四つ葉の念
結婚しよう。
彼の一世一代の魂を込めた告白は、確かに私の心に届いていた。
嬉しくて、涙が溢れて。返事をするのに時間がかかってしまったのは今となっては笑い話だ。
ここまで来るのに、紆余曲折あった。本当に、全部纏めたら一つの小説になってしまうのではないかという規模で。
泣いたり笑ったり、怒ったり。そんな日々を経て、私は遂に幸福を掴んだのだ。だから……。
「え? 結婚式ですか? 行きませんよ私?」
「……あるぇ~?」
御部屋へ招いた親友に幸せの報告をした私は、きっと今、ひょっとこみたいな味のある顔をしていた事だろう。
そんな私を屈託のない笑みで見つめながら、親友の千夏は、お茶請けに出したミルクレープに、プスリとフォークを突き刺した。
「なんて……ね。冗談ですよぉ?」
「あ、さいですか。……よかった」
目がマジだった。本気と書いて。とは、遂に言えなかった。千夏が冗談と言ってるんだから、きっとそうだ。私は自分の中でそう結論づけた。
「でも、少し複雑です。和樹君が私の大好きな友里ちゃんを自分のものにして。友里ちゃんは友里ちゃんで、私の大好きな和樹君のものにされて」
「あー、カズと、幼馴染みなんだもんね?」
初めて聞いた時はビックリしたのを覚えている。千夏とは大学で。旦那になるカズは職場で出会った。彼氏に友達を紹介する名目で顔合わせした時の微妙な空気は、今でも覚えている。千夏は目を見開き。カズはカズで、罰が悪そうに頬を掻いていた。
「はい。ちっちゃい頃からの。あ、結婚する今だから言える和樹君の弱み……一杯知ってますよぉ?」
「今だからって……、いや、何で今ごろ?」
「恋仲の時ならともかく、結婚されるなら、多少幻想が壊れても大丈夫かな~……なんて」
括弧と笑いをつけかねない、小悪魔みたいな笑みを浮かべる千夏。うーむ。普段は天使みたいに可愛いくせに、たまに黒いとこを見せるのが、千夏だ。あざとい。実にあざとい。
「詳しく」
「……いいんですかぁ?」
そこで乗る私も私だけどね。これはあれだ。旦那の手綱を更に磐石にするためだ。別に凄い気になるとか、そんなのじゃあない。私がそう言えば、千夏ちゃんは、わかりました。と、微笑んだ。
……いかん、少しトリップしてた。私女なのに。
こうしてまじまじと見れば見るほど、千夏は整った顔立ちをしてると思う。
長く艶やかな黒髪は、サラサラな上に砂糖菓子のような甘い香りを放つ。ぱっちりした目元には、色っぽい泣き黒子。涙を流しているのを一度だけ見た事があるけれど、白い雪みたいな肌と相俟って反則級な美しさだった。
身体はスレンダー。正直、何処に内臓やら骨があるのか心配になるレベルで手、足、腰が細い。その癖出るとこは程よく出てる。……うん、何かあれだ。私が千夏勝てる部分といったら、体力位だ。体育会系万歳。
「友里ちゃん?」
「んにゃ、ごめんごめん、千夏に見とれてた」
「……あの、友里ちゃん? ごめんね、私ノーマルで……しかも友里ちゃんはもうすぐ……」
「ちょ、待った! ドン引きしないで! そういう意味じゃないからぁ!」
純粋過ぎるのも問題だなぁ。なんて思う。正直、このスペックなら男がほっとかないだろう。にも拘わらず、千夏には未だ男の影は皆無。つまり天使はここにいた。
「ほら、話の続き! カズの野郎の弱みだよ。どんなのあるの?」
「……後悔しませんか?」
「勿体ぶるなぁ~。いいよ。ドンとこい!」
私が無い胸を拳で叩けば、千夏は「わかりましたぁ」とだけ答えて、吟味するかのように考え込み。そして……。
「和樹君ね、実はSMが趣味なんです」
「……oh」
いきなりすんごいのが来たなぁ。
「縛って、相手に首輪をつけて。その上で……」
自主規制。正直、天使の口から出てきちゃいけない言葉が大量に出てきたから仕方がない。てか、そんなことまで? 私、よく無事だったな今まで。
当然ながら、そんなことされたことは一度もない。そう私が言えば、「きっと大事にしてるんだと思いますよぉ」なんて返事が返ってきた。ちょっと照れる。
「ただ、攻めすぎた反動といいますか……。何といいますか……。一定期間で性癖が逆転するんです」
「え、ドMになるの?」
「いいえ、赤ちゃんになるんです」
空を仰げば、見慣れた天井だった。
頭痛がしてきて、思わず額を指で揉む。情報処理が追いつかない。
「ごめん。もう一回。何になるって?」
「赤ちゃんになるんです」
「……わ、ワンモアプリーズ」
「赤ちゃんになるんです」
「……Baby?」
「べいびー」
オーマイガッ。
「業深すぎでしょ。知らんかった」
「必死で隠してるんでしょうね。和樹君のエッチな本のラインナップ、知ってます?」
「え? 普通のだったよ?」
おっぱい大きいのばっかりだったのがムカついて、洗濯機の角に奴の額をぶち当ててやったのは、いい思い出だ。
隠し場所もベッドの下なんてベタベタな場所に……。
「多分それ、フェイクです。本命はベッドの下。床ではなく、マットの下にある収納スペースです」
「…………何その地味に手の込んだ陽動」
それじゃあ、私はつられて全滅した雑魚部隊みたいではないか。
「因みにどんなの?」
「SM、凌辱……あと、近親相姦」
「……あいつ、妹いたよね」
「いましたね」
「……あっ」
括弧と察しが浮かんできた。浮かんできちゃいけないんだろうけど。
「あと、お酒に酔うと手が出ます」
「あ、それは知ってる。大丈夫だよ。私の方がケンカ強いし」
「………手は手でも、暴力ではありませんよ?」
「…………ん?」
ちょっと待て、それって。
「和樹君が高校生の時のお話です。お酒に酔って帰って来た和樹君は介抱していたとある女子高生をお持ち帰りし、そのままラブホテルに……」
「よし、アイツ酒禁止」
女癖と酒癖の悪さは、妻が強制するべきだよね。てか、ナチュラルに高校生で酒飲むな。ラブホテルとか早いわバカめ! というか……。
「ねぇ、今更だけどさ。アイツもしかして……性格悪い?」
「根はいい人ですよぉ? ただ、ちょっと昔やんちゃしちゃって、それを黒歴史に今は会社で頑張ってるんですよ」
成る程、高校デビューならぬ、社会人デビューか。自分を偽るなや。可愛いけども。けどゆるさん。
だって……。
「ところでさぁ、千夏。聞いてもいい?」
「はぁい、どうぞ?」
にこにこ笑う、可愛い友人。その整った顔立ちにぐっと顔を近づけた。
「……幼馴染っていっても、細かく知りすぎじゃない? 何で?」
「…………なんででしょうねぇ」
その時私は、友人の目の奥に、鈍い炎を見た。
私はそこで初めて、天使なんて抽象的なものではなく、誰も知らない千夏という一人の女を見た気がした。
「私は、カズを捨てる気ないよ。どんなに株を下げたってね」
そう言いきれば、千夏は普段からは想像もつかない、妖艶な笑みを浮かべた。
「じゃあ、これ以上の暴露は無意味ですかねぇ」
そう言って千夏は立ち上がり、ハンドバックに手を入れる。取り出されたのは、綺麗にラッピングされた箱だった。
「贈り物です。結婚式も行きますね。ああ……そうそう」
私も立ち上がり、おずおずとそれを受けとれば、千夏はいきなり私の手を掴み、耳元に顔を寄せた。
甘い砂糖菓子みたいな香りを漂わせながら、鈴を鳴らしたような綺麗な声で……。
「和樹君ね……結構ダメ男さんなの。彼女さんが〝二人〟いた時もあったくらい。……頑張ってね」
女は、毒を吐いて帰っていった。
後で包みを開けてみると、そこには四つ葉のクローバーが可愛く刺繍された、手作りのハンカチと手袋が入っていた。
幸運の象徴。千夏が大好きなシンボル。あの子はどんな気持ちでこれを編んだのだろう。
そう思えば思うほどに、私は胸が締め付けられそうになった。
※
結婚して、はやいもので一年経った。
千夏とは、式場で以来会っていない。携帯まで機種変更したのか、連絡すらとれなくなった。
私は、寿退社し、主婦としてごくごく普通の結婚生活を送っている。
旦那のカズは仕事で忙しい時もあるが、まぁ充実してるんじゃないだろうか。
「さて、洗濯かなー」
仕事から帰ってくるなり、風呂に直行したカズ。脱衣所に脱ぎ散らかされた衣類を見てたら、つい苦笑いが漏れてしまう。全く。面倒だから袖が裏返しになる脱ぎ方やめろとあれほど……。
「……え?」
そこで私は、妙なものを見た。
カズのワイシャツの背中部分。そこに……、何かがくっついている。どうやらシールの類いらしい
「……四つ葉のクローバー?」
知らず知らずのうちに、声が震えているのが分かる。
ワイシャツに顔を埋めれば、カズの体臭と脱衣所の洗剤類の芳香が混じり合う中、微かに。
砂糖菓子のような甘ったるい匂いがして……。
ギチリ。と、私の歯が軋む音がした。
その夜。私は旦那のワイシャツの背中に、極小のワンポイント刺繍を施した。旦那はずぼらだ。どうせ気づくまい。逆に見つけたら見つけたで反応が気になるが、今はいい。
慣れない針仕事で、私の指から少しの血が染み出してきた。それを見た時ふと妙案が浮かぶ。施した刺繍にチョン。と紅を塗りつけて、私は満足気なほくそ笑みを浮かべた。
血染めのクローバー。花が先に咲くのはどっちだろうね?
姿の見えぬ〝敵〟へ向けたメッセージの仕上がりは、しっかりと念を込めただけあり、これ以上ないくらい上出来だった。
四つ葉のクローバーの花言葉
幸運、約束、私を思って、私のものになって、復讐。