悟りと迷い
ノノの言っていたことは、ひとつ目の仕事を終えた段階で、すでに証明されようとしていた。
あれから、すぐ近くに町があるとのことで、どちらかと言えば体より心の安らぎを求めて、そこに宿泊することにしたのである。
「うそぉっ!?」
しかし、その町で味わった ピルスナー は、あまりに早い喉ごしの、心地よい引き締まりを与えてくれたのだった。
お、お代わり!
思わずシアンは給仕の女性に声をかけ、それが届くまでの間、テーブルの料理には手もつけようとしなかった。
「シアンさま。 ここの闇森にある町は、だいたい 辛口チキンウィング が名物なんですよ。 こってりした味の虫が多く生息しているので、鳥も豊潤な肉質に育つらしいのです」
皿に添えられた、舌が痺れるようなピリ辛のソースを指につけながら、ダーラが微笑んでいる。
青年はいそいそとお代わりを待って、それから言われた通りに鶏肉とレタスをメインにテーブルを片付けていった。
「やっぱり、仕事のあとのお酒は、最高ですねえ!」
広がった料理の隙間では、ノノが座りこみながら、ジョッキで頬を冷やしている。
ここは、もともと魔物が生息している地域でもあったので、冒険者たちを歓迎する商売も、それなりに繁盛しているようだった。
「ふぅむ。・・・あっちのテーブルにも、お仲間がいるようじゃのう」
わずかに眉をよせながらも、リンドウがそうささやいている。
「だが、それがしはどうも、この地域におる者は好かんでござるよ。 ーー もともと、こんな東の辺境には、ヤーナ神の光も届きづらく、影のある輩が・・・」
訥々とそんなことを語っていたが、妖精がメニューをぱんぱんと叩いて、リンドウに呼びかけていた。
「さあさ、リンドウさん。そんなことを気にしても、仕方がないですよ! ここには私たちの地元の、豚のライムソースがけもあるんですから!」
がぜん食べ物のこととなれば元気になるノノは、その場の雰囲気を楽しいものにしようと、頑張っている。
僧侶もさすがに、それ以上は他人を気にすることもなく、仲間とテーブルを愉快に囲んだのだった。
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「・・・うむ。これはどうかのう。やはり、あ奴らにしてやられたのか?」
その事態は、約一週間後に持ちあがっていた。
次なる目的地を目指していたシアンたちは、茫洋とした景色を前に、言葉をなくしているようである。
「いや・・・それでもここは、酷すぎるんじゃね?」
べつに酒が残っているわけではないが、青年は頭を抱えたようにうなだれていた。
彼らが次の探索場所として向かったのは、フィールドダンジョン ーー この国の北陸では有名な、丘陵地帯のようだった。
しかもそこはまた、半端ではない広さの討伐範囲だったのである。
(あの酒場で会ったやつら・・・やけにこっちを持ち上げてくると思ったら・・・)
すでにダンジョンの訳語も糞もないその草原に、青年はただ圧倒されていた。
それはあの夜にもたらされた、甘い他人の言葉から、始まっていたのだ ーー
「あんたら、やるもんだよなあ! もう噂になってる討伐地を、二つもクリアしちまったんだってぇ?」
やや悔しがっている様子を見せながら、彼らはシアンたちに近づいてきたのだ。
「ああ・・・。もしかしたら、かの ”ノラヴィア丘陵” だって、お前さんたちなら、行っちまうかもしれねぇ」
いやいや、まさか ーー 何ソレ?
どうやら、この国でも一番の難所と言われる所を、彼らは薦めてきたようなのである。
そこには古くから魔物が徘徊し、かつては軍隊さえ派遣されたにも関わらず、ボスを見つけることもできなかったとか・・・。
「・・・?」
さすがに、馴染みの土地から遠く離れた北の事情には、ノノもダーラも詳しいとは言えず、とくに意見をもたらすこともできなかった。
まあ確かに、いつまでたってもその場所に魔物が居座り、数も減らないのは、どこかに大将がいる証拠だとは言われるが・・・。
ここでは、意外、というべきなのか、ノノは地理的なことにかけては精通しているらしい。
だが、人や魔物の情勢などには、のんびりしていて疎い ーー。
「・・・ぬう。それがし達も、とくに予定が決まってるわけではござらん」
僧侶がそう呟くと、皆は顔を見合わせていた。
後で思い返してみれば、誰かがここで否定する要素を出せばよかったのだが。
青年たちは、いつものように軽い調子で応えてしまったのだった。
ーー ふっ。俺の人生、こんなんばっかなのさ。
煤けた横顔をさらしながら、シアンは今、高台から風の吹く丘を見おろしている。
皮肉なことに、そのうねる草原の色は鮮やかで、自分が輝きの大地に立っていると思えるほど、美しい景色だった。
「・・・」
やがて、彼らは誰ともなく、風にふくまれた不穏な匂いを嗅ぎ、野に踏み出してゆく。
『英雄』になど、もはや幻想を抱けるような齢ではない。
けれど、彼は ーー ずっと昔から、こんなことを心折れてもくり返してきた青年は、迷っているのかもしれなかった。
誰かを救うことで救われるものが、まだ自分の中にあるのかと。