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 片手の掌にすっぽりと収まる、可愛くラッピングされたクッキーを鞄の中に忍ばせてわたしは自分の職場に戻った。

 ぐるりと辺りを見回すと、お昼を早々に食べ終えて仕事にとりかかっている人、スマホのゲームに興じる人、談話室に置いてある雑誌を持ち出して接客コーナーでのんびり読んでいる人…皆、思い思いに始業までの休憩時間を満喫している。

 この時間は大体歯磨きタイムで、多くの女性職員はトイレにこもってしまう。今日は外でランチだったから、わたしは普段は使わない一階のお手洗いで早々に歯磨きと化粧直しを済ませて来た。

 当然、例のお姉様はトイレに行っていて、席を外している。

 午後からの仕事は、係長のお使いで銀行へ行くことになっている。午後イチで会社を出ないと窓口が混み合ってしまい、一時間以上待たされることになるかもしれない。

 そう、休憩が終わるとぐにわたしは出かけたい。そのために午前中のうちに振込用紙と現金をきちんと用意してある。そして外出してから40分後には会社に戻って来て、昨日出来なかった雑務を全部片付けてしまいたい。

 だけど、お姉様はいつも業務開始時間の5分から10分後に自分の席に戻って来る。

 結構早めにトイレに行くくせに、化粧直しにそれほどの時間もかけないくせに、洗面台を陣取って延々とお喋りをしているから席に戻って来るのが誰よりも遅い。

 どうしよう…。クッキーにお礼を書いた付箋でも貼り付けておいて、お姉様の机に置いて出かけてしまおうか。

 佑香はああ言ったけど、わたしにはどうしてもあの人は「迷惑な人」としか思えない。

 そりゃ、心配はかけたかもしれないけど…。他の人達だって心配してくれていたんだから、あの人にだけお礼を渡すのは何だか違う気もする。

 でもそうなると、わたしのなけなしのお給料から結構な額の支出をしなければならなくなるから…いや、そもそも二日酔いの原因を作ったのは佐藤順也なんだから、アイツがわたしも含め皆にお詫びをするべきなのでは?

「多加木さん」

「は…はいっ!」

 突然名前を呼ばれて驚いたわたしは、その声の主が田中センパイだったことが分かると、ほっと息を吐いた。

「今日は大丈夫? 昨日休んだせいでだいぶ忙しそうだけど」

「あ、そうなんですよ…。なのに係長にお使い頼まれちゃって」

「たまには外で羽伸ばしてこい、ってことだよ」

「え?」

「外でのお使いなんて、時間読めないだろ? お茶でも飲んでくれば、って係長からの配慮だと思うけど」

「そそそ…そんな、滅相もない!」

「滅相、って…。多加木さん、硬い言葉を使うねぇ」

 あはは、と明るく笑って田中センパイは面白そうにわたしを見る。

「行き先は銀行だったよね? 僕も行こっかな。ね、一緒にお茶しない?」

 え? えええ?

 こんな堂々とサボり宣言?

 恐る恐る周りの様子を見ると、誰も気にする風でもなく、それぞれが午後の仕事の準備を始めている。

「じゃあ、行こっか」

 ホワイトボードの予定表にさらさらと外出、と書き込んで、田中センパイはにっこりと笑った。


 クッキー、渡しそびれてしまったなぁ…。

 そう思いながら、田中センパイと銀行までの道を歩く。

「たしかこの近くに、女の子が好きそうなカフェがあったはず…」

 そう呟きながらきょろきょろと辺りを見回していた田中センパイは、お目当ての店が見つからなかったのか、おもむろにスマホを取り出した。

「ええと…。紗英さんが言ってた…カフェじゃなくてビストロだったかな…」

 それって、今日のランチのお店?

「わわわわたし、先に銀行に行ってきますから、田中さんは先にお茶してていただけますか?」

「いいけど、どうやって待ち合わせするつもり?」

「わたしの携帯番号教えますから、かけていただければ…」

「いいの?」

 凄い勢いで尋ねられ、わたしは驚く。

「だって、その方が便利…」

 そう言った途端に、子犬のように嬉しそうだった田中センパイがしゅんとなる。

「便利…だよね、うん。今かけるから。僕の番号、登録してくれる?」

「はい。わたしの番号は…」

 私が番号を伝えると、田中センパイはその場でわたしの携帯を鳴らしてくれた。

「登録しますね。田中さん…と」

「田中さん、じゃなくて田中勇人。ちゃんと名前まで登録して」

 上から覗き込むようにしてそう言う田中センパイは、妙に距離が近い。

「は…はい」

 どぎまぎしながら名前を入力すると、田中センパイはもう一度嬉しそうに笑う。

「あのさ。職場以外の場所では、由美ちゃん、って呼んでいい?」

「え?」

「お店を見つけたら、連絡するよ。由美ちゃんも銀行から出る時に連絡して。…あ、この道で別れるみたいだ」

「は…はい。じゃあわたし、急いで振り込んできますね」

「急がなくてもいいから、気を付けて」

 そう言われながらも田中センパイから姿が見えない距離になってから、わたしは小走りになる。

 あのビストロは少し分かりにくい立地にあるから、いい時間稼ぎになる。

 急がなくてもいいと言われていても、あまり待たせる訳にはいかない。…でも。

 銀行の気が遠くなるような待ち時間の間、ずっと田中センパイと一緒にいなくても良いことになって、わたしはなぜかホッとしていた。

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