最終話 いつかどこかで
「・・・ふう。やれやれ」
翌日、青年は真新しい邸宅の匂いの中で、目を覚ますことになった。
建材において最高品質とも言われる檜造りのこの家は、まだ窓を開けなければ芳香にむせそうになることもある。
むっくりと部屋の隅に置かれたベッドから起き上がって、彼は庭に面した風景「生けどり」用の窓を開けていったのだった。
(ウォグさん・・・趣味がしぶすぎるぜ)
主に椿や蝋梅といったわびしい冬の植物が姿を見せている。
まだ季節は秋の入りなのだが、なんとも言えない風情がそのしずかな園庭にはあった。
ーー鳥でも飛んできたら、画家が喜ぶかもしれないな。
抜けた考えが頭をよぎり、青年はあくびをしていた。
・・・昨日、どうにか1000万G以上のお金は受け取らない方針で話を進めたシアンは、夕方になってやっと「貯金が尽きたら無心しに行くから」ということで、相手の了解を取りつけることができたのだ。
若頭ことウォグは、村の方に専属の庭師だけは置いていきます、と強引に決めて、この近辺の宿泊施設から消え、何かと黒い噂の立ちはじめていたシアン家には平穏が訪れたのだった。
さあてね・・・。平和になったとかって、当面の問題は片付いたけど、あとは自分のこれからのことなんだよねえ。
シアンは目をしばしばさせながらベッドから出て、寝室から移動していく。
そこから横戸を開けた、一つ奥まった部屋に入っていった。
ちなみに、この家は土足禁止の造りになっていたのだが、ウォグさんは、それをきちんと引き継いで新築してくれたようである。
「・・・おかん」
母のいる仏間にはいり、シアンはそっと足を折って座っていた。
「こないなりっぱな仏壇に入れてもろて・・・」
一仕事を終えて、若干気分が高ぶっているのかもしれない。
なぜか僅かにこみ上げるものを感じながら、シアンは手を合わせていた。
朝の時間は、静謐だ。
しばらくそうして位牌の前に姿勢を正し、彼はこれからのこと、またしばらく故郷を離れることを、母と早世した父に報告していったのである・・・。
「お? おう! 帰ってきやがったのか!」
・・・伸さん・・・あんたはもうとっくに、そんな話は聞いていただろうに。
季節の色を鮮やかに移してゆく陽光の下で、彼は変わることのない陽気をとばしてきた。
ここは、シアンの家の反対側、村を通り抜ける街道の、もう一つの出口のような場所である。
いつもこの辺りに陣取っている伸さんは、すでに何人かの客を相手にしていたようだった。
(やっぱり、すごいもんだねえ・・・)
久々にのんびりと朝食をとることができたシアンは、並んでいる人の多さに感心しながら、店主に近づいていく。
一通りの注文を捌ききって、髭のオヤジはあらためて再会を喜んでくれた。
「また何かいい仕事をしたらしいじゃねえか、シアン。冒険はもうイヤだって言ってたけど、単純な向き不向きはどうしてもあるもんだよなー」
目の前にある火の熱のせいか、首にかけた手拭いで汗をふき、彼は名物”わさび蛸”を青年に差し出してくれた。
「あっつ!」
器の舟皿からはみ出るくらいソースがかかっていて、シアンの手が震えると、結構な量の青海苔もそこから落ちていった。
「あーあ、こんなに無駄にしやがって」
「いや、今のはわざとでしょう、伸さん! 俺はべつに、ご褒美とかいらないからね!?」
てんこ盛りから丁度いいくらいになった薬味をなでつけて、青年は爪楊枝でタコ焼きを食べていった。
「おお・・・やはりさすがだ。生地のダシが、髭面に似合わないほど澄んだ美味さになってるよ」
「ワサビもまた、変えたからな」
にやりと笑って、親父はイスに腰かけていた。
そのまま二人とも黙り込み、シアンはただ店先で、客引きのための熱い早食いを演じることになった。
やや躊躇った後に、伸さんは語りかけている。
「お前また、どこかへ行くのかシアン」
それは寂しさを滲ませた言葉ではなかった。彼はただ、純粋に青年の身を案じているだけなのだ。
軽装ではあったが、シアンの身につけていたものは、やはり旅装束だったのである。
「うん」
自分のことを心配してくれるたった一人の男に、シアンは困ったような眉を見せた。
「もう少しゆっくりしたかったんだけどさ。今度倒してきた奴がね、大妖アシューっていうんだけど、そいつが隠居したことでこの国にまた、魔物が流れ込んできてるらしいんだ」
それは敵だけではない、シアンのせいでもあるのだ。
頭目として居座っていた者に、強力な力を駆使することをやめさせたため、後先を考えない小者たちは好き勝手ができるようになる。
そしてこの国では、いつかの傾国への恐怖から、定期的に魔物狩りを国軍が行うため、冒険者の数が減ってきていたのだ。
国軍の対処は、今回のような新しい動きにはどうしても後手になるため、現地に着いた時には、相当な被害が出ていることがある。
「たぶん今回わりと平気なのが、一番魔物が徘徊してるはずの、ローデンシアだと思うよ」
青年はそう伝えて、説明を締めくくっていた。
各地に騎士や冒険者を行き渡らせていたのは、ラッキー、いや、民想いゆえの善策だったかもしれない。
「そうか・・・」
伸さんは、いつになく深刻そうに言い、シアンの肩を拳でとん、と押してきた。
「ちゃんと体には気をつけろよ。強者が敗れるのは、だいたいが強者相手じゃねえ。新しい何か、もしくは予期していなかった数の力だ」
こくりと首を動かし、シアンは同じように握った拳を見せていた。
「じゃあ」
そうして、彼は踵を返すと、ごく自然に歩み出してゆく。
街道の先に目標を見すえ、故郷に背中を向けるのは、それで三度目だった。
・・・彼は後年、語り継がれることになる。
あいつは、ごく普通の奴だったよ。
一度目は欲で、二度目は暇で、三度目は英雄で。
何かのために剣をふるい続けた勇者は、けっして心折れることはなかったと。
Fin
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
もともとは、掌編として始めた話でしたが、書いていく都合上うまくまとめることができず、ここまで伸びてしまいました。
どうにか終わりを迎えることができたのも、わずかながら読んでくださった方がいたからです。
(・・・いつものごとく、長いことかかった改稿も、ようやく終わりを迎えましたので・・・)
また、次作でお会いできることがあれば、嬉しいです。
それでは、失礼いたします!