よりもこの状況を楽しんでいるように見える。それは見た目とは裏腹に戦う力を持っているからなのだろうか。
「何だ、俺のスキルは何だ」
またもやぶつぶつと何事かを呟きながら、その人間は自分の体を、いや着ている服をぱんぱんと叩き始めた。
「こういう時はどっかにヒントがあるはずなんだけどなぁ」
上着を脱いで裏返しながら隅々まで確認しているのは一体何を探しているのか。
「女神とか神様とかとも会わなかったしなぁ」
目の前の空間を何度も叩いているのには何の意味があるのか。
「あれぇ?おかしいなぁ、武器もスキルもないじゃんよ」
とそこまで呟いて、その人間は何かを思い付いたように「あっ!」と叫んで立ち上がった。
「ということは近くに困ってる美少女がいるはず!」
その言葉の意味を当然理解することのできないゴブリンであったが、人間が物凄い笑顔で走っていくのを見て追いかけずにはいられなかった。
「いない!」
そう叫んで人間は走る方向を変える。
「こっちにもいない!」
また叫んで方向を変える。
何かを、誰かを探しているのだろうということは理解できたが、しかしこの森には自分しかいない。
自分しかいないのだから人間の探すようなものは何もないはずだ。
一定の距離を保ったまま人間を追い掛けるゴブリンはそのおかしな人間に興味を持ち、しばらくの間観察することにした。
「もしかしたらものすごく強くなってる、とかか?」
そう言って人間は拾った木の棒で木の幹を叩き痛がっている。
「じゃ、じゃあものすごく運がいいとかか?」
そう言ってその場に立ち尽くし空を見上げているが、何も起こらない。
「もう一回試してみるか」
そう言ってまた掛け声をかけながら手を前に突き出しているのだが、何も起こらない。
「魔法も使えない」
そう呟いた人間は少しの間地面を見つめていたのだが、不意に持っていた木の棒を地面に叩きつけた。
「何なんだよ!全然チートとかないじゃん!ハーレムとかないじゃん!ここどこだよ!」
何だかよく分からないものの、これ以上待っていても何も起こりそうにない為ゴブリンはすたすたと人間の前に歩みでた。
直後。
「きた!イベントきた!」
自分の姿をみて恐れないどころか喜んでいる人間にゴブリンは面食らう。
「これあれだよ、最初のイベントだろ?」
必死で語りかけてくるが、ゴブリンには何を言ってるのか理解できない。
「俺がここでお前を倒して、すごい力に目覚めてこの世界を救うとかだろ?」
ゴブリンは思わず首を傾げてしまった。
「それで旅の途中でいっぱい可愛い娘に出会って、皆俺に惚れるやつだろ?」
ゴブリンの傾げた首は尚も傾いていく。これほど喋る人間には出会ったことがなかった。これほど喋っているのに何一つ理解できない経験も初めてだった。
「よっしゃ、やるぞ」
人間はとたんに元気になり、先ほど叩きつけた木の棒を拾うと不格好な構えをとった。
そして人間は情けないような叫び声を上げながら木の棒を振り回す。
その軌道はひょろひょろと頼りなく、万が一当たったとしても何の威力もないだろう。
そしてそんな攻撃に当たるようなゴブリンではない。
「あれ?この!」
何が意外なのか、人間は「自分は もっと上手く戦えるはず」とでも言いたげな顔をして木の棒を振り回し続ける。
がしかし、それも長くは続かなかった。
すぐに体力が尽きたのか、人間はぜぇぜぇと肩で息をしながらその場に立ち尽くしてしまったのだ。
「ちょっとタイム。俺が回復するまで、ちょっと待ってて」
手のひらを突き出しながら何かを訴えかけてきているのだろうが、言葉の分からないゴブリンは人間に向かって歩き出す。
「いや、ちょっと待てって。俺やれるから、できるはずだから」
そう言って人間が膝に手をついて呼吸を整えている間に、ゴブリンはその眼前まで迫っていた。
「お前あれだろ?ゴブリン、ゴブリンだろ?まぁファンタジーの最初の」
敵のいえば、と言いかけた人間がそれ以上続けることはなかった。続けることができなかった。
近づいてきたゴブリンが人間の横腹に深々と短剣を突き刺したからだ。
「え?」
人間は心底意外そうな顔をしてゴブリンを見る。
突き刺した短剣を引き抜き、もう一度突き刺す。
「え?俺、主人公じゃないの?」
何を言っているのか分からない。
「え?死ぬの?」
何を言っているのか分からない。
いい加減面倒になってきたゴブリンはその人間の首に短剣を当て、勢いよく横に引いた。
「え?え?」
最後の最後まで理解も納得もできないような顔をして、そのおかしな人間は死んでいったのだった。