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昼一番に会社を出たお陰で混雑が始まる直前に銀行に到着し、わたしはすぐに振り込み手続きを終えることが出来た。
すぐに、と言っても都銀の窓口なのでそれでも軽く20分はかかっている。
来たばかりの時はそれなりに空いていたのにあっという間に埋まってしまった待合用のソファと、座れなかった利用客が所在無げに立ち尽くしている様子を一瞥すると、わたしは銀行の出口に向かいながら自分のスマホを見た。
着信を知らせる点滅に気付き、それが田中センパイからのものだと確認すると、そのショートメールを開く。
着いたよ、そっちはどう? という簡潔な文章が意外にも佐藤順也っぽくて、わたしはつい笑ってしまった。
今から銀行を出ます。お店の場所はどこですか?
本当は知っているけれど知らないフリをしている以上、不自然に思われないように返信する。
しばらくするとお店の名前とアドレスが送られてきて、それが今日のお昼の店であったことを確認して、わたしは少し駆け足でお店に向かった。
「いらっしゃいませ」
見覚えのある店員さんに声をかけられて、わたしは軽い会釈を返す。
ランチタイムがまだ終わらない店内は遅めの昼食を取っている人もちらほらいて、そこそこ混んでいた。
「お一人様ですか? それともお連れの方が後からいらっしゃいますか?」
「いえ、ここで待ち合わせをしていて…。先にお店に入って待ってくれているはずなんですが」
店員さんの質問に答えながらきょろきょろしていると、田中センパイが気付きやすいように手を挙げてくれた。
「あ、見つけました。あの席です」
「ご案内致します」
店員さんは無駄のない身のこなしでわたしを席まで案内し、軽く椅子を引いて座りやすくしてくれる。佑香が「お姫様みたいな気分」と喜ぶこのサービスは、女性客にいたって人気らしく、わたしも決して嫌いではない。
席に着くと田中センパイはさっとメニューを開いてくれた。
「何にする? スイーツも美味しそうだよ」
お昼はカフェオレだったから今度はカフェラテにしよう、と決めていたわたしは、スイーツという新たな選択肢に決心が揺らいだ。
「ええっと…今は仕事中なので飲み物だけで…」
「じゃあ俺はケーキセットにしようっと」
唖然として田中センパイを見つめると、田中センパイは可笑しそうな表情を隠そうともしない。
「ウソウソ。嘘。由美ちゃんもケーキセットにしなよ。奢るからさ。ほら、ケーキはここのメニューの他にもティラミスとクレームブリュレも選べるってさ」
ティラミスならブラックコーヒー、クレームブリュレならストレートティーと決めているわたしは、この魅力的な提案に途端に迷い始めた。
カフェラテに合わせるならアールグレイのシフォンケーキだけど、それだったらカプチーノとの組み合わせも捨て難い…。でも、ストロベリーソースが添えられたチーズケーキも美味しそう…。
さんざん迷ってクレームブリュレとストレートティーのセットに決めると、田中センパイはチーズケーキとブラックコーヒーのセットにするよ、と言い、店員さんを呼んでそれぞれのメニューを頼んだ。
「意外だなぁ。そういうところ、会社では見せないよね。もっと見せればいいのに」
「? 何がですか?」
「会社ではワタシこんなことでいちいち迷いません、って感じで仕事してる」
「そんなこと…!」
「最初は緊張しているんだろうし張り切ってもいるんだろうな、と思ってたけど違うよね。真面目なのはいいことだし、しっかり仕事をしようという気持ちも分からないでもないけど、そろそろ皆と打ち解けてもいい頃じゃない?」
「わたし…打ち解けていませんか?」
きちんと敬語を使って、失礼の無いように会話にも気を遣っていた筈なのに…。わたしはショックを隠そうとする気も起きず、呆然と田中センパイを見つめた。
田中センパイは少し黙ってから溜息を吐くと、気まずそうに頭を掻いた。
「ウチの会社って、結構体育会系の気質でさ。上の人が言うことが絶対、とまではいかないけれど上の人を立てることは必須なんだよね。まぁ、どんな会社でも基本はそうだとは思うんだけど」
言外に一条さんのことを言われているのは分かっている。でもあの人はわたしにとって「上の人」なんかじゃない。
「バカバカしいと思う? でも仕事ってそれぞれが全然関係無いようで全部繋がっているし、チームプレーで進めないと成果が出ないから、皆が気分よく仕事を回していけるようにすることが大切なんだよね。…って、これ全部佐藤先輩の受け売りなんだけど」
「わたしは…契約社員だし、与えられた仕事を一生懸命しているだけで、決して他の人を馬鹿にしている訳ではありません」
最後の声が消え入りそうになっているのは、語っている言葉が真実ではないから。
言いたいことは山ほどあるけれど、全部話してしまうことが賢明ではないことくらいわたしにも分かる。
でも。
「…でも、あまり仕事をしていない方を見かけると、正直、腹が立ちます。わたしが口出しすべきでないことが分かっているから尚更」
「あ〜、紗英さんのことね。あの人、ホントに契約社員の子達から誤解を受けやすいんだよなぁ。本人天然だし、彼女の担当業務は基本謎だから、仕方無いって言ったら仕方無いんだけどね」
あの人の勤務態度を天然、の一言で簡単に済ませて良いとは思えないんだけど。
憮然としているとケーキセットが運ばれて来て、田中センパイは今までの話がとても軽い話題だったかのように「食べよう」と勧めてきた。
「ここのチーズケーキ、美味いな。そっちはどう?」
「…美味しいです」
「俺、チーズケーキが大好きなんだよね。丸ごと一気食いするのが夢」
「チーズケーキって簡単に作れますよ」
「本当?」
「混ぜて、焼くだけですから。材料と道具さえあれば簡単に…」
「作れるの?」
「え…ええ、まぁ…」
「じゃあ、今度作ってきてくれる? お菓子作り得意なんだね、すごいね」
「いえ、得意ってわけじゃ…」
「材料費、俺出すよ。道具代も払う。何を買えばいいの?」
「いえ、家に置いてある道具で作れますから…」
「じゃあ材料は何を揃えればいい?」
あれ? あれれ?
いつの間にかわたしがチーズケーキを作ってきて田中センパイにプレゼントする話にすり替わってない?
いや、材料費を出して貰うんだったらプレゼントとは言わないか。
「…作り方によって材料も少し変わります。一番シンプルな作り方のもので良ければ大した費用はかかりませんから、材料費は別にいいです」
「だから、そういうとこ」
「え?」
今度ははあっ、と芝居がかった大袈裟な溜息をついて、田中センパイは置かれていた伝票を自分の方に引き寄せた。
「ここの支払いは絶対譲らないぞ。その代わり、由美ちゃんの手作りチーズケーキ丸ごと一個、約束ね」




