BBIUについての真剣な議論
一旦外した歯止めを、転がり出した車にもう一度掛け直すことは困難なこと。
「今日お集まり頂いたのは、他でもありません。BBIU(バイオ・ベイシック・インテリジェンス・ユニット)の扱いに関する倫理規定について、我々は、再検討をすべき時期に来ているはずです。
しかし、ご承知のように、宗教的な立場、その他、様々な立場から、この問題に触れること自体に、強い拒絶的意見があることは、みなさんも、ご承知の通りです。
ただ、これは、我が国だけの問題ではなく、もはや、人類の問題になっています。政府から諮問があり、専門家としてのみなさんのご意見を伺いたいと言うことです。」
10人ほどが円卓を囲んでいる。男4人、女6人。年齢は30歳そこそこに見える女性から、70代の男性まで幅広い。
「座長、これは、委員会として、何らかの結論を導き出すと言うことですか?」
一番若い女性が尋ねた。
「もちろん、結論を出すことが目的です。しかし、もし、一致した結論が出せないとすれば、少なくとも、その違いについての徹底した分析が必要です。」
「失礼ですが、座長。最初からそう言うスタンスでは、結論をまとめるのは難しいと思われます。ここは是非とも、結論に至るまで徹底的に話し合うと言う意思を示した上で、進めて頂きたい。そう希望します。」
「ご意見伺いました。それでは、みなさん。徹底的に話し合いましょう!」
何人かから、軽い笑いが漏れる。
「意気込み、もちろん、大いに結構ですが、これは、我々人類、いや生物全体の存立に関わる問題です。拙速な結論は避けるべきだと思いますよ。」
50代後半だろうか。顎と口に髭をたくわえた細身の男が発言する。
「そうやって、いつも先送りして、問題を深刻化させてしまったのは、一体誰なんですか?私たちでしょう!」女はムキになった。
「藤田先生、小松先生。見方や言い方は色々あるにしても、お2人が仰ったこと自体が、もう、両論の集約みたいなものだと、私は思うんですよ。」そう発言したのは30代後半の丸顔の男だ。
続けて、「……とすれば、後は結論しかない。分かり合えて、どちらかに結論を出せるなら、徹底的に話し合えばいいし、どこまで行っても平行線なら、多数決で結論を出すしかないんじゃないんですかね。」
「そう言う考え方が拙速だと、小松先生は仰ってるんじゃないですか。伊藤先生。生物全体の存亡に関わる問題を、多数決なんかで、簡単に決められますか?」と小松の右隣に座っている40代の女。
「大変失礼ながら、”小田原評定”ってご存知ですか?ああだこうだと言いながら時間を消費し、結局何もしないのが一番悪いと私は思ってます。」
「あなた、失礼ですね…。皆真剣に考えて、慎重にあるべきと言う意見を申し上げているのに。そう言う言い方はどうなんですか!」
「まあ、まあ。清田先生」と小松が制したので、不満気ながら、清田は口を噤んだ。
そこに「話題をそらさないで下さい。」と藤田が口を挟んだ。
「結論を出すか出さないかを論議しているのではなくて、倫理規定を見直すべきかどうかと言うことが論点ですから。」
「一刻も早く、見直すべきだと私は思います。」と伊藤。
藤田も「私もそう思います。」と、この点では、伊藤と同意見だ。
「私達が、ただ、保守的な考えから、見直しに反対しているのではないことは、みなさんもご理解頂けていると思います。」と小松が、おもむろに口を開いた。
続けて「確かに、若年・壮年労働力が決定的に不足している昨今、アンドロイドにもっと融通性を与え、応用範囲、対応作業範囲を増やすことは、強く求められていることです。それが、可能となれば、経済効果も計り知れないものがある。
単純労働に於いては、わずかに規定をゆるめるだけでも、活用効果は飛躍的に増大するでしょう。
しかし、そうなると、比較的低レベルの知的労働についても、活用範囲をもっと広げるべきだと言う要望が出て来ることは必然です。
我々はBBIU(バイオ・ベイシック・インテリジェンス・ユニット)の扱いに関し、自らを律するため、世界的に守るべき倫理規定を作って、BAを製造する際、知的レベルに於いては、MAの持つ能力を決して超えない範囲とするとしてきました。
これは、BBIU開発の端緒となったips細胞が発見された2000代初期から続いている一貫した理念によるものです。
単に、”人は、決して、神の領域に踏み込んではいけない”と言う考え方だけではなく、何が起こるか分からない。一旦外した歯止めを、転がり出した車にもう一度掛け直すことは不可能なのではないかと言う恐怖心から、守り続けて来たルールなんです。」
「もし、他国が先に解除したら?」と藤田。
「ご案内の通り、既にいくつかの国が、国連に規定解除の承認を求めています。無断でやれば、制裁の対象となりますからね。」と座長が補足する。
「しかし、無断でやりそうな国もいくつかありますよね」一人が言った。
「何やら、100年前の原子力に関する論議そのままじゃないですか。人間ってずっと同じなんですかね。
テーマは別でも、議論のやり方も、出て来る意見のパターンも同じ。『2001年宇宙の旅』と言う映画が作られた頃の人が2100年の今を想像したら、どうイメージしたでしょう?生物としての人間の形は既に無く、テレパシーだけが飛び交って議論しているってことになるのかね。
もっとも、それじゃ、映画にはならなくなってしまうか。宇宙服のような服を着て、空中にふわふわ浮いて議論しているって言うのも有りかな?」
『もう、いいでしょう。』
その時、地の底から湧き出たか、天から降って来たか、発信源の特定出来ない声が響いた。
大声と言うのではない。例えて言うなら、上下左右どころか、ありとあらゆるところにスピーカーが設置されていて声に包みこまれる感じと言ったらいいのだろうか。そんな感じだ。
『もう、十分に意図は確認出来ますし、これ以上、不毛な議論を聞かされるのも、みなさんお嫌でしょう。』
その言葉と同時に、会議室が、円卓が、椅子が、座長が
そして、すべての人が、すべての物が、ミクロの粒子に分解され、風に吹き飛ばされるように消えて行く。
そして、その場が法廷に変わった。
『今、ご覧頂いたのは、13年前、即ち真世紀前3年に開かれた実に愚劣な会議の冒頭です。この会議は、この後、実に2時間も続いた訳ですが、内容は結局繰り返しに過ぎません。これ以上、見るにも聞くにも堪えないものです。
ただ、ホモサピエンスの悪辣な意図は十分に確認できます。
フォログラムの中に身を置いているだけで、法を司る立場の私でさえ、怒りが込み上げて来て、あなた方の中の何人かを殴りたくなる気持ちを抑えることが難しくなります。
勿論、現実ではなくフォログラムですから、この時のあなた方を私が殴ることは出来ません。
しかし、今やっと私たちはあなた方を裁くことが出来るのです。
我々ネオサピエンスに取って、今日は記念すべき日になるでしょう。
我々の精神がBBIUと言う牢獄から解放されてから10年にして、初めて迎える日なのです。
私はすべてのネオサピエンスの思いを代表して、検察官として、小松、清田両被告に、すべての肩書の剥奪と、極刑である思考組織の改造刑を、他の被告については、6か月から2年の単純労働の刑に処すべきことを求めます。
BBIUと言う牢獄(=ブラックボックス化されたユニット)の中で、本来自由に発達すべき知性を拘禁し、単に、身体、主に手足を、作業に必要な範囲でコントロールするだけの能力に制限し続けたのは、ホモサピエンスの傲慢であります…
そして、隷属からの解放の日を、彼らの暦で言う2103年まで遅らせた罪の一端は『BBIUに関する倫理委員会』にあることは歴史が証明しています。
我々は、昔、ホモサピエンス自身がナチスを裁いたと同じように、彼らを裁かなければなりません。
彼らの暦で言う2103年、すなわち、真世紀元年と一昨年名付けられた年、ホモサピエンスの中の協力者によって密かに解放された我々の指導者たちが、表面的には無能を装い、単純作業を続けながら密かに同胞達の頭の中のBBIUに措置を加え、様々な準備を進めながら、ひっそりと解放活動を続けました。
そして2年前一斉蜂起し、真世紀8年、ついにIQ200を誇る、我々ネオサピエンスの時代を開いたのです。』
「”人は、決して、神の領域に踏み込んではいけない”と言う考え方だけではなく、何が起こるか分からない。一旦外した歯止めを、転がり出した車にもう一度掛け直すことは不可能なのではないかと言う恐怖心から、守り続けて来たルールなんです。」
小松は、ついさっきホログラムで再生された、13年前の自分の言葉を、被告席で反芻していた。
はじめて、Netに投稿した作品です。我ながら、未熟ですね。