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「由美ー! おっはよー」

「あー…おはよー」

「何? そのテンションの低さ」

 毎朝同じ時間の電車に乗る、別の課に配属された同期の小林こばやし佑香ゆうかに改札を出たところで声をかけられて、わたしは二日酔いに痛む顳顬こめかみを押さえた。

「昨夜…うっかり飲んじゃって」

「あー、由美は弱いもんねぇ。なのにどうして飲んじゃったの?」

「ノンアルコールのメニューと間違えて頼んじゃったの。チーフが」

「ええーっ!」

 佑香の素っ頓狂な大声が、ただでさえ痛い頭にがんがん響く。

「声…大き」

「佐藤チーフと飲み? 由美ズルいよ。どうして私も呼んでくれなかったの!」

「残業帰りに急に誘われたんだって…第一、佑香とチーフ、接点ないじゃん」

「無いからこそ作るんじゃないのっ! 今がチャンスなのよっ」

「チャンス?」

「佐藤チーフ、彼女と別れそうだっていうじゃない。チーフの彼女、どうやらお見合いしたらしいよ」

「えっ」

 どうして佑香がそんなことを知っているのかと問い質すよりも先に、昨夜妙に暗かった佐藤順也の表情が浮かぶ。

 あの表情は、そういうことだったのか…。

「それで…」

「何が、それで?」

「いや、妙に暗いなぁと思ったから。そういうことなら納得」

 それにしてもどうしてそんな個人的なことを、チーフと接点がないはずの佑香が知っているのだろう。

 婚活に励む乙女にとって、そのくらいの情報収集は朝飯前なのだろうか?

 今朝も佑香はいつも通り、平日でも可愛らしい格好をしている。

 パステルピンクのシフォンブラウスにふわりとした膝丈のスカート。高過ぎもなく低過ぎもない身長に敢えて選んでいるのは、あまり踵の高くないバレエシューズ。明るめにカラーリングしたセミロングの髪は、パーマを一切入れていない、つやつやのストレートだ。

 ありがちなスーツに適当なブラウスを組み合わせ、髪の毛に構う余裕のない日(今朝みたいな日)は一つに括っているわたしとは格好からして全然違う。見習わなくては、と思ってはいるけれども、見た目に対してそこまで時間とお金を費やす気にもなれなくて、結局今の地味な外見に至っている。

「ああああ〜! 私だったらそのチャンス、絶対逃さないのにっ!」

 そのビジュアルに似つかわしくない地団駄を踏んでいる佑香をよそに、わたしは会社が入っているビルの守衛さんに挨拶した。

「いい? 由美。もし今度一緒に飲みにいくことになったら、絶対に連絡ちょうだいね!」

 いきなりがっ、と佑香がわたしの肩を摑む。凄むような口調に気圧されて、わたしはつい頷いた。そんなわたしの様子を見て佑香は満足そうに頷くと、今度は手をひらひらさせてエレベーターに向かった。

 閉まる直前のエレベーターに器用に滑り込んだ佑香を見送ると、わたしは階段へ向かう。

 佑香のオフィスは五階でわたしのオフィスは三階。佑香と一緒のエレベーターに乗ってもいいけど、人混みが嫌いなわたしはいつも階段を利用していた。

「おはよう、多加木さん」

 背後から声がして振り向くと、同じ課の田中たなか勇人ゆうとセンパイがにこやかに笑っている。

 わたしにとってはセンパイだけど、実は同い年ということが分かってから、何かと気にかけてくれるようになった。分からない事だらけで困っているわたしに会社の暗黙のルールとか色々教えてくれる、とても有り難い人だ。

「おはようございます、田中さん」

「あれ? 今朝はどこか調子悪い?」

「いえ、それほどでも…」

「なんだかパワー不足に見えるけど…もしかして、二日酔い?」

「やだ…お酒臭いですか?」

 思わず口許を押さえると、田中センパイはハハッ、と笑った。

「お酒を飲んだ翌日は、なんとなく不調になるって言ってたでしょ」

 そういえば以前、そんなことを話したような気がする。

「だから平日は飲みに行かないって、この前飲みに誘った時にそう断られたような気がするけど…。週末じゃないのに誰と飲みに行ったの?」

「佐藤チーフとです」

「え?」

「え?」

「いや、俺、誘われてないなー、と思って…」

 何故か慌てた様子で、だけど明らかに説明を求めている視線で見つめられて、わたしは渋々説明する。

「昨日、残業が長引いちゃって…。そのせいで、佐藤チーフが彼女さんとの約束を破ってしまうことになって、時間が空いてしまったから晩ご飯に付き合えって言われて…」

 田中センパイのどこか非難めいて疑わしそうな様子を不審に思いつつそう説明すると、田中センパイは少し晴れやかな表情に戻った。

「資料作りくらいだったら、言ってくれれば手伝ったのに…」

「いえ、ただ単にコピー機が空くのに時間がかかって…作業はすぐ終わるはずだったんです」

 あのヒトが邪魔さえしなければ、と暗に誰のせいかを示そうとすると、意外な台詞が返ってきた。

「多加木さんって、要領良さそうに見えて、案外悪いよね」

 は?

 今、なんと?

「そ、そうなんです。わたしバカで…」

 思った事と裏腹な返事をしながら、頭の中では思考がぐるぐる回っていく。

 う。

 駄目だ、気持ち悪…。

「多加木さん?」

「すみません、先に行っててください!」

 三階に辿り着いた途端、わたしは女子トイレにダッシュした。


「…ふぅ」

 ギリギリ間に合い、蓋をした便座にしゃがんだまま縋りかかるようにしていたら、背後のドアからノックの音が聞こえた。

「多加木さん? 大丈夫?」

 この声は、例のお姉様…一条いちじょう紗英さえさんだ。

「大丈夫です」

 いつもよりオクターブ低い声で返事をすると、よほど体調が悪いと思われたらしく、更に気遣わしい声色に変わった。

「出てこられる? 医務室まで付き添うから」

 今のわたしにとって諸悪の根源である人だけれど、憎むほどの人ではない。

 気を取り直して個室のドアを開けると、むわっと香水の匂いが鼻を突く。

「すみません、ご心配かけて…」

 これ以上吐く物がなくて良かった、と天に感謝したい気分だ。

「いいのよ大丈夫」

 わたしは大丈夫じゃない、と心の中でつい毒づいてしまう。うう…この人はわたしのことを心配して来てくれたのに、八つ当たりもいいところだ。

 自己嫌悪にまみれながら、わたしはお姉様から視線を逸らす。

「ちょっと口をゆすぎたいんですけどいいですか?」

「ええ。あ、お化粧も直すなら化粧品貸そうか? クレンジングも持っているけど使う?」

 そういえばこのヒトって、わたしには決して手が届かないようなハイブランドの化粧品を使っていたなぁ…。そういうの惜しげもなく貸してくれようとするなんて、いい人だ。

「いえ、自分のがロッカーに置いてあるので大丈夫です。ありがとうございます」

 そう言って洗面台に向かうと口を濯ぎ、そして近くのロッカーから自分のポーチを取り出して、わたしはごく簡単にメイクを直した。

「普通に歩ける? なら、行きましょう」

 わたしが小さく頷くと、お姉様はゆっくりとした歩調で歩き出した。

「係長には体調が悪くなった事を伝えてあるから、心配しなくてもいいわよ。午前中は医務室でゆっくりしてて」

「もしかして田中さんが知らせてくれたんですか?」

「ええ。多加木さんの様子を見てきてくれないかって。優しいわよね、あの子」

「はい。…あ、医務室にいること、チーフにも伝えておいていただいてよろしいでしょうか?」

 佐藤順也は今頃プレゼンの準備で大わらわのはずだ。一応手伝おうと思っていたのに、結局手伝えなくなってしまった。

「いいわよ。だから安心して休んでて」

 そんな話をしているうちに医務室に到着し、お姉様はドアをノックする。

 部屋の中からの「はい」という返事を確認してドアを開け、常駐している女医さんにテキパキとわたしの症状を伝えると、お姉様は空いていたベッドにわたしを押し込んだ。

 そしてその後すぐにオフィスに戻るかと思いきや、あろうことかお姉様は女医さんと世間話を始めた。

「さすがに朝一番は誰も来てないわねぇ。最近はどう? 忙しい?」

「いつもどおりよ。夕方近くなるとサボリの患者さんが増えるかな。でも風邪の季節が終わったから、暇といえば暇ね。あとは今日みたいに睡眠不足と二日酔いの患者さんがたまに来るくらい」

 睡眠不足と二日酔い…。身も蓋もない言われ方だけど、本当なんだからしょうがない。

 そういえば佑香がよくここにサボりに来るとか言っていたなぁ。体調悪いフリしていても、やっぱりお医者さんには見抜かれているんだな、と妙に感心してしまう。

 二人の会話を布団を被って目を閉じながら聞いていると、自然と眠気が襲ってくる。

 もうこのまま眠ってしまおう。

 そう思った矢先に耳に入った会話に、わたしの目は一気に冴えた。

「それにしても、お酒に弱い子に飲ませるなんて、ひどいわね。あなたからも順也くんに注意しておいて」

「もちろんよ。あとできつく叱っておくわ」

 …え?

 誰が、誰を叱るって?

「そんなうっかりをやらかす程、今の順也くん自棄やけになっているの?」

「んー…そこまでではないと思うんだけど。多加木さんがここまでお酒に弱い事を知らないのは順也だけじゃないと思うし。でも順也の不注意のせいで彼女の仕事に影響出させたのは本当だから、反省させなきゃね」

「おお、怖。でも確かにお酒の強要は洒落にならないから、すこしきつめくらいで丁度いいかも。はいコレ、医務室利用証明書。彼女の上長に渡しておいてね」

「分かったわ」

 書類を手渡す音がして、バタンと扉が閉まる音がし、コツコツと足音がこちらに向かう。

「大丈夫? 多加木さん」

「は…はい」

 上擦った声で返事をすると、女医さんがひょっこり覗き込む。白衣にメガネをかけて野暮ったくしているけれど、この人、美人だ。

 20代後半と思しきその人は会社の専属医ということだけれど、あまり本格的な医療行為はしていないっぽい。

「二日酔いって聞いたけど、他に気になる症状はある?」

「あ…頭痛とか目眩があったんですけど、吐いたらすっきりしました」

「そう。じゃ、そのまま少し休んでて。落ち着いたら水分を多めに取って、今日はなるべく早く帰ってね。なんなら早退する? 診断書書いてあげるわよ」

「早退はちょっと…。私、時給なんで」

「診断書があれば堂々と有給が取れるわよ。早く帰って安静にしていなさい。仕事に戻って紗英さえの話に付き合わされるのも辛いでしょ?」

 茶目っ気たっぷりに微笑まれて、わたしはつい質問してしまった。

「あの…一条さんと仲良しなんですか?」

「彼女、よく来るのよ」

 サボりに、という言葉を挟まないところに大人の配慮を感じてしまう。

「その…佐藤チーフも?」

 順也くん、という言い方が引っ掛かっているせいか、この場では変な質問だと思いつつもつい聞いてしまう。

 女医さんはくくっと笑って、そして改めてわたしを見た。

「多加木さんって、この会社に入るコにしては珍しいタイプね。そのあたりの話はお友達の小林さんがとっても詳しいから、教えてもらいなさい」

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