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佐藤順也は定時までに帰社することはなく、わたしは言われている通りに残業せずに帰宅することにした。
念のために今日の目覚ましい進捗状況を付箋紙にメモ書きして残しておこうかとも思ったけれども、それも明日の報告で良かったことを思い出して、何も残さないことにした。
そして、うきうきした気分のまま、わたしは帰宅途中に店へ立ち寄って買い物を済ませ、鼻歌混じりにチーズケーキの材料をボウルの中に入れ、泡立て器でグルグル混ぜ、焼き上げて冷まし、いつの間にかラッピングまで終わらせていた。
…アレ?
何、この手際の良さ。
翌朝、いつもより早目に出社したにもかかわらず、わたしよりもっと早く出社していたらしい佐藤順也から「おはよう」と挨拶されてしまったわたしは「オハヨウゴザイマス」と返事をして佐藤順也に笑われた。
「朝っぱらからタコみたいに口尖らせてんじゃねーよ」
失礼な。
「今の、軽くモラハラなんですけど」
「悪い悪い。今日は早いんだな。だけど早朝出勤は認めないぞ」
「佐藤チーフだって人のこと言えないんじゃ?」
「俺はいつもこの時間」
机の上にはコンビニの袋と、中には食べ終えたであろう朝食の残骸。今朝は和朝食とみた。
「意外と会社人間なんですね」
「満員電車が嫌いなだけ。多加木も朝飯を会社で食うことにしたのか?」
「今日は荷物が多くて…」
あ、マズイ。突っ込まれたら説明しなきゃならなくなる。
「ふーん」
あれこれ聞かれるかと思いきや、そこは佐藤順也、あっさりスルーしてくれた。
「ま、このご時世だし、就業時間前に仕事の話はナシな。俺が係長に叱られる」
え…。仕事の話以外の話題なんてハッキリ言ってナイんですが。
「あのー…じゃあ、個人的な話題とか?」
「多加木、俺に個人的な興味があったんだ」
「イエ、それはありませんけど」
がくり、と佐藤順也が心の中でずっこけた音が聞こえる。
「…時々容赦ないよな。ま、その方が俺としてもやりやすいんだけど。で、多加木は俺のどんな個人的話題に興味ある訳?」
「彼女さんには許してもらえたのかなー…って。大丈夫でしたか?」
「大丈夫だよ。あのあと、謝り倒して許してもらった」
…へぇ。
意外。虚勢を張ると思っていたのに。
「わたしの要領が悪かったせいで、ご迷惑をおかけしました」
ぺこりと頭を下げると、佐藤順也はわたしに向き直って頭を下げた。
「俺のほうこそゴメン。紗英さんに言われるまで全然気が付かなくてさ。森藤からも叱られたし…なんか俺、多加木はあれこれ言わなくても自分でちゃんとやるイメージだったからさ。色々言うとウザがられるかな、ってのもあって。女子のことに口出すのも怖かったし」
女子のこと、ってコピーやらお茶菓子やら医務室やらのことなんだろうか…。
「ええとそれは…確かに、教えて貰えてたら助かったかな、とは思いましたけど。わたしからの働きかけも足りてなかったのは本当のことで…」
その証拠に。
わたしはデスクの引き出しの鍵を開け、昨日完成したレイアウトを取り出した。
「結局、自分一人の力でどうにかなるなんて思っちゃいけないな、ってことは良く分かりました。わたし、知識も経験も足りないし、質問しなきゃ分からないことだらけだし、それなのに質問する勇気もなくって」
「見せて」
佐藤順也に言われた通りに用紙を渡すと、佐藤順也は二枚に分割された元は一枚の表をじっと眺めた。
「へえ…悪くないじゃん」
「わたし一人の力じゃないです、もちろん。森藤さんと一条さんにだいぶ助けていただきました」
「紗英さんはともかく、森藤に手伝って貰えるなんて凄いな。アイツ、選り好み激しいから」
「森藤さんはとても優しいですよ?」
わたしは思わず首を傾げた。
「男だったらメチャ怖いタイプだよ、あれは。礼儀を知らない奴が大嫌い。仕事は正確無比。向上心が洒落にならないくらい強いのに無欲。女性社員受けが超悪い紗英さんとスグに打ち解けた女って、アイツ以外に見たことない」
「そういえば佐藤チーフ、一条さんとご親戚って…」
「そ。俺、紗英さんを頼ってココの会社入ったから。で、田中にも声かけて」
「呼びましたか? 佐藤先輩」
「わ」
いきなり割って入ってきた田中センパイに驚くと、田中センパイは心なしか笑顔を引きつらせている。
「おはよ。田中」
「おはようございます。佐藤先輩、多加木さん」
「おはようございます、田中さん」
「朝早くから仕事熱心ですね、二人とも」
「ああもうそんな時間か」
佐藤順也は腕時計を見て、机の上のレジ袋を片付けた。
「うわー、傷つく…。先輩、俺を時計代わりに利用してるなんて」
「お前だって紗英さんを時計代わりにしてるじゃないか」
「あのヒト時間に正確なんで」
てへ、と言わんばかりに頭を掻く様子を見て、佐藤順也はケッ、っと罵る。
同じ大学の先輩後輩だからこそ許されるんだろうな。こういうの。
「でも一条さんに気付いてからだと、もう遅刻確定なんじゃ…」
「多加木、それは違う。コイツは紗英さんと同じ時間帯の電車に乗ってくるんだ。で、乗れなかった時は営業先に直行するなどとゆーセコい電話を会社にかけて…」
「多加木さんに何てこと言うんですか先輩ッ!」
「え? だって」
田中センパイはいつも一条さんよりずっと早く出社している。いつものわたしの出勤時間より同じか早めか…。
あれ?
これってもしかして、昼休憩と同じパターン…?
「始業前に役員室の掃除とか…?」
「学習能力イイじゃん、多加木。田中、ボヤボヤしてると追い抜かれっぞ」
「でもそれじゃ、一条さんずっと働き詰めじゃないですか!」
「でも普段サボってると思われてんだよなー」
う…。
「ま、仕事の評価は会社からはちゃんとされてるみたいだからいいんじゃないの?」
ちくちくと刺さる言葉に圧されつつ、わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
「なぁ、多加木?」
「…はい」
何が「はい」なんだかも良く分からないまま、わたしは海よりも深く落ち込んだ。




