ニアミス
「人の高さで見て、何もない地平線までは、どのくらいの距離がありましたっけ?」
突然、ノノがそんな言葉を発していた。
もともとの話題は、このノラヴィア丘陵は、正確にはどれくらいの広さなのかという、シアンの問いかけだったのだが・・・。
「ええっと・・・確か」
おぼろけな記憶を辿りながら、青年は額に指をやっている。
質問を質問で返してはいけないと、親に習わなかったのかコイツは・・・。
「4㎞半くらいですね。背の高さによっていくらかは変わりますが、水平線でもそれが限界くらいです」
「ああ!そうでした!」
パン、と手を打ち合わせて、ノノは答えてくれたダーラに微笑んでいる。
この地帯は、その4倍半、いや、40倍半だったかな・・・縦横ともに均等で、長さはそれくらいになります!
「ちょっと待て。10倍の距離をまるで誤差のように話しているが、もし食料が減ってきたら、お前のからカットしていくぞ?」
青年はごそごそと荷物をいじると、一枚の紙を取り出していた。
結局、なんでも自分でやった方が早かったりするから、虚しい。
・・・年老いた犬のような吐息をついて、シアンは下を向いたのだった。
きちんとした地図が欲しかったのだが、正確な測量がされている『実測図』は、国によって禁じられている。
自分たちのような一般人が持てるのは、せいぜい戦争なんかに使えそうもない、イメージ地形みたいなものでしかなかった。
(しっかしこれは・・・誰もが投げ出したくなる気持ちも、分かるってもんだぜ)
《難所だよ》《みんな諦めていくんだ》
そんなことを散々聞かされていたのだが、ここでの戦いは、主に果てしないザコ敵とのやり取りらしかった。
大将の穴倉は見つからない。だが敵から得られる経験値も、効率が悪すぎる。
脇には街道がずっと走っているので、これまでに被害はけっこうあったらしいのだが・・・。
「ーーこれは、腰を据えねばなりませんね」
ダーラのいい感じにリラックスした、覚悟ある言葉に、みんなが頷いていた。
さすがにこれほどの場所なら、適当には進めないよなぁ。
きっちりしたマッピングができる人、誰かいないか ーー 。そんな風に、シアンがペンを取り出したときだった。
なにか違和感のある言葉が、耳を通り抜けていく。
「おおぃ、みなの衆〜」
それは少し離れた場所にいた、リンドウの声である。
「あそこに、『人狼』がいるようでござるぞー。
・・・なかなかどうして、この地域も手強いではござらぬか」
そんなたわいもない会話に、はた、とパーティー全員の時間が止まっていた。
・・・うん? それはまあ、大変だな。 人狼は、基本体ですでに”ブル”系、”キラー”系を超えた、三段階目の『デス』級だと言われるし ーー。
違う!!
「そいつ、ここのボスだああ!」
叫ぶや否や、シアンは突然のダッシュをくり出していた。
はっふ、はっふ。
しかし、リンドウの次に重装備をつけているので、彼の叫び声にびびったワーウルフの走りには、全くついていけない。
うおお、何てことなの!?
俺の勘が確かなら、千載一遇とは、まさにこういうチャンスのことをいうのに ーー!
「行きます!」
そこで猛烈な追走をみせたのは、やはりダーラだった。
彼女はパーティーの輪から瞬時に飛び出すと、獣のような速度に加速し、草を散り飛ばしながら駆けていく!
さ、さっすがダーラさん!
後ろから見ても、背中が空中に静止しているくらい、走りにまったくブレがない。
「・・・ぜえっぜえっ」
しかし、はるかに遅れて青年が駆けつけた時には、その姿はポツリと丘の向こうで止まっていたのだった。
人狼って、4本足で駆けたりするんですねーー。
さすがにショックだったのか、しなやかな足を持っている彼女も、呆然とたたずんでいる。
うーむ。
それで速さが増すかどうかは分からないが、あまりの驚きに、敵も気が動転したのかもしれない。
・・・それにしても・・・ここにいたのは、きちんとした知能があるタイプのモンスターだったのか。
今まで見つからなかったのは、やはりというか、仕方のないことだったのかもしれない。
すべてを都合よくすませ、さっさと地元に帰るつもりだったのをあきらめて、シアンは仲間をふり返ると、どっかと背中のバッグを下ろしたのだった。
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時間を食う仕事ほど、綿密な計画が必要だ。
そこに集まった四人のうち、二人は同じ意見で強く賛同していた。
ーー ちなみに、今みんなが座りこんでいる場所は、近辺でも最も目立つ丘である。
”敵さんがこっちを見つけて、向こうから来てくれれば、むしろラッキーじゃね?” という考えのもとに、危険極まりない作戦立案場所が選ばれたのだった。
・・・話を、もとに戻そう。
えっと、なんだっけ。そうそう、仕事の話です。
ここでは、俺たちの場合 ーー 目標を設定したならば、そこに向けて舵を切っていくもの ーー という仮定にしましょう。
たとえそんな旅があったとして、ヘマをやらかしても、挽回する余地は命があれば残されている。
・・・しかし。
数ある試練のなかには、その「舵」を動かすのもためらう、『これはもう、どこから取り掛かればいいの?』というような巨大な プロジェクト に出会ってしまう場合があるのだ。
そしてそんな時は、ほんのわずかな効率が、あとになって信じられないような差を生むことがあったりするのだがーー
「ーーと、いうわけで」
ダーラには必要なかったが、残りの二人のために、青年は細かい話をしてしまった。
・・・しかし、いつだって世の中には、例外というものがある。
特に、今回のケースのような場合は、思いつくことから焦らずに取りかかっていくと、意外と道が見えてくるということ。
そして、その手段を常に更新し続け、「もっと効率的な手段はないか」と、柔軟な対応をとり続けることが最大の成果を生むと考えられること。
そう告げて、シアンは仲間を見回したのだった。
ーー はい、ここでお約束。こっくりこっくり気持ちよさそうに舟をこいでる妖精さん。ちゃんと聞いてくれると、嬉しいな。
シアンは、ぴん、と小さな鼻を弾きなから、三つの行動を提案していた。
「まず、近くの村を探そう」
不要な荷物は置いていく。
ーー 次は、馬を借りるよ。
魔物は ”スルー” 前提で。
最後に、手旗信号を覚えてね。
横にできるかぎり広がって、探索範囲を伸ばしたいから。
つらつらと述べていくと、マップを開いて、順路を書き込んでいく。
はじめは皆がダラダラと話を聞く体勢ではなかったのだが、内容が頭に入ってくると、少しずつテンションも上がってきたようだった。
「おお・・・これは! なにか思ったよりも、早く終わりそうな気がしてきましたなあ」
リンドウはいつものように、目をキラキラさせながら前のめりになっている。
ふふふ・・・。彼はどうやら、話をきちんと聞いていなかったようである。
言っちゃあ悪いが、「手旗」という人類の遺産を、やすやすとマスターできると思われては困るのだ。
「もとより!」
しかし僧侶は、悟りを開いたような顔をして言った。
「それがしは、皆さんの介添え役としているようなものである。遅れぬようついて行くゆえ、どうぞ必要な時には、腹いっぱいの薬草をお求めくだされ!!」
ごまかすような笑いで一本を取り出すと、話はそらしたとばかりに、ノノの口にそれを含ませてやる。
「ひょっ!?」
さっきから、また一人だけ涎をたらしそうになっていた妖精は、もぐもぐと口を動かしたのだった。
(・・・くっ。まあいいか。それに、今回ばっかりは、ノノ にも大事な働きがあるんだよなあ。 いちおう冒険が始まってから、自分から言い出していたことだし・・・。頑張ってもらおう)
青年は座りこんだまま、うねるように登り下りのある大地を見つめていた。
ーー はたして、最初に標的とおぼしき個体に出会ったのは、吉と出るのか、凶と出るのか・・・。
どちらにしても、ここで引き返せば無意味な旅になってしまう。
そう自分に言い聞かせたシアンは、かかっていた芝草をはらい、地図をバッグに戻したのだった。