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 レジで会計を済ませた田中センパイは、レジから離れたカウンター脇で待っていたわたしに「行こうか」と言ってニッコリ笑った。

「ごちそうさまでした」

 ぺこりと頭を下げると、田中センパイは何でもないよ、とでも言うように右手をひらひらさせる。

「何を見てたの?」

 カウンター脇には小さなギフト用コーナーが設えられていて、田中センパイを待つ間、わたしはそこの商品を確認していた。昼間に買ったクッキーがもう残り少なくなっている。

 このお店のスイーツは人気なんだなぁ、とぼんやり考えていたことに気付かれる訳はないのに、わたしはぎくりとして慌てて取り繕った。

「あっ…あの、ケーキのテイクアウトも出来るのかなぁ、って思って…」

「出来るんじゃないかな。買っていく?」

「ケーキの箱を持って帰ったりしたら目立っちゃうんで、今はやめておきます」

「会社帰りに寄る方がいいかもね」

「そうですね」

 そう答えると、田中センパイは一瞬何か言いたそうな表情になり、でも何も言わずに溜息をついた。

「…僕はこれから寄る所があるから、由美ちゃんは先に帰ってて」

「え?」

「大丈夫。佐藤先輩にも話してあるし、一人で帰っても由美ちゃんが叱られるようなことはないから」

 田中センパイはそう言い残して、お店の前から会社とは反対方向の方角に向かってしまった。

「……」

 あの溜息は何だったんだろう。

 わたし、何か変なことを言った?

 とぼとぼと会社に帰り、自分の席に戻ると机の上に何枚かのメモが置いてあった。

 それらは全て佐藤順也からの業務指示のメモで、今日の業務時間中に仕上げるように、と書いてある。

 佐藤順也からのメールをチェックすると作成用の資料ファイルが添付されていて、その膨大な量にわたしは肩からはあっ、と息を吐く。

 そしてこういった時に必ずネックとなる人物の動向もチェックする。

 例のお姉様はなぜか、姿が見えない。

 サボりなのかな…と思い、それとなく聞いてみると会議の手伝いに行っているらしい。

 会議の手伝い? お茶出しとかじゃなくて?

 でもまぁ、あの人がいないのなら仕事がはかどりそうだ。

 わたしはいそいそと周りの人に断りを入れ、資料のプリントアウトを開始した。

 数十枚に及ぶプリントアウトのコピーで事実上コピー機を独占してしまうけれど、急いでいる人がいつでも割り込み出来るようにコピー機側でスタンバイする。

「多加木さん」

「はいっ」

 コピー機近くに座っている人…例のお姉様のお喋りにいつも付き合わされている森藤さんという女性に声をかけられて、わたしは驚いて返事をした。

「コピーが終わったら知らせるから、机に戻って別の作業に取りかかってていいわよ」

「え…でも、それじゃあ森藤さんにご迷惑が」

「そのくらい大丈夫よ。佐藤くんからもそう頼まれているし」

「佐藤チーフが…」

「ええ。でもそれって、この部署ではずっと前から…多加木さんがここで働き始める前からの恒例なのよ。契約で働いている人達が正社員に遠慮して仕事を滞らせたりしないように、この部署のみんなは基本、契約の人の作業を優先させているの。だからこの前、一条さんがここにいた時も一声かけてくれて良かったのよ」

「…知りませんでした」

「そうみたいね。多加木さん、いつも段取り良くテキパキ仕事してくれているから、その説明をしそびれていたことに誰も気付かなかったの。佐藤くんも一条さんに注意されて初めて気付いたみたい。ごめんなさいね」

「いえ…わたしもそういうことに全然気付かなくて…」

「だから、これからは困った時はきちんと知らせてね」

「はい。ありがとうございます」

 そう返事をして机に戻って次の作業に取りかかろうとするけれど…何だか釈然としない。

 わたしはしなくてもいい残業をしていたってこと?

 いや、あのタイミングで頼まれたら、たとえコピー機が自由に使えていたとしても残業確定だったはず…。

 …本当に?

 あの日、佐藤順也は彼女さんと会う約束をしていて、わたしは定時で帰るつもりでいた。

 何人かに声をかけて手伝ってもらっていたら…ううん、森藤さんの言う通りなら、誰かから(主に田中センパイあたりから)「手伝おうか」って声がかかってきて、手伝ってもらっていたら…だとしたら、定時前に作業は終わっている。

 そういう事なら佐藤順也や田中センパイのどこか引っ掛かる発言も、どこか妙な反応も納得がいく。

 ついでに、あの二人からわたしが要領悪い、って思われている理由も。

 だけど、そんな暗黙の了解があったなんてわたしは知らなかったし、そんな虫のいい話を最初から周りに期待してしまうのは違う気がするし、やっぱり一条さんがあんなにダラダラ仕事していなかったら、残業になったとしても30分超過くらいで終わっていたんじゃ…。

「多加木さん」

「はいっ!」

 森藤さんに声をかけられて、わたしはびしっと姿勢を正した。

「あっ、ありがとうございます!」

 慌てて席を立ってコピーを取りに行くと、森藤さんはくすりと笑って軽く頷いた。

「…あの」

「え?」

 自分の仕事に戻ろうとした森藤さんに思いのほかまっすぐに見つめ返されて、わたしは何だかどきどきした。

 いつも落ち着いていて大人だなぁ、と思っていたけれど、確か佐藤順也と同期のはず。

 大人っぽいけれどわたしより少しだけ年上で…うわ、まつげ長っ。いや、そんなことより不審に思われる前に話さなきゃ。

「あの、この席、気が散りませんか? いつも人がバタバタしているし、話しかけられたりとかして…」

 あのお姉様に話しかけられて迷惑でないはずがない。実際、森藤さんは一条さんのことをどう思っているんだろう、という純粋な興味からそう聞いてみた。

「そうねぇ…。でも、色んな人と話が出来るし、本当に忙しい時は放っておいてもらえるから、それほど苦痛ではないわよ」

 思っていたような答ではなくて、わたしは少しがっかりする。見た目だけでなく、考え方も大人なんだなぁ。

「そうなんですか…。わたしだったら集中できないかも」

「たまにそういう時もあったりするけれど、まだ自分のペースで仕事が進められるだけマシだと思う。一条さんなんか全て他人の都合で動かなくちゃならないから、帰る時間も自分じゃ決められなくて、本当に大変そうだもの」

「他人の都合って言っても…営業アシスタントだからそれは仕方ないんじゃ?」

 あの人の業務内容はわたしと殆ど変わらないと佐藤順也から聞いている。

「一条さんの仕事は営業アシスタントと言うより役員秘書なの」

「え」

「去年からウチの部長が役員補佐を兼務するようになって、部長のアシスタントだった一条さんがそのまま繰り上げみたいな形で事実上の役員秘書なのよ。本来なら秘書課の人に担当してもらうところが、秘書課も人手が足りないからわざわざ役員補佐のポジションを作ったとかで…。結局、部長と一条さんが秘書業務を分担しているの。だからものすごく忙しいはずなんだけど、本人、のほほんとこなしているから、そう見えないのよねー。事情を知らない人からはサボっているようにしか見えないらしくて、多加木さんの前の契約のコなんか完全に敵対視しちゃって、正社員のあの人が働かないのなら、ワタシもこれ以上は働きません、なんてワケ分かんない事言い出して本当に困ったわー」

「どうして…前の人に説明してあげなかったんですか?」

「本当に働かないコだったし、説明しても理解出来るか疑問だったし。そもそも一条さんに難癖をつけることのほうに一生懸命だったから、何を言っても無駄だろうし。そんなコに付き合ってあげるほど、私達も暇じゃないしね」

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