初恋
「ふーちゃんが修のこと愛してるって!」
中学二年生のころだろうか、私は生まれて初めて「愛」という言葉が自分に投げかけられるのを聴いた。ほかのクラスの同級生が、いきなり私のクラスの教室の戸を開けると、周りの女子たちにけしかけられたかのように強く言い切ったのだった。それは両親からの愛ではなく、相愛の関係にあった女子からの愛であった。その同級生の女子は言い終えると慌てて立ち去って行った。「ふーちゃん」とは相愛の相手だった。私の心身は覚醒したかのように強く熱され、喜びと恥ずかしさで滾るようだった。
私は「愛」という言葉が理解できなかった。「恋」ならまだ理解できただろうか。いや、「恋」すらまだわからなかった。「好き」という動物的な言葉なら分かった。私はまだ「恋」や「愛」といった人間的で他人と深く交渉する関係を築けるほど精神が成熟していなかった。ただ生理的にその子のことが「好き」だった。
私はその子と小学5年生の時に一緒のクラスになった。初めは私のことを軽く馬鹿にしているかのような態度だった。あるとき、図画工作の授業でグループ作業をしていて、グループの糊が足りなくなったとき、私が使いすぎたせいだと言って私をなめてかかってきた。5年生の頃、私はそれほどクラスでの地位が高くなかったように思う。だが、いつの間にか互いに惹かれるようになり、クラスで互いにしょっちゅう目が合うようになり、お互いに好きだということは分かったし、それはクラス中の生徒の目にも明らかだった。
私はその子と口をきかなくなった。相手もそれは同じだった。口をきくのが恥ずかしく、なるべく避けるように振る舞った。言葉ではなく、好きだという表情とオーラで私たちはコミュニケーションした。私もその子も、ひたすらお互いを避けることばかり考え、その「好き」をどう扱ってよいのかわからなかった。付き合ってしまえばよかったのかもしれないが、それを言い出す勇気もなければ付き合い方もわからなかった。
その子は小動物のような愛くるしい顔をした小柄でやせた少女だった。バスケットボールが得意で、言葉少なめで、誰からも愛された。切れ長の目の東洋的な魅力があった。発言力や権力を握るというよりは、皆から愛され支持されるという立場にあった。誰も彼女を悪く言う者はいなかった。教師からも愛され、小学6年生のころ、担任の教師がその子の頭を撫でたのを私は目ざとく見つけ、笑っているその子を見ながら激しく嫉妬した。
私は絵に描いたような優等生だった。成績はオール5に近く、何事においても他の生徒より秀でていた。背が高く容貌も比較的良かったのだろう、女子たちには好かれた。私のファンクラブまで存在したくらいで、私もまた皆の愛と支持によって地位を保っていた。私もまた相手と同じように寡黙でストイックだった。
小学校では日直というものがあった。男子と女子が順にペアになって、その日の挨拶の号令や黒板消しなどの事務を任されるのだった。私はあるとき、その子と二人で日直になることが前日に分かった。私はひたすら困惑した。結局、当日私は仮病を使って休んでしまった。
そのほかにも、体育の授業でダンスを踊るとき、その子と組になったこともある。私はひたすら下を向いて、ただつないだ手の感触に無量の感動を覚えていた。好きな人と手をつないだのはそのときが初めてだった。相手の表情は覚えていない。
修学旅行で山に登った。途中でその子と一緒になってしまった。私は「いいからついてこい」などと言って恰好を付けてどんどん速足で登っていった。その子ははにかみながらも嬉しそうな顔をしてついてきた。
私とその子の恋愛は中学3年まで続いた。私は地方の進学校に、その子は普通の高校に、それぞれ進学した。それから全く音沙汰はない。互いに互いがその後の人生をどう歩んだか全く知らない。そんな私も今では35歳だ。あの初恋は何だったのだろう。私たちはあまりにも幼すぎて、あまりにも純粋すぎて、初恋をどう処理していいかわからなかった。にもかかわらず、小中学校を通じて私の心を一番強く支配していたのがその子への思いだった。
人間は恋愛ができるほど十分成熟するずっと前に、ひとのことを好きになってしまう。その早生の果実のようなもの、時代を先取りした発明のようなもの、何の結果も残さずただ過程だけがあるもの、その「好き」の気持ちはあまりにも難解だったし、今でも難解である。ただ、通過した風景だけがある。淡く美しく官能に満ちた風景だ。だが、立ち止まって分け入ることは決してできなかった風景だ。初恋とは立ち入り禁止、原理的に立ち入れない風景なのかもしれない。




