第5話 『目印 と 接触』
グレンは、身の内で荒れ狂うヨルに対する未知の引力に引きずられながらも、表面上は穏やかに会話を続けていた。
「では、ヨルさんと呼びます。敬語は・・・なるべく善処します。我々もグレンとミズトでいいですよ。ところで、目印とはどのようなものなのですか?」
目印に転移するとは、何か目立つものを持っていればいいのだろうか?
「はい。私の魔力を魔方陣に写し、それをレイ・・・グ、グレンさんの体のどこかに刻ませていただきたいのですが・・・。」
(やっぱり、体に直接触れられ、魔法陣を刻むなんて気持ち悪いかな・・・。)
不吉だと言われてきた為、人と人の触れ合いはお母さん意外の人としたことが無かった。
周りの人は、私と目が合うことも、近づくことも嫌がる事が多いからだ。
今現在、狭い個室に2人の騎士と一緒にいて、手を伸ばせば触れられる程の距離にいるのが信じられないくらいだ。
「体に?いいですよ。どこに刻みますか?」
唖然としてしまった。
なぜ、この人は私を嫌がらないのだろう?
なぜ、この人は私を真っ直ぐ見つめるのだろう?
口をぽかんとあけたまま固まっている私を見て、ミズトが堪え切れず笑い出した。
「だから言ったでしょう?この人は天然なんです。真面目に考えるだけ馬鹿らしくなりますから」
ミズトの発言に、グレンはムッとして反論する。
「おいおい、それじゃあ俺が馬鹿みたいじゃないか?俺だって色々考えてるんだぞ?」
「色々考えて、『それ』だからいいんです。あなたはそういて下さい。」
(あぁ、そうか、この人は・・・この人達は私の事を1人の人間として見てくれているんだ。)
闇を纏う者ではなく、不吉な少女でもなく、ただの少女『ヨル』として見てくれているのだ。
「ありがとうございます。私の事、『私』として見てくれる人なんて、ほとんどいなかったから、凄く嬉しい。」
ほんのりと頬を染めて笑うヨルはとても綺麗で可愛かった。
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「目印はどこでも大丈夫です。直径3センチぐらいの魔方陣が刻まれるので、見えないほうがいいなら腕や、肩でもいいですよ?」
「それなら、手の甲でいいですか?わざわざ服を脱ぐよりいいでしょう?」
その言葉にヨルはにっこりと微笑み頷くと、右手の人差し指を立て、先端に魔力を集め形成していく。
要は自分の匂いをつけるのだ。
どんなに遠くにいてもその目印に転移できるが、生き物以外に刻めないのが難点だ。
魔力を刻む器の生命力に反応して、魔方陣は維持される。当然、生命反応が無くなれば消えてしまう。
ヨルの指先に直径3センチ程の闇色の魔方陣が完成し、指先の少し上をクルクル回っている。
「準備ができました。手の甲を出して下さい。」
グレンは言われるままに、右手の甲を差し出した。
ヨルは、グレンの手を左手でそっと受け取り、指先で回ってる魔法陣を甲に押し当てた。
グレンの体が一瞬、ビクッと揺らぐ。
「っつ!」
グレンの反応に驚いたヨルは混乱した。
一度受け入れられれば、今度は拒絶されることがたまらなく怖い。
「っ!すみません!熱いですか?痛みはないはずなんですけど、痛かったなら、ごめんなさい」
どうしたらいいかわからず、まくし立てるように喋るヨルに、グレンは少し慌てた。
「!大丈夫です!熱いというより・・・暖かいです。ただ、予想外だったので、思わず体が反応してしまいました。申し訳ない」
「そんなっ!あやまらないで下さい!先に、少し熱いかもと説明しなかった私が悪いんです。こちらの配慮がたりませんでした。本当にごめんなさい・・・」
印を刻む手を止めず、グレンの手をうつむき加減で見つめながら作業を続けていたヨルだが、その手がかすかに震えていることにグレンは気付いた。
グレンはそんなヨルを見て、胸が締め付けられるような思いがしていた。
ヨルは、人との距離感や接し方がわからないのだ。
何かあった時、どうしたらいいかわからないから、過剰に反応して、自分が悪いと言って謝ってしまうのだろう。
悪いのは全部自分なのだと、そう思っているのかもしれない。
こちらが、もっと砕けて接しないと、この少女には伝わらない。どんなに大丈夫だよと言っても伝わらないのだ。
本当は、抱きしめて、大丈夫だよと、安心させてやりたいが、ここにはミズトもいるし、もしそんなことを今したら、余計にパニックになりかねない。
グレンは肩の力を抜き、優しく喋りかけた。
「こんなことで、そんなに気にしなくていいから。大丈夫だよ。これで、目印完了かい?」
グレンが突然、喋り方を変えたことにミズトはすぐに気付いたが、ヨルが気付いた様子はない。
いくら、慣れてきても、初めて会った人間にまだ緊張しているのだろう。
いちいち喋り方にまで気を配る余裕がヨルにあるとは思えなかった。
ヨル自身は、グレンが先ほどの事を気にした様子が無かったので、ホッとしていた。
「はい。完了です。これでいつでもあなたの元へ転移できます。」
そう言ってにっこり笑うヨルに、この子こそ、天然だと2人は思ったとか。
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ヨルが立ち上がると、2人も続いて立ち上がる。
「それでは、私はギルドに少し用があるので、用事を済ませたら、家に戻り準備します。そうですね・・・夕刻にはそちらに向かえると思います」
「了解!俺たちも、昼過ぎには防衛線に到着しているから、大丈夫だ。協力感謝する」
そういうと、2人は騎士の礼で見送ってくれた。
(私のほかにも、何人かに声をかけてスカウトするのかな?それにしてもなんだろ?胸がドキドキしてるし、顔が熱い・・・。)
今まで、生きることで精一杯だったヨルは、母の愛は知っていても、異性との『恋』や『愛』は知らない。
そのドキドキがなんなのかわからないのだ。
まだ、恋とも言えないぐらいの小さな小さな欠片だが、確実にソレはヨルに変化をもたらすだろう。
(まぁいいや!早く、報酬もらって、ステラに話さなくっちゃ!もう町長の依頼とか言ってられないし)
ヨルは胸のドキドキをそれ以上追求せず、さっさとわずかな報酬をGETして家に転移した。
余談ではあるが、町長からの斜面の強化依頼は、クエストボードにず~っと貼られっぱなしだったとか・・・。(あわれ町長・・・)
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「ただいま~。ステラいる?」
玄関に転移したヨルは周りをキョロキョロしながらステラを探す。
「おかえり、ヨル。」
ステラは、暖炉の横に寝そべっていた。
ヨルは、先ほどの事を話す為にステラの横に座ることにした。
「聞いて、ステラ!あのねっ・・・」
「全部見て聞いてたからわかってる。ヨルのしたいことも、しようとしてることも。」
同意の契約は魂の契約。その気になれば、相手にリンクして動向を見ることも、会話を聞くこともできる。
いつもは勝手にリンクなどしないのだが、今回はヨルの強い感情の揺れを感じたステラが心配して、リンクしたところ、あの紅の騎士と対面してる所だった。
「ヨルのしたいようにすればいいとおもうよ?ただし、私も行くから。」
(私の大事なヨルをっ!みすみす、あんな赤毛に手出しさせるもんですか!)
「えっ?ステラも行くの?どうやって?ステラみたいに大きい魔獣が行けば、みんなビックリするよ?」
「大丈夫、さすがにこのまま行く気はないわ。子犬にでも変化して行けば邪魔にはならないでしょ?」
まだまだ、世間知らずのヨルを1人で戦場に送るなんてステラには考えられなかった。
何かあった時に近くにいたほうが、守りやすい。
「ヨルは、私の事を使い魔って紹介すればいいでしょ?魔法使いなら魔獣の使い魔くらいいてもおかしくないんだから。」
最前線ではないとはいえ、戦場に行くことに不安がないわけではない。
守りたいという気持ちに嘘はないが、人を傷つける事にはためらいがある。
だから、ステラが共にいてくれるのは正直心強い。
「ありがとう、ステラ。ステラはいつも私の事守ってくれるね。私もステラの事守るから、一緒に行こう」
しばらく家をあけるかもしれないので、いろいろ準備をしなくてはいけない。
部屋の片付けや、腐りやすい食べ物を調理しながら、ステラにグレンさんとミズトさんの話をした。
「見てたなら知ってるかも知れないけど、あの2人・・・とくにグレンさん!私の事見ても嫌な顔ひとつせずに、真っ直ぐにこっち見て会話してくれたよ!凄いよね!やっぱり暖かい人もいるんだね。凄く嬉しかった!あとね、ミズトさん!あんなに色が混ざった人初めてみたよ!多色の人は珍しいし、体が弱い事が多いって学校で習ったけど、ミズトさんは騎士になるぐらいだし強いのよね!」
ギルドであった事を、若干興奮しながら話すヨルに、ステラはやれやれとため息をついた。
(人の温かさに触れて、嬉しかったのね。こんなにはしゃぐヨル、初めて見たわ。)
「それでねっ!グレンさんが・・・」
「はいはい、わかったから手を動か~す!さっきから全然進んでないわよ。口よりも手を動かしなさい!じゃないと遅くなるわよ?」
ヨルは、ハッとして壁にかかっている時計を見た。
「!!!ほんとだ!もうあんまり時間ない!家全体に保護の結界と、維持の魔法かけていこうかな・・・。でも食べ物は、食べるなり、処分するなりしないと駄目だよね?」
「転移すればいつでも戻ってこれるんだから、そのままでいいんじゃない?」
ヨルは、言われて初めて思い出したように、ハッとした。
「そうじゃん!でも、本当に戦いが始まったら、結界の維持で身動きできなくなっちゃうし・・・。やっぱり、食べ物はなるべく処理していこう!」
「5日後には、今展開してる国境の軍とホムラ軍が衝突するのよね?でも、中央に直接攻撃ができる魔法使いがいるなら、正攻法でくるかしら?」
懸念すべきはそこだ。
最初の力業以来、魔法で攻撃してこないのだ。長距離で魔法攻撃が出来るなら、進行の手助けになるはずなのに。
「う~ん。魔法といっても万能じゃないし、最初は国内の混乱と戦力を削ぐ為に必要だったかもしれないけど、今は進行してきてるわけだし・・・、わざわざ遠距離で魔法攻撃しなくてもいいんじゃないのかな~?遠距離の魔法は魔力の放出も多いし、固定も難しいから・・・。う~ん?」
作業の手を本格的に止めて、うんうんと考え出したヨルに、ステラはただただ嘆息するのみだった。