夜の影に潜む影
東京の片隅、ネオンがぼんやりと街を照らす下町に、武蔵探偵事務所はあった。看板は古びて、赤い文字が剥げかけているが、それがかえって味を出している。所長の武蔵は、40代半ばのダンディな男だ。
黒いトレンチコートを羽織り、短く刈った髪に軽く白髪が混じり、口髭をたくわえた顔は、まるで古い探偵小説から飛び出してきたよう。
普段は煙草をくわえ、事務所のデスクで新聞を広げては世間の事件を睨んでいる。依頼はまばらだが、腕は確かで、地元の警察からも一目置かれていた。
ある日、事務所のドアベルが鳴ったのは夕暮れ時だった。入ってきたのは、20代後半の女性。名前は佐藤美香と名乗った彼女は息を切らせて、事務所のソファに腰を下ろした。
「探偵さん、助けてください。最近、この辺りで女の子が夜遅くに出歩いていると、襲われる事件が続いているんです。私の妹もその一人で、幸い怪我はなかったんですけど、また襲われたらと思うと怖くて……。犯人を捕まえてほしいんです。」
武蔵は煙草を灰皿に押しつけて、彼女の話を聞いた。
事件はここ数週間で3件。被害者はすべて10代後半から20代前半の女性で、夜の路地裏で突然襲われ、乱暴されそうになる。犯人は覆面を被り、身長は170cm前後、黒いジャケット姿。警察は捜査中だが、手がかりが少ないらしい。美香は妹の安全を心配し、探偵に頼ってきたのだ。
「了解した。引き受けるよ。報酬は後払いでいい。まずは現場を調べてみる。」
武蔵はそう言って、彼女を送り出した。だが、問題があった。事件の性質上、囮捜査が必要だ。女の子を囮に夜の街を歩かせ、犯人を誘い出す。事務所には女性スタッフがいない。武蔵一人では限界がある。相棒ともいえる女性探偵は今、別の案件で地方に出張中だ。どうしたものか。
そんな時、事務所のドアが再び開いた。入ってきたのは、遙だった。
彼は近くの高校に通う高校生の男の子で、事務所のアルバイト……というか、この事務所に自由に出入りし、勝手に手伝いに来る常連だ。身長は160cmにも届かない小柄で華奢な体つき。
髪は肩まで伸び、ふんわりとしたウェーブがかかっている。顔立ちは整っていて、大きな目と薄い唇が可愛らしく、どこかふわふわとした雰囲気を醸しだしている。
今日も学校帰りに寄ったのか学校の女子用のセーラー服に足元は黒いタイツという誰が見ても可愛いらしい少女にしか見えない。
武蔵は最初、女の子だと思っていたが、遙本人が「僕、男の子だよ」と笑って明かした時は驚いた。
「武蔵さん、こんにちは! 今日も手伝いに来たよ。何か仕事ある?」
遙は明るく笑って、金管楽器のような澄んだ声の挨拶をかけながらデスクに近づく。武蔵は煙草をくわえ直し、ため息をついた。
「ちょうどいいところに来た。仕事があるんだが……女の子役が必要なんだよな。」
遙の目が輝く。
「それ、僕でいいよ! 女の子に間違えられるの、慣れてるし。面白そう!」
武蔵は少し迷った。遙は高校生だし、危険な仕事だ。だが、遙は事務所に出入りするようになってから、簡単な尾行や情報収集を手伝ってくれている。意外と度胸が据わっていて、役に立つ。しかも、その容姿は完璧に女の子だ。未成年を囮に使うのは心配だが、仕方ない。
「わかった。だが、絶対に危ない橋は渡るな。俺が近くにいるから、合図を送れ。報酬は多めに払うよ。」
遙は手を叩いて喜んだ。
「やった! じゃあ、準備しようか。」
こうして、捜査が始まった。
翌日の夜。街は雨がぱらつき、路地裏の街灯がぼんやりと地面を照らしている。犯人の出没エリアは、下町の飲み屋街周辺。被害者は一人で歩いている時に狙われるらしい。遙は女装を完璧に仕上げ、ミニスカートにコートを羽織り、髪をポニーテールにまとめた。耳には小さなイヤホン型の通信機を付け、武蔵と連絡を取れるようにした。
「武蔵さん、準備オッケー。歩き始めるよ。」
遙の声が、武蔵の耳元で響く。武蔵は少し離れた路地から、影に隠れて見守っている。煙草をくわえ、トレンチコートの襟を立てる。心臓が少し速く鼓動する。遙は危ない目に遭わせたくないが、仕事だ。
遙はゆっくりと歩き始めた。夜の街は人通りが少なく、時折、酔っ払いが通り過ぎる。
遙はスマホをいじりながら、わざと無防備を装う。犯人を誘うためだ。1時間ほど歩いたが、何も起きない。武蔵は緊張を保ちつつ、遙に指示を出す。
「もう少し奥の路地に入ってみろ。だが、俺の視界から外れるな。」
「了解!」
遙は路地を曲がる。そこは街灯が少なく、暗い。足音が響く。突然、後ろから気配を感じた。振り返る間もなく、覆面の男が飛びかかってきた。黒いジャケット、身長170cm。犯人だ!
「きゃっ!」
遙は悲鳴を上げ、抵抗するが、男は力任せに遙の腕を掴み、壁に押しつける。覆面の下から荒い息が漏れる。
「静かにしろ。いい子だな、お前……。」
男の手が遙のコートを剥ぎ取り、スカートに伸びる。遙は必死に足をばたつかせ、通信機で叫ぶ。
「武蔵さん! 助けて!」
武蔵は即座に動いた。路地を駆け、男の背後から飛びつく。男の首に腕を回し、締め上げる。
「離せ! 警察に引き渡すぞ!」
男は暴れるが、武蔵の力は強い。格闘の末、男を地面に押さえつけ、拘束する。
遙は壁に寄りかかり、息を切らしている。男の覆面を剥ぎ取ると、30代の男。地元の無職らしい。武蔵はすぐに警察に連絡した。
パトカーが到着し、男は連行された。武蔵は事情を説明し、遙を被害者として扱うよう頼む。遙の正体は伏せておいた。警察は感謝し、事件解決の功績を認めた。
事務所に戻ったのは、深夜を回ってからだった。遙は普段の明るい様子とは違い、肩を落としてソファに座っている。顔色が悪く、手が震えている。武蔵はコーヒーを淹れ、遙の隣に座った。
「大丈夫か、遙。よく耐えたな。」
遙は黙ってうなずくが、突然体を震わせ始めた。目には涙が浮かぶ。
「怖かった……。あの人、手が伸びてきて……もう少しで……。」
遙は武蔵に抱きついてきた。小柄な体が、武蔵の胸に埋まる。普段は男の子だと主張する遙だが、今は完全に女の子のように見える。震えが伝わってくる。武蔵は少し驚いたが、背中を優しく叩いた。
「まあ、こういうところは可愛くて女の子らしいのか。呆れるぜ。」
武蔵は半分冗談めかして言ったが、心の中では心配だった。遙は明るく振る舞うが、内心は繊細だ。今日の出来事はトラウマになるかもしれない。
「よし、泣くな。メシでも奢ってやるよ。腹が減っては戦はできぬ、だろ?」
遙は顔を上げ、涙を拭く。
「……うん。行こう。」
二人は事務所を出て、近くの24時間営業のファミレスへ向かった。武蔵はステーキを注文し、遙にはハンバーグとデザートを勧めた。遙は少しずつ食べ始め、徐々に笑顔に戻る。
「武蔵さん、ありがとう。助けてくれて。」
「当たり前だ。お前は俺の大事なパートナーだよ。」
武蔵は煙草をくわえ、窓の外の夜景を見る。遙の震えは止まり、代わりにいつもの明るい声が戻ってきた。事件は解決したが、二人の絆は深まった。武蔵は心の中で、遙を本当の家族のように思うようになった。




