一対一
それは何だと訊かれて、シアンはすぐに答えることをためらってしまった。
地下水が部分的に顔を出している、洞窟のひらけた場所に、そのモンスターはいた。
「あれは・・・! どう見ても、普通の敵ではないように思えますが!?」
岩陰から代わる代わる顔を覗かせて、いちばん始めに口を開いたのはダーラだった。
その空洞の中は、天井が高くなっているせいか、岩のすき間からいくつか地上の光が射しこんでいる。
「頭の巨双角・・・そして額からも鋭利な三本の角・・・。たぶん、あれは”ビフロン”だと思う」
「びっ!・・・びっ、びっ!」
ノノが口を縦にひらいて、パクパクと酸素を要求している。
「『ビフロン』じゃとおっ!?」
さすがに、リンドウでもここは平静でいられないようだった。
「それはあの、ソロモン72柱のうち、26の軍団を率いると言われる、『地獄の伯爵』か!」
「業系モンスター!!」
ダーラが再び、けわしい表情で告げていた。
カルマ系モンスター・・・。それは、ブル、キラー、デス系のさらに上をゆくと言われる、規格外の難敵だった。
同朋にすら躊躇なく襲いかかるため、まずこちらの世界では生きていられることはない。
自分の命よりも、交配して子孫を残すという欲望よりも、他者を破壊することを何よりも優先する、理不尽とも思えるような魔物である。
・・・実際の所では、”異世界” での本体が発した魔素が、何らかの形でこの世界に具現化しているとの話もあるが・・・とにかく、シアンたちにはいい迷惑だった。
「これはどうも・・・。大妖アシューの所までは、力を温存しておきたかったんだけどなあ。 奴が向こうで発散させている魔素を、召喚したのかもしれない」
いつものような調子で青年は頬を掻いているが、ほかの三人は静かに、だが切迫した面持ちでつめ寄ってくる。
「なに言ってるんですか!
あんなの相手にできませんよ!! 余裕で全滅あり得ますよ!? アシューを相手に刺し違えるならともかく、その入り口で命を賭けるなんて、どんな意味があるっていうんですか!」
羽ばたきを強くしながら、ノノはそう主張している。
ダーラはそれでも、前向きな言葉を言おうとしたようだが、唇をゆがめて俯いてしまった。
しばらく、パーティーに無言の時が過ぎていく。
「・・・ぬう・・・。しかし、ここに来るまでに休息は充分とってきたし、それがし達には現状、さらなる力は発揮できそうにない・・・。
ここは後塵の冒険者のためにも、かの”ビフロン”だけでも、深手を負わせておくのはどうだろうか・・・」
リンドウが弱気な、いや、この場では充分すぎるほどの気丈な意見を示した。
彼ほどの男でも、ここはあっさりと結論を出せるような場面ではなかった。 リンドウらの《戦闘閾値》ーーバトルラインと呼ばれる火力は、30,000ほど。 敵の業系モンスターは、100,000を超えることさえあると言われている。
「よし。じゃあそれで行こう」
ーー えっ?
だから、シアンがその案にうなずき、スタスタと歩き始めたのを見て、あわてない者はその場にいなかった。
「ちょっ! ちょっと!!シアンさん」
妖精が、うろたえたように青年の肩に飛びついてくる。
「何やってるんですか! ここは戦うにしても、ありとあらゆる対策を立ててからでしょう!? 真っ正面から向かうマヌケがどこにいるんですか!!」
「策っていうのは、技術だろう。つまり目標を達成するために、あれこれと至っていない者が試行錯誤する」
「そうですけど!?」
「前 ”魔王”が、 およそどれくらい強かったかを、聞いたことはあるか?」
「はあ!?」
いきなり質問されて、ノノは意味も分からずぽかんとしている。
岩陰から体が出てしまっているので、もう敵に見つかってもおかしくなかった。
「魔王討伐バトルラインはーー推奨でも50万。 つまり、俺の数値は、旅の初期に測ったものなんだよ」
「な、何を ーー」
「腹心四匹をパーティーに押しつけて、かつての希望にあふれた勇者は、一対一で戦いに勝ったんだ」
そう宣言したシアンの体を、白い魔力光がつつんでいった。
ズドッ!
疾走から剣を抜き放ち、そのまま長戟のような武器を持ち上げようとしたビフロンに、青年は魔力塊を投げ込んでいた。
『ギオオオッ』
そのまま、時間的には間に合わなかった剣先を、ひるんだ敵のふところ深くに入って斬り落とす。
「キ、キサマぁっ!」
いからせた肩をふり回し、ビフロンは全身の筋肉をねじるようにして反撃をくり出していた。
う、うおっと!
その攻撃を、予測していない訳ではなかったのだが、戦端を開いた一撃の手ごたえは、あまりに重かった。
これまでに戦った業系モンスターと同じように、彼はそれで倒したと感じてしまったのだった。
「いったい何なんだキサマは!?
人間ごときがーーたかがその一匹が、我を傷つけられると思っているのかあっ!」
体高はシアンの倍ほどもあったが、思いきりダラダラと血を流しながら、敵は胸のあたりを手で押さえていた。
シアンは、自分でも臆病だなと感じるくらいに距離をとり、仲間がまだ岩壁の向こうに隠れているのを確認している。
「・・・誰か、だって?」
先ほどの問いかけとも言えない魔物の言葉に、なぜか律儀に返答しようとしていた。
(・・・ちょっと、こいつの瘴気は予想以上だったな・・・。少しでも慣れておかないと、ここまで圧力があったらボーッとしてる間にでかいのを食らうかもしれない)
そんなせこい考えと共に、彼は会話をつづけている。
「俺は、時代に忘れられた”戦士その一”だよ。お前らみたいに延々と湧きでてくる業魔の、むかしに有名だった一体みたいなもんだ」
今度は武器をきちんと構えながら、青年は口元をつり上げていった。
「上手い・・・」
岩陰からダーラが体を覗かせて、その戦闘を眺めていた。
青年はいま、敵の力まかせの長戟の横薙ぎを、器用にしゃがみ、また届かない距離で体をそらしながら、かわすことに成功していた。
「ちょっと、ダーラどの! それがしも、それがしにも見せてくだされい!!」
ぐいぐいと遠慮なくお尻を押してくるリンドウだが、彼女の足はまったく微動だにしていない。
「・・・?」
ノノはダーラの頭の上にのり、二人だけが戦いを見守っていた。
「ビフロンの大振りの攻撃をかわしているだけみたいですが・・・あんなのがすごいことなんですか? ダーラさんなら、もっと素早く綺麗によけられると思いますけど」
妖精がそんな疑問を投げかけてきたが、褒められた当人はきっぱりと首をふっていた。
「いえ・・・あんなモンスターを相手に、まともな戦闘前傾を取れる、ということ事態がすでに普通ではないのです」
・・・ええ?
またノノが疑問に眉を下げていたが、ダーラはじっと青年の動きを見つめていた。
(魔法でも武器でも、膨大な威力をもった攻撃というのは、まずそれに比例して予備動作は大きくなる。けど、命がかかった場所でーー目の前に圧倒的な強さを持った敵がいれば、足や思考は、完璧にすくんでしまうもの)
ひょいひょいとあんな猛烈な攻撃をよけるのは、それだけでもう理解できない場数をこなしてきた証なのだ。
センスだけで戦っているなら、相手が強ければ強いほどその集中も長くは続かない。
「つまり、シアンさんは結構すごいってことなんですか?」
「結構どころじゃありません! 正直、魔王なんてものは眉唾くらいに思ってましたけど・・・スターブルクの英雄譚は、噂だけではなかったのですね・・・」
かるくショックを受けながら、ダーラはため息をついていた。
「ダ、ダーラどの!」
相変わらず後ろでは、リンドウが彼女の尻を必死に押し込んでいたのだった。
その時、シアンはやっとのことで”ビフロン”の長戟の攻撃範囲を測り終えていた。
過去にも飽きるほど見てきたが、こういう長柄の武器を持つ相手には、横刃などの一部分に気をとられ、先っちょや、その他の身体攻撃などで殺される人間が多い。
なんとか擦るくらいなら魔力防護でごまかせるが、彼も以前はそれだけで戦線離脱してしまい、「この役立たずが!」とパーティーから罵声を浴びせられたことがあるのだ。
(こんな所で魔力を使いすぎるわけにもいかないし・・・)
そろそろ、単発くらいはこっちも入れてやろう、とシアンは瞬間的にふかくビフロンへと踏み込んでいった。
ーードンッ!
そこへ、小器用に柄がもち変えられて、戟の石突きの部分が上からふってくる。
「・・・っの野郎!」
離れていたときには感じさせない、小賢しい手の動かし方で、シアンはそこから続いた攻撃をよけることができなかった。
ガギッ、と重い音がして、自分の剣で傷つけられそうになりながらふき飛ばされる。
ふたたび対峙した距離は、疲労をおぼえるような戦い始めの位置だった。
もう、大出力の魔法で終わらせるべきだろうか。
そんな考えが彼の頭をよぎったのだが、洞窟の入り口にこんなモンスターを配置しておいて、用心深いアシューが手ぶらで待っているわけがないのだ。
「・・・仕方ないか」
シアンは一度、敵への視線を緩めていた。
あんまり、これはーー恥ずかしいためにーー使いたくなかったのだが、自分のテンションを上げる魔法を、彼はかけることにした。
・・・余裕をどうにか取り戻し、見下すように睨めつけてくるビフロンに、ごほん、とわざとらしく一つ咳をする。
「ーー」
そして、中二全開の呪文が始まった。
『その礎は信仰にして、我、他者に易を。その思いが転じるは、護りにて聖。地は戦いの礎にして、我の勇を立たせん』
ーーコオッ!
シアンの足下が赤く染まりはじめた現象は、むず痒そうに頬を染めているその表情とは違い、神々しいものだった。
まるで煌めく炎が体を覆っていくように、彼はその力の奔流に呑み込まれていた。
ーーだが。
カカカッ!
耳障りな音がして、青年が、いや、仲間であるシアンをまったく見もせずに、ノノたちが叫んでいた。
「シアンさん、それ! その火線、多重魔法陣です!!」
言われて青年が目をやると、ビフロンが大きく口を開けたあたりから、こちらに向けて信じられない数の魔法陣が出現している。
まるでバネが異様な長さに伸びているように、その青い円柱はシアンの体をつき抜けていった。
ーー魔陣火線!
「うおっ!」
鼓膜が圧されるような轟音とともに、いきなり重ねられた魔法陣が爆発した。
それは、息吹のように敵の口元から順に伝わっていくのではなく、躊躇していれば即、逃げ遅れるようなタイムラグのない衝撃魔力だった。
(なんてヤツだ・・・!)
ごろごろと転がりながら、シアンは革鎧の襟の部分で顎を打っている。
ぎりっと歯噛みしながら立ち上がって、口の中ですこし欠けてしまった奥歯を吐いた。
「ふははは! やはり人間よ、キサマも! あれごときのひと吹きで、まるで雪崩から逃げるリスのように必死になりおって!」
「あれごとき・・・だと?」
シアンはめずらしく、その時こめかみに筋を立てながら嗤っていた。
「てめえ・・・じゃあ次の攻撃は、今より数倍でかいのを見せてくれるんだろうな・・・!」
傲然と燃えさかる緋炎をまといながら、彼は構えている。
極端な前傾姿勢に、剣は目線よりやや下の水平だ。
「くっ・・・! へらず口を叩きおって・・・」
どう考えても、そんな大それた攻撃などは持っていないはずだ・・・。
シアンはこれまでに感じた相手の瘴気から、奇策はあってもいま以上の火力はないと見切りをつけていた。
「短い間だったけど、こっちの世界は楽しめたか? ・・・神もいない、昏い異世界からあふれてくる本体の分身魔素とはいえ、ここまで気持ちよく暴れたんだからなあ。でもーー」
そこで、またビフロンがゆっくりと口を開けていた。
再度魔力をみなぎらせ、長戟を持った腕を、抱えるように太くふくらませてゆく。
聞いていた通り、生まれながらにして、貧弱と高慢の極致だなーー人間よーー
カッ!
死の火線が、自分にしっかりと固定されるまで、シアンは身じろぎもせずに剣をその軌道に乗せていた。
・・・好き放題に生きるのも、星に丸さがあるーー限界がある以上は、ルールってもんがある!
「異世界での”勝ち組”のやつらが、神の祝福に満ちたこの世界でまで、幅をきかせるんじゃねえよ!!」
それは、烈線の突きだった。
ーードゴッ!
ビフロンの 多重魔法陣 にも劣らぬ残光鮮やかな突きが、目にも見えない踏み込みでくり出され、敵の腹に大穴を開けていたのだった。